ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
天界の祭壇は、白い光に満ちていた。
四つの宝玉を祭壇に置く。
エオルミアは、その光を見つめた。
これで揃った。
地、風、水、火。
四属性の力。
天界を侵す濁りの根源へ届くための術式。
背後で、リシェラが息を呑む気配がした。
「エオルミア」
名を呼ばれる。
振り返ると、リシェラがこちらを見ていた。
不安そうな顔だった。
けれど、止めろとは言わない。
イリシアも、ヴェルノも、セノアも、オルセイも、それぞれの場所で祭壇を見ている。
誰も笑っていなかった。
だが、誰も逃げなかった。
エオルミアは、胸元に手を当てる。
天界を救うため。
自分が生まれた場所を守るため。
濁りに沈みつつある空を取り戻すため。
そして、地上で出会った者たちの言葉を無駄にしないため。
リシェラは、自分の嫌だを差し出した。
イリシアは、義務として産ませることは違うと言った。
ルファーナは、逃げて偉いぞと言った。
ルネアは、本質に近い名前だからこそ災厄なのだと言った。
ライラは、使い方を誤らないようにと言った。
エオルミアは、そのすべてを抱えて、祭壇へ向き直る。
「術式、起動します」
声は震えなかった。
震えていないことを、正しいことだと思った。
宝玉が応える。
四つの光が、祭壇の中央へ集まった。
地が術式を支え、風が道を開き、水が深く沈み、火がその奥を照らす。
白い光が広がっていく。
祭壇の紋様がひとつずつ浮かび上がり、天界の空へ伸びる。
濁った雲のように漂っていたものが、光に触れて揺らいだ。
エオルミアは両手を前へ伸ばす。
目標対象。
天界に侵入した濁りの根源。
記録名。
災厄ルズローシヴ=レレイ。
その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥がかすかに痛んだ。
ルファーナの声がよみがえる。
いい名前だね。
ルネアの声が重なる。
真名みたい。
そして、古い手紙の文字。
親愛なるルズローシヴ=レレイへ。
エオルミアは、ほんの一瞬だけ、息を止めた。
親愛なる。
いい名前。
真名に近い名前。
けれど、それでも。
真名に近いからこそ、災厄なのだとルネアは言った。
存在の奥に届く名前だからこそ、天界を揺らすのだと。
ならば、消さなければならない。
天界を守るために。
エオルミアは術式に命じた。
「対象、災厄ルズローシヴ=レレイ」
白い光がさらに強くなる。
「消滅を開始します」
音が消えた。
風の音も、水の音も、火の揺れる音も、仲間たちの息遣いも、すべて遠ざかっていく。
世界そのものが、息を潜めたようだった。
光の中心で、何かが震える。
それは形を持たなかった。
けれど、確かにそこにあった。
濁り。
災厄。
天界を侵すもの。
消さなければならないもの。
エオルミアはそう認識した。
認識しようとした。
白い光が、対象の奥へ届く。
地が縛る。
風が裂く。
水が沈む。
火が照らす。
そして、すべてが一つになった。
「――災厄ルズローシヴ=レレイの消滅を確認しました」
その言葉を口にした瞬間、術式は完了した。
白い光が弾ける。
まぶしさに、エオルミアは目を閉じた。
成功した。
そう思った。
天界を救えた。
使命を果たした。
これで、濁りは止まる。
これで、誰かが傷つき続ける世界を変えられる。
リシェラに、言わなければ。
終わりました、と。
天界は救われました、と。
貴女がそばにいたから、以前よりは怖くありませんでした、と。
そう伝えようとして、エオルミアは目を開けた。
白い光が消える。
次に見えたのは、知らない男の顔だった。
素朴そうな顔立ちの、茶髪の青年。
旅人のような服を着ている。
特別な威圧感があるわけではない。
剣を構えているわけでもない。
それなのに、エオルミアは動けなかった。
男の目が、エオルミアを見ていた。
怒鳴ってはいなかった。
憎悪をぶつけているわけでもなかった。
殺意を剥き出しにしているわけでもなかった。
ただ、世界の底が抜けたような目だった。
たった今、自分の立っていた場所がなくなった人の目。
呼吸の仕方を忘れた人の目。
男の唇が、わずかに動く。
「……何をしたんだ」
声は静かだった。
静かすぎて、エオルミアは一瞬、問いの意味を理解できなかった。
何をしたのか。
それは明白だった。
エオルミアは任務を遂行した。
四属性の宝玉を用いて、天界を侵す濁りの根源を消滅させた。
災厄ルズローシヴ=レレイを消した。
だから、答える。
任務を終えた者として。
天界を救った者として。
正しい手順を完了した者として。
「災厄ルズローシヴ=レレイを消滅させました」
男の表情が、静かに壊れた。
それは、怒りが爆発する瞬間ではなかった。
もっと悪いものだった。
男の中で、最後に残っていた何かが、音もなく折れた。
エオルミアが問う。
「貴方は、ルズローシヴ=レレイを知っているのですか」
男は、少しだけ笑った。
笑ったように見えた。
けれど、それは笑みではなかった。
「知ってる?」
男は、壊れた声で繰り返す。
「知ってるか、だって?」
その目に、初めて怒りが灯った。
けれど怒りの下にあるものは、やはり喪失だった。
「オレは」
男は言葉を詰まらせる。
「オレは、ずっと」
その先は、声にならなかった。
彼の手が、胸元を掴む。
まるで、そこにあったはずの何かを探すように。
エオルミアは後ずさる。
「ルズローシヴ=レレイは、天界を救うために消滅させる必要がありました」
言いながら、なぜか胸が苦しくなった。
「本質に近い名であるなら、災厄としての根も深い。だからこそ、奥まで届く術式で――」
「やめろ」
男の声が、初めて鋭くなった。
エオルミアは口を閉じる。
男は、ゆっくりと顔を上げた。
「それ以上、その名前をそんなふうに呼ぶな」
そんなふうに。
エオルミアは分からない。
分からないはずなのに、何かを間違えたのだと、身体の奥だけが先に理解し始めていた。
「では、貴方にとって、ルズローシヴ=レレイとは何だったのですか」
聞かなければならないと思った。
答えを聞けば、誤解が解けるかもしれない。
記録の不足が補えるかもしれない。
自分の行為が正しかったのか、確認できるかもしれない。
男は、エオルミアを見た。
その視線は、もう彼女を見ていないようでもあった。
もっと遠く。
もう届かない場所を見ている。
男は、かすれた声で言った。
「オレの命より大切なものだったんだ」
エオルミアは息を止めた。
その言葉の意味が、分からない。
分からない。
分からないのに、恐ろしかった。
ルズローシヴ=レレイは、災厄ではなかったのか。
誰かに親愛なると呼ばれるものだったのか。
この男にとって、命より大切なものだったのか。
ならば、自分は何を消した。
「待ってください」
エオルミアは手を伸ばす。
「情報が不足しています。私は――」
言い終える前に、男が動いた。
速かった。
剣を抜いた音すら、遅れて聞こえた。
胸に熱が走る。
次の瞬間、それは痛みに変わった。
息ができない。
エオルミアは、自分の胸を見下ろす。
剣が、そこを貫いていた。
理解が追いつかない。
足から力が抜ける。
世界が傾く。
白かった天界の空が、黒く滲んでいく。
遠くで誰かが叫んだ気がした。
リシェラだったかもしれない。
イリシアだったかもしれない。
誰の声か、もう分からなかった。
男は剣を引き抜かない。
ただ、至近距離でエオルミアを見ている。
その顔に、勝利はなかった。
憎悪も、満足もなかった。
あるのは、喪失だけだった。
どうして。
エオルミアは声にできない問いを抱く。
どうして、彼はこんな顔をしているのか。
自分は天界を救ったはずなのに。
災厄を消したはずなのに。
正しいことをしたはずなのに。
男の唇が、わずかに動いた。
何かを呼ぼうとしているようだった。
けれど、その名はもう世界に残っていない。
エオルミアは、ようやく理解した。
消したのは、災厄だけではなかったのかもしれない。
誰かが呼ぼうとした名前。
誰かが親愛なると書いた名前。
誰かの命より大切だったもの。
それを、自分は消したのかもしれない。
視界が暗くなる。
膝が崩れる。
男の剣に支えられるようにして、エオルミアの身体が傾いた。
最後に見えたのは、男の怒りではなかった。
喪失だった。
世界からたったひとつを奪われた者の、どうしようもない喪失。
その目を見ながら、エオルミアは思った。
私は、使い方を誤ったのですか。
答えは返らなかった。
天界の白い光が、完全に消えた。
→Continue?