ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
白い光に満ちていた。
天界の祭壇は静かだった。
四つの宝玉は、まだ光を失っていない。
地が支え、風が道を開き、水が深く沈み、火がその奥を照らす。
術式は完成していた。
あとは、エオルミアが命じればよかった。
災厄ルズローシヴ=レレイを消滅させる。
そのために地上へ降りた。
そのために宝玉を集めた。
そのために、多くの天族から力を借りた。
だから、発動するべきだった。
――何をしたんだ。
声がした。
エオルミアは目を開けた。
最初に感じたのは痛みではなかった。
殺されたはずの身体はそこにある。
胸も、喉も、腕も、指先も、まだ自分のものだった。
ただ、手を握られていた。
強く。
離さないように。
「エオルミア」
リシェラの声だった。
目の前に、赤い髪があった。
リシェラは膝をつき、エオルミアの手を握っていた。顔色が悪い。いつものように笑おうとして、失敗している。
「起きた?」
「はい」
エオルミアは答えた。
声は出た。
呼吸もできる。
自分は生きている。
その確認を終えてから、エオルミアは言った。
「私は殺されました」
リシェラの指に力が入った。
「……夢の話でしょ」
「はい。ですが、私は確かに殺されました」
「やめて」
短い声だった。
命令というより、ほとんど悲鳴に近かった。
エオルミアはリシェラを見た。
手は離されない。
むしろ、さっきより強く握られている。
「その言い方、やめて」
「事実です」
「事実でも嫌だよ」
リシェラはそう言って、少しだけ俯いた。
赤い髪が頬に落ちる。
エオルミアは、その手を見た。
自分を逃がすために引いた手。
震えながらも剣を握る手。
自分の嫌だを、炉の火の前でようやく差し出した手。
今は、エオルミアの手を握っている。
「……申し訳ありません」
エオルミアが言うと、リシェラは小さく息を吐いた。
「謝るところも、たぶん違う」
「では、どこを訂正すればよいですか」
「そういう話じゃない」
リシェラは困ったように笑った。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
イリシアが一歩近づいた。
ヴェルノは祭壇の端に寄りかかったまま、いつものような軽口を言わなかった。
セノアとオルセイも、宝玉の光を見つめている。
「何を見たの」
イリシアが静かに尋ねた。
エオルミアは頷いた。
「術式は発動しました」
リシェラの手が揺れた。
「災厄ルズローシヴ=レレイの消滅を確認しました。その後、男が現れました」
「男?」
セノアが聞き返す。
「はい。地上由来と思われる人間の男性です。ただし、通常の人間と断定するには情報が不足しています」
「敵だったのか」
オルセイが言った。
エオルミアはすぐには答えなかった。
思い出す。
白い光。
消えた名前。
その後に現れた男。
怒っていた。
けれど、それだけではなかった。
「敵意はありました」
エオルミアは言った。
「ですが、敵とは断定できません」
「どういうこと?」
リシェラが顔を上げる。
「喪失しているように見えました」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
祭壇の白い光が揺れている。
天界の空には、まだ濁りがあった。
薄く、雲のように漂っている。
それは消えていない。
今も天界を侵している。
だから、術式は必要なはずだった。
「彼は言いました」
エオルミアは続ける。
「ルズローシヴ=レレイは、彼の命より大切なものだったと」
リシェラが息を呑んだ。
ヴェルノがようやく口を開いた。
「……そりゃまた、穏やかじゃないねえ」
声は軽かった。
けれど、顔は笑っていなかった。
「命より大切なものを消されたから、君を殺したってこと?」
「その可能性が高いと判断します」
「判断しないで」
リシェラが言った。
エオルミアは瞬きをする。
「判断しない方がよいのですか」
「今は、そういうふうに片づけないで」
リシェラは祭壇を見た。
四つの宝玉。
消滅術式。
天界を救うための力。
「それ、消しちゃいけないものだったんじゃないの」
その声は小さかった。
けれど、祭壇にいた全員に届いた。
エオルミアは答えられなかった。
ルネアは言った。
真名みたい、と。
深い名前ほど簡単には消えない、と。
ちゃんと奥まで届かせて、と。
ルファーナは言った。
いい名前だね、と。
古い手紙には書かれていた。
親愛なるルズローシヴ=レレイへ。
ライラは言った。
使い方を誤らないように、と。
そして、夢の中の男は言った。
オレの命より大切なものだったんだ。
エオルミアは、自分の胸元に手を当てた。
そこには痛みがない。
殺された傷は残っていない。
けれど、何かが残っていた。
「私は」
声が少しだけ遅れた。
「何かを間違えた可能性があります」
リシェラが顔を上げる。
「エオルミア」
「術式を停止します」
エオルミアは祭壇へ向き直った。
四つの宝玉が光る。
天界を救うために集めた力が、今もそこにある。
「発動可能であることと、発動すべきであることは同義ではありません」
静かだった。
その言葉は、天界の祭壇に落ちた。
命令ではない。
祈りでもない。
けれど、確かに決定だった。
「調査完了まで、ルズローシヴ=レレイの消滅術式を保留します」
宝玉の光が少しだけ弱まった。
消えたわけではない。
ただ、奥へ沈むように静かになった。
リシェラの手が、ようやく少しだけ緩む。
「……いいの?」
「分かりません」
「分かんないのに止めたの?」
「分からないから止めました」
リシェラは数秒だけエオルミアを見ていた。
それから、ほんの少し笑った。
「そっか」
「はい」
「そっか」
同じ言葉を繰り返して、リシェラは目を伏せた。
安心したようにも見えた。
泣きそうにも見えた。
イリシアが静かに息を吐く。
「まずは、何を知らないのかを確かめる必要があるわね」
「そうだねえ」
ヴェルノが祭壇から離れた。
「災厄なのか、名前なのか。命より大切なものなのか。少なくとも、今のまま消すには情報が足りない」
「珍しくまともなことを言っています」
「珍しくは余計だなあ」
セノアが小さく手を挙げた。
「じゃあ、誰に聞く?」
「天界の記録を再確認するべきだ」
オルセイが言う。
「侵入者の記録。濁りが発生した時の記録。ルズローシヴ=レレイという名がどこから記録されたのか」
「はい」
エオルミアは頷いた。
その時、リシェラがふと顔を上げた。
「そういえば」
全員の視線が向く。
「ライラさんに、ルズローシヴ=レレイの話してなかったよね?」
エオルミアは動きを止めた。
「……言われてみれば」
「火の宝玉の時、濁りの根源って言ったよね。名前は言わなかった」
「はい」
エオルミアは記憶をたどる。
天界に広がる濁りの根源を消滅させるためです。
そう言った。
災厄ルズローシヴ=レレイを消滅させるためです、とは言わなかった。
なぜ言わなかったのか。
その名は軽々しく呼ぶべきではないかもしれないと思ったから。
真名に近いと聞いたから。
だが、それは同時に、ライラへ判断材料を渡さなかったということでもあった。
「私は、名前を省略しました」
エオルミアは言った。
「相手に判断材料を渡さないまま、火の力を借りました」
リシェラは何も言わなかった。
イリシアも。
ヴェルノも。
祭壇の宝玉の中で、火の光が静かに揺れている。
誰かを照らす灯でありますように。
誰かを焼く炎ではなく。
ライラの声が、今さらのように胸へ届いた。
「念のため、聞いてみる?」
リシェラが言った。
「念のため、ですか」
「うん。念のため」
エオルミアはリシェラを見た。
リシェラの手は、まだエオルミアの手に触れている。
強く握ってはいない。
けれど、離れてもいない。
念のため。
その言葉で済むことではないのかもしれない。
だが、今できることは一つだった。
「ライラさんに、聞きに行きましょう」
エオルミアは言った。
「うん」
リシェラが頷いた。
天界の祭壇に、白い光が残っている。
消滅術式は沈黙している。
四つの宝玉は、まだそこにある。
災厄を消すための力としてではなく。
何かを知るための灯のように。