ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
その村には、道だけが残っていた。
かつて多くの人が通ったのだろう。石畳は広く、中央の広場へ向かって緩やかに伸びている。水路もある。灯火台もある。広場の端には、祭りに使われたらしい古い柱が何本も立っていた。
だが、人の声は少なかった。
昼間だというのに、店の戸は半分以上が閉ざされている。窓辺に干された布は色褪せ、使われていない家の軒先には草が伸びていた。整っているのに、どこか空洞のような村だった。
「ここに、強い天族がいるのですか」
エオルミアが尋ねると、リシェラは掲示板から写してきた古い案内紙を広げた。
「噂ではね。地属性の天族。名前はダルガ。昔からこの村を守ってるって」
「昔から」
「たぶん、かなり昔から」
リシェラの声は少しだけ低くなった。
「人が減っても、ここに残ってるんだって」
エオルミアは広場の奥を見た。
そこに、老人がいた。
大きな石碑の前に腰を下ろし、動かないまま村を見ている。人間に似た姿をしていたが、その気配は地面そのものに近かった。古びた外套の裾は土に触れ、手にした杖の先は、まるで根を張るように石畳の隙間へ沈んでいる。
「貴方がダルガですか」
エオルミアが尋ねると、老人はゆっくりと顔を上げた。
「客人とは珍しい。このようなさびれた村に何を求める」
エオルミアが答える。
「この宝玉に、地の力を込めてください」
「何故じゃ」
「ルズローシヴ=レレイを消滅させ、天界を守るためです」
「天界?」
「私の故郷です」
「お主も故郷を守りたいのか」
「はい」
ダルガは言った。
「……力を貸したいのは山々じゃが、貸し与える力が足りぬ」
「では、補う方法はありますか」
「力を増やす手伝いをしてくれぬか」
「私にできる事であれば」
エオルミアは即答した。
「天族の力は、向けられる祈りの数と質による」
「力があるのですか」
「加護じゃ」
「加護?」
ダルガは怪訝な顔をした。
「待て。お主、加護を知らぬのか」
「初めて聞きました」
「嘘でしょ」
リシェラも驚いている。
「生まれたてか」
「今年で100歳になります」
「……百年も生きているのに、加護を知らぬと?」
「この子、ちょっと世間知らずみたいで」
「仕方ない。説明するかのう。加護とは、天族が人間に与える、運命を少しだけ変える力のことじゃ」
ダルガの説明によれば、人間が天族へ向ける純粋な感情は「祈り」と呼ばれるらしい。
天族はその祈りを受け、周囲へ加護をもたらす。加護は必ずしも天族が意識して発動させるものではなく、存在そのものから滲むように、人の運命へ影響を与えるのだという。
「つまり、人間の数を増やせば良いのですね」
エオルミアの言葉に、リシェラが目を伏せた。
「……そう考えた者は多かった。しかし、それは簡単ではない。わしらは何度も失敗してきた」
「人間と天族は愛し合いすぎた」
エオルミアが尋ねる。
「それの何が問題なのですか」
ダルガは答えた。
「人の子は、人と人の間にしか増えぬ」
「100年前から人の子を増やすための手助けを増やしてきた。子を望むが持てない理由がある者達から理由を取り除き続けた。しかし、それでは足りんかったのじゃ」
「ではどうすればよいのですか」
「祈りの質を上げるのじゃ」
「質を、上げる……」
「祭りの灯を、もう一度ともす。その手伝いをしてくれんか」
「はい」
***
祭りの準備は、思っていたよりも地味な作業の連続だった。
広場の灯火台に積もった土を払い、折れた飾り柱を運び出し、水路に詰まった落ち葉を取り除く。古い倉から布を引っ張り出すと、埃の匂いがした。かつて祭りで使われていたらしい色布は、端がほつれ、鮮やかだったはずの染めは薄くなっていた。
それでも、手を入れればまだ使えた。
「これ、こっちでいい?」
リシェラが飾り紐を肩に担いで、広場の中央へ運んでくる。
「はい。ダルガの指示では、その柱に結ぶそうです」
「了解」
リシェラは軽く返事をして、柱へ向かった。動きは手慣れている。身体の使い方に無駄がない。戦う時と同じだ、とエオルミアは思った。
けれど、時折、リシェラの表情が曇った。
村人たちが少しずつ広場に顔を出し始めたからかもしれない。
閉じていた店の戸が開き、老人が古い太鼓を抱えてくる。若い夫婦が灯り用の油を持ってくる。小さな子供を連れた女が、祭りの歌を覚えている者はいないかと誰かに尋ねている。
人が集まっていく。
それは良いことのはずだった。
ダルガは、祈りの数と質が天族の力を強めると言った。
祭りが戻れば、人の祈りも戻る。
人が増え、営みが増えれば、地上は強くなる。
理屈は分かる。
けれどリシェラは、その言葉を聞いてから、少しだけ笑うのが下手になっていた。
「リシェラ」
エオルミアが声をかけると、リシェラは結びかけていた紐から手を離した。
「ん?」
「体調が悪いのですか」
「どうして?」
「呼吸の間隔が少し乱れています。顔色も、先ほどより悪いように見えます」
「よく見てるね」
リシェラは笑った。
いつものように軽く、何でもないことのように。
けれど、その笑みは長く続かなかった。
「……大丈夫。ちょっと、考えごとしてただけ」
「考えごと」
「この村、人が少ないんだなって」
エオルミアは広場を見た。
確かに、人は集まり始めている。だが、広場の広さに比べれば少ない。灯火台の数に比べても、飾り柱の数に比べても、そこにいる人間は足りなかった。
「人間が減ったため、祈りも減り、ダルガの力も低下した。そういう構造だと理解しています」
「うん」
リシェラは頷いた。
「それは、分かるんだ」
「では、何が問題なのですか」
リシェラは答えなかった。
風が吹いた。
柱に結ばれた古い布が、乾いた音を立てて揺れる。
「人が増えた方がいいって話は、分かるんだよ」
やがて、リシェラは言った。
「村に子供がいないの、寂しいもんね。お祭りだって、人が多い方が楽しい。誰かが畑を継いで、誰かが店を開けて、誰かが歌を覚えてる。そういうのが続く方がいいって、分かる」
「はい」
「分かるから、嫌なんだと思う」
エオルミアは、リシェラを見た。
リシェラは自分の手を見下ろしていた。先ほどまで飾り紐を結んでいた手。逃げる時、エオルミアが握った手。
「分かるのに、あたしはそこから逃げた」
その声は小さかった。
広場の喧騒に紛れれば、誰にも届かないくらいの声だった。
けれどエオルミアには届いた。
「逃げたことは、罪なのですか」
リシェラは一瞬だけ目を見開いた。
それから、困ったように笑った。
「さあ。そう言われてる」
「貴女自身は?」
「……まだ、言えない」
それは、最初に出会った夜と同じ答えだった。
今はまだ、言いたくない。
エオルミアは頷いた。
「では、保留します」
「また保留?」
「はい。情報が不足しています」
「便利だね、それ」
「便利ではありません。私は、貴女を判断したくないだけです」
言ってから、エオルミアは自分の言葉にわずかに驚いた。
判断できない、ではなく。
判断したくない。
リシェラもそれに気づいたのか、目を細めた。
「そっか」
彼女はそれだけ言って、もう一度飾り紐へ手を伸ばした。
「じゃあ、今は祭りの準備しよ。ダルガさんに宝玉、使えるようにしてもらわないと」
「はい」
エオルミアは隣に立ち、柱の上部へ手を伸ばした。リシェラより少し高い位置に、飾り紐を結ぶ。
二人の手が、同じ布に触れた。
リシェラは何も言わなかった。
エオルミアも何も言わなかった。
ただ、先ほどまで冷たく見えた古い布が、少しだけ柔らかく見えた。