ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
風の宝玉を持つ天族は、指名手配されていた。
「出生義務違反者の逃亡幇助、追跡部隊への妨害、監視網の破壊。あと、役人への態度が悪い」
ヴェルノは指折り数えながら、まるで他人事のように告げた。
「最後のは罪状なのですか」
エオルミアが尋ねると、ヴェルノは肩をすくめる。
「さあねえ。役人ってのは、自分に失礼なやつを罪人にしたがるもんだよ」
「……ずいぶん詳しいね」
リシェラが横目で見る。
「俺、顔が広いから」
「顔が広い人は、だいたい信用できない」
「ひどいなあ。今のところ、俺は善良な案内人だろ?」
「善良な案内人は、指名手配中の天族の隠れ家を知らないと思う」
「そこはほら、善良にも色々あるってことで」
ヴェルノは笑った。
笑っているのに、その目は周囲の気配を逃していなかった。表通りを外れ、結界灯の届かない古い水路沿いへ入る。崩れかけた橋の下をくぐり、廃棄された倉庫の裏手に回ると、風が急に強くなった。
建物の隙間を抜ける風ではない。
誰かがそこにいる、とエオルミアは思った。
「ルファーナ」
ヴェルノが呼ぶ。
返事は、頭上から降ってきた。
「また拾ってきたの、ヴェルノ」
見上げると、折れた梁の上に女が腰かけていた。緑色の長いポニーテールが風に流れ、薄い布の裾が鳥の羽のように揺れている。人間に近い姿をしていたが、その周囲だけ空気の流れが違った。
風属性の天族。
おそらく、彼女がルファーナだった。
「拾ったんじゃない。道案内だよ」
ヴェルノが両手を上げる。
「あなたの道案内で、何人逃げたと思ってるの」
「数えない主義でね」
「数えられないだけでしょう」
ルファーナは軽く笑い、梁から音もなく降り立った。
その視線が、エオルミアを通り過ぎ、リシェラで止まる。
「あなたが逃亡者?」
リシェラの肩がわずかに強張った。
「……だったら?」
「怖がらなくていいよ。追っ手じゃない」
ルファーナは一歩近づいた。
リシェラは逃げなかった。けれど、剣の柄に添えた指先には力が入っている。
その手を見て、ルファーナは目を細めた。
「逃げて偉いぞ」
そう言って、彼女はリシェラの頭を撫でた。
リシェラが固まる。
エオルミアも固まった。
「……子供扱い?」
リシェラがようやく声を出す。
「違うよ。生き延びた子を褒めてるだけ」
ルファーナの手つきはやわらかかった。赤い髪を乱さないように、けれど確かめるように、ゆっくり撫でる。
リシェラは困ったように笑った。
「そんなこと、褒められると思わなかった」
「逃げなかったら、ここにはいなかっただろう?」
「……それは、そうだけど」
「なら偉い」
ルファーナは当然のように言った。
エオルミアは、二人を見ていた。
ルファーナの手がリシェラの頭に触れている。リシェラは嫌がっていない。むしろ、少しだけ力が抜けているように見える。
エオルミアの胸の奥に、説明できない感覚が生まれた。
「接触時間が長いのではありませんか」
気づいた時には、そう言っていた。
ルファーナがこちらを見る。
「あら」
リシェラも振り返る。
「エオルミア?」
「頭部への接触は慰撫行為として十分に成立したと判断します。継続の必要性は低いと思われます」
ルファーナは楽しそうに笑う。
「安心して。取らないよ」
「何をですか」
「さあ。何かしらね」
エオルミアは答えられなかった。
リシェラは少し赤い顔で、ルファーナの手から逃れるように一歩下がる。
「……宝玉の話、しに来たんだけど」
「そうだったね」
ルファーナは軽く手を振った。風が一度だけ渦を巻き、倉庫の中に積もっていた埃を外へ運び出す。
エオルミアは宝玉を取り出した。
「この宝玉に、風の力を込めていただきたいのです」
「理由は?」
「災厄ルズローシヴ=レレイを消滅させ、天界を守るためです」
その名を聞いた瞬間、ルファーナはわずかに眉を動かした。
「ルズローシヴ=レレイ、か」
「心当たりがありますか」
「ないね」
即答だった。
けれど、ルファーナはその名をもう一度、舌の上で転がすように呟いた。
「ルズローシヴ=レレイ。いい名前だね」
「災厄なのですが」
「あはは。災厄にいい名前って言うのも変だったね、ごめんごめん」
「力を込めることはできる。ただ、足りないかもしれない」
「不足するのですか」
「アタシはまだまだ力不足さ。レイフォルクまでの風穴を開けられない。あの人だったら、全部撃ち抜いてくれるんだろうけどね」
「あの人?」
リシェラが尋ねる。
ルファーナの表情が、ほんの少しだけ遠くなった。
「アタシの初恋の人さ」
「初恋」
「そう。たかだか六百歳の子供なんて、見向きもされなかったけどね」
エオルミアは沈黙した。
「六百歳は、子供なのですか」
「相手によるね」
ルファーナは肩をすくめる。
「風みたいな人だったよ。捕まえたと思ったら、もういない。笑ってるのに、どこか泣いてるみたいでさ。軽い口ばかり叩くくせに、背負ってるものだけはやたら重かった」
ヴェルノが何も言わず、目を伏せた。
リシェラも黙っている。
ルファーナはすぐに、いつもの笑みに戻った。
「まあ、昔の話だよ」
「その方なら、力を貸してくれたのですか」
エオルミアが問う。
ルファーナは少し考え、それから頷いた。
「少なくとも、今の制度を手放しには肯定しないだろうね」
「では、貴女はその方の代わりに協力してくださるのですか」
「代わりなんて大層なものじゃないさ」
ルファーナは宝玉に手をかざした。
風が集まる。
倉庫の割れた窓から、天井の隙間から、古い水路の底から、いくつもの風が彼女の手元へ流れ込んでいく。宝玉の内側で、淡い光が揺れた。
「ただ、風に憧れた子供が、少しだけ風の真似をしてるだけ」
宝玉が輝く。
その光は、どこかへ行きたいと願う心そのもののように、軽く、鋭く、そしてやさしかった。
「持っていきな」
ルファーナは宝玉をエオルミアへ返した。
「ただし、ひとつ覚えておきな。逃げることは、負けじゃない。逃げた先で息ができるなら、それはちゃんと生き延びたってことだ」
その言葉は、リシェラへ向けられていた。
リシェラは視線を逸らし、けれど今度は笑わなかった。
「……うん」
小さく頷く。
エオルミアは、その横顔を見ていた。
ルファーナの言葉がリシェラに届いたことは分かった。
それが良いことだということも分かった。
けれど胸の奥には、まだ名前の分からない感覚が残っていた。
風が吹く。
リシェラの赤い髪が揺れる。
エオルミアは、今度は自分の手でその髪に触れてみたいと思った。
そう思った理由は、まだ分からなかった。