ミッション:災厄「ルズローシヴ=レレイ」を消滅させよ 作:Moa
水の力を持つ天族は、古い水門の先にある遺跡にいるらしい。
そう聞いた一行は、湖畔の町へ向かっていた。
町へ入るには、検問を通る必要があった。
湖の水を引き込む大きな水路の上に橋がかかり、その両端には結界灯が並んでいる。青白い灯りは、水面に揺れるたび、何かを探す目のように見えた。
「身分証の確認を行っています。列に並んでください」
制服姿の役人が、橋の入口で声を張っている。
リシェラの足が止まった。
「……別の道、探さない?」
その声は軽かった。
けれど、エオルミアには分かった。
リシェラの呼吸が浅くなっている。
「迂回路ならあるよ」
ヴェルノが小声で言った。
「ただし、ちょっと濡れる」
「ちょっとで済むの?」
「済んだらいいねえ」
「信用できない」
「いつも通りだ」
そんな会話をしている間にも、列は少しずつ進んでいく。
橋の上で、結界灯がひとりひとりを照らしていた。
イリシアがリシェラを見た。
「無理をしないで。顔色が悪いわ」
「大丈夫」
「大丈夫な人は、そういう声を出さない」
リシェラは答えなかった。
その時だった。
橋の向こう側で、結界灯が赤く変わった。
「照合反応あり」
役人の声が鋭くなる。
「出生義務違反者、リシェラ。逃亡中。同行者を含め、拘束対象とする」
時間が止まったようだった。
エオルミアは、その言葉を頭の中で繰り返した。
出生義務違反者。
風の宝玉を持つルファーナが匿っていた者たち。
掲示板に記されていた罪名。
そして、ずっとリシェラの背後にあったもの。
それが、今、彼女の名前と並んで呼ばれた。
エオルミアが声をかけるより早く、リシェラはエオルミアの手を掴んだ。
「走るよ」
役人たちが動き出す。
橋の両端で結界灯が赤く瞬き、警告音が水面に反響した。
「拘束対象、逃走!」
「追跡班、橋下へ回れ!」
ヴェルノが舌打ちする。
「人気者だねえ、リシェラちゃん」
「嬉しくない!」
リシェラは叫び返しながら、橋の欄干を蹴った。
そのまま下の水路へ降りる。
エオルミアも続いた。
足元に水しぶきが上がる。水路は浅いが、流れは思ったより速い。石壁には古い点検用の通路があり、ヴェルノがその先へ手招きしていた。
「こっち!」
「本当に道を知っているのですね」
「疑ってた?」
「はい」
「正直でよろしい」
背後から追手の足音が近づく。
イリシアが最後尾で足を止め、杖を掲げた。
「レイ!」
天から光が降り注ぎ、追手の動きを止める。
「今のうちに!」
イリシアの声で、全員が走る。
水路の奥、使われなくなった水門の裏へ滑り込むと、ヴェルノが錆びた扉を押し開けた。
重い音が響く。
扉の内側は、古い管理通路になっていた。
追手の声が遠ざかる。
誰も、すぐには話さなかった。
濡れた床に水滴が落ちる音だけが、暗い通路に響いている。
やがて、リシェラが壁に背を預けた。
「……ばれちゃったね」
軽く言おうとしているのが分かった。
けれど、その声は失敗していた。
エオルミアはリシェラを見つめる。
「貴女は、出生義務違反者なのですか」
リシェラは笑った。
「そう言われてる」
「それは、真実なのですか」
リシェラは視線を逸らした。
「……そうだよ。あたしは、出生義務違反者」
その言葉は、通路の湿った空気に落ちた。
「二十歳になった時に通知が来た。義務履行対象者ですって。何度も呼び出されて、何度も説明された。あなた一人に子供を育てさせるわけではありません。医療も教育も社会が支えます。だから安心して義務を果たしてください、って」
リシェラは自分の手を見た。
「安心って、何なんだろうね」
誰も答えられなかった。
イリシアが、ゆっくりとリシェラの隣に立った。
「私は、二人産んだわ」
リシェラの肩がわずかに強張る。
「……そうなんだ」
「ええ」
「じゃあ、あたしのこと、軽蔑する?」
その問いは、刃物のように薄かった。
イリシアはすぐには答えなかった。
答えを選んでいるのではない。
雑に返さないために、言葉を丁寧に取り出しているようだった。
「どうして、そう思うの」
「だって、イリシアはやったんでしょ」
リシェラの声が、少し震えた。
「皆がやってることを、ちゃんとやった。村が続くために、人が増えるために、世界が困らないように。あたしは、それをやらなかった。逃げた。だから追われてる」
「私は、望んで産んだわ」
イリシアは静かに言った。
「子供たちを愛している。あの子たちが生まれてきてくれてよかったと、心から思っている」
リシェラは何も言わない。
イリシアは続けた。
「でも、それと、義務として産ませることは違う」
リシェラが顔を上げた。
「違うの?」
「違うわ」
イリシアの声は揺れなかった。
「誰かを愛すること。子供を望むこと。命を育てること。それは、尊いことだと思う。けれど、尊いからといって、誰かに命じていいことにはならない」
「でも、人が減ったら困るんでしょ」
「困るわ」
イリシアは否定しなかった。
「私は幸い人間を愛せた。産める側にいた。それだけ。……何も対策をしなければ、人類が途絶える可能性もある。問題がないとは言えない」
「じゃあ」
「でも、問題が本当にあることと、あなたの身体を解決策として数えることは違う」
リシェラは息を止めた。
エオルミアもまた、その言葉を聞いていた。
あなたの身体を、解決策として数える。
その言葉は、エオルミアの中で何かに引っかかった。
「イリシアは、ずるいね」
リシェラが小さく言った。
「責めてくれた方が、楽だったかも」
「責めないわ」
「なんで」
「責めるために、ここに来たんじゃないもの」
「じゃあ、何しに来たの」
イリシアは少しだけ笑った。
「あなたたちが危なっかしいから、ついてきたの」
ヴェルノが後ろで肩をすくめる。
「保護者が増えたねえ」
「あなたも対象よ、ヴェルノ」
「俺も?」
「一番危なっかしいわ」
「心外だなあ」
そのやり取りに、リシェラがほんの少しだけ笑った。
笑えたことに、自分でも驚いたような顔をする。
イリシアはリシェラの手元を見た。
指先がまだ震えている。
「リシェラ」
「何」
「逃げたことを、今すぐ誇れとは言わないわ」
イリシアの声はやわらかかった。
「でも、逃げた自分を罰し続ける必要もない」
リシェラは唇を結んだ。
「……ルファーナさんにも、似たようなこと言われた」
「そう。良い人ね」
「いい人すぎて、困る」
「そういう人に困らされるのは、悪いことじゃないわ」
リシェラは、何かを言おうとして、やめた。
代わりに、少しだけ頷いた。
エオルミアはその様子を見ていた。
ルファーナの言葉が、リシェラに届いた。
イリシアの言葉も、届いた。
それは良いことだ。
そう理解している。
それでも、エオルミアは思った。
自分も、リシェラに何かを届けたい。
けれど、何を言えばいいのか、まだ分からない。
「リシェラ」
エオルミアは名を呼んだ。
リシェラがこちらを見る。
「私は、貴女を拘束対象として扱いません」
「……それは、前からそうじゃない?」
「はい。ですが、今、改めて決定しました」
リシェラは一瞬きょとんとして、それから目を細めた。
「そっか」
「はい」
「ありがと」
その言葉は短かった。
けれど、水門の奥の暗い通路で、確かにエオルミアの胸に届いた。
その時、通路のさらに奥から、水音がした。
自然の流れではない。
誰かが、水を揺らした音だった。
ヴェルノが顔を上げる。
「……どうやら、追手だけじゃなさそうだ」
イリシアが杖を握り直す。
リシェラは剣に手をかけた。
エオルミアはチャクラムを構え、水音のする方を見た。
水の力を持つ天族。
その気配が、暗い遺跡の奥から静かにこちらを見ていた。