「虚人の接近に気づいたら、すぐに連絡をお願いします」
華燐から手渡された無線機を握りしめ、霧島は洞穴の前で虚人の接近を告げる連絡を、今か今かと待っている。
いつ襲われるのか分からない恐怖のせいか、地面に散らばった道具や標識を拾っては眺め、ときには蹴飛ばす。
それを何度も繰り返していた。
大丈夫なのだろうか。
いや、囮の時点で大丈夫も何もないか。
考えを改める。
手元の無線機がザザと不快なノイズを吐き出した。
それが開戦の合図だった。
「来るっす。洞穴の中、まっすぐ物凄いスピードで霧島さんの方に――」
みさきの声が届く頃には、霧島の方へ駆け出していた。
草を分け、地を蹴り、一刻も早く霧島の元に。
その思いが脳より早く、体を動かした。
みさきからの連絡を聞いて、目をそらすまいと洞穴と向かい合う霧島の姿が見える。
反射的に無線機とイヤホンを繋ぐコードを掴み、洞穴目掛けて思い切り投げ捨てる。
俺が間に合わなくても、虚人の注意を一瞬でも逸らせればいい。
「霧島!」
霧島は視線だけをこちらに滑らせるとすぐに、洞穴の奥へ戻した。
なぜあいつは逃げないんだ。
虚人の足音が聞こえてきた。
既に霧島には、向かってくる虚人が見えているのだろう。
時間がない。
「霧島!」
もう一度、霧島の名前を呼ぶ。
霧島はこちらを振り向かずただ前を見つめていた。
虚人が洞穴から姿を現す。
奴は霧島の命を刈り取るべく、腕を振るった。
「ナイスだ。祝、燈守」
霧島の口が僅かに動くのが見えた。
虚人の攻撃の瞬間、霧島は一歩だけ後ろに退くと、それを躱し、どこからか飛んできた短刀を手で掴んだ。
次の瞬間、俺の投げた無線機が虚人に直撃する。
衝撃で虚人の動きがほんの一瞬止まると、霧島は手に持った短刀で虚人を斬りつけた。
何が起こったんだ。
いや、今そんなことはどうでもいい。
あんな傷じゃ虚人はすぐに再生する。
「霧島さん横に!」
華燐の叫ぶ声が聞こえた。
霧島はその声に従い、横に跳んだ。
華燐の赤い瞳に、虚人の姿が映し出される。
「華燐!」
華燐と虚人の間を結ぶ全てが燃えた。
空気は爆ぜ、大地を焦がし、塵は灰に。
それは虚人でさえ例外ではない。
虚人は燃え盛る体を抱き、熱を逃がすようにのたうち回る。
それでも火が消えることはない。
華燐の視界から逃れない限り、再生した体を燃料にして永遠に燃え続ける。
そんな様子にふと、違和感を覚える。
この程度の虚人を相手に、華燐がついていながら怪我人を出すはずがない。
「さすが祝さんですね。問題はここからです」
虚人を見つめたまま、華燐が余裕のない表情でふふっと笑う。
こいつのこんな顔は初めて見たな。
「……霧島、今すぐ逃げろ」
霧島は一瞬だけ俺と華燐を見比べると、何も言わずに頷いた。
去り際に、
「死ぬなよ」
そう言って、麓の方へ走っていく。
「死ぬなよ……か」
そんなこと言われたのは久しぶりだな。
「祝さん、休憩は終わりです。集中してください」
感傷の海に沈みかけた意識を、華燐の声が水面まで引っ張り上げた。
こんな時に俺は何をしているんだ。
今は奴を納棺する。
それだけを考えろ。
気が付くと、虚人の表面が黒く染まっていた。
黒く染まった部分は火の勢いが目に見えて鈍り、再生が火葬の炎を上回っている。
華燐は火葬の出力を更に上げるが、それでも燃焼が追い付かない。
均衡が崩れる。
虚人は身を焼かれ苦痛に呻きながらも、立ち上がり、華燐に向かって前進する。
黒く染まった表皮は、やがて漆黒の鎧のように全身を覆いつくした。
虚人は右腕を後ろに引いたかと思うと、瞬きする間に華燐との距離を殺し、心臓を貫かんばかりの突きを繰り出す。
その一撃を華燐はわかっていたように最小限の動きで回避し、虚人の後ろに回り込む。
動作を予測したのだろう、相変わらず化け物じみた動きをする。
俺は虚人に駆け寄り、袖に仕込んでいたナイフに葬を流す。
俺の動きから、華燐が瞬時に俺の意図を汲み視線をナイフに落とす。
俺の腕ごとナイフに火が灯る。
「……グッ……」
うめき声が漏れ出る。
腕が焼ける痛みを無視して、隙を晒す虚人の側面に刃を通す。
鎧はあくまで表面を守るためのものらしい。
刃が通った瞬間、傷口を火葬の炎が焼き、そこから祝葬が流れ込んだ。
付けた傷を盗み見る。
焼かれた傷は、一度生傷に戻り、その後肉が再生する。
今の攻撃は効いてるわけだ。
「祝さん!」
傷が焼かれ、癇に障ったのか、虚人が飛び回る羽虫を払いのけるように、腕を振り回す。
華燐の声で間一髪、虚人から飛び退く。
回避しきれず、ナイフで攻撃を受け流す。
それでも威力を殺しきることが出来なかったらしい。
腕の骨は軋み、体は後ろに吹き飛ばされた。
吹き飛んだ体を華燐が受け止める。
「すまない華燐、助かった」
「……助かってないですよ」
俺の腕を見つめる華燐の瞳は揺れていた。
やけども骨折も酷いが、それだけだ。
戦闘続行に支障はない。
なのに何故。
「……すみません、話過ぎました」
そう言って、華燐は俺を下ろすと、虚人と向かい合う。
「それで……祝さん、さっきの攻撃、効いていましたか?」
「刃も葬も通るようだ。表面はともかく、中身はいつも通り、人間と変わらない」
見たままの事実を伝える。
「なるほど。ここから先は、どちらが最後まで立っていられるかの我慢比べ、というわけですか」
「やれるか?」
俺の問いに、華燐が薄く笑う。
「ええ、もちろんです」
「そうか」
「仕切り直しといこうか」
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