自分が描きたいと思った話を投稿していきます。
婆ちゃんは美人だ。
若い頃は、とにかくモテたらしい。
爺ちゃんは、そんな婆ちゃんに一目惚れした。
当時としては珍しく、お見合いではなく恋愛結婚だったそうだ。
……もっとも、そこへ辿り着くまでが、とにかく長かった。
学生の頃、爺ちゃんは婆ちゃんに恋をした。
そして、
告白した。
振られた。
また告白した。
また振られた。
それでも、また告白した。
婆ちゃんの好みが、背の高い男だと聞けば、
少しでも高く見えようと下駄を履いた。
案の定、歩くたびによく転んだ。
話の面白い男が好きだと聞けば、
人を笑わせようと必死になった。
けれど、面白くなるどころか、
ただ誰よりもよく喋る男になった。
足の速い男が好きだと言われれば、
来る日も来る日も走った。
速くはならなかった。
その代わり、妙に体力だけはついた。
何をやっても、
爺ちゃんは不器用だった。
何をやっても、空回りだった。
それでも――
婆ちゃんのことだけは、決して諦めなかった。
何十回。
何十回でも足りず。
告白の回数が三桁に届こうかという頃。
ようやく婆ちゃんは、小さく笑って頷いた。
なんで受け入れたのか理由を聞くと、
婆ちゃんは少し照れくさそうに笑って言った。
「あの人のね……粘り強さに、負けちゃったの」
そこからは、早かった。
学校を卒業してすぐに結婚した。
やがて、俺の母が生まれた。
爺ちゃんは朝早く家を出て、
夜遅く帰ってきた。
家族を養うため。
婆ちゃんに、
不自由だけはさせたくない一心で。
夢中になって働いた。
それでも——
仕事が終われば真っ直ぐ家へ帰った。
一分でも、一秒でも長く、
婆ちゃんと一緒にいたかったからだ。
誰が見ても分かるくらい、
爺ちゃんは婆ちゃんに惚れ込んでいた。
そんな日々が、何十年も続いた。
そして——現在。
爺ちゃんは、認知症になった。
最初は、小さな物忘れだった。
近くに置いたはずの眼鏡を探し回る。
さっき話したことを、もう一度聞く。
人の名前が、ふっと出てこなくなる。
けれど、それは始まりに過ぎなかった。
昨日を忘れ。
今日を忘れ。
自分の名前さえ、少しずつ遠ざかっていった。
一日かけて覚えたことを、一時間で忘れる。
一時間かけて覚えたことを、一分で忘れる。
そのたびに爺ちゃんは、
決まって「ごめんな」と呟いた。
自分が自分でなくなっていくことが、
誰よりも苦しかったのだと思う。
だから、婆ちゃんに頼るしかなかった。
それでも——
婆ちゃんは、いつも笑っていた。
嫌そうな顔を、一度もしなかった。
「あの人と、一緒にいられる時間が増えたからね」
あとでそう笑って話した婆ちゃんの顔は、
不思議なくらい穏やかだった。
爺ちゃんはと言うと——
何故か、ずっともじもじしていた。
何も覚えていないはずなのに。
婆ちゃんを見ると、
ぼうっと見つめたかと思えば、慌てて目を逸らす。
急に、背伸びをしてみたり。
いきなり話し出したかと思えば、
妙に饒舌になったり。
突然、ふらつく足で走ろうとしたり。
何をしているのか、
婆ちゃんにも分からなかった。
でも、婆ちゃんはずっとニコニコと笑っていた。
そして——
ある日。
婆ちゃんがいつものように爺ちゃんの世話をしているときだった。
いつものようにもじもじしていた爺ちゃんが、
不意に覚悟を決めたような顔をした。
「あの……すみません……」
「へ? どうしました……?」
その瞬間、爺ちゃんの顔がみるみる赤くなる。
耳まで真っ赤だった。
「いやぁ……あのぉ……」
指先をもじもじと合わせながら、何度も口を開いては閉じる。
その様子が、あまりに可笑しくて、
婆ちゃんは思わず吹き出した。
「ふふっ……もう、一体どうしたんですか?」
爺ちゃんは目を閉じた。
大きく息を吸う。
吐く。
もう一度吸う。
ふにゃふにゃと震える手を、
ぎゅっと握り締める。
そして、ゆっくり目を開いた。
「ぼ、僕は……っ」
「貴方に、一目惚れしました」
「よかったら……
僕と、お付き合いしていただけないでしょうか」
婆ちゃんの手が止まる。
「初めてお会いしましたが、
貴方はとても親切で、優しくて……」
「僕の初恋の人も——
とても親切で、綺麗な人でした」
「誰にでも優しくて、誰のことでも助けようとする、
とてもかっこいい人でした」
「あなたは……その人によく似ています」
「僕の——理想の女性です」
「こんな僕で良ければ……どうか、お願いします」
婆ちゃんは、何も言えなかった。
ゆっくりと、口元を押さえる。
そして、何かを隠すように——笑った。
「もう……何回目だと思ってるんですか」
爺ちゃんは、きょとんと首を傾げる。
その顔が、何十年も前。
何度も告白してきた、
あの日の青年と重なった。
婆ちゃんは目元をそっと拭う。
少しだけ照れくさそうに笑って、
静かに頷いた。
「あなたには、負けました……」
爺ちゃんの目を、真っ直ぐに見つめて。
「こんな私で良かったら……是非、お願いします」
その言葉を聞いた爺ちゃんは、
泣きそうなくらい嬉しそうに笑った。
あの日と、まったく同じ笑顔だった。
記憶は、帰ってこなかった。
二人で歩いた季節も。
交わした約束も。
積み重ねた何十年も。
もう思い出せない。
それでも——
それからも——
爺ちゃんは、何度も婆ちゃんに恋をした。
婆ちゃんは、
そのたびに、恥ずかしそうに笑って頷いた。
読んでいただきありがとうございます。
ジュウヨンです。
久々の小説投稿になります。
口裂け女を何度も見返してて、続きを描きたいと思いつつ筆が進まずにモヤモヤしている中でしたが、短編でとりあえず描きたいものを描こうと思った次第でした。
暇な時に描いて投稿します。
今後とも、よろしくお願いします。