「例え頼まれても無理ね。勝てる気がしないわ」
ドールズの情報通りの男、ゼノ=ゾルディックが出てきても、私の動揺は少なかった。
念の為に、天空闘技場の自室にて己のバージョンアップは済ませてきている。元となったデータは、言わずもがな今目の前にいる偉丈夫、ゼノとの戦闘データである。能力の大半を知られていることを差し引いても、その勝率は2、3割といったところだろうか。元々私の能力は、知られて困ることはあれど、致命的となるような特性や制約・誓約を持たない直接戦闘系の能力がほとんど。全体的に初見ほどの効果は望むべくもないが、相手の情報が開示されているという点ではこの男も同じこと。そして以前より性能の向上した今なら、この男にもそうやすやすと取られはしまい。
「前にアレだけ暴れておきながら、よく言う。全く勝算がなかったわけではないだろう」
立ち止まり、隙のない佇まいでゼノが私に語る。
しかし、それは買いかぶりだ。私はあくまで負ける気がなかったというだけで、別に勝算があったとかそういうわけではない。私の役割はこの男を排除することではなかったのだから、勝つこと自体は考えていなかった。
「標的を仕留められなかったのは、俺がガキの頃以来久方ぶりだ。それも、仕事の邪魔をしてきたのがお前のような子供とは、皮肉なものだな」
「私は運が良かったわ。結果的に、ローリスクで大きな成果が得られたから」
「
「貴方が本気だったのなら、その限りではなかったのだけど」
ゼノが最初から全力であったなら。私は対応が間に合わず負けていたに違いない。一応死ぬ前に逃げる算段はついていたものの、手足の一本や二本は命と引き換えに確実に取られていた。
「俺達は、お前を殺しに来ていたわけではない。そも、あの時は息子のシルバに大体は任せるつもりだったからな。お前があいつらのところに行きさえしなければ、当面はそれで良かったのだ」
ゼノの言う通り、私が彼らの標的ではなかったからこそ。結局のところは、それに尽きるのだろう。
「私も同じ。私の仕事はただの護衛だった。
「お前の役目も、俺の足止めだけだった、と? その割には随分と派手にやってくれただろうが。あの状況下で相対していた俺を振り切るとはな。お陰で腕が飛んだアイツにどやされた」
「ボスが死にそうだったから、持ち場を離れただけよ。派手にやったのは、そうせざるを得なかったから。ビル内にいた戦力だけで事が運んでいたのであれば、あそこまでするつもりはなかったわ」
そう。そのせいで結果的に能力を大盤振る舞いする羽目になった。足止めだけなら、見せスキル3つで済んだものを。何度も何度もグチグチ言いたくはないが、それ以上に手札の八割を開示した状態でポーカーをすることの方が恐ろしい。この男が、ベラベラと吹聴するタイプの人間ではないであろうことが、不幸中の幸いだ。
……あの場で一人、運良く生き残っていた護衛仲間からは見えないように気を使っていたし、ゼノさえ黙っていればこれ以上の杞憂はない。あの生き残っていた男のせいで動きがかなり阻害されてしまっていたのは業腹ではあったが、敵対者以外を殺せるほど私はまだ割りきれてはいなかった。
「なるほど。しかし、それだけの実力を持っているのなら気付いていただろう。ビルにいた連中ではあの二人を止められるはずもないとな」
「……私は、まだまだ経験が乏しい。この世界で、弱いというつもりは毛頭ないけれど、最上にいるつもりもないわ。そんな私が見切れないほどの実力者が、十把一絡げの中に潜んでいることに賭けていただけ」
「分の悪い賭けをする。お前より上の者など、世界が広かろうと少数派だろう。結果の分かりきった賭けで、賭け金を無駄にするとはな」
「
「くく、そうか」
「それに、最終的には貴方の
「は、言いやがる」
表情を愉快か不愉快に歪め、ゼノが笑う。“龍頭戯画”が彼にとっていかほどのものかは知らないが、少しは琴線に触れたらしい。とは言え、私にとっての何よりの収穫はゼノの能力ではなくゼノとの戦闘経験である。あの場で偉丈夫が“ゼノ・ゾルディック”であることまでは知らなかったものの、ゼノの能力は前もって知っていた。それでもあえて口にしたのは言葉遊びの意趣返しに過ぎない。
何気ない会話が途切れたところで、ゼノの焦点はこの場の惨状へと移った。具体的には、散らばる死体とか崩れた外壁とか。あるいは、尻尾をくるりと縮め巨体を竦めて子犬のようにぷるぷると震えながら怯える双頭の犬とかである。
「それで。今日は何用で此処に来た? そこに散らばっているものがお前の仲間だとは思わないが、どうやら
インターホン。そう言えば扉の横にそんなものもあった気がする。しかし、扉の前で暴れていた男達が壁の穴をくぐった頃には無くなっていた。残骸らしきものは残っていたが……。
「インターホンならもう無いわ」
「またか。全くどいつもこいつも、跡を濁して去りやがる」
ゼノは面倒そうに呟いた。どうやら初めてのことではないらしい。というより様子を見る限り何回か繰り返しているようだ。原作に出てきた守衛室と罠扉は、こういう経緯で作られたものなのだろう。
「あの犬は?」
「あまりにも不躾な奴が多いのでな。番犬にと思ってしばらく前に捕まえてきた。躾の最中に門の方が騒がしくなったので、試しに放ってみたのだが……どうやら、それほど役には立たなかったようだな」
縮こまる魔獣に目をやり、ため息をつく。
「そうでもないと思うけど」
確かにこの魔獣は私に対しては無力だったが、壁をわざわざ破壊して侵入してくるような無頼達には十分な防衛機構となった。過小評価でお役御免になってしまうのであれば、その原因となった私も少しは気分が悪い。
「いや、ポチのことはこの際どうでもいい。結局、お前は我が家に何をしに来た?」
「人探し」
「人探し? こんな場所にか」
ようやく本題に入り私が目的を簡潔に告げると、ゼノは訝しげに眉を上げた。気持ちは分かる。来訪者の九割九分が襲撃者兼死人な暗殺一家の棲家に、一体誰を探しに来るのかという話だ。
「まさか俺ではないだろう? 家族の内の誰かか」
「違うわ」
「回りくどい。誰を探しに来たのかはっきりと言え、さっきまでペラペラとしゃべっていただろうが」
「私より、少し年下の女の子。“キキョウ”というのだけど」
「キキョウ……」
ゼノはキキョウの名前を反芻し、しばし黙り込んだ。そして、すぐに何かを思い出したように口を開いた。
「あぁ。二、三週間前に家を訪ねてきた、面白い娘のことだな」
「面白い?」
「インターホンを鳴らして、執事が出るなり『王子様の嫁にしてくれ』とか何とか。その時はすぐに帰るように言って切ったらしいが、すぐに門を開いて樹海を強行突破してきてな。面白いだろう?」
「……」
相変わらず自由だなぁ、キキョウは。人生楽しそう。
その情景を想像しながら遠い目をする私に構わず、ゼノは言葉を続けた。
「立ち塞がる家の執事相手に結構奮戦したんだが……そこは経験の差と言おうか地力の差と言おうか。まぁ結局負けたのだ、あの娘は。なるほど、お前の知り合いだというなら、あの歳でそこそこ腕が立つのも納得がいく」
「で、その後。キキョウは負けた後どうなったのかしら」
まさかあのキキョウが死んではいないだろうが、話を聞く限りでは生存率は絶望的である。不覚にも、執事に殺され樹海で骨になっている未来が浮かんできた。私はその想像をかき消し、ゼノに続きを促した。
「その後か。執事に殺されそうになっていたところに、突然ポチが乱入してきた」
「そうなの」
「あの時は連れてきたばかりで、シルバにしばらくポチの世話を任せていたからな。隙を突いて逃げ出したのだろう。結局その後、三つ巴になりかけていたその場にシルバも乱入してきてな。ポチは竦むわ、執事は恐縮するわ、娘は娘でシルバに陶酔するわで何もかも有耶無耶になってしまった」
「ふーん」
「娘の言う“王子様”とは、どうやらシルバのことだったらしい。シルバがそんなタマとは俺でも思えんが、まぁそれはいい。兎も角、こうして娘は晴れてシルバの婚約者候補になったわけだ」
「うん?」
『こうして』で大分端折られた気がする。いや、この際経緯自体はどうでもいいのか。私が知りたいのは、最初から一貫してキキョウの今の居所なのだ。
「それで。キキョウは今どこに?」
「あの娘なら、使用人達の訓練施設にいるはずだ。シルバが珍しく敷地内での滞在を許可してな。今は自主的に花嫁修業というやつに勤しんでいる」
うん。元気そうで何よりである。
ところで、ゼノの語り口から推察するにどうやら訓練施設とやらはこのゾルディック家の敷地内にあるようだ。キキョウの足取りを追ってたらい回しにされるかと思っていたが、思ったよりも早くキキョウに会えそうだ。
「そう。キキョウに会えるかしら」
「別に構わんが……そうか、お前も流星街出身か。道理で情報が少ないわけだ」
ゼノは突然踵を返すと、そのことには何も言わず勝手に歩き出した。ついて来いということだろうか、歩きながらも語り口はそのまま私へと向けている。所在なげに双頭をしょげさせているポチに一瞥をやり、私はゼノについて行った。
「調べたの?」
「何を言っている。お前とかち合うのが前一回だけなら兎も角、そんな保証はどこにもない。こちらの仕事を邪魔し、阻んだのだ、マークされて当然だろう」
「そう。それで、何か分かったかしら」
「あまり、だな。お前の情報は、隠されているのではなくほぼ存在しなかった。天空闘技場に属していることまでは容易に分かったが、それ以外のことについては驚くほど痕跡が見つからなかった。こんなものでは、お前との交渉材料にすらなりはせん」
「……そう」
「お前、一体何者だ? お前ほどの実力者が、突然発生したかのように唐突に存在している。まるで、ゴミ山の中で突然変異した致死率の高い病原菌だな」
「……」
私も知りたい、とは言わない。自分の意志で此処に来たとはいえ、敵地になるかもしれない場所で弱みを見せる気にはなれなかった。
しかし病原菌とは酷い言い草だ。せめて動物以上で例えて欲しかった。態度に現さないだけで、実は意外と私に対して含むものがあるのかもしれない。よくよく考えてみれば、前回会った時だけでなく今回もあまり彼に好印象を与えているとは言い難かった。
私は、私の印象を好転させるべく肩掛けカバンを開き手を突っ込んだ。
「ところで、これ。つまらないものだけど」
「ん?」
言いながら、私がカバンから取り出したのは天空闘技場近辺で購入した饅頭である。結構なお値段のした、ジャポンの老舗支店自慢の逸品である。これで、少しは私への悪印象も払拭されることを願おう。
「ほう、
立ち止まり、受け取った箱の包みを見てゼノがそんなことを言った。どうやら思ったより好感触だったようだ。
……因みにこのセンスは私じゃなくてツェズゲラだ。丸投げしてしまったが、今は割と感謝している。
「喜んでもらえたようで、何よりだわ。賞味期限が切れる前に食べて」
「あぁ、分かっている。……うん? これの賞味期限、もしかして今日じゃないか?」
しまった忘れてた。ゼノの言葉に、一瞬愕然とする。あの饅頭は、元々は流星街にいるはずだったキキョウのために買ったもの。日持ちするものを選んだのだったが、流石に日数が経ちすぎていて限界が来ていたらしい。
「多少、賞味期限が切れても大丈夫。貴方達ならきっと問題なく食べられるわ」
「さっきと言っていることが矛盾していないか」
ゼノは少し思案げに饅頭の箱を眺め、そしておもむろに歩みを再開させた。……しかし微妙に先ほどと方角が違うことに、私は気づく。意図が分からず内心戦々恐々としながら棒立ちする私に、ゼノは肩越しに顔だけを振り向かせてこう言った。
「よし。訓練施設へ行くのは後にして、まずは茶にするか。丁度、茶菓子もあることだしな。何遠慮するな、たらふく食っていけ」
笑いながら箱を振るゼノの提案を私が断れるわけもなく、私は進む方向を本邸に修正させたらしいゼノに大人しくついていくのだった。
道中はこんな感じ。
「そう言えば、今日のジャージは前のものとは色や意匠が違うな」
「今日のはとっておき。オーダーメイド、特注品だから」