キキョウと名乗る少女の後に付き、私は悪臭漂うゴミ山の間を縫って歩いていた。
そのキキョウの手には大きな袋があり、彼女曰く袋の中身が今日の成果だという。
「今日はもう引き上げ。夜のここは危険だから」
なるほど、彼女の言う通り淀んだ灰色の空にも少しずつ朱が混ざり始めていた。夕暮れが近い。空を見上げると、また飛行船から何かが落とされるのが見えた。私がゴミ山に転がっていた時にも二、三度見た光景だ。外の住人のゴミ捨ては、ああしてたまに行われているようだ。テレビや洗濯機といった、分解されていないそのままの家電も隕石の如く降ってくるために、もしも下に誰か人がいればひとたまりもないだろう。
「危ないわね」
周囲のゴミをまき散らし、地響きを立てて着弾した大型冷蔵庫を呆れた気分で眺めながら、私は呟いた。
「でも、ここでは大事な資源よ」
キキョウが袋を掲げながら言った。何でも、此処に住んでいる人々はその日拾ったものを再利用、物々交換することで生計を立てているらしい。
「じゃあ、アレは持って行かなくていいの?」
私は、さっき降ってきた大型冷蔵庫を指さしながら聞いてみた。デザインはレトロな感じだが、上空から降ってきたにも関わらず外傷は見られず、まだ使えそうな気がする。自分で使うなり交渉の品にするなり、有益に使えそうに見えた。
しかし、キキョウは冷蔵庫を一瞥するだけして目をそらした。
「大きすぎるし重すぎる。見て分からないの? 持っていけるわけないじゃない。何も持ってなくても、手に余るわよ」
キキョウはそう言ったが、それは私としては予想通りの答えである。どういう形にしても、私は一度自分の力を試しておきたかった。そして、それを今発揮する良い言い訳もこうして出来たわけだ。
「なら、私が持っていく」
「は? 何を言って……」
冷蔵庫のそばに行き、角に両手を這わせる。傍目にはかなり不安定で負担のかかりやすい持ち方ではあるが、行けるような気がした。問題は自身の体重の軽さだけだが、それは力のかけ方でどうとでもなる。
ゆっくり力を込めていくと、冷蔵庫が軽くなっていくような錯覚を覚えた。そこから一気に力を込めると、冷蔵庫はひょいと浮き上がり、私の両手に挟まれるような形で安定した。漫画にすれば、『ひょい』という謎の効果音とともに大岩を持ち上げるような場面だ。今なら私でも主人公になれる気がする。
「行こ」
私は呆気にとられた様子のキキョウに、平坦な声でそう告げた。
「それ……どうなってるのよ」
自分の身体よりも何回りも大きい冷蔵庫を、まるで発泡スチロールのように持ち上げている様は、彼女には理解し難いらしい。
私はといえば、自分の身体を蒸気のようなものが取り巻いていることは起きた時から気づいていたので、できると確信していた。おそらく、“hand sonic”だけでなく、他の原作スキルも念能力で再現されていると。この分なら、身体能力強化スキルの“overdrive”も問題なく機能しているだろう。
「“念”」
特に隠すつもりもないので、躊躇いなく答える。というよりそもそも、キキョウ自身も稚拙ながら“纏”らしきものを使っていた。無意識のようだが。
原作HUNTER×HUNTERに出てきた流星街出身の念能力者は、全体的に実力者揃いだ。どこぞの旅団然り、どこぞの暗殺一家の使用人然り。そういう土壌ができている……というよりそういう強者が生き残りやすく、また流星街という内側に収まりきらなくなり外に出てくるのだろう。
「ネン? なにそれ、はぐらかしてるの?」
「違う。説明するから、ちょっと黙ってて」
どうにもこの私は口下手だ。心の中ではべらべらしゃべっていても、なかなか外に出す言葉に変換出来ない。
「“念”と言うのは、生き物なら誰もが持つ“オーラ”という生命エネルギーを、自在に扱う技術のこと」
「え、何なのそれ。そんなのあるわけない……とは言えないわよね。じゃあ、私にもそれ出来るの?」
「そう。人間なら誰もが持っている可能性。普通なら、死ぬまで気づかず死蔵されたままね。余剰エネルギーのはずなのに、もったいないわ」
私の知る、HUNTER×HUNTERが漫画として存在していた世界、仮に現実世界とでも言うが、その世界でも、人間は普段は無意識のうちに自身にセーブをかけ、全力を出しきれないという話があった。“念”で扱われる普通に生きる分には必要ないはずの余剰オーラも、身の安全のためにセーブされてきたエネルギーの一部なのだろう。無理やり起こし、扱えなければ害もありうるという例を見る限り、死蔵というのも頷ける。
「だから、修行次第で誰にでも習得できる。普通は、オーラの出る穴が閉じた状態にあるから使えない。その穴を開き、オーラを引き出すことが第一段階」
私自身、記憶した覚えのないふわふわと実感のない知識を確かめるように、ゆっくりと咀嚼するように言葉にしていった。
「どうすれば、その穴を開くことが出来るの?」
「方法としては二つ。『ゆっくり開く』と『無理やり開く』。『ゆっくり開く』方法は、座禅や瞑想でオーラの流れを体感しながら穴を開放する。真っ当なのはこっちの方法。『無理やり開く』は、他人のオーラで穴をこじ開ける方法。ただ、正道じゃないから、オーラを放出しすぎて全身疲労で干からびることもあるらしいわ」
「へ~。貴女は、どっちで使えるようになったの?」
「さぁ。知らないわ」
「え、何でどうして」
「そう言われても困るわ。私は覚えていないから」
本当に、何故か使える、としか言い様がない。このゴミ山で起きる前の私のことなんて、何一つ覚えていないのだから。
「ふ~ん。……ねぇ、私にも“念”、使えるようにしてくれない? “念”が使える貴女なら『無理やり開く』ことも出来るのよね? すぐに使ってみたいの」
「何故?」
「何故って……そんなケチケチしなくていいでしょう? その布あげたし、もっとこの流星街のこと教えてあげるから。それとも何? 他人には教えられない理由でもあるの?」
「違うわ」
「じゃあ何なのよ!」
ヒートアップしながら詰め寄るキキョウを片手で押しとどめながら、私は言葉を探した。私が大型冷蔵庫を持っていることを忘れるほどの、興奮度と順応力に些か戦慄する。片手だけでも冷蔵庫を持てたことが幸いだった。……これでもまだ軽いぐらいで、一体どれほどの力があるのか、私の身体もなかなかに底知れない。
「貴女はもう“念”を使えている」
「えっ!?」
「より正確に言えば、その入口に立っている」
「ええっ!?」
うまく説明しようと、キキョウの“纏”を観察してみた。そうすると、かなり中途半端な状態であることが分かった。オーラの穴、精孔は全開の一歩手前で、“纏”も揺らぎが多い上にいくらか体外に垂れ流されている。念能力者と呼ぶには、あまりにもお粗末な状態だ。とは言え、完全閉孔垂れ流しの一般人よりはかなり先を行っている。後はオーラを認識させれば、自分でどうとでも出来るのでないだろうか。
「キキョウの身体の周りに、蒸気みたいなのがある。ソレがオーラよ」
「えええっ! コレが!?」
……どうやら既に認識していたらしい。なのに何故そのままなのか、甚だに疑問である。
「気づいた時にはもうこうなっていたから……てっきり、こういうものだと思っていたわよ。どうりで他の人より妙にもやもやが多いと思った」
「死にかけたりすると、覚醒することもあるらしいわ。貴女は物心付く前にそうなったのかも」
「そうなの? けど、ツイてるわね。ねえ、もっと詳しく教えてよ」
「見えてるなら、体感も出来ると思う。オーラを、体表で留め、巡らせるイメージ。“念”の基本中の基本、“纏”がそれ。今も無意識にできているみたいだけど、まだかなり不十分みたいだから」
言いながら、自分でもやってみる。私の場合、起きた時から高いレベルでの“纏”ができていた。恐らく、意識がなくとも“纏”の維持が可能なレベルだろう。こうなると他にも色々試してみたくなるが、すぐ隣に集中を始めたキキョウがいるために、“練”などの派手な行為を行うのは気が引けた。なので大人しく“絶”や“流”の真似事、とどめたオーラを意味もなくうねうね動かすに興じることにする。それだけでも何か楽しい。
「出来た! これでいいのよね!?」
気づけば、キキョウが“纏”を完成させていた。漏れはなく、淀みも解消されている。精孔はまだ完全解放されていないが、“練”を一度でもやれば無理矢理にでも励起されるだろう。
「ねえ! 次は次は!?」
やはり、キキョウの素質はかなり高いらしい。彼女の名前を聞いた時にもまさかと一度思ったが、もしかするともしかするかもしれない。冷蔵庫に構わず楽しそうに掴みかかってくるキキョウを穏便にいなしながら、素知らぬ顔で私は再び彼女の名前を検分していた。
「キキョウ。“キキョウ”って、ありふれた名前よね?」
「ジャポンではよくあるけど、流星街では聞かないわよ。ねぇ、そんな事より、他の“念”を教えてよ」
「……(このキキョウがあのキキョウ・Zさんだったら、時間の流れの残酷さを思い知らずにはいられない)」
ゆさゆさと揺すぶってくるキキョウに当たらないように冷蔵庫を掲げ持ち、私は十歳前後の幼くあどけない表情のキキョウを、複雑な思いで眺めながらしばし物思いにふけった。
ところで流星街では食料ってどうしてるのでしょう。外と取引してるようにも見えないですし、やっぱり自給自足、というにも環境が悪すぎるし。謎です。