そしてゾル家にはまだ行きません。仕方ないんです。
カサカサカサと、ヒビ割れた道路の上を回転草が転がっていく。西部劇などでお馴染みのそれはタンブルウィードと言うらしいが、この世界では一体なんというのか。通りに人通りはなく、廃墟のような建物がいくつも立ち並んでいる。一応街に人がいないわけではないのだが、時間が時間なのか少なくとも表には誰もいなかった。
私は教えられた道を歩き、教えられた裏路地を進んでいった。明りが少なく、初めての道はどうにも歩きにくい。
薄暗い建物と建物の間を歩いて行くと、その先に明りのついた店が見えた。小奇麗なショーケースには、これまた小洒落た服を着たいくつもの人形が並べられている。中の光が漏れでてきている扉を押し開けて入ると、からんからんとドアベルが鳴った。
「いらっしゃい」
店内に入った私に、落ち着いた声が掛かる。
明るい店内には静かなクラシックが流れ、棚にはたくさんの人形が並べられていた。その小さな人形の山の中に、椅子に座った人間サイズの人影が一つあった。私に声をかけてきたのは、その人影だ。
「こんばんは」
私は、店の主人であろう老人に声を返した。
「珍しい、お客さんですなぁ……。お嬢さん、こんな時間にウチに何の御用ですかな?」
「仕事をお願いしにきたのだけど」
「仕事……。と言いますと、オーダーメイドの人形ですかな? お嬢さんは、どのような人形をご所望かな?」
この店の名前は、ドールズ人形店。少し頭の悪い名前だが、名前の通りなら確かにここは人形を買いに来る場所である。しかし。
「違うわ」
「違う……? それでは、人形の修理を?」
否定した私に、老人は眉をひそめる。これ以上茶番を続けるつもりはなかった私は、言葉を続けた。
「私はエイティ=ケーンの紹介で来た、カナデ。合言葉は“リビングドール”」
私がそう言うと、老人は顔に微笑みを浮かべて頷いた。
「いや、失礼しました、カナデ様。聞いてはいたのですがね、これもいわゆる様式美というやつでしてな。……さて、改めてよくいらっしゃった。この“情報屋・ドールズ”に、何の御用ですかな?」
老人、いや、裏の世界では名の知れた腕利きの情報屋、ドールズが悪びれもせず穏やかな表情で私に笑いかける。
ツェズゲラの師、エイティ=ケーンは聞くところによると現役のシングルハンターらしく、私には都合の良いことに裏でも顔が利いた。結局その彼自身とは顔を合わせることはなかったが、ツェズゲラが言うには私の要望だと話すとわりと簡単に教えてくれたらしい。
「知り合いを捜して欲しいの」
「なるほど、人探しですか……」
老人は、小さく頷きながらボールペンと手帳を取り出した。
「それで、どなたですかな?」
「“キキョウ”という女の子よ。歳は大体十代前半ぐらいで、黒い髪を背中まで垂らしているわ。小柄で、虚ろな黒い目をしてるのだけど」
「お待ちを。写真などはありませんかな。特徴だけでは、大陸一つとっただけでも少なくとも何千人は該当者が見つかりましょう。不肖この私、人探しには多少の自信があるのですが。さすがにそれだけで見つけるのは難しい……。名前も、もしも偽名ではそれまでですからな」
「写真……。持ってないわね」
あの流星街で、使えるようなカメラはついぞ見たことがない。そもそもそんなもの、大して必要とは思っていなかった。
「ふぅむ……。では、国民番号、あるいは何らかの証明書などは? ……この際、髪の毛一本でもあれば良いのですが」
「全部ないわ。……それに、多分その線じゃ無理よ」
「……ほぅ。流星街、ですかな」
当たり。そう思ったが、口には出さなかった。情報屋の看板は、なるほど伊達ではないらしい。
困難な依頼でありながら、老人は何故かどこか楽しそうに呟く。
「困りましたなぁ。取っ掛かりがないようでは、私も探しようがない」
「取っ掛かりは、無いこともないわね」
「ほう。それは?」
「ゾルディック家。どうやらキキョウは、そこの息子を追いかけてるみたい」
老人は目を見開いた。
「ゾルディック……。それはまた、随分と厄介な……」
「何とかならないかしら」
「不可能では、ないのですがねぇ。そこまでとなると、随分危険な橋も渡らなければ。……失礼ですが、予算はいかほどですかな?」
「三億ちょっとね」
私は指を三本立てた。天空闘技場のファイトマネーで、私の今の全財産だ。しかし、老人は首を横に振った。
「全く足りませんな」
「……そう」
何となく、私もそんな気はしていた。原作では、ゾルディック家の人間の顔写真一枚で一億近い懸賞金がかかると言われていたのだ。もしもそれ以上の情報になるとするなら、私にもどれほどになるのか想像もつかない。
……そもそも、私はどうしてここまで躍起になってキキョウを探そうとしているのだろう。自分で言うのも何だが、どうも私は妙なところで生真面目だ。もう少し適当に生きられないものか。
「そこで、相談があるのですが。よろしいかな?」
と、私が腕を組んで考えこんでいると、老人が話しかけてきた。
「何かしら」
「私は、情報を扱う情報屋でありますが。同時にハンター達への仕事の斡旋もしておるのですよ」
「私はハンターじゃないわ」
「だが。使える」
老人が、人差し指を立てる。“凝”をしているとよく見える、指の先に現れた、オーラで形作られた文字が。随分と、器用なことをしている。
「なら、私に仕事をしろと?」
「“しろ”とは、言いませぬ。これは、言うなれば取引ですな。私の依頼する仕事を受けても良いし、受けずにお金を集めてきても良い」
「……仕事にもよるわ」
私がそう言うと、老人は笑みを浮かべ紙を一枚取り出した。
ドールズ人形店を後にし、私は出てきた路地裏を振り向いた。
「食えないわ。情報屋って、みんなああなのかしら?」
終始姿を現さず、老人の人形を使って話しかけてきた“情報屋・ドールズ”の事を思い出す。
“凝”を使わなければ気づくことはなかっただろう。それほどあの人形は精巧に作られていたし、おそらく念での擬態も本物の人間と見まごうほどのものだった。おまけに、人形でありながら見たところ相当腕も立つ。裏の世界で、情報屋なんて因果な職をしていながら生き残っているだけはある。
「まぁ。やることをやってくれるなら、私には関係のないことだわ」
そして、ドールズから仕事をもらった数日後の深夜。私はとあるシティ中央にある、ビルの前にいた。私の周囲には、私同様仕事を請け負ってきたらしい能力者達が何人かいる。別口ではあるようだが、雇い主は皆同じだ。ビルの中にはさらに多数の能力者が配置されており、上に行くにつれその能力は高いものとなってきている。こうして玄関前にいる私達は、雇い主からの信用が最も低い者達である。どうやらかなり急いでいたらしく、広く、そして無節操に能力者が集められていた。外様に置いているとは言え、あまり信用のない私達も“護衛”として雇われているのはそのためだ。
そう、ドールズから斡旋された仕事は、“護衛”だった。それも、マフィアの幹部の。
私達の使い道は護衛というよりも“壁”なのだろう。実力も見ず、派遣元だけ聞いて玄関先に置いたことが良い証拠だ。とは言え、一応受けてしまった以上契約は履行しなければならない。
「面倒だわ……」
ビルを見上げ、最上階にいるであろう今回のボスに文句を投げる。本人に聞こえるわけはないけれど、どうせただの気晴らしである。
「よぉー、迷子のガキがこんなところに居やがるぜぇ。ひへへっ」
暇なのか、見るからに(頭と)柄の悪そうな男が絡んできた。一度ビルの中に集められた時も、私に驚いてジロジロと見てきていたことを覚えている。
「おい、仲間に絡むな」
相方なのか、堀の深い顔立ちをした男が柄の悪そうな男を止めた。
「仲間ぁ? おいおい寝ぼけてんのか、ブイラ。こんな痩せっぽちの貧弱なガキが仲間かよ。はっ、冗談じゃねぇ、足ぃ引っ張られんのがオチじゃねぇか。さっさと追い出しちまおうぜ。勝手に死ぬ分には構わねぇが、俺達の邪魔を少しでもされたら何遍殺しても飽きたらねぇよ。そもそも俺はガキが大っ嫌いなんだよぉぉぉ!!」
柄の悪い男にブイラと呼ばれた男は、私の方をちらりと見る。
「俺は、彼女の顔には覚えがある。“
「天空闘技場ぉ? あの幼稚な遊技場かよ、アホらしい。耄碌すんのが早すぎんぜブイラァ。それとも、仕事始まる前から酔ってんのかぁ?」
「彼女は、あそこの偽物連中とは格が違う。今回の仕事でも、きっと足手まといにはならないはずだ」
「じゃあぁぁぁてめぇでめんどうみろやぁあっ!!」
柄の悪い男はヒステリックに喚き散らして踵を返し、ブイラに背を向けた。その際私と目が合うと、『ぺっ』と思いきり痰を吐き捨てていた。
それにしても、“ダストシューター”とは。私も、そんなリングネームは初めて聞いた。
「すまないな」
「別に。いいわ」
今度は、ブイラが私に話しかけてくる。私は、いつも通り素っ気なく返事を返した。
「いきなり怒鳴られて、驚いだろう。あいつも、前はあれほどじゃなかったんだがなぁ……。以前の仕事で、乱戦にパニクった子供の念能力者に殺されかけて以来、あの調子なんだ」
「そう」
別に私に関係のない他人の諸事情なんて、正直どうでもいいことなのだから、側でしんみり語るのはやめてくれないだろうか。私の声なき訴えは、当然のことながらブイラには届かない。
「あいつは、確かに初めて会った時から変わらない。初対面の相手には、あんな感じに喧嘩腰なのさ。俺も、それで一度は殴りあったものだ」
「そう」
まだ続くのだろうか。五月蝿いわけではないけれど、正直少し面倒くさい。
「だが、長く付き合ってりゃ色んな面が見えてきやがる。どうしてあいつが初対面の相手にあんな喧嘩腰なことや、周りの人間をどういう思いで見てるかとかな。知ってるか? あいつ、あんなんでも子持ちなんだぜ? 笑っちまうだろ。あいつは何も言いやしなかったが、この仕事で大金が入ったら家族で旅行に行く計画立ててんだよ。それに気づいた時はもう、爆笑モノだったよ」
「そう」
と言いつつも、温かみのある笑顔でしんみりとブイラは語った。どうでもいいけれど、勝手に人の死亡フラグを乱立させていくのはどうかと、私は思う。
「ま、そんなものだから、死ぬわけにはいかないのさ、あいつは。だから多分、あんなに必死になってんだ。今回のは結構大仕事みたいだからな。マフィア同士の抗争……ってやつらしいが、俺達能力者が多数駆りだされてるとこ見ると、どうやらタダ事じゃない。噂じゃあ、ここのボスを始末するために雇われた殺し屋ってのがあの――」
「黙って」
「どうした?」
「……」
このシティは、ドールズのいた場所とは違い“眠らない街”と呼ばれる程度には人の動きが活発だ。マフィアのビルの前だろうと深夜であろうと、行き交う通行人が途絶えることはそうそうない。男に腕を絡ませる女や酔っぱらい、明らかにカタギに見えないならず者に調子に乗る若者。さっきまでは、そういう人間達がチカチカ光るネオン街を右へ左へと行き交っていた。
しかし今は、寒々しいほどに人の通りが途絶えていた。点滅する看板の照明が、不気味に通りを照らしだす。
「来た」
「何が?」
「……殺し屋?」
宵闇の向こうから、三人の人間が姿を現した。
一人は、ワンピースを着た女性。顔には仮面を着けており、素顔は窺えない。一人は、軽くウェーブした銀髪を流した青年。無表情ながら鋭い眼をこちらに向けている。最後の一人は、銀髪を逆立てさせた偉丈夫。がっしりとした体躯に、殺気を潜めた濃密なオーラを全身から迸らせていた。
「“guard skill ; hand sonic”」
久々に、両手に刃を具現化する。
ビルに近づいてくる三人組が敵であることに他の護衛達も気が付いたのか、ビル玄関前はにわかに騒がしくなった。これほど堂々と、真正面から来るとは思っていなかったのだろう、護衛達の足並みはばらばらだった。
しかし、それも全員ではない。急遽集められた者達の中にもこういう場に慣れた者もいたのか、既に冷静に態勢を整え、相手の出方を観察している能力者もいる。ブイラやその相方も、どうやらそっち側だったようだ。
「ここは俺が請け負う。お前達はターゲットを始末しに行け」
高まる緊張感と張りつめた沈黙の中、不思議なほど通る声を上げたのは、三人の中で身体もオーラも最も大きい偉丈夫だった。
「親父、掃除は、俺がやった方がいいんじゃないか?」
「私は地下の方に行きましょう。あなたは上階を」
「いや。ここはお前達では荷が重いだろう。黙って先にいけ。俺の方が終わる前に、さっさと片付けてこい」
偉丈夫の平坦で貫くような視線が、私の方を向いた。どうやら、随分と買ってくれているらしい。そして好都合だ。私も三人相手では尻尾を巻いて逃げることになったかもしれない。
「行け!」
再びの偉丈夫の命令とともに、偉丈夫の両脇にいた女性と青年が同時に地を蹴った。私は動かなかったが、ここにいるのは私だけではない。玄関前に展開していた護衛達が、二人を迎え撃った。
キィィィィ
動かなかったというより、動けなかった。駆け抜ける二人にも視線を向けられないほどに、偉丈夫の殺気とオーラが研ぎ澄まされていく。偉丈夫の視線もまた、私から外れることはなかった。
「――っ!」
「はぁっ!」
姿がかき消えんばかりのスピードで間合いを詰めた偉丈夫の貫手と、私のhand sonicが紙一重で交差する。一寸のズレで、私の身体には風穴が開くだろう。しかし、それは相手も同じこと。かつてない強敵との殺し合いに、私の意識もまた加速度的に研ぎ澄まされていった。この強敵の動きも、鮮明に見てとれるほどに。
やふー