出たら良いなーって感じでお願いします。
選抜レースの翌日。
学園では、あの日のレースがまだ話題になっていた。
「ゼータさん、すごかったよね」
「最後のハナ差、見た?」
「シンボリ家ってやっぱり凄いんだなぁ」
廊下を歩いているだけでも、そんな声が聞こえてくる。
ゼータはいつものように、柔らかく笑って応じていた。
「ありがとうございます」
けれど。
心の中では、何度も同じ言葉を繰り返していた。
(勝ってしまった)
あの瞬間の感覚が、まだ消えない。
本来なら、あれ以上の速度を出せた。
けれど、出さなかったそれでも勝ってしまった。
その事実が、胸の奥へ重く沈んでいる。
(これ以上は……駄目)
(もっと期待されるようになったら)
(私は、もっと走らなければならなくなる)
(だから、今回のように必要以上は見せない)
そう考えるだけで、胸が苦しくなった。
⸻
その日の放課後。
ゼータは教室で一人、帰り支度をしていた。
鞄へ教科書をしまっていると。
「ゼータシンボリ」
「はい?」
振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのない老人だった。
年齢はかなり高い。
白髪混じりの髪。
少し皺の刻まれた顔。
だが、その瞳だけは驚くほど鋭かった。
「少し時間をもらえるか?」
「……私に、ですか?」
「ああ」
ゼータは警戒する。
選抜レースの後から、トレーナーに声を掛けられることは珍しくなかった。
だが。
この老人には、他のトレーナーとは違う何かを感じた。
「失礼ですが……どちら様でしょうか?」
老人は苦笑する。
「そういや名乗ってなかったな」
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「俺は、トレーナーの柊 蓮司郎だ」
名を告げる。
長年トレセン学園でウマ娘たちを指導してきた、ベテランのトレーナーだった。
ただし、現在は担当を持っていない。
「……それで、私に何のご用でしょうか?」
「選抜レースの話だ」
ゼータの表情が僅かに硬くなる。
「トレーナー契約の話でしょうか?残念ですが今はまだ、「違う」 、、、」
「確かにそれも魅力的だがまた別の話だ」
「では、なんの話でしょうか?」
老人は少し間を置いた。
「本当にあれが全力か?」
「……。」
ゼータの心臓が跳ねる。
だが、すぐに笑顔を作った。
「はいあれが私の全力です」
「本当に?」
「はい」
迷いなく答える。
「私の今の力では、あれが精一杯です」
老人は黙ってゼータを見る。
長い沈黙。
やがて。
「そうか」
それだけだった。
ゼータは胸を撫で下ろす。
しかし。
「なら、別の質問をしよう」
「……?」
「お前さんは、レースが好きか?」
その質問に。
ゼータは答えられなかった。
好き。
そう答えたい。
けれど。
それを認めてしまえば、自分が積み上げてきたものが崩れてしまう気がした。
「……。」
老人は急かさない。
ただ、静かに待っている。
やがてゼータは、小さく口を開いた。
「……好きです」
それだけは。
嘘をつけなかった。
老人は僅かに笑った。
「そうか」
「……どうして、そんなことを?」
「走り方を見りゃ分かる」
「え?」
「お前さんは、レースを嫌ってる奴の走りじゃない」
ゼータの指が、制服の裾を強く握る。
「……。」
「むしろ逆だ」
老人は真っ直ぐゼータを見る。
「走ることが好きな奴が、自分から何かを抑え込んでる。」
その言葉が胸へ突き刺さる。
「……そんなこと」
否定しようとする。
けれど。
「あります」
思わず言葉が漏れた。
老人は何も言わない。
ゼータは俯いた。
「……私は」
「私は、レースを続けるつもりはありません」
「ほう」
「シンボリ家の娘として、最低限の結果は残します」
「そのために選抜レースにも出ました」
「でも、その後は……」
少しだけ声が震える。
「早く引退して、トレーナーになるつもりです」
老人は目を細めた。
「トレーナーに?」
「はい」
今度は、はっきり答えられた。
「私は、トレーナーという仕事に憧れています」
「ウマ娘と一緒に喜んだり」
「負けたときは一緒に悔しがったり」
「次こそはって、また前を向いたり」
「そうやって誰かの夢を支えることが……素敵だと思うんです」
ゼータは少しだけ笑う。
その表情には、偽りがなかった。
「だから、私はトレーナーになりたいです」
老人は黙って聞いていた。
そして。
「……なるほどな」
小さく頷く。
「それがお前さんの夢か」
「はい」
「走ることよりも?」
その質問に。
ゼータは少しだけ目を伏せる。
「……」
胸の奥に、あの日から消えない景色が浮かぶ。
芝。
風。
歓声。
ゴールへ向かって走る感覚。
「……そうです」
ゆっくりと答える。
「私は、支える側になりたいです」
老人は何も言わなかった。
ただ。
「そうか」
それだけを口にした。
それ以上、何かを問い詰めることはしなかった。
ゼータは少しだけ安心する。
「……それでは、私はこれで失礼します」
席を立とうとした、その時。
「待ちな」
「……はい?」
蓮司郎が声を掛ける。
「明日の放課後、時間はあるか?」
「明日ですか?」
「ああ」
「授業が終わった後でしたら、大丈夫です」
「なら、トレーナー室に来てくれ」
ゼータは少し不思議そうに首を傾げる。
「まだ何か……お話が?」
「前のレースについて、もう少し聞きたい」
「それと」
蓮司郎は少しだけ笑った。
「お前さん自身のこともな」
「……私の?」
「ああ」
「別に難しい話をするつもりはねぇよ」
「ただ、一度ゆっくり話してみたい」
ゼータはしばらく蓮司郎を見る。
昨日までなら、断っていたかもしれない。
けれど。
この老人の言葉には、不思議と嫌な感じがなかった。
「……分かりました」
「明日の放課後、お伺いします」
「おう、待ってる」
「それでは、失礼します」
ゼータは一礼して教室を出ていった。
その背中を見送りながら、蓮司郎は小さく呟く。
「……さて」
「お前さんが何を隠してるのか、少しずつ聞かせてもらうとするか」
⸻
その帰り道。
ゼータは一人で廊下を歩いていた。
(……怖かった)
あの老人の目。
まるで、自分の隠しているものを見透かされているようだった。
けれど。
(トレーナーになりたい)
その言葉を口にしたときだけは、不思議と心が軽くなった。
それは偽りではない。
自分が本当に望んでいることだから。
(私は、トレーナーになる)
(だから、レースは必要なだけでいい)
(結果を残したら、早く引退する)
何度も何度も繰り返す。
そのとき。
「ゼータ」
「……姉さん」
廊下の先にルドルフがいた。
「今帰りか?」
「はい」
「一緒に帰ろう」
「……はい」
二人並んで歩くと、少し心が落ち着く。
「そういえば」
ルドルフが口を開く。
「選抜レースの後、ずいぶん声を掛けられていたそうだな」
「そうですね、少し驚いてしまいました」
「知ってる」
ゼータは少し困ったように笑った。
「たくさんの方から声を掛けていただきました」
「それで?」
「まだ、決めていません」
「そうか」
ルドルフはそれ以上聞かなかった。
少し歩いたところで。
「ゼータ」
「はい?」
「お前がどんな道を選ぶにせよ、私は応援するぞ」
ゼータの足が、一瞬だけ止まりかける。
「……ありがとうございます」
「姉さん」
「ん?」
「私……」
言いかけて、止める。
――私はトレーナーになりたい。
そう言おうとして。
「……なんでもありません」
「そうか?」
「はい」
ルドルフは不思議そうにしながらも、それ以上追及しなかった。
そして二人は再び歩き始める。
ゼータは姉の横顔を見る。
(姉さんは、私が何を選んでも肯定してくれるだろうけど、姉さんにはまだ言いたくない)
何故かは、分からないがそんな思いがゼータの脳裏に浮かんだ。
⸻
翌日。
ゼータは昨日の約束通り、トレーナー室の前に立っていた、扉を見つめる。
(……少し、緊張しますね)
昨日の会話を思い出す。
『お前さん自身のことも聞きたい』
何を話せばいいのだろう。
そんなことを考えながら、ゼータは小さく息を吐いた。
「失礼します」
ゼータが扉を開ける。
昨日の老人が、一人で机に向かっていた。
「来たか」
「はい」
ゼータは少し緊張しながら入る。
老人は椅子を一つ引いた。
「座れ」
「ありがとうございます」
ゼータが腰掛ける。
老人は机の上に一枚の紙を置いた。
選抜レースの記録だった。
「もう一度、お前さんのレースを見直した」
「……」
「逃げている間、ずっと妙だった」
「妙……ですか?」
「ああ」
老人は記録を指でなぞる。
「序盤」
「余裕がある」
「中盤」
「まだ余裕がある」
「それなのに、終盤でわざと脚を使わず、なんなら少し速度を落として後ろを待っている」
ゼータの表情が固まる。
「そして最後」
老人がゼータを見る。
「後ろが並びかけた瞬間だけ、急に加速した」
「……。」
「ハナ差まで抑え込んだ」
「それが、お前さんの全力か?」
ゼータは黙っていた。
答えられない。
ようやく口を開く。
「私は自分の力を、よく分かっていないんです」
「そうか」
「だから……」
老人はそれ以上追及しなかった。
代わりに。
「なら、一つ提案がある」
「……何でしょう?」
「俺と、話をしてみないか」
「話……ですか?」
「ああ」
「契約の話じゃねぇ。」
「こんな事があっただとか、こんな事をしてみたいとか、トレーナーになるためのの話だとか、あと、、、」
「お前さんが何を考えて走っているのか」
「何を望んでいるのか」
「それを、少しずつ聞かせてほしい」
ゼータは目を見開く。
「……それだけですか?」
「それだけだ」
老人は笑う。
「俺はな。」
「速いウマ娘を探してるんじゃねぇ。」
「自分がどこへ向かいたいのか分からなくなってるウマ娘を、放っておけないだけだ。」
ゼータの胸が、大きく鳴った。
「……。」
何故だろう。
この人の前では。
少しだけ。
自分を偽らなくてもいいような気がした。
けれど。
それでもゼータは、心の奥へ言い聞かせる。
(駄目。)
(私は、レースから離れる。)
(私は、トレーナーになる。)
その決意だけは。
まだ、揺らしてはいけない。
「……分かりました」
ゼータは静かに頷いた。
「また、お話しさせてください」
老人は笑った。
「ああ」
「いつでも来い」
こうして。
ゼータシンボリと、老トレーナーの奇妙な関係が始まった。
それがやがて。
ゼータが自分自身と向き合うための、大きな転機になっていくのだった。
なんか文才無いせいでイマイチ、ゼータが打ち明けるシーンが納得いってないんで、多分修正すると思います。
修正した次の話とかでお知らせします。