ここからこれ含めて2、3話柊との会話パートになると思います。
あと明日も投稿出来そうです。
今の現状でのゼータの脚質適正は、
逃げ>追い込み>>越えられない壁>>差し>先行
と言った感じです。
それから。
ゼータシンボリは、放課後になると時折トレーナー室を訪れるようになった。
契約を結んだわけではない。
担当になったわけでもない。
ただ、柊トレーナーと話をする。
それだけだった。
最初は、ほんの十分ほど。
授業のこと。
レースのこと。
学園であった出来事。
そんな他愛のない話ばかりだった。
けれど。
その時間は、少しずつ長くなっていった。
⸻
「それで?」
蓮司郎が椅子へ深く腰掛ける。
「今日の授業はどうだった?」
「普通です。午前中は数学とレース理論で、午後は実技でした」
「実技は何をやった?」
「追い込みの展開と対策についてです」
「ほう」
蓮司郎が少し興味深そうに眉を上げる。
「お前さん、追い込みもできるのか?」
「……得意な方だと思います」
「逃げもできるんだろ?」
「はい」
「珍しいな」
蓮司郎は笑った。
「逃げと追い込みじゃ、随分と違うだろうに」
「そうですね」
ゼータも小さく笑う。
「でも、私はその二つの方が走りやすいんです」
「理由は?」
「……。」
一瞬、言葉が止まる。
本当の理由、それは言えない。
近くにウマ娘が集まれば集まるほど、ウマソウルを強く感じる、その感覚が集中を乱す。
だから。
前に誰もいない逃げ。
あるいは最後方から距離を取る追い込み。
それが、自分にとってまだ走りやすい。
「……自分のペースを作りやすいから、でしょうか」
ゼータはそう答えた。
蓮司郎は少しだけゼータを見るが、深く追及することはなかった。
「なるほどな」
それだけ言って、机の上の資料へ目を戻す。
「なら、無理に他の脚質を使う必要はねぇな」
「はい」
その言葉に、ゼータは少しだけ安心した。
⸻
「ところで」
蓮司郎が一枚の紙を取り出す。
「選抜レースの後、お前さんにスカウトが結構来ただろ?」
「……はい」
「全部断ったのか?」
「まだ決めていません」
「どうしてだ?」
「……。」
ゼータは少し考える。
「私は、まだ担当を決めるつもりがないからです」
「なるほど」
「それに……」
そこで言葉を切る。
「私には、やりたいことがありますから」
「トレーナーか」
「はい」
迷いのない返事だった。
蓮司郎はその答えを聞いて、少しだけ笑った。
「本当に好きなんだな」
「……何がですか?」
「トレーナーって仕事がだよ」
「……はい」
ゼータも笑う。
「好きです」
その言葉だけは、何度口にしても不思議と胸が苦しくならなかった。
「なら、聞かせてくれ」
「何をですか?」
「お前さんが思う、理想のトレーナーってのを」
「理想……」
ゼータは少し考える。
「担当のことを、ちゃんと見ている人です」
「ほう」
「速いから褒めるんじゃなくて」
「勝ったから喜ぶだけでもなくて」
「その子が何を考えているのか、何に悩んでいるのかを考えられる人」
一つ一つ、言葉を選ぶ。
「勝ったら、一緒に喜んで」
「負けたら、一緒に悔しがって」
「間違った事をしようとしているのなら正しい方へと導き」
「それでも最後には、次はどうするかを一緒に考える」
ゼータは少しだけ笑った。
「そういう人になりたいです」
蓮司郎は黙って聞いていた。
「……なるほどな」
「何か変ですか?」
「いや」
蓮司郎は首を横に振る。
「立派なもんだと思ってな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
そして、少しだけ目を細める。
「ただな」
「はい?」
「その理想を、本当に自分にも向けられるか?」
「……。」
ゼータの笑顔が止まった。
「自分にも?」
「ああ」
「担当には無理をするなと言えても、自分には無理をさせる奴ってのは結構いる」
「……。」
「自分のことを後回しにして、担当のためなら何でもする」
蓮司郎は机の上で指を組む。
「そういう奴は、一見すると立派なトレーナーに見える」
「だがな」
「長くは続かねぇ」
ゼータは黙っていた。
胸の奥に、何かが引っかかる。
「……私は」
言葉が出てこない。
「自分のことを、大切にできていると思います」
ようやくそう答える。
蓮司郎は否定しなかった。
「そうか」
ただ。
それだけだった。
⸻
トレーナー室を出た後、ゼータは一人廊下を歩いていた。
(自分にも……)
蓮司郎の言葉が頭から離れない。
自分を大切にする、そんなことを考えたことなどほとんどなかった。
シンボリ家の娘として。
ルドルフ姉さんの妹として。
恥ずかしくない結果を残す。
そのためなら、多少のことは我慢すればいい。
レースへの憧れも、走りたいという気持ちも。
全部、自分の中へ押し込めてしまえばいい。
(……私は。)
足を止める。
窓ガラスに映った自分を見る。
白い髪。
フローライトのような瞳。
そして。
その瞳に反射する、無数のウマソウル。
けれど。
自分自身には、何もない。
「……。」
ゼータはそっと目を伏せた。
(私は、何を大切にすればいいんでしょうね。)
答えは出なかった。
⸻
その日の夕方。
第一グラウンドでは、数人のウマ娘が模擬レースを行っていた。ゼータは帰る途中、フェンスの外からそれを眺めていた。
「位置について!」
スタート。
一斉に飛び出すウマ娘たち、その胸で、ウマソウルが燃える。ゼータの瞳に、それぞれの想いが流れ込んでくる。
勝ちたい。
負けたくない。
追いつきたい。
もっと前へ。
その中で、一人のウマ娘が早い段階で仕掛けた。
「……。」
ゼータは思わず呟く。
「少し早い……」
だがそのウマ娘は、そのまま先頭へ躍り出る。
そして最後まで粘り切った。
「……あ。」
ゼータは目を見開く。
自分の予想とは違う展開。
けれど。
「……すごい。」
思わず笑みがこぼれる。
その瞬間だった。
「お前さん、また見てたのか」
「……!」
振り返る。
そこには蓮司郎がいた。
「柊さん……」
「好きだなぁ、レース」
「……はい」
ゼータは素直に答えた。
蓮司郎は隣に立つ。
「じゃあ聞くが」
「はい?」
「今のレース、どうだった?」
ゼータはグラウンドを見る。
「最初の仕掛けは早かったと思います」
「だよな」
「でも……」
少し考える。
「だからこそ、後ろの子たちが仕掛けるタイミングを失ったんだと思います」
「ほう」
「結果的には、あの子の判断が正しかったんじゃないでしょうか」
蓮司郎は満足そうに笑った。
「そうだな」
二人はしばらく、何も言わずにレースを眺めていた。
その時間は、不思議なほど心地よかった。
⸻
「なぁ、ゼータ」
「はい?」
「お前さんは、自分が走るのは嫌いか?」
また、その質問。
けれど。
今度は、少しだけ違った。
ゼータはすぐには答えなかった。
目の前では、少女たちが次のレースの準備をしている。
そして、その胸には眩しいほどのウマソウルが輝いている。
「……嫌いでは、ありません」
蓮司郎は黙っている。
「むしろ……」
ゼータは胸へ手を当てた。
「好きなんだと思います」
初めて。
誰かに向かって、はっきりと口にした。
「走るのも。」
「風を感じるのも。」
「芝を蹴る感覚も。」
少しだけ笑う。
「全部、好きです」
それでも。
「だからこそ……」
ゼータは目を伏せた。
「私は、離れなきゃいけないんです」
「……どうしてだ?」
「それは……」
言えない。
ウマソウルのことも、自分には何もないことも、運命を変えてしまう恐怖も。
何も。
「……私には、そうする必要があるからです」
蓮司郎はしばらくゼータを見つめた。
そして。
「そうか」
また、それだけだった。
否定もしない、無理に聞き出そうともしない。
そのことが、ゼータにはありがたかった。
⸻
その夜。
寮の自室。
ゼータは机に向かい、今日までのことを思い返していた。
柊蓮司郎、不思議な人だ。
自分のことを深く聞こうとする。
けれど、無理に踏み込んではこない。
そして、何より。
「……私のことを、ちゃんと見ようとしている」
そのことが、少しだけ怖かった。
これまで。
自分の本当の姿を見てほしいと思ったことなど、一度もなかった。
見られてはいけないと思っていた。
けれど。
(……どうしてでしょう)
あの人になら。
少しくらいなら。
そんな気持ちが、ほんの僅かに芽生えている。
ゼータは目を閉じる。
(駄目です)
(私は、トレーナーになる)
(レースから離れる)
(そのために、必要な結果を残す)
(それ以外は必要ない)
いつものように自分へ言い聞かせる。
けれど、今日だけは。
その言葉の後に、別の言葉が浮かんだ。
(……でも)
(もう少しだけ)
(柊さんと、話してみたい)
ゼータは目を開く、そして、自分でも気づかないほど小さく笑った。
その頃。
トレーナー室では、蓮司郎が一人、選抜レースの記録を眺めていた。
「……あの子は、まだ何か隠してる」
机の上には、ゼータの記録。
授業で走っている。
短距離、マイル、中距離。
そして、選抜レース。
数字だけを見れば、決して突出しているわけではない。
だが。
「数字じゃ説明できねぇんだよな」
蓮司郎は小さく呟く。
「お前さんの走りは」
そして。
「……まぁ、急ぐ必要もねぇか」
記録を閉じる。
「ゆっくり聞いていくとするか」
老トレーナーはそう呟き、静かに椅子へ背を預けた。
二人の間に生まれたこの奇妙な時間が、やがてゼータの固く閉ざされた心を、少しずつ変えていくことになる。
モチベが爆上がりするので、良ければ感想や評価をよろしくお願いします。
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