あと日常回に関しては題名の後に⭐︎を付けます。
飛ばしても分かるように今後のストーリーとかに関わりそうな部分のみをその次の話の前書きに書くようにします。
それから、さらに数週間が過ぎた。
ゼータシンボリにとって、柊蓮司郎のトレーナー室を訪れることは、いつの間にか日常の一部になっていた。
毎日ではない。
授業が早く終わった日。
特に予定のない放課後。
あるいは――なんとなく、話をしたくなった日。
そんな日に、ゼータはトレーナー室の扉を叩いた。
「失礼します」
「おう。来たか」
「はい」
最初の頃にあった緊張は、もうほとんどなくなっていた。
蓮司郎も、ゼータが来ると特に驚くことはない。
「今日は何の話だ?」
「……特に決めていません」
「じゃあ俺から聞くか」
「お願いします」
そんな他愛のないやり取りから始まる。
それだけの時間だった。
けれど。
ゼータにとっては、不思議と居心地のいい時間だった。
⸻
ある日の放課後。
「柊さん」
「ん?」
「少し質問してもいいですか?」
「珍しいな。お前さんから聞いてくるなんて」
「……駄目ですか?」
「まさか。何でも聞け」
ゼータは少し考えてから口を開いた。
「トレーナーって……担当を選ぶとき、何を見ているんですか?」
蓮司郎は少しだけ目を細めた。
「何を、か」
「はい」
「人によって違うだろうな」
「速さではないんですか?」
「もちろん速さも見る」
「やっぱり……」
「だが、それだけじゃねぇ」
蓮司郎は机の上に置いていたペンを指先で転がした。
「速いだけなら、記録を見りゃ分かる」
「……はい」
「俺たちが実際に見るのは、その先だ」
「その先?」
「ああ」
蓮司郎はゼータを見る。
「レース中に何を考えてるのか」
「どうしてそこで仕掛けたのか」
「負けたときに何を思うのか」
「勝ったときに、次に何を目指すのか」
一つ一つ、静かに言葉を重ねる。
「結局のところ、ウマ娘は数字だけじゃ走れねぇからな」
「……。」
「速さがあっても、走る理由がなきゃ続かねぇ」
その言葉を聞いた瞬間。
ゼータの胸が、ほんの少しだけ痛んだ。
「……走る理由」
「ああ」
「それって……そんなに大切なんでしょうか?」
「大切だ」
即答だった。
「むしろ、一番大切かもしれねぇ」
「……。」
ゼータは視線を落とす。
自分には、走る理由があるのだろうか。
シンボリ家のため。
姉のため。
必要な結果を残すため。
そして――早くレースから離れるため。
どれも、本当に自分が望んでいるものではない。
「……難しいですね」
「そうか?」
「はい」
ゼータは小さく笑った。
「私には、まだよく分かりません」
蓮司郎は、それ以上聞かなかった。
ただ、
「なら、急いで答えを出す必要はねぇよ」
そう言った。
⸻
数日後。
実技授業で、模擬レースが行われることになった。
(今日は追い込みで走ろうかな)
教師が説明する。
「各自、自分の得意な脚質を意識して走るように」
生徒たちがスタート地点へ向かっていく。
ゼータも静かに準備をする。
逃げるのとは違う。
最後尾につけつ形でウマ娘たちから距離を取る。
それが、ゼータにとって追い込みの最大の利点だった。
――近くにいるウマ娘が少ない。
それだけで、感じるウマソウルは幾分薄くなる。
もちろん。
レース中は、普段より強く感じる。
完全に消えるわけではない。
むしろ、周囲が本気になればなるほど、その存在は濃くなっていくし、逃げよりも感じやすい。
だから。
追い込みでも、本来の力を出し切ることはできない。
それでも。
逃げの次に、走りやすい脚質だった。
「位置について!」
ゼータは最後方へつく。
「よーい――」
一瞬、静寂が訪れる。
「スタート!」
掛け声と同時に一斉に飛び出す。
ゼータも完璧に近いスタートを切るが、そこ後緩やかに速度を落として、前方へ向かうウマ娘たちを見送り最後尾につける。
一人。
また一人。
次々と前へ出ていく。
「ゼータさん、かなり後ろだ!」
「いつも大体逃げなのに今回は久々に追い込みで走るのかな?」
「逃げと追い込みは全然違うのにどっちも出来るなんてすごいね!」
ゼータは淡々と走る。
一定のリズム。
一定の呼吸。
できるだけ周囲を意識しない。
だが。
時間が経つにつれて。
前方から無数の光が流れ込んでくる。
焦り。
闘争心。
勝ちたいという願い。
負けたくないという恐怖。
(……っ。)
集中が乱れる。
一瞬だけ、脚が重くなる。
(大丈夫。)
前を見る。
(今回は追い込み。)
(最後まで離れていればいい。)
残り六百メートル、前方との差を確認する。
まだ遠いでも、ここからでも十分届く。
だが、ここでスパートを切ると一着になるし後ろとの距離がひらけてしまうそれに、ウマソウルを感じる時間も増えてしまう。
(……今は、これ以上は。)
ゼータは少しだけ仕掛けを遅らせた。
残り三百。
ようやく前へ進み始める。
一人抜く、さらに一人。
だが、まだ全力ではない。
本来ならもっと伸びる。
もっと速く走れる。
けれど。
胸へ流れ込んでくる光が、それを許してくれない。
(、、、、、、 ッ!)
ほんの一瞬、眉を寄せるが、
それでも走る。
最後の直線。
ゼータは脚を伸ばす。
一気に前へ迫る。
「あっ!ゼータさんが上がってきたよ!」
「あのまま沈んじゃうかと思ったけど、一気に上がってきたね」
「でもしんどそうだね、誰が一着になるんだろ!」
さらに一人抜く。
だが、先頭までは届かない。
そのままゴール。
結果は――三着。
「ゼータ、惜しかったな!」
一、二着の生徒と話し終えた教師の声が聞こえてきた。
「最後の伸びは良かったぞ」
「ありがとうございます」
ゼータは笑顔で答えた。
周囲の生徒たちも声を掛けてくる。
「最後すごかったね!」
「あとちょっとで一着だったじゃん!」
「追い込み得意なんだね!」
「……ありがとうございます」
ゼータは笑う。
だが、心の中では。
(……これでいい。)
そう思っていた。
一着ではない。
それでいい。
目立ちすぎない。
それでも、ある程度は走れる。
今まで作ってきた自分の評価から、大きく外れることもない。
――そう思っていた。
「ゼータ」
教師から呼ばれる。
「はい」
「最後の直線についてだが」
「……はい」
「お前ならもう少し早く仕掛けた方がいいと分かっていただろう?それに、途中で一度だけ完全に加速を止めた。」
「……。」
「何かあったのか?」
「少し、脚の使い方を考えていただけです」
咄嗟に答える。
教師はしばらくゼータを見る。
「そうか」
それ以上は追及されなかった。
⸻
その日の放課後。
ゼータはいつものようにトレーナー室を訪れていた。
「失礼します」
「おう」
蓮司郎は資料から顔を上げる。
「今日は実技だったか?」
「はい」
「何を走った?」
「追い込みです」
「結果は?」
「三着でした」
「ほう」
蓮司郎は少し笑った。
「お前さんにしちゃ、珍しく攻めたな」
「そうでしょうか?」
「ああ」
「最後、かなり伸びてた」
ゼータは少しだけ目を逸らす。
「……そうですか?」
「俺はそう見えた」
蓮司郎は記録用紙を机に置いた。
「だがな」
「はい」
「最後の直線に入る前、一回だけ妙に速度が落ちてる」
ゼータの指が止まる。
「……。」
「またか」
「……何がですか?」
「選抜レースと同じだ」
蓮司郎はゼータを見る。
「走れるのに、走らない」
その言葉に。
ゼータは何も答えられなかった。
「……。」
「別に責めちゃいねぇよ」
蓮司郎は静かに言う。
「ただ、気になっただけだ」
「……。」
「お前さんは、自分の力を出すことが怖いのか?」
心臓が跳ねる。
けれど。
「……分かりません」
それが今のゼータに言える精一杯だった。
蓮司郎はしばらく黙っていた。
そして。
「そうか」
また、それだけだった。
「なら、今はそれでいい」
「……え?」
「分からないことを、無理に分かったことにする必要はねぇ」
「……。」
「そのうち、自分で気づくさ」
ゼータは目を伏せる。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃねぇよ」
蓮司郎は笑った。
「俺はただ、お前さんの話を聞いてるだけだ」
その言葉に、ゼータはほんの少しだけ笑った。
「……それが、ありがたいんです」
「そうか」
⸻
帰り際。
ゼータは扉の前で振り返った。
「柊さん」
「ん?」
「……また来てもいいですか?」
蓮司郎は一瞬だけ目を丸くして。
「当たり前だろ」
「……はい」
ゼータは嬉しそうに笑った。
「それでは、失礼します」
扉が閉まる。
蓮司郎は一人になった部屋で、静かに息を吐いた。
「……やっぱり妙な子だ」
机の上には、今日の実技記録。
三着。
数字だけなら、特別なものではない。
だが。
「追い込みであれだけ伸びて、最後に自分から抑える……」
蓮司郎は記録を眺める。
「しかも本人は、それを自分でも理解しきれてねぇと言ってる」
少し考える。
「……こりゃ、思ったより根が深そうだな」
けれど。
蓮司郎は焦らなかった。
ゼータが自分から話してくれるまで待つつもりだった。
⸻
一方。
寮へ戻る道を、ゼータは一人歩いていた。
今日のレースを思い出す。
最後の直線。
身体が軽くなった瞬間。
風を切った感覚。
もっと速く走れた。
確かに、もっと速く走れた。
「……。」
足を止める。
(どうして私は……)
走りたいと思ってしまうのだろう。
レースを好きだと思ってしまうのだろう。
もう離れると決めたはずなのに。
「……私は、馬鹿ですね」
小さく笑う。
そのとき。
視界の端に、夜空が見えた、雲の切れ間から、いくつもの星が輝いている。
ゼータは空を見上げる。
星を見るのは好きだった。
遠くにある。
手が届かない。
それでも。
ただそこにあるだけで、安心できる。
ふと。
姉の顔が浮かんだ。
「……姉さん」
ルドルフ。
自分にとって、一番大切な人。
憧れで。
安心できて。
そして――どれだけ手を伸ばしても、自分には届かない星のような存在。
ゼータは少しだけ笑う。
「私も……いつか」
言葉が止まる。
何を言おうとしたのか、自分でも分からない。
ただ。
その夜空の下で。
ゼータの胸には、初めて小さな疑問が生まれていた。
――本当に、自分はレースから離れたいのだろうか。
その答えを。
まだ、ゼータ自身は知らなかった。
書いていなかったので補足しますが今回の模擬レースは1800のマイルレースです、そのため仕掛けどころをずらさず行くと二着以降と4、5バ身離れてしまうので少し抑えた感じです。
ゼータはもうすでにある程度肉体が成長しているので現段階の同世代と比べるとこんぐらいの差はあると言った感じです。
モチベが爆上がりするので、良ければ感想や評価をよろしくお願いします!