ある日のこと。
放課後のトレーナー室では、いつものように蓮司郎と彩乃が話をしていた。
「おじいちゃん、これなんですけど……」
彩乃が一枚の紙を差し出す。
「なんだ?」
「映画のチケット、二枚もらったんです」
「ほう」
蓮司郎が受け取って見る。
「映画か」
「はい。今週末の午後からなんですけど、せっかくの休日ですし二枚あるので誰かと見に行こうと思って」
「そうか」
「それでですね、まず友達に声をかけたんですけど予定があって……」
「ふむ」
「その次の人も予定があって……」
「……」
「そのまた次の人も駄目で……」
蓮司郎は黙って彩乃を見る。
「お前さん」
「はい?」
「何人に断られた?」
「えっと……」
彩乃は指を折って数え始める。
「……五人です」
「五人もか」
「みんな予定があったんです!」
「分かってる」
蓮司郎は呆れたように息を吐く。
「で、どうするんだ?」
「どうしましょう……」
彩乃はチケットを見つめる。
「せっかく二枚あるのに……」
「一人で二枚食うわけにもいかねぇしな」
「映画を二回見るのはちょっと……」
「だろうな」
蓮司郎が苦笑する。
「まぁ、焦らず探せばいいだろ」
「そうですね、まだ数日ありますし」
そう言い彩乃がチケットを眺めていると、そのとき。
「失礼します」
扉が開いた。
「おう、ゼータか」
「こんにちは柊さん、彩乃さん」
「こんにちは、ゼータちゃん」
彩乃も振り返り挨拶をする。
ゼータは二人の前まで歩いてくると、彩乃の手元にあるものへ視線を向けた。
「……映画のチケットですか?」
「そうなんです!」
ゼータの問いに、彩乃は勢いよく答える。
「実は二枚もらったんですけど、一緒に行ってくれる人が見つからなくて……」
「そうなんですか」
「もしゼータちゃんが暇だったら、その……」
「一緒に行きませんか?」
そう言い、彩乃は少し遠慮がちにチケットを差し出した。
ゼータはチケットを見る。
休日の午後、その日は特に予定がない。
「……映画、ですか」
「はい!」
「何の映画なんです?」
「昔の南極を舞台にした映画です。南極に残されることになった犬たちが出てくる作品で……」
「犬、ですか?」
「はい、かなり感動する映画らしいですよ」
「……なるほど」
ゼータは少し考えた。
映画を見ること自体、嫌いではない。
「分かりました、良ければご一緒させてください」
「本当ですか!?」
「はい。その日は特に予定もありませんので」
「やった!」
と彩乃が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、決まりですね!」
「はい」
「ありがとうございます、ゼータちゃん!」
「こちらこそ、誘っていただいてありがとうございます」
そんな二人を見ながら、蓮司郎は小さく笑っていた。
「良かったじゃねぇか」
「はい!」
「ったく。これでチケットも無駄にならずに済んだな」
「そうですね!」
彩乃は嬉しそうにチケットをしまう。
「それじゃあ、当日よろしくお願いしますね!」
「はい」
こうして、ゼータと彩乃の休日の約束が決まった。
⸻
休日
待ち合わせ場所に着いたゼータは、周囲を見回した。
「……まだ少し早かったでしょうか」
時計を見る。
約束の時間までは、あと30分ほどある。
すると。
「あっ!」
遠くから声が聞こえた。
「ゼータちゃん!」
振り向くと、彩乃が小走りでこちらへ向かって来ているのが見えた。
「お待たせしました!」
「おはようございます、彩乃さん」
「おはようございます!」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
彩乃は笑顔で答える。
「映画は午後からなので、それまで少しお買い物しませんか?」
「いいですね」
二人は並んで歩き始めた。
⸻
最初に向かったのは、駅前にある大きな商業施設だった。休日ということもあり、館内は多くの人で賑わっている。
「まず、どこへ行きますか?」
「うーん……」
彩乃が周囲を見回す。
「雑貨屋さん、見たいです!」
「分かりました」
二人で店内へ入とそこには、色々な小物が並んでいた。彩乃とゼータは一つ一つの商品を眺めながら歩いていく。
「これ可愛いですね」
そう言い彩乃が指を刺したのは、猫型のペーパーウェイト。
「本当ですね」
「ゼータちゃんはこういうの好きですか?」
「そうですね、結構好きです」
「意外です」
「そうですか?」
「はい。ゼータちゃんって、もっと実用的なものを選びそうなイメージがありました」
「……確かに、そうかもしれません」
「じゃあ、この辺りで好きなのは?」
「こんな感じの小さい動物の置物とかですね」
「可愛い!」
彩乃が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、この辺り一緒に見ましょう!」
「はい」
二人で棚を眺めていく。
しばらくして、ゼータが小さな青い鳥の置物を手に取った。
「これ……」
「気に入りました?」
「少し」
「買っちゃいましょう!」
「え?」
「今日の記念ですよ!」
「今日の記念……」
ゼータはそう呟き、少し考え。
「……そうですね」
小さく笑って、その置物を買い物かごへ入れた。
⸻
その後も二人は店を巡った。
本屋へ行けば二人とも新しいトレーニング関連の本を一通り見たのち、ベストセラーの小説などにも目を通す。
服飾店では彩乃がゼータに似合いそうな服を探そうとし。
「これなんてどうですか?」
「私には少し派手では?」
「そうですか?」
「はい」
「じゃあ、こっちは?」
「……こちらなら」
「なら決まりですね!」
そんなやり取りをしながら、時間はゆっくりと過ぎていき気がつけば、昼食の時間になっている。
「ゼータちゃん」
「はい?」
「お腹空きませんか?」
「少しだけ」
「じゃあ、ご飯にしましょう!」
二人は商業施設内のレストランへ入った。
⸻
「うーん、何にしましょうか」
メニューを開き、彩乃は真剣な表情でページをめくっている。
「……」
「彩乃さん?」
「決まりました!」
「では、店員さんを呼びますね」
そう言い、呼び鈴を鳴らすとすぐに店員が来て彩乃が注文を始める。
「これと…これと…」
「……」
ゼータは目を見開きながら、彩乃の注文内容を聞いていく。
メイン料理二つにサイドメニューを数個、そしてデザート。
「結構頼みますね」
「お腹空いてるので!」
「なるほど」
ゼータは自分の注文を始める彩乃より少し控えめだ。
しばらくして料理が揃い。
「いただきます!」
と彩乃は嬉しそうに食べ始めた。
「美味しいです!」
「ふふっ、よかったですね」
少し笑い、ゼータもゆっくり食べる。
ウマ娘である以上、普通の人間よりは食べるだが、ゼータは基本的に少食だ。
一方。
「……」
彩乃はかなり食べる。
ゼータが一皿を食べ終える頃には、彩乃はすでに次の料理へ。
「彩乃さん、食べるの速いですね」
「そうですか?」
「はい」
「実は私、結構食べるんですよ」
「見ていれば分かります」
「えへへ……」
彩乃は少し照れながら食事を続ける。
そして。
「ごちそうさまでした!」
最後のデザートまで、綺麗に食べ終えた彩乃の空になった皿を見てゼータはまた少し驚く。
「……本当にたくさん食べましたね」
「美味しかったので!」
「私も美味しかったです」
「じゃあ、また食べに来ましょう!」
「そうですね」
そう言い、ゼータは笑った。
「また二人で」
「……!」
彩乃が一瞬固まる。
「はい!」
嬉しそうに返事をした。
⸻
お店を出て、彩乃が時計を見る。
「あ」
「どうしました?」
「そろそろ良い時間なので、向かいましょうか!」
「分かりました」
そして映画館へ着き、館内へ入り、チケットを確認する。
「こっちですね」
「はい」
二人で席へ着く。
「楽しみですね」
「そうですね」
照明が落ちる。
スクリーンが明るくなる。
――映画鑑賞中――
上映が終わり、館内の照明が戻り観客たちが少しずつ席を立っていく。
「……」
ゼータは隣を見る。
「彩乃さん?」
返事がない。
「……彩乃さん?」
彩乃は俯き肩が小さく震えている。
「……うぅ」
「……」
ゼータは驚いた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないです」
声が震えている。
「……あれは、ずるいです……」
「……」
「こんなの……泣いちゃいますよぉ……」
彩乃は目元を拭う。
しかし、なかなか涙が止まらない。
ゼータは困ったように笑いながら、ハンカチを差し出した。
「これ、使ってください」
「ありがとうございます……」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
「……はい」
彩乃はハンカチを受け取り、目元を押さえる。
「……すみません」
「謝らなくていいですよ」
「でも……」
「感動したんでしょう?」
「……はい」
「なら、いいじゃないですか」
ゼータは優しく笑った。
「私も、少し胸に残る映画でした」
「ゼータちゃんもですか?」
「はい」
「……よかった」
彩乃は涙を拭いながら、少しだけ笑った。
二人はしばらくその場でゆっくりと落ち着くのを待ち、やがて席を立ち映画館を後にする。
「……ゼータちゃん」
「はい?」
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
「一緒に来てくれて、嬉しかったです」
「私も楽しかったです」
「本当ですか?」
「はい」
ゼータは少し考え、そして。
「……それに」
「?」
「今日は、彩乃ちゃんと一緒に来られてよかったです」
彩乃の目が丸くなる。
「……え?」
ゼータ自身も、自分が何と言ったのか気づいた。
「……」
少しだけ頬が熱くなる。
「今……」
「……はい」
「彩乃ちゃんって……」
「……言いましたね」
「……」
ゼータは恥ずかしそうに目を逸らす。
「すみません。なんとなく……」
「謝らないでください!」
彩乃は嬉しそうに笑った。
「むしろ、嬉しいです!」
「……そうですか?」
「はい!」
「では……」
ゼータは少しだけ笑う。
「これからは、彩乃ちゃんと呼んでも良いですか?」
「むしろお願いします!」
彩乃は満面の笑みを浮かべた。
「私も、これからはゼータちゃんって呼びますから!」
「前からそう呼んでいましたよね」
「そうでした!」
「ふふっ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、帰りましょうか」
「はい!」
夕方の街を、二人並んで歩いていく。
今日一日だけでも。
買い物をして、一緒に食事をして、映画を見て、たくさん話をした。ゼータにとっては、普段のトレーナー室で過ごす時間とはまた違った、新鮮で楽しい一日だった。
そして彩乃にとっても。
「ゼータちゃん」
「はい?」
「また一緒に出掛けましょうね」
「はい」
ゼータはまた少しだけ笑う。
「次は、彩乃ちゃんが泣かない映画にしましょう」
「それは……保証できません!」
「ふふっ」
夕暮れの中二人の笑い声が、静かに響いた。
そしてこの日を境に。
ゼータにとって彩乃は、ただの「柊トレーナーの孫」ではなく。気軽に話をして、一緒に出掛けられる友人のような、そんな、少し身近な存在になっていった。