季節は巡りまた春が訪れる、満開の桜がトレセン学園中等部の門を彩っていた。
その門の前に、一人の少女が立つ。
ゼータシンボリ。
制服へ袖を通した彼女は、ゆっくりと校門を見上げた。
(……来た。)
憧れ続けた場所、自ら終わりを決めるために選んだ場所。
二つの想いが胸の中で静かに交差する。
(私は、シンボリ家の娘。)
(家の名に恥じないだけの結果は残す。)
(そのためにここへ来た。)
(そして、そのあとは……。)
トレーナーになる。
その言葉を、心の中で静かに繰り返す。
それは夢ではない。
夢に蓋をするために、自分で選んだ未来だった。
「ゼータ。」
後ろから声がした。
振り返ると、少し離れた場所にルドルフが立っていた。
中等部三年。
制服姿は、以前よりずっと凛として見える。
「お姉ちゃん。」
自然と笑顔になる。
そんなゼータを見て、ルドルフも優しく微笑んだ。
「入学、おめでとう。」
「ありがとう。」
「困ったことがあれば、いつでも相談しなさい。」
「うん。」
短い会話。
けれど、それだけで少し緊張が解けた。
「私は授業がある。」
「また後でな。」
「行ってらっしゃい。」
ルドルフは軽く手を振り、校舎へ歩いていく。
その背中を見送りながら、ゼータは小さく呟いた。
「……やっぱり、かっこいいな。」
⸻
教室には、全国から集まったウマ娘たちがいた。
皆、期待と緊張が入り混じった表情を浮かべている。
ゼータの瞳には、その一人ひとりの胸で輝くウマソウルが映っていた。
(みんな……。)
ここへ来るまでどれほど努力してきて、どれほどの夢を抱いて、この場所へ辿り着いたのか。
その想いが、胸へ静かに伝わってくる。
思わず笑みが零れる。
(素敵だ。)
だが、その瞬間。
胸が痛んだ。
(違う。)
(私は……。)
(私は、この子たちと同じ場所に立ってはいけない。)
何度も繰り返した言葉を、今日も自分へ言い聞かせる。
⸻
数日後。
基礎能力を測る実技が始まった。
短い距離を走り、フォームや身体能力を確認するだけの簡単な測定。
先生が全員へ声を掛ける。
「順位よりも、自分の今を知ることが目的だ。」
「気負わず走ってくれ。」
一人ずつ名前が呼ばれていく。
そして。
「ゼータシンボリ。」
「はい。」
静かに返事をすると、スタートラインへ立つ。
深呼吸を一つ。
(五割……。)
(ううん。)
(今日は六割くらいで。)
自分の中で、静かに線を引く。
本気ではない、かといって不自然に遅くもない。
それが、ゼータの”普通”だった。
「位置について。」
「よーい........始め!!」
合図とともに飛び出す。
地面を蹴る。
風を受ける。
身体はもっと前へ行きたがる。
もっと速く、もっと自由に。
けれど。
(ダメ。)
一歩、また一歩と。
無意識に出ようとする力を抑え込む。
ゴール。
記録は、クラスでも上位に入る好タイムだった。
「おぉ……。」
周囲から小さなどよめきが起こる。
「やっぱり速い。」
「シンボリ家だもんな。」
そんな声が聞こえてくる。
先生は記録表へ目を落とし、ゆっくり頷いた。
「ゼータシンボリ。」
「はい。」
「いい走りだった。」
「基礎がしっかりできている。」
先生は穏やかに笑う。
「さすがはシンボリ家の一員だ。」
「ルドルフの妹として注目されることも多いだろう。」
「その期待に押し潰される必要はない。」
「君は君らしく、一歩ずつ積み重ねていけばいい。」
「期待しているよ。」
「……ありがとうございます。」
丁寧に頭を下げる。
教室へ戻ると、数人のクラスメイトが話しかけてきた。
「すごかったね!」
「やっぱりルドルフさんの妹なんだ!」
「これから楽しみだな!」
ゼータは柔らかく笑った。
「ありがとう。」
その笑顔は、とても自然だった。
けれど。
(これでいい。)
(これくらいが、一番いい。)
(速すぎてもいけない。)
(遅すぎても、シンボリ家の名に泥を塗る。)
(このくらいなら。)
(誰も疑わない。)
その結論だけは、最初から決まっていた。
⸻
放課後。
校舎を歩いていると、グラウンドから掛け声が聞こえてくる。
「ほら、へばってないでもう一本!」
「まだいける!」
仲間同士で励まし合いながら走る生徒たち。
誰もが前だけを見ていた。
ゼータは足を止める。
フェンス越しに、その光景を見つめる。
楽しそうだった。
苦しいはずなのに、笑っていた。
その輪の中へ、一歩踏み出したい。
そんな衝動が胸を満たす。
「見学?」
突然声を掛けられ、振り返る。
同級生の少女だった。
「うん。」
ゼータは微笑む。
「みんな頑張ってるなって。」
「だよね!」
「私も負けないように頑張らなきゃ!」
少女は笑って走っていく。
その背中を見送りながら、ゼータは静かに目を伏せた。
(私も……。)
その言葉を飲み込む。
(違う。)
(私は、憧れちゃいけない。)
⸻
夕暮れ。
寮へ戻る途中、第一グラウンドに一人の姿があった。
ルドルフだった。
皆が帰っていく中、ただ黙々と走っている。
一歩、また一歩。
迷いのないフォーム。
まっすぐな眼差し。
その胸で燃えるウマソウルは、以前よりもさらに力強く輝いていた。
(お姉ちゃん……。)
やっぱり、すごい。
その姿を誇らしく思うと同時に、胸の奥が少しだけ痛む。
(私は。)
(あなたとは違う。)
そう心の中で呟き、静かに踵を返した。
その背中に、ルドルフは気付かない。
ただ一人、夕日に照らされながら走り続けていた。
そしてゼータもまた、誰にも見せない想いを抱えたまま、夕焼け色に染まる校舎を歩いていく。
胸の奥では、まだ小さな夢が消えずに息づいている。
それでも彼女は、その鼓動にそっと蓋をした。
「私は……これでいい。」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
自分自身へ言い聞かせるための、小さな呪文だった。
何か知りたいことなどがあれば『ゼータシンボリの設定など』を見て下さい、そこに載ってないのであれば感想で質問して頂けたらなるべく答えます。
それ以外にも何かおかしな点などあればお教えいただけると幸いです。