明日は多分無理なので次回は来週土曜日ですね。
入学から数週間。
ゼータシンボリは少しずつ、この学園での生活に慣れ始めていた。
午前は一般教養。
午後はレース理論や実技。
放課後には自主練習。
忙しい毎日だったが、不思議と苦ではなかった。
「それじゃあ今日は、このレースを教材にしよう。」
教室のスクリーンへGⅠレースの映像が映し出される。
「勝敗を分けた要因は何だと思う?」
生徒たちは次々と意見を口にする。
「ラストスパートです!」
「位置取りだと思います!」
先生は一人ひとりの意見へ頷きながら、ふとゼータへ視線を向けた。
「ゼータシンボリ。」
「はい。」
「君はどう見る?」
ゼータは映像を見つめる。
勝ったウマ娘。
敗れたウマ娘。
その胸で輝くウマソウルが、それぞれの想いを静かに語りかけてくる。
(……。)
ほんの一瞬だけ目を閉じる、そして静かに答えた。
「先頭の子が少しペースを落とし息を入れたのち、予定より少し早く仕掛けています。」
「それに合わせて後続も予定より早く動かされました。」
「結果として最後の直線で脚を使い切り、位置取りの差が勝敗を分けたのだと思います。」
教室が静まり返る、そして先生は満足そうに笑った。
「その通りだ。」
「レース全体をよく見ている。」
「いい観察眼だ。」
ゼータは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その様子を見ていたクラスメイトが、休み時間になると集まってくる。
「ゼータさんって勉強もすごいね!」
「説明も分かりやすかった!」
「シンボリルドルフさんの妹って聞いて少し怖い人かと思ってたけど、全然そんなことないんだね。」
ゼータは少し照れくさそうに笑う。
「そんなことないよ。」
「私もまだまだ勉強中だから。」
気取らない態度、誰にでも優しい言葉。
気が付けば、クラスの誰とでも自然に話せる存在になっていた。
⸻
数日後。
実技の授業。
今日はマイルでの模擬レースだった。
先生が生徒たちへ声を掛ける。
「順位だけを見る授業じゃない。」
「自分の現状を知り、課題を見つけることが目的だ。」
「自分の適性脚質で走ってくれ。」
ゼータは静かに頷く。
(マイル……。)
(逃げで行こう。)
本来なら中距離ほど余裕はない、短距離ほど苦しくもない。
今の自分には、最も難しい距離だった。
スタート。
合図と同時に飛び出す。
先頭へ立つ。
逃げ。
周囲との距離を保ちながら、自分のリズムで走る。
それでも。
背後から、無数の想いが伝わってくる。
(追いつきたい。)
(負けたくない。)
(あと一歩!)
胸が締め付けられる。
脚が少しだけ重い。
(大丈夫。)
(落ち着いて。)
(私は……。)
自分へ言い聞かせながら走り続ける。
最後の直線。
後ろから一人のウマ娘が迫る。
距離が縮まる。
身体は悲鳴を上げていた。
それでも。
ここで負けるわけにはいかない。
シンボリ家の名を背負っているのだから。
ゴール。
「一着、ゼータシンボリ!」
着差は、1/2バ身
教員が記録を確認し、頷く。
「見事だった。」
「最後まで集中を切らさなかったな。」
「ルドルフの妹というだけで周囲から期待される立場だろう。」
「その期待に応えられるだけの力は、確かに持っている。」
「これからも努力を続けなさい。」
「はい。」
ゼータは礼をした。
周囲からも声が上がる。
「すごかった!」
「最後、抜かれるかと思った!」
「やっぱりシンボリ家は違うな!」
ゼータは柔らかく微笑む。
「ありがとう。」
その笑顔に偽りはない。
けれど。
(……危なかった。)
心の中で、小さく息を吐く。
マイルでは、余裕はない。
力を抑えるどころではなく、今の自分に出せる力を振り絞ってようやく掴んだ勝利だった。
それでも。
(これでいい。)
(圧倒する必要はない。)
(このくらいなら。)
(シンボリ家として認められる。)
(そして、いつか私は――。)
その先の言葉を考えようとしてやめた、そして胸の奥へしまい込んだ。
⸻
放課後。
学年順位が張り出される。
総合成績。
座学。
実技。
それらを合わせた順位表。
「あっ、ゼータさん!」
「学年でも上位じゃん!」
「すごいな!」
順位は決して一番ではない。
それでも、学年の上位に名前が並んでいた。
先生もその順位表を見ながら頷く。
「やはり基礎がしっかりしている。」
「焦らず、このまま積み重ねていけばいい。」
ゼータは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その評価で十分だった。
目立ちすぎず。
期待は裏切らず。
シンボリ家の名にも恥じない。
それが今の自分にとって、一番望ましい立ち位置だった。
夕暮れ。
窓の外では、グラウンドを走る生徒たちの姿が見える。
誰もが夢を追い、前だけを見つめて走っている。
その光景を見つめながら、ゼータは小さく微笑んだ。
「……みんな、頑張ってるな。」
その声には、羨望と尊敬が入り混じっていた。
そして胸の奥では、今日もまた小さな鼓動が静かに響く。
(私も走りたい。)
その本音は、誰にも届かない。
ゼータはそっと目を閉じる。
「私は……これでいい。」
そう言い聞かせながら、静かに教室を後にした。
「ゼータ。」
校舎を出たところで声を掛けられる。
振り返ると、授業を終えたルドルフが立っていた。
「お姉ちゃん。」
「少し慣れたか?」
「うん。」
「先生も優しいし、友達もできた。」
「そうか。」
ルドルフは安心したように微笑む。
「なら良かった。」
並んで寮まで歩く。
他愛もない話。
今日習った授業。
昼食のこと。
クラスメイトのこと。
ルドルフは静かに耳を傾けている。
「そういえば。」
ルドルフがふと口を開く。
「先生から聞いた。」
「模擬レース、一着だったそうだな。」
「……うん。」
「最後までよく粘ったそうじゃないか。」
「おめでとう。」
ゼータは少し照れくさそうに笑う。
「ありがとう。」
「でも、本当にギリギリだったよ。」
「それでも勝ちは勝ちだ。」
「自信を持ちなさい。」
その言葉にゼータは少しだけ救われる。
「うん。」
二人は夕日に照らされた並木道を歩いていく。
その姿を見れば、誰もが仲の良い姉妹だと思うだろう。
けれど。
ゼータだけは、胸の奥にしまった本当の気持ちを口にできなかった。
(お姉ちゃん。)
(私は……。)
(あなたと同じ夢は見ちゃいけない。)
そんな憧れのような嫉妬のような感情がゼータの胸中で渦巻いていた。