トレセン学園へ入学してから、しばらくの月日が流れていた。
最初は緊張していた学園生活にも、ゼータシンボリはすっかり馴染み始めていた。
普通科目の授業。
レース理論。
身体能力の基礎。
そして、実際にトラックを走る実技授業。
全国から集まったウマ娘たちと共に学ぶ日々は、想像していた以上に充実していた。
「ゼータさん、次の授業一緒に行こう!」
「うん、いいよ。」
友人と笑いながら廊下を歩く。
その表情には、入学当初にあった硬さはもうない。
けれど。
彼女の胸の奥には、入学した日から変わらないものがあった。
(私は、ここに長くいるつもりはない。)
(シンボリ家の娘として、必要な結果を残す。)
(それが終わったら――私はトレーナーになる。)
何度も繰り返した言葉。
今では、考えなくても自然に浮かんでくるほどだった。
⸻
ある日の実技授業。
担当の教師が、生徒たちを集める。
「今日は中距離の基礎走だ。」
その言葉を聞いた瞬間ゼータの胸が、ほんの少しだけ痛んだ。
中距離。
自分が最も得意とする距離。
だからこそ、隠さなければならない距離。
「前にも言ったが、今回の目的は順位ではない。」
教師が続ける。
「自分のペース配分と、距離に対する身体の使い方を確認する。」
「無理をする必要はない。自分の適性を知ることも、立派な勉強だからな。」
生徒たちがそれぞれ準備を始める、ゼータもスタート地点へ向かった。
周囲の少女たちの光も見える。
その輝きから伝わってくる緊張、期待、負けたくないという気持ち。
みんな、本気だ。
それでも。
(……ごめん。)
心の中で、そっと謝る。
(私は、本気では走らない。)
スタート位置へ立つ。
深く息を吸う。
「位置について。」
周囲の空気が張り詰める。
「よーい――」
一瞬の静寂。
「始め!」
地面を蹴る。
身体が前へ飛び出した。
徐々に加速していく。
速い。
自分でも分かる。
脚が軽い。
身体が自然に前へ進む。
中距離なら、身体がほとんど苦痛を感じない。
むしろ――。
もっと走りたい。
もっと速く。
もっと遠くへ。
身体がそう叫んでいる。
だが、レースが終盤に差し掛かるより前に。
(駄目。)
ゼータは意識的に速度を落とした。
一人、また一人。
後ろからウマ娘が追い抜いていく。
それでも追わない。
本来なら簡単に追いつける。
だが、追わない。
(このくらい。)
(このくらいでいい。)
さらに一人、また一人。
順位が落ちていく。
それでもゼータは一定のペースを保った。
最後の直線。
周囲のウマ娘たちが加速する。
ゼータも一瞬だけ身体を前へ出しかける。
だが――。
(駄目。)
脚を止めるように、力を抜く。
そのままゴールへ入った。
結果。
全体順位の後半。
決して悪すぎるわけではない。
だが、シンボリ家の娘として見れば、明らかに物足りない結果だった。
「……あれ?」
クラスメイトが首を傾げる。
「ゼータさんって、もっと速いと思ってた。」
「前のマイルの測定では結構良かったよね?」
「中距離は苦手なのかな?」
ゼータは少し困ったように笑った。
「たぶん、そうみたい。」
「私、長い距離はあまり得意じゃないんだと思う。」
その言葉を聞いて、周囲は納得したように頷く。
「そっか。」
「じゃあマイルの方が得意なんだね。」
「うん。」
笑顔で答える。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
教師も記録を確認している。
「ゼータ。」
「はい。」
「今回の結果を見る限り、中距離は少し苦手なようだな。」
「はい……。」
「無理に得意にする必要はない。」
「自分の適性を理解して、得意な距離を伸ばしていけばいい。」
「ありがとうございます。」
頭を下げる。
その場を離れながら、ゼータは静かに息を吐いた。
(これでいい、中距離は苦手。)
(そう思れないといけない。)
誰かに嘘をついている。
その罪悪感はある。
(これでいいんだ、これで。)
そう自分に言い聞かせる。
⸻
放課後。
ゼータは図書室にいた。
机の上にはレースに関する資料。
距離適性。
脚質。
トレーニング理論。
身体能力。
そして、トレーナーについて書かれた本。
ページをめくる。
トレーナーは、担当するウマ娘の能力を分析する。
トレーニングを考える。
レースの作戦を立てる。
体調を管理する。
そして――。
担当と共に喜び、共に悔しがりそして、導く存在である。
ゼータは、その一文に目を止めた。
(……やっぱり。)
あの日、テレビで見た光景を思い出す。
勝ったウマ娘が、泣きながらトレーナーへ飛び込んでいた。
負けたウマ娘には、次があると励ましていた。
勝っても。
負けても。
二人で同じ方向を向いていた。
「……素敵だな。」
小さく呟く。
その言葉に、嘘はなかった。
ゼータは本当に、トレーナーという存在に憧れていた。
走ることへの憧れを隠すためだけではない。
誰かの夢を支えること。
その夢を自分のことのように喜ぶこと。
失敗したときには一緒に悔しがり、また次へ進むこと。
その在り方そのものが美しくそして、
純粋に羨ましかった。
(私も、あんなふうになりたい。)
そう思う。
しかし。
同時に、胸の奥から別の声が返ってくる。
(でも、まずは結果を残さないと。)
シンボリ家。
その名前が頭に浮かぶ。
ルドルフ。
偉大な姉。
自分がその妹として生まれた以上。
何も残さず競技から離れることは、許されない。
少なくとも、ゼータ自身がそれを許せなかった。
(シンボリ家の娘として。)
(私は、ちゃんと結果を残す。)
(そのあとで引退する。)
そして。
(トレーナーになる。)
それが、今のゼータにとって一番筋の通った未来だった。
⸻
その日の夕方。
校舎を出ると、グラウンドから声が聞こえてきた。
「もう一本!」
「まだいける!」
「次は絶対勝つ!」
ゼータは足を止めた。
トラックでは、何人ものウマ娘が練習している。
苦しそうな顔。
それでも笑っている顔。
互いに声を掛け合う姿。
その胸では、ウマソウルが力強く輝いていた。
ゼータはフェンス越しに、その光景を見つめる。
走りたい。
そう思った。
今でも。
何度自分に言い聞かせても。
その気持ちは消えてくれない。
それでも。
(私は、必要以上に走らない。)
(私はトレーナーになる。)
(そうすれば、走ること以外の形で、この世界に関われる。)
その考えを、もう一度胸へ刻む。
すると。
「ゼータ。」
聞き慣れた声に振り返ると、そこにはルドルフが立っていた。
「お姉ちゃん。」
「こんなところにいたのか。」
「うん。ちょっと見てた。」
ルドルフはグラウンドへ目を向ける。
「熱心だな。」
「みんな頑張ってるから。」
「そうだな。」
二人は並んで歩き始める。
「そういえば。」
ルドルフが言う。
「今日、中距離を走ったそうだな。」
ゼータの足が、一瞬だけ止まりそうになる。
「……うん。」
「先生から聞いた。」
「少し苦戦したようだな。」
「そうみたい。」
ゼータは笑った。
「私、中距離は苦手なのかも。」
ルドルフは妹の顔を見る。
「そうか。」
それ以上は追及しなかった。
「なら、自分に合う距離を探していけばいい。」
「無理に誰かと同じになる必要はない。」
その言葉に、ゼータは少しだけ目を細める。
「……うん。」
ルドルフが笑う。
「それに、まだ入学したばかりだ。」
「これからいくらでも変わるさ。」
「そうだね。」
二人は再び歩き始める
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
ゼータは姉の横顔を見る。
(そうだね、お姉ちゃん。)
(私はあなたみたいにはならない。)
(なっちゃいけないんだから。)
その思いはゆっくりと心の奥に沈んでいった。
ゼータの世代つまりラモーヌと同年代の馬をウマ娘にして出すか新しく名前をつけて出すか悩んでいるのでよろしければ投票お願いします。
(代表例・ダイナガリバー)
実名バを出すか出さないか
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