愚者は妖精と踊る 作:千年香
落ちる。遠ざかっていく空を目を見開いて、
この数秒と掛からずに、少年の体は堅いアスファルトへと叩きつけられる事だろう。
偶然が重なった結果だった。
たまたまその日、学校の屋上へと侵入出来て。
たまたま、凭れかかった手すりが錆びによる腐食で脆くなっていた。
(空、青――――)
暗転。そして、衝撃。
「いったぁ!?」
背を向けて落ちていたのだから、最初に着地するのは背中。正確には人体構造的に腰か頭。
硬い感触だが、しかし優吾は
痛む腰を擦って少年は座り込んだ。
「ど、こ……?」
周囲を見渡して、優吾の目は文字通り点になった。
今の今まで、死へのカウントダウンを突っ切っていた筈の空中にあった彼の体は、何故だか部屋の中にあったのだから。
石造りの部屋だった。正方形で、木枠に成形した石材で肉付けをした、そんな部屋。
意味が分からなかった。現に、優吾の頭はフリーズしており呆然と開かれた口がその中身の真っ白ぐあいが分かるというもの。
天井を見上げる動きの中で、右手が石造りの床に触れた。同時に、優吾が落ちてきた影響で床に転がっていた何かに指先が掠める。
瞬間、変化が起きた。
「ッ!?が、ァァァアアアアアアッッッ!?」
激痛。皮膚の内側に異物が入り込み、肉を細かな針で突きながらそれら激痛が指先から徐々に徐々に上ってきていた。
涙が滲む目をどうにかこうにか開いて、ぼやけた視界で押さえる右腕を見た。
「な、んだァ……!?」
異常が、そこにはあった。
黒い
黒い星は、びっしりと彼の手を覆い尽くして黒へと染め上げて、手首、前腕、肘といった順番で激痛は更に加速する。
同時に、優吾の真っ黒に染まった右手の甲。そこに新たな変化が起きてもいた。
「~~~~~~ッ!!」
もう声も出なかった。
腕を押さえて奥歯が砕けんばかりに悲鳴を噛み殺しながら、痛みの中で床をのたうつ。
激痛に苛まれて当人には聞こえていないが、彼の黒く染まった右腕からは何かがひび割れていくような音が断続的に聞こえてきていた。
やがて、黒い星は完全に優吾の右腕、その肩口まで漆黒に染め上げた。
同時に、突然に激痛が途切れて突っ張っていた少年の精神も張りつめた糸が千切れるようにブラックアウト。
少年が崩れ落ちると同時に、この部屋に通じる扉が開かれた。
入ってきたのは、中年の男性。
男、ジョゼ・ポーラは石造りの床に丸くなるように崩れ落ちた少年を見下ろした。
「全く、盗人が入ったと聞きましたが………おや?」
まるで汚物でも見るような侮蔑の籠った目で見てたジョゼだったが、ふと少年の抑える右腕に視線を留める。
しげしげと観察し、不意に宛ら悪魔のような笑みを浮かべた。
@
深い水底から泡が水面へと浮上するように、佳賀里優吾は目を覚ます。
「…………ここは」
開いたばかりのぼんやりとした視界。その目のピントが合ってくれば、視界に広がるのは見覚えのない木目の天井だった。
体を包まれている感触から、自分が布団に寝かされている事を理解した少年は状況把握も兼ねて上体を起こした。
室内は、学校の保健室のような内装。
ベッドが優吾の寝ていたものを含めて複数設置され、戸棚には小瓶などが複数置かれているのが彼の視点から確認できた。
何が起きたのか。記憶を呼び起こそうと、優吾は右手を持ち上げ、
「ッ……!」
ギョッと目を剥いた。
黒である。指先の長方形となった爪は真っ白であるが、それ以外シャツを捲った前腕のみならず首元から覗き込んだ右肩口まで真っ黒に染まっている。
加えて、その右手の甲には逆十字が白く埋め込まれるように存在していた。
異形の右腕を認識し、同時に思い出すのは激痛の記憶。
思わず顔を顰め、恐る恐る自身の右腕へと左手を伸ばしてみる。
「……感覚はある、か…………」
「んっふふふ、お目覚めですか?」
「ッ!?」
変化した右腕に意識が向けていた優吾の肩が跳ねる。
慌てて、声の出所へと目を向ければ部屋の出入り口。
そこに居たのは、一人の男。
「我がギルド、
「貴方は……」
「おっと、これは失礼。私は、ジョゼ・ポーラ。このフィオーレ最強の魔導士ギルド幽鬼の支配者においてギルドマスターを務めております」
お見知りおきを、と慇懃な態度で礼をしてくるジョゼに慌てて優吾は背筋を伸ばした。
「あ、えっと、その…………佳賀里優吾、です……あ、こちらでは
「ユーゴ・カガリ……成程、不思議な響きですね。兎々丸さん辺りとご同郷でしょうか。まあ、良いでしょう」
おほん、としらじらしい咳ばらいを挟んでジョゼは歩を進めると優吾の寝かされているベッドの足元に立った。
「入り込んだ賊やらの話や、貴方が何をどうやって倉庫に入り込んだのか、そんな話は後にしましょう。先ずは、その右腕から」
「あ、はい……」
「幽鬼の支配者は、フィオーレ随一。故に希少な品、曰く付きな品というものを回収する場合もあるのですよ。ユーゴさん、貴方の右腕と一体化したものもその一つ、という事です」
「…………」
「貴方のソレは、愚者の剣と呼ばれる代物でしてね。はるか昔の大魔導士が振るったとされる代物なんですよ」
芝居がかった口調で語るジョゼに対して、優吾は己の変異した右腕へと視線を落とした。
左腕と見比べれば明らかな異形。色も爪の形も、心なしか左腕よりも一回り大きくすら、見えてきていた。
顔を上げれば、ニンマリとした笑み。
「今日、今この瞬間に至るまで適合者は居ませんでした。貴方を除いて、ね」
「なぜ、と聞いても?」
「勿論。愚者の剣は、強力な魔法具でした。ですが、扱える者が居なかったんですよ。魔力を持つ者、その全てを拒絶していたのですから」
「魔力……」
「愚者の剣を受け入れるという事は、その剣に宿った魔力と私たち魔導士の内に宿った魔力を混ぜ合わせるようなもの。言ってしまえば、水と鉄を無理矢理に混ぜ合わせるようなものなのですよ」
「それは……無理では?」
「ええ。水と鉄を混ぜると言いましたが、愚者の剣に宿った魔力は一般的なものを逸脱した中身です。故に、本来ならば魔導士が触れれば内から魔力の暴走によって爆ぜます」
「は、爆ぜ……!?死ぬんですか!?」
「そのような記録が残っていますからねぇ。だからこそ、貴方は異端なのですよ」
ニヤリ、と嫌な笑みを浮かべたジョゼ。
先の通り愚者の剣と称された魔法道具は、魔導士が使う事を想定されていない代物だ。いや、それ処か大なり小なり魔力を有するこの世界の人間が扱う事を想定されていない代物だった。
ジョゼ自身、試そうと思ったことはない。試そうと思えるような情報が何一つなかったからだ。
寧ろ、死蔵してしかるべきであると考えていた。怨敵であるギルドに押し付ける案もあるにはあったが、管理者として己の名前を使っている以上、下手に
故に、今この瞬間を彼は逃したくない。
「どうでしょう、ユーゴさん。我が、幽鬼の支配者に加入するというのは」
「え……」
「どうにも貴方には何かがあるらしい。失礼ながら、身分を証明できるものを漁らせていただきましたがコレといったものが出てこなかった。そこで、先の提案です」
笑みを浮かべるジョゼだが、優吾からすれば目の前で蛇が蜷局を巻いて鎌首を擡げているような姿を幻視させられる。
頭の回転が鈍くない彼は既に、自分がとんでもない事態に巻き込まれている事は理解している。ついでに、今自分が居るこの場所が、自分の故郷ではない事も分かっていた。
つまり、孤立無援の四面楚歌。敵ばかりとは言わないが、頼る当てのない無一文である事は確かだった。
最早、彼に選択肢は無いのだ。