愚者は妖精と踊る 作:千年香
その日、ユーゴは依頼も無く酒場になっているギルドの隅で、サンドイッチを齧りながら新聞へと目を通していた。
情報の大切さ。それを、彼はこの世界にやって来て痛いほどに知った。
物を知らないというのは、そのまま弱点になるのだ。そして、唐突に天涯孤独の身となったユーゴは、庇護が無いゆえに自分から常に動いて行かなければならない立場となった。
勧誘してきたジョゼは、先達での魔導士を宛がうなどは行ってきたがその一方でユーゴ自身の世話をする事は一切なかった。一応、初動の資金援助はあったが、それも次にユーゴが熟した依頼の報奨金から天引きという形で回収されている。
金を得るには、魔導士ならば依頼を受けるしかない。しかし、先の通り知識がない者にはその受けられる依頼の範囲というものが一気に狭まってしまうのだ。
依頼の受領範囲が狭まるという事は、金銭を得る手段が減るという事。
故に、時勢含めてユーゴは情報収集を自発的に行うようになった。
サンドイッチの最後の一口を飲み込んで、残った味をお茶でリセット。
一通り読み終えた新聞をテーブルに置いて一息つけば、急に衝撃と破砕音が響いた。
顔を上げて周囲を見渡せば、テーブルの一つを巻き込んでそのまま壁に叩きつけられて気絶している男が居た。
この蛮行を成したのは、左腕の肘から先が一抱えはあるであろう太さの鉄棍へと変化させた黒髪の男だ。
周囲は、殴り飛ばされた男を嘲笑う者たちばかり。
その様子に眉をしかめ、ユーゴは席を立った。
嘲笑の間を抜けて、向かうのは項垂れて痙攣する男の下。
傍に膝をつくと、白目を剥く男の打撃を食らったであろう顎とその周辺へと手を這わせた。
(顎が折れてる……首の骨は……大丈夫、かな)
この世界の人間は、存外頑丈。それは、ユーゴにとって書き換えられた常識の一つであった。
特に魔導士は、何かと頑丈だ。魔力の有無に因るものか、彼の元の世界ならば再起不能になる様なダメージを受けても立ち上がれる者も居るのだから。
軽い触診を済ませて、ユーゴは白目を剥いて気絶する男を肩に担ぎ上げた。
こんな事をするのは、幽鬼の支配者内では彼位のものだろう。
「ユーゴさん」
「はい?」
医務室へと向かおうとするユーゴに、声を掛けてきたのはジョゼだった。
「何ですか?マスター」
「いえね。コレから少し荒れると思いますので、貴方にも存分に暴れてもらいたいんですよ」
「はあ……それは、エレメント4を呼び戻した事にも繋がる件ですか?」
「ええ、そうです。お伝えしましたよ?」
それだけ言って、ジョゼは虚空へと消えた。
その背を見送る形となったユーゴは、少しの思考の間を挟んだが直ぐにそれを打ち切って医務室へと足を向ける。
胸中に、嫌な予感を燻らせながら。
*
フラグ回収が速すぎる。
医務室から戻ってきたユーゴは、持ち込んだ新聞を小脇に抱えて遠い目をした。
彼の目の前では、常の喧騒とは違う混沌が広がっている。
(数の上では、ファントムが上。でも、質では相手が上)
右腕に左手を添えながら、ユーゴは冷静に目の前の乱戦を見定める。
敵味方入り混じった戦場となった、幽鬼の支配者内部。そして、ユーゴは攻め込んできた相手の魔導士ギルドが何者なのかも把握していた。
「
フィオーレ有数の魔導士ギルドの一角であり、数こそ幽鬼の支配者に劣るものの質は凄まじい精鋭揃い。
天井の張り巡らされた梁の上では、鉄竜と火竜がぶつかり合う。
そして、
「ぬぅおおおおお!
「くっそ!止まらねぇ!」
「ふげっ!?」
「げぴっ!?」
魔獣と化した右腕を振り回す大柄な青年にユーゴは目を細める。
質の良い妖精の尻尾の魔導士たちだが、その中でも先の右腕が怪物化している青年や、上の梁でぶつかり合う火竜、氷の造形魔導士や剣を振るう真紅の髪をした女魔導士が特記戦力と称して良いだろう。
ユーゴは、暴れる青年に駆け寄ると振り回される剛腕を前に、己の右手を勢いよく突き出していた。
「むっ……!貴様は……」
「ここからは、僕がお相手します」
互いの右拳と右手の平が正面からぶつかり合っていた。
体格差では青年、エルフマン・ストラウスに軍配が挙がる。
だが、
(押し切れん……!)
踏ん張り魔獣の右腕を押し込めども、相対する少年の右腕を押し込む事は出来なかった。
鍔迫り合いのような状況で、ユーゴは右手に力を籠める。
「凄まじいパワーですね」
「貴様の方こそ。オレがここまで押して押し込めないのは久方ぶりだぞ」
どちらともなく離れて、拳を握る。
「
「……
「漢として!貴様を打倒するぞ!!」
咆え、下駄を鳴らしてエルフマンが躍りかかる。
固く握られる魔獣の拳。
ただでさえ腕力に優れるエルフマンだが、特に魔獣の力を発揮した右腕の一撃は巨岩も砕く。
一方で、ユーゴはというと自身の魔法を封じられているも同然の状況だった。
彼の召喚する大剣は、どうしても乱戦の中で振り回すには大きすぎた。
ガジルのように、自身と同じ所属の魔導士の事を一切考慮せずに暴れ回る様なものは幽鬼の支配者では珍しくないが、ユーゴは違う。
フレンドリーファイアなど言語道断。故に、徒手空拳。
再び、両者がぶつかり合う。
互いに有効だが確実に取れる右手に因る殴打を狙う形だ。
「ぬぅ……!」
「…………」
大ぶりの右を躱され、返しの懐に潜り込まれての左の二連ボディブローにエルフマンが呻く。
先の通り、明確な有効打は互いの右腕にある。しかし、だからといって他打撃がダメージを与えられない訳ではない。
塵も積もれば山となる。ボクシング擬きの動きであっても決して油断できるものではなかった。
とはいえ、エルフマン自身魔法無しでも相当にタフだ。一方的に殴られようとも、魔力の運用がまだまだ拙い打撃ではダメージはあれども命には到底届かない。
何より覚える、違和感。
素手を主戦場とする者としては、いまいち踏み込みが足りていない。
「…………どういうつもりだ?」
「何がでしょうか」
「惚けるなよ。魔法もろくに使わず、オレを打倒できると思っているのか!!」
怒気。蟀谷に青筋を立てて咆えるエルフマンに対して、ユーゴはステップを刻みながらも僅かに肩を落とした。
「魔法を使わないのは、この乱戦で使い難いからです。貴方を馬鹿にしているつもりはありません」
「む、そうか」
「はい」
説明に納得したのか、エルフマンはアッサリと怒気を沈めた。
厳ついが、実に素直な人格だ。
一方で、ユーゴはユーゴで困っていた。
そもそも、彼はこの戦いが始まってしまった理由をいまいち理解してない。
当たりを付けるとするならば、妖精の尻尾側が突っ込んでくるだけの理由を幽鬼の支配者側が行ってしまった、という事位。
相手が一方的に仕掛けたと考えられない辺り、彼からの自身のギルドに対する評価が透けて見える。
乱戦は、膠着状態。妖精の尻尾側は押し切れず、かといって幽鬼の支配者側が数の利で押し潰す事も出来ない状況が続く。
この状況を破壊したのは、上から降ってきた
「「「マスター!?」」」
悲鳴が上がったのは、妖精の尻尾側。
彼らの視線の先では、滾るほどの魔力を放出していた筈の己らのマスターの姿。
そのマスターが今、床に倒れ伏していた。オマケに、その身体からはほんの僅かな魔力すらも感じ取れないのだ。
動揺が走る。動揺は亀裂となり、一体となっていた集団はバラバラとなる。
同時に、拳を解いた少年は軽蔑の宿った視線を天井方向へと向けるのだった。