連続投稿ですね。
カルデアの部屋はどれも一定の温度で、どこか無機質な気配に包まれている。
全てが寝静まり、人工灯の冷たい明かりさえも恋しくなるような暗い夜のことだった。
「……う、ん……」
自室のベッドの上で、立香は小さく声を漏らして身を捩った。
毛布を蹴飛ばしそうになりながら、寝返りを打つ。その眉間には、微かに深い皺が刻まれていた。
第一特異点、そして第二特異点。息つく暇もなく駆け抜けた旅路は、確実に彼女の未熟な心身を削り取っていた。まだ見ぬ第三、第四の特異点へと向かうための観測は今も進められているが、その合間の期間こそが、むしろ彼女にとって張り詰めた糸が切れる危険な時間でもあった。
ただの日常を知る一般人だった少女が、世界の命運をその細い背に背負っている。ロマニもマシュも、彼女を気遣い、できる限りの休息を取らせようと心を砕いてくれていたが、立香の奥底に溜まる疲労だけは、どうしでも完全に拭い去ることはできず、少しずつ彼女を毒のように蝕んでいた。
そんな、ひどく心身が泥のように重い日の夜。
彼女は決まって「あの場所」へと落ちていく。
それは立香にとって、小さな一時の休息。同時に奇妙な謎に満ちた、優しい夢の始まりだった。
…………
「おや。今回はまたずいぶんと酷い顔だね、藤丸」
気がつけば、立香は柔らかな緑の芝生の上に寝転がっていた。視界には柔らかな雲と澄んだ空、それからこちらを覗き込む少年がいる。
すぐに身を起こせば、どこか見慣れた、しかし立香にとって行ったこともないのどかで美しい洋風の屋敷があった。そして広がる丁寧に手入れされている庭園の中、真っ白なクロスが掛けられた円卓と、二脚のアイアンワークの椅子が置かれている。
視線を少し巡らせば、陽光を反射してきらきらと輝く静かな湖が見えた。頬を撫でる風は、カルデアの空調とは比べものにならないほど生命の匂いと温かみに満ちている。
「……あ、……カセン、……?」
立香は、目の前の少年を知らないはずだ。それなのに彼を呼ぶ声が驚くほど滑らかに出ることに気づいた。
現実世界では、目覚めると糸が解けるように忘れてしまうこの光景。しかし、この夢に足を踏み入れた瞬間にだけ、前回のことも、その前のことも、夢でのことが再び束ねられ、編み込まれた織物のように全てを立香に思い出させるのだ。
「そうだよ。僕はカセン。思い出せたかな? とりあえず座りなよ。随分と頑張りすぎて、顔色が悪くなっている。まるで青くなったジャガイモだね」
そう言って目の前に佇むのは、自分と同い年ほどに見える少年だった。
薄い金髪。その左側、耳元のあたりに、一筋だけ鮮やかな赤色が小さな三つ編みの中に混じっている。
こちらに向けられる彼の瞳はとても穏やかで、凪いだ灰色の湖のようだ。
そう言えばカセンという名前の由来を尋ねた時、彼は「僕は過去視の千里眼というものを持っていてね。だから、過去視の『カ』と、千里眼の『セン』。安直だけど、覚えやすくていいでしょ?」と、仏頂面のままのんびりと言い放っていた。
その顔はいつもほとんど無表情で、感情の起伏が読みにくい。本人曰く、「自分の顔を見る機会が無くてね。そのまま放置して、気付いたらこのまんまさ」ということらしい。けれど、彼の表情とは裏腹に、不思議と冷たさは感じられなかった。むしろ本人は冗談を好むし……そうだ、立香はその時、なるほど真顔で冗談を言うタイプかと合点したのだ。
「あー、思い出してきた。最初は、確か第一特異点の時で……」
椅子の背に身を預け、差し出された温かい紅茶を啜りながら、立香はふう、と大きな息を吐き出した。
「そうだね。あの時も君は凄く疲れていて、今よりももっと酷い顔だった。警戒心もハリネズミかヤマアラシみたいに強くて、僕が善意で『疲れてるみたいだね、よかったら休みなよ』って言ってあげたのに、ものすごく警戒してた」
「それはそうだよ! 夢の中に急に知らない同世代の男の子が現れて、お茶を勧めてくるんだもん。遂に私のそういう隠れた欲望みたいなのでも解き放たれちゃったかとか、何かこう…精神攻撃的なやつかなって思うよ!」
「はは、手厳しいな。でも、すぐに仲良くなってくれたよね。君が美味しそうに僕の用意したスコーンを食べてくれた時、猫が懐いたみたいで嬉しかったよ」
カセンは無表情のまま、けれどどこか楽しげに、トングで正に今できたてのように見える焼き菓子を立香の皿へとサーブした。
最初の頃の夢は、本当にただそれだけだった。立香の愚痴を聞き、戦いの恐怖を宥め、甘いお菓子と温かい紅茶で、彼女の擦り切れそうな精神を繋ぎ止めるための場所。
けれど、ある日の夢の中で、立香はふと思ったのだ。
いつも自分の話ばかり聞いてもらって、カセン自身のことを何も知らないのは、自分にも彼にも不公平だ、と。
『こっちばかり話しているのも公平じゃないし、貴方のことも聞かせて』
そう言った時のカセンの困ったような、けれど少しだけ嬉しそうに細められた灰色の瞳を、立香は今でも鮮明に覚えている。
『困ったな。僕は本当に、大した人間じゃないんだ。それに、まだ秘密にしておきたいことがたくさんあるからね。でも君の話も最もだし、___ああ、そうだ。僕じゃなくて、僕の弟の話なら、いくらでもしてあげるよ』
それが、この奇妙で穏やかなお茶会の、もう一つの定番の始まりだった。
…………
「うちの弟はね、本当に可愛いんだ」
カセンは紅茶をおかわりしながら、いつものように淡々とした口調で語り出した。
「僕が少し高いところに登ろうとすると、怪我をするからって言って、僕の服の裾を絶対に離さないんだ。それに、僕が部屋に籠もって本を読んでいると、いつの間にかドアの隙間からじっとこっちを見つめていてね。いつも元気いっぱいなくせ、その時は僕が声をかけるまで、何時間でもそこに佇んだりして」
「な、何時間も…? うーん、…お兄ちゃん子の弟さんなんだね。その……ちょっとシャイなのかな?」
「いいや? 普段は元気いっぱいのやんちゃ坊主さ。元気過ぎて、僕を襲おうとした盗賊の大人たちを怒りのまま斬り伏せられるくらいには」
「……えっ」
ちょっと変なとこある弟さんだな…? と首を傾げつつもお菓子を摘まもうとしていた立香は、その言葉でピタリと伸ばした手を止めた。
「……カセン。何時間も立ってたりするのもそうだけどさ、それ、元気とか可愛いで済ませていいやつ…?」
「そうだよ? あ、でも盗賊の件は母上に怒られたね。僕は大人相手でも引けを取らないの凄いなって思ってたんだけど、危ないことをしてはいけませんって、怖い笑顔の母上に雷落とされたんだ」
「そりゃそうだよ!? というかカセンも襲われそうだったのになんで呑気なの!? 下手したら弟さんごと……!」
「そう言われてもなあ。僕の弟が負けるような相手じゃなかったから、とか? それに僕も魔術が使えたし、なによりも弟が楽しそうだったし……いや、まあごめんね。心配してくれてありがとう、優しい藤丸」
思わず立ち上がった立香に、カセンは少し反省した様子で、しかし事の重さまでは理解していなさそうなのんびりとした口調で返す。その灰色の瞳は、一切の怒りも怯えもなく、ただ本当に「なんでもないこと」だったのだと言外に物語っている。
「僕としては大人相手でも勝てる弟の凄さを自慢したいんだけどな。この他にだって、あいつは14で領地を見事に治めたし、15になってからは最高の騎士だなんて言われるくらい評判が良かった」
「それは…確かに、私よりも年下なのに凄いね。うーん、それくらいの年で大人にも負けない武勲があってお兄さんかいる人……誰だろう……」
「さあ、誰だろうね? 歴史全体を見れば割とそういう人達はいるし、それだけで絞るのは難しいんじゃない?」
カセンはそう言って、なんとか名前を当てようと頭を悩ませている立香を見る。まるで弟か妹でも見ているかのような、親しみと優しさがその無表情の奥に滲んでいた。
立香は、その視線に胸の奥がむず痒くなるのを感じつつ、なにかしらあり得そうな英霊達やマシュに教えてもらった人物なんかを掘り起こそうとする。しかし、残念なことに該当しそうな情報はなかった。
「……ダメだ! 弟さんのことも全然わかんないや…なんかヒントとか貰えないの?」
「せめて掠りそうな情報でも君が言わない限りはあげないよ」
「えー…ケチくさい……」
「へえ、失礼だな。それならこのスコーンは要らないと見た」
これみよがしにカセンは立香の前でスコーンを自分の皿へとサーブしようとする。既に残り一つの所を狙った行動であり、立香への効果はバツグンだった。
「要ります! 全然欲しいですごめんなさい!」
「よろしい」
顔を明るくさせて立香がスコーンを美味しそうに頬張っているのを、カセンはしばらく眺めていた。しかし、ふとテーブルの端に視線を落とした。
そこには、二つの美しい砂時計が置かれている。
片方は、紅茶の蒸らし時間を計るための小さなもの。そしてもう片方は___立香の「現実の目覚め」の時間を教える、少し大きめの砂時計だった。
大きめの砂時計のガラス球の中で、上部の砂が残り少なくなっている。最後の一粒が落ちる時、立香はこの穏やかな夢と別れ、カルデアの天井を見上げることになる。
「……ああ、そろそろお開きだね」
カセンが椅子から立ち上がり、立香のそばへと歩み寄った。
「もう朝かぁ。早いなぁ……。ここに来ると、本当に一瞬で時間が過ぎちゃうよ」
「それだけ君が楽しめているなら良かったよ。藤丸、人類最後のマスター。疲れたならまたここに招いてあげる。ただの女の子としての君を。だから、それまでは頑張っておいで」
カセンは手を伸ばし、立香の頭を優しく、慈しむように撫でた。その手の平は驚くほど現実味を帯びていて温かく、立香の心をそっと解きほぐしていく。
「あ、待って、カセン! 約束、忘れてないよね?」
立香は、遠のき始める意識の輪郭を必死で繋ぎ止めながら、カセンの服の袖を掴んだ。
「約束? あぁ、それはもちろん。君には難しいと思うけどな」
カセンは変わらず冷たい真顔のままそう言ったが、しかし立香には可笑しそうに、けれど本当に困ったように眉を下げた…ように思えた。しかしこの感覚も、きっと朝には覚えていない。
約束というのは、第一特異点を越えたあたりの夢の中で、立香がカセンに必死に詰め寄って取り付けた約束だった。
いつも自分を助けてくれるカセンに、お礼がしたい。彼のことをもっと知りたい。けれど、夢から覚めれば、彼の偽名と「弟がいる」ということ以外、大半の記憶が失われている。カセン自身が、立香の脳に負担をかけないために、もしくは何か別の理由があって、夢の記憶を意図的に持ち帰らせないように仕向けていることを、立香も薄々感じ取っていた。
だからこそ、立香は食い下がったのだ。
そして、カセンは立香の強い意思の前に折れた。
『なら、前の晩に見た夢の内容を現実のノートに書き写すこと。そして、僕の「本当の名前」を言い当てられるようになること。この二つを果たしたなら、僕のことを教えてあげよう』
出来たとしても、僕のことなんてつまらないと思うけどね、なんてカセンは言った。
けれど、立香の「そんなことはない!」という言葉とまっすぐにカセンを見つめる瞳に、彼は眩しいものを見るように、懐かしいものを見たときの嬉しさを噛み締めるように、目を細めて立香を見返した。
「でも、君のモチベーションになるなら、それもいいだろう。だから、頑張って。それと怪我には気を付けてね、藤丸」
「うん……! 絶対に当てるから。カセンの本当の名前を知って、もっとちゃんとお礼を言うんだから……!」
カセンはずっと優しく立香の頭を撫でている。これがもしかすると夢の記憶を忘れさせてしまうための行動かもしれない、と立香は思ったが、どうしても慈しまれているこの感覚が心地よくて、拒絶する気は微塵も起こせなかった。
「じゃあね、藤丸。良い目覚めを」
その声と頭を撫でる優しい温もりを最後に、立香の意識は完全に遠のいた。
…………
「――っ!」
パチリ、と立香の目が開いた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れたカルデアの自室の天井。人工の光が、朝の訪れを告げるように少しずつ明るさを増している。
「あ、頭が……。いや、忘れる前に、早く……!」
立香は飛び起きるようにして、ベッドの枕元に手を伸ばした。そこには、常に添えられている一冊のメモ帳と、一本のボールペンがある。
夢から覚めた瞬間、脳内からサラサラと砂のように零れ落ちていく記憶の断片。それを一文字でも多く留めるため、彼女は夢を見た日の翌朝、この書き起こしをしていた。
「ええと、カセン。お茶会……湖が見える洋風の屋敷の庭……」
ペンを走らせる。けれど、さっきまで確かにそこにいた少年の顔も、話していた内容も、恐ろしいほどの速度で霧の彼方へと消えていく。
「うう、やっぱり大半が思い出せない……! カセンの意地悪……ううん、カセンの魔術のせいなのかな……」
メモ帳に残ったのは、以前までに書いた内容とほとんど変わらない、箇条書きの酷く断片的な単語の羅列だけだった。
・夢の中の「カセン」という男の子(偽名、過去視のカ、千里眼のセン、魔術が使える)
・逸話がある自慢の弟がいる(盗賊を一人で倒せる、元気いっぱい?)
・スコーン、紅茶美味しかった
・約束(名前を当てること、夢を書き写すこと)
立香はうーん、と頭を抱えた。
「まずは名前を明かすのを目標に頑張ってるけど、全然進まないなぁ……。歴史上の誰かなのは確かだって言ってくれてたけど……。千里眼を持っていて、西洋の立派な屋敷でしょ?あとはスコーンと紅茶……安直だけど、イギリスとかだったり…? あとは……」
しばらく経って、立香の手が完全に止まる。
今回もまた手元に残された手がかりはほんの僅か。けれど、立香の瞳に諦めの色はなかった。
彼女はめげない。もとより彼女は人理修復を目指す人類最後のマスターなのだ。どれほど遠い目標であっても、諦めることなどありはしない。それにあの優しい少年が、自分のためにお菓子と紅茶を用意して、穏やかな場所で待ってくれていることを知っているから。
「よし! 今日は思い出せたキーワードが一つ増えたし。きっといつか、カセンの事を全部知ってみせるんだから!」
メモ帳を閉じ、立香はベッドから勢いよく立ち上がった。
まだ次の特異点へのグランドオーダーは始まっていない。けれど、カルデアのマスターとしての彼女の日常は、今日も休むことなく動き出す。マシュがドアをノックする音が聞こえた。
「おはよう、マシュ! 今日も頑張ろう!」
笑顔で扉を開ける藤丸立香の背中には、もう昨晩の泥のような疲労は残っていなかった。
夢が与えた束の間の休息は、確実に彼女を癒やし、人理修復のための新たな一歩を踏み出す糧となっていた。彼女がいつか、彼の名前を呼ぶその日まで。夢の中の少年は、今日も無表情ながら楽しそうに紅茶を嗜み、静かに砂時計をひっくり返して待っているのだ。
本日2回目の兄弟の様子
リチャード「兄上の瞳は俺とお揃いの赤い瞳でな! しかし兄上の方が神秘的で、まるで全てを見透かされてしまいそうな感覚がするんだ! その瞳に、是非とも俺をずっと映してもらいたい」
ウィリアム「僕の眼? 過去のことしか見れないから面倒だよ。ゲームに例えるとラグが多い感じかな。どこ見てるかわからないって昔は使用人に言われたね。あれ多分悪口だったんだろうな」
ちなみにその発言元の使用人は消えたらしい。