木造の家屋群。草が刈られ、木のフェンスで緩やかに区切られた道。離れた丘で回る風車。日差しは優しく、遠くには色とりどりの花畑が見える。
穏やかで、平和な村。真に何の異常も見られない場所である。もっとも、住民は居ないようだが。
「平和ですね」
「ああ、普通だ」
心なし、少女の表情すら穏やかに見える。彼女もこういった場所は嫌いではないだろう。
「こういうのも、いいですよね」
「そうだな」
そうやって歩き出して見て回る。家屋の中を覗いてみたり、花畑の方へも足を運んだが、やはり異常は無かった。
◇
「帰るか」
「おや、早いですね」
「ここはいい場所だが、得られるものはない」
丘の上の、風車の上で、私たちは周辺を見渡しながら話していた。短くここで見たものについて語って、今に至る。
「それは同意ですね……でも、せっかくなんですから、お食事もここで済ませません?」
「……ふむ、それもいいか」
「やった」
そして、ひまわり畑の時のように視界が切り替わる。丘の上にレジャーシートが敷かれ、いつもの食事が配置されている。あの時とは違って、私の手は自由だったので、少女の助けなども無く、汽車で食べる時と同じように食べ終えてしまった。どこか物足りない。
「う〜ん……」
少女はまだコーヒーを嗜んでいるので、カメラを取り出し、今までの駅の写真を振り返る。黒い遺跡。コンクリートの街。ひまわり畑。浮島。それらの写真は、私が見たものを正確に、変わらない姿で残している。その変わらなさが、私の頭を揺さぶるような感じがした。
「はぁ……」
そのままカメラを持ち上げ、丘からの景色を撮ろうとした、が。
「あれ?」
黒と、白いノイズ。カメラに映ったのはそれだけだった。確かに花畑の方へとレンズを向けていて、遮るものもなく、レンズ自体に異常もないはずであるのに。
「故障かな?」
「どうした」
「いや〜カメラが壊れたのかもしれなくて……」
電源を入れ直したり、パーツや魔力変換器の機構なんかも確認するが、それらにも異常はない。撮影した写真を見たり、そういった機能に問題は無い。ただ、今の光景を映し出すことだけが出来なくなっていたのだ。
向きを変えてみたり、試行錯誤を試みる。そうしていると、唐突に画面の白いノイズが消えて、何かが映った。
「おっ」
直ったか、と覗き込むと、そこには暗い廃墟らしき景色が映っていた。この光景に、覚えはない。撮った覚えも当然無い。
「は?」
まじまじと観察するが、やはり映るものに変わりはない。暗い廃墟。それがノイズ混じりで映し出され続けている。もしや、これこそがこの場所の異常だろうか。
「あの、カメラ直ったか怪しいんですけど、何か変なの映ってますよ」
「はぁ……?」
手招きとともに少女を呼ぶと、ノソノソとした動きでこちらに近づいてきて、私の肩に寄りかかるようにして、カメラを覗いてきた。
「……確かに、映っているな」
「でしょう?」
「それがどうかしたか」
「……いや、気になりませんか?」
「気にはなるが、面倒だ。私は戻ると決めた」
「そういう感じですかぁ」
あからさまに面倒そうな雰囲気を、これでもかと漂わせる少女は、ぷいとカメラから目を離し、花畑の方へと目を向ける。
「しばらくはここで待つ。飽きたら汽車に戻っておくから、好きにするといい」
「……自由行動ですか」
「何かあれば汽車を目指すと良い。一応、すぐに向かえるようにはしておく」
「親切ですね〜私のこと好きだったりします〜?」
「何を言っているんだ……」
呆れた声を最後に、少女はレジャーシートの上で横になり、花畑を向いて静止した。時折吹く風に草花が揺らめき、少女を美しく飾っている。
それを尻目に、私はカメラを見ながら、村へと歩き出した。
◇
丘を降り、村に入る。その間にカメラの映像は変わり始めていた。場所は暗い廃墟のままであるが、少しずつ視点が移動している。これは私の移動にある程度連動しているようにも見え、好奇心を煽った。
立ち止まって再度観察する。映像に映る範囲で見えるものは廃墟であるが、より詳しく言うと、この村が廃れた後のような景色だ。現に、カメラを目の前の家屋に向けると、シルエットの一致した、されど屋根が落ち、壁に穴の空いたものが映る。しかし、映像では夜であるのか、真っ暗で細かく認識することが難しい。
だからこそ、近づいて見る。肉眼に見える景色に変わりはない。家屋は村における一般的なもので、その内装も同様だ。
一方、カメラに映るものは対照的と言えよう。穏やかな現実とは違い、暗く荒廃し、家具は破損し、残骸しか残らない。ただの廃墟かと言えば、違った。現実のテーブルがある場所、カメラの中のそこに、植物がある。花畑のもののようではなく、知っているものでもない。
何よりも目を引いたのが、色彩がある。黒い景色ばかりだったカメラの光景に色をもたらしているのだ。しかしその色は、どこかおぞましい。紫色の花に、何か白い斑点が無数に浮かんでいる。色だけではない。その花は縦に長かった。茎ではない。花だ。円ではなく、棒状に伸びる花。それが二、三本咲いている。数を特定できないのは、その花が融合しているようにも見えるからである。
花へとカメラを近づけて、詳細に観察していると、ノイズが酷くなり始めた。画面が乱れ、色彩が画面を彩る。はっきり言って、気持ち悪い。これ以上見るものもないだろうと、距離を取り、足早に家屋を出た。
道に戻って、カメラを見ながら村を進んでいく。映像のノイズは少しマシになったが、家屋に入る前ほどには戻らない。むしろ、ノイズが音を伴い始めていた。途切れる録画のような音が連続し、そう、奇怪な囁きにも聞こえるような音の羅列だ。
このままだと使い物にならなくなりそうだ。だが気になるのも事実。今更ということもあり、私はカメラ越しの村の鑑賞を続けることにする。
ふと、道の脇に、何かが見えた。そちらの方へと近づいていき、カメラを構えて、後悔した。映っているのは、辛うじて人型である。だからこそ強烈な不快感があった。
それはぶよぶよとしている、しかし肉はない。それは人骨であるようだが、肥大し、隙間を埋め、肉のような柔軟性を持っているように変質しているのだ。決して動いていたりはしない。死体なのだろう。死体があること自体は興味深い。今まで動的な生命の、有機的な残滓の一つもなかったからだ。もっとも、これもカメラに映っているだけではあるが。
シャッターを切り、更に道を進んでいく。よく見ると道にもあの花が咲いている。それも酷く捻れてだ。茎がくるくると回転して伸び、花は広がり、不均衡な形を持つ。現実は平穏な村のままであるのに対し、カメラの向こうは移動を続けるほど、映像が乱れ、道の色彩が広がり、狂っていった。
やがてカメラの景色は暗い廃墟ではなくなった。ノイズは相変わらず激しい。けれど、認識できる。現実をそのまま反転させたような、完全に狂いきった色彩の、荒れ果てた村。
「……おえ」
気持ち悪い。とにかく気持ち悪かった。実際に吐き気がし、頭が裏返るような頭痛を感じ始める。視界もまた花のようにぐるぐると蠢き始め、制御を離れた足に導かれる。
やがて井戸が見えた。現実の色彩すら狂っているように見える。井戸というのは、あんな色だったか。青い、いや赤い、違う緑色だ。それが水で井戸を満たしているのだから、首を吊ったバケツがぎりぎりと音を立てて上がる。溢れてきている。こぼれているのだろうか。カメラが色彩に埋め尽くされている。なんだろうか、この色は、黒い光。それでも七色とも言える。ただ一つの事実は、それが今までに見たことのない、革新的な色であることだった。
カメラがうるさい。ノイズの次は火花と来た。この子はここまでやかましかったろうか。がんがんと頭を叩き続けて脳の奥底に円柱を通してきている。レンズはとっくに焼けていた。私は今正常ではないことがわかる。客観的に見て狂気に陥っているようだ。一歩引いた私は手を動かし、カメラを掲げて、後退り。
私は落ち着いてカメラを捨て、いや、地に叩きつけて、踏み潰した。原型を残さないように。窓が無くなるように。
「ふぅ……多分! 危なかった!」
「…………満足したかね」
「どぉわぁいぃ?!」
振り返れば、家屋の壁に背を預けた少女がこちらを見つめていた。どこかいつもと違う雰囲気なのが私にもわかるくらいの、真剣な顔。心配、だろうか。
「いつから?」
「数秒前に、妙な気配がした故な」
「数秒? ああ、あの移動法ですかね」
「……そうだ」
言っていた、「すぐに向かえるようにしておく」というのは本当であったということだろう。私の危機を察知し、速やかにやって来た……やはり彼女、優しい。少なくとも私にはそうとしか思えない。
「自ら脱したようだな」
「ですね……えっと、私、そちらから見て大丈夫そうです?」
「問題無い。極めて短期的な暴露でもあった故、後遺症の心配もない」
「……あれ? その、心当たりが?」
「全てではないが、君に影響を与えたものについては、ある程度の知識がある」
その言葉と同時に、少女がこちらに近づいて、私の右手を掴みあげる。ほんの数秒眺めてから、力強く引っ張られる。一瞬、奇妙な感覚が走った。何かされた気がしてならない。
「もう戻るぞ」
「は〜い……流石に懲りました。あ、でも、結局アレなんなんですか?」
「……君、あまり懲りていないだろう。はぁ……知らない方が良いものもある」
「……そうですか」
グイグイと引っ張られて村を進んでいく。カメラの先の景色の残滓など、どこにもない。最初と同じ平穏ばかりが続いている。どこまでも平和で、穏やかなままの、安らかな場所であった。先程の事が白昼夢であったかのようですらある。けれど、私の手に、カメラはない。無論、バッグの中にもだ。カメラだったものは、未だ井戸の傍に落ちているだろう。だからこそ、これは現実だった。
「新しいカメラがあったり、手に入ったりしますかね」
「さてな。屋敷に行ったときに探してはやろう」
「おや」
今のはなんだろうか。少女がいつも以上に優しいというか、冷淡さが控えめになっている。先程の事が効いているのだろうか。
「やっぱり私のこと好きだったりします〜?」
「しつこいぞ君……」
ため息。いつも通りの彼女だった。優しさは変化というより、見えていなかったものが見えただけなのだろう。彼女は最初から、こういう人格だったように思えた。
不変の、熱の無い手。それでも、その時の私にはそれが、温かいものに感じたのだ。私の手よりも、ずっと。
「……変わらないためにも、気をつけるといい」
「……変わらないかどうかは置いておいて、気をつけますよ」
汽車の中へと入る。既に何度も見ているアンティーク調の内装。窓に扉と、馴染んできた部屋。色彩がおかしいことなんてなく、ただただ、変わらない姿を私に見せつける。その不変に私は安らぎを覚えるのだ。
ああ、けれど、その中で目についたものがある。あの奇妙な絵だ。あれ自体はいい。しかし、あの奇っ怪な色彩が、私に、村の井戸の底を想像させるのだ。しばらくはあの絵を視界に入れたくない。
いつものように少女はベッドに座って、次いで横になり、眠ろうとする。先程の事が忘れられない私とは対照的だった。ソファに座った私の手は、少し震えている。怖いのだろうか。それとも、アレの影響なのか。こんな身体の反応は初めてだったから、私にはよくわからない。
立ち上がって、少女の横に収まる。それだけではどこか寒い気がしてならなくて、温かい毛布でもないかと手が彷徨う。そうして、少女に触れる。
「……なんだね」
「そのぉ……」
何を、どう言えばいいのかなんてわからない。私はどこまでも無知な人間で、ちっぽけな頭を持て余していたのだ。その頭に、温かい手が乗る。そして引き寄せられた。
言葉はない。ただ私が少女に引き寄せられて、密着する。温度が無いのに、ぬるま湯に浸かっているような、そんな浮遊感。
結局何も言えずに、目を閉じる。一人分の鼓動。どうやら、気づくのが遅れたようだ。彼女の心臓は、動いていないらしい。
村とカメラを振り払うように、何も見えないように、何も聞こえないように、私は顔を少女に押し付けて、静かに目を閉じた。