トリニティ総合学園の最深部、限られた者しか立ち入ることを許されないティーパーティーの執務室は、今日も厳かな静寂に包まれていた。
豪奢な調度品が並ぶ部屋の主、百合園セイアは、いつものようにどこか儚げな雰囲気を纏いながら、目の前の書類に視線を落としている。
彼女の前に直立不動で控えているのは、サンクトゥス派に所属する2人の3年生だった。
1人は茶髪を品よくまとめた、生真面目そうな少女、御子柴キリコ。もう1人は流れるような美しい銀髪が特徴的な、少し気弱そうな少女、羽生マリエである。
「……以上が、今週の正義実現委員会からの共有事項、および我が派閥の管轄区域における治安維持活動の報告書となります」
「補足として、最近は一部の不良生徒たちが、学園の敷地外縁部で少しずつ勢力を拡大しているという噂もあります。実害はまだ出ていませんが……」
キリコとマリエが交互に言葉を紡ぎ、緊張した面持ちで報告を終えた。
室内には、紅茶の温かい湯気と、ページをめくる微かな音だけが響いている。
「ふぁ……。うん、大体の状況は把握したよ。苦労をかけるね、二人とも」
「セイア様、お疲れのようですが、昨夜はあまり眠れなかったのですか?」
「いや、睡眠は十分に足りているさ。ただ、少しばかり刺激が足りなくてね。退屈のあまり、あくびが出てしまっただけさ」
「刺激…ですか……? ティーパーティーの業務は、平和であればあるほど望ましいはずですが……」
「それは表向きの綺麗事だよ、マリエ。それにしても、さっき言っていた不良生徒が幅を利かせているという話……実に興味深いね」
「興味深い、とは……? 治安の悪化は、私たちにとっても頭の痛い問題なのですが」
「何、簡単なことさ。どれ、一つ私が直接話し合いに行こうか。彼女たちも、私と一対一で語り合えば、きっと分かり合えるはずだよ」
「お、お待ちくださいセイア様! それだけは絶対に駄目です! あなたが表舞台に出るなど、言語道断です!!」
「そうですよセイア様! 話し合いなんて絶対にさせられません! 頼みますから、どうかその椅子から立ち上がらないでください!!」
「おや、二人とも大層な剣幕だね。私はただ、教育者の一端として、彼女たちの歪んだ根性を少々……おっと、迷える羊たちを導こうとしただけなのだがね」
「その『導く』の中身が恐ろしいから止めているんです! あなたが動けば、話し合いどころか、その一帯が消滅しかねません!!」
「キリコの言う通りです! セイア様、私たちはあなたのそのお気持ちだけをありがたく受け取り、裏で全力を尽くして自粛を促しているのですから!」
「やれやれ、手厳しいね。私はいつだって、物事を円滑に、かつ迅速に解決したいだけなのだが。君たちの過保護には困ったものだよ」
「過保護ではありません、学園の、いえ、キヴォトス全体の平和を守るための防衛策です! とにかく、今回は正義実現委員会に任せましょう!」
「……分かったよ、そこまで言うなら今回は見送るとしよう。せっかく良い運動になると思ったのだが、君たちの顔に免じて、ここで大人しくお茶でも飲んでいるさ」
「ほっ……。ご理解いただけて助かりました。本当に、心臓が止まるかと思いましたよ……」
「ですが、セイア様。言葉での解決というのは、時に泥沼化し、お互いの心を深く傷つける刃となることもあります。それは歴史が証明しています」
「そうだね、マリエ。君の言う通り、言葉というものは脆く、そして時に回りくどい。だからこそ、我が百合園家の家訓は、非常にありがたい言葉を残しているのだよ」
「「(出た! 百合園家の家訓!)」」
キリコとマリエの心が、寸分の狂いもなく完全にシンクロした。
二人が心の中で同時に叫んだその家訓とは、およそトリニティの気品とはかけ離れた、あまりにも血生臭いものだった。
『困ったらとりあえず殴れ。殴って蹴り飛ばせば解決する』
これこそが、百合園家に代々伝わる、あまりにも脳筋極まる教えであった。
そう、百合園セイアの真の姿は、周囲が必死に隠蔽している通り、極めて血気盛んで、言葉よりも先に拳が出る狂犬そのものだったのだ。
彼女が公の場に姿を現さないのは、預言者としての神秘性を保つためではなく、単に暴力を振るわせないよう、部下たちが必死に軟禁しているからに他ならない。
「どうだい? 実に合理的で、かつ慈悲深い言葉だろう? 拳と拳の語り合いこそ、言葉の壁を越えた真の相互理解を生むのだからね」
「(どこが合理的で慈悲深いんだよ! ただの暴論だろ!)」
「(トリニティのトップがそんな家訓を信奉してるとか、世間に知られたら一発で学園が崩壊するわ!)」
「あぁ、そんな顔をしないでくれ。我が一族の歴史を紐解けば、この家訓がいかに正しく、そして多くの奇跡を起こしてきたかが分かるはずさ」
「は、はぁ……。一族の歴史、ですか……」
「丁度いい、私の大切な親族の写真があるんだ。彼らの素晴らしい逸話を、いくつか君たちに紹介しようじゃないか」
セイアはそう言うと、萌え袖の奥から、古びた何枚かの写真を取り出した。
そして、自慢げに最初の1枚をキリコとマリエの前に差し出す。
その写真に写っていたのは、はち切れんばかりの筋肉の巨体をこれでもかと誇示し、頭に獣の毛皮を被った規格外の怪漢だった。
顔にはいくつもの生々しい傷跡が刻まれ、とても長い髭を蓄えた顔を凶悪に歪めており、その手には何人もの血を吸ってきたであろう血塗られた巨大なハンマーが握られている。
「まずは私の祖父、百合園
「(なんだこの化け物!? 人間か!? 3mって天井に頭届くわ!)」
「(顔が極悪人なんてレベルじゃない! 完全に指名手配犯のトップの顔つきでしょこれ!)」
「(それに修羅王って何その不穏すぎる名前!? 生まれた瞬間からカタギの道を捨ててるじゃない!)」
「(修羅の王って名前の時点で血生臭すぎるわよ! 完全に世紀末の覇王の風格じゃないの……!)」
「祖父が現役の時は、そりゃあ口に出せないほどの極悪非道の所業の数々を尽くしてきたさ。我が家でも、彼の若かりし頃の武勇伝は事欠かないね」
「(口に出せないほどの所業って何したんだよ! 怖すぎて聞きたくもないわ!)」
「(そんな人が祖父って、セイア様の血筋はどうなってるのよ……)」
「そんな祖父だが、ある時、国際指名手配のテロリスト集団が、祖父の治める山に潜伏したことがあってね。縄張りに土足で上がり込まれたことに、祖父は激怒したのさ」
「(テロリスト相手に縄張り争い始めるなよ! どっちも犯罪者だろ!!)」
「(土足で上がられただけで激怒するとか、どんだけ沸点低いのよ……)」
「怒り狂った祖父は、そのテロリスト集団を文字通り素手でぶっ壊してね。全員まとめて、麓の交番に叩きつけたそうなのだよ」
「(ぶっ壊して交番に叩きつけたって、警察も大パニックだったでしょうね……)」
「(山賊がテロリストを捕まえて交番に持ってくるとか、どんな世紀末だよ)」
「検挙率への多大な貢献と見なされ、恩恵として祖父にかけられていた指名手配が全て解除されたという、我が家のお正月での鉄板トークさ」
「(ジジイも指名手配されるレベルの極悪人だったんじゃねえか!! 美談みたいに語るな!)」
「(お正月の鉄板トークのレベルが高すぎるわ! どんな正月過ごしてんのよ!)」
「ふふ、祖父の話はこれくらいにして、次は祖母の百合園
セイアが微笑みながら見せた2枚目の写真には、身長2mを優に超える屈強な体格の老婆が写っていた。
大きなエプロンを身に纏い、深く刻まれたシワの奥から不敵に目を光らせ、歪んだ笑みを浮かべながらこちらに手を伸ばしている。
「(今度は2m越えのガタイの良い老婆!? 顔が完全に老魔女じゃない!)」
「(服は普通なのに、エプロンの下から覗く体格がレスラー並みにあるんだけど!?)」
「(毒江って名前からしてヤバすぎるでしょ! 絶対に善良な市民じゃない!)」
「(名前に毒が入ってるおばあちゃんとか怖すぎるわよ! 存在そのものが劇物扱いじゃないの!?)」
「祖母の趣味は薬膳でね。直径3mの大釜に、合法違法なんでもござれの怪しい材料をぶち込んで、3日3晩煮込んだ特製の薬は、一族でも評判の栄養剤さ」
「(ほら来た!! 違法な材料をぶち込むなよ! それ薬じゃなくて毒物だろ!!)」
「(3日3晩煮込んだ大釜の薬とか、おとぎ話の魔女そのものじゃない……)」
「もちろん材料は全て現地調達なのだが……その際、立ちはだかる危険な猛獣や現地人は、その鉄拳で粉砕して略奪……いや、調達してたね。私も幼い頃、祖母と調達してた頃が懐かしいよ」
「(今、はっきりと略奪って言ったよね!? 現地人を鉄拳で粉砕して奪ってんじゃん!!)」
「(セイア様も幼少期に略奪に参加してたの!? どんな英才教育受けて育ったのよ!)」
「続いて、私の叔父である百合園
3枚目の写真は、もはや人間としての理性すら完全に失われた存在を映し出していた。
逆立った赤い髪に日焼けした浅黒い肌、肉食獣のように鋭い牙とナイフのように鋭い爪を持ち、四足歩行の姿勢でカメラに向かって激しく威嚇している。
「(うわっ!? なにこの野獣の蛮族! 目が血走ってて髪も髭も伸び放題じゃない!!)」
「(針金みたいな体毛に涎がダラダラ垂れてる……これ本当に日本語通じるの!?)」
「(それに猛蛮って名前、見た目のそのまんますぎるでしょ! 猛々しい蛮族そのものじゃない!)」
「(名前に負けない野生を剥き出しにしてるのが一番恐ろしいわ! 完全に人間の範疇を超えた怪物よこれ!)」
「叔父は自然を愛する人でね。普段は外国の未開のジャングルに住んでいて、動物たちと暮らしている、なんともロマンティックな人さ」
「(ロマンティックの概念がゲシュタルト崩壊するわ! ただの野生児だろこれ!)」
「(動物たちと暮らしてるっていうか、本人が動物のカテゴリに入りそうだけど……)」
「ただ、少々人見知りなところがあってね。この前なんか、森林伐採のためにやってきた開発業者と、山の中で揉めてしまってねぇ……」
「(人見知りのレベルじゃないでしょ!? 人見知りっていうのは同級生となかなか話せない私の従姉妹のことを指すんだよ!!)」
「(嫌な予感しかしない。自然を愛する蛮族が業者と遭遇したら……)」
「まぁ、叔父によって『丁重に』お帰りいただいたわけだが……その後、現地の軍隊が出動する騒ぎになって、刑務所に収監されてねぇ」
「(丁重にお帰りいただいたんじゃなくて、絶対に力ずくで排除しただけでしょ!!)」
「(軍隊が出動するって、叔父さん一人でどれだけの被害を出したのよ! 完全にB級映画の怪物じゃない!!)」
「そこから出るのになかなか苦労したものだから、叔父の人間嫌い……失礼、人見知りに拍車がかかったと、お盆に帰ってきた叔父から聞いたんだ」
「(人見知りが原因で国際問題起こしてんじゃねえよ!! お盆に普通に帰ってくるな!!)」
「(刑務所からどうやって出たのよ……脱獄じゃないことを全力で祈るわ……)」
「さて、次は私の母、百合園アリシアだ」
4枚目の写真は、これまでの怪物たちとは打って変わり、非常に美しい女性の姿だった。
「(あ、お母様はすごく綺麗……セイア様をそのまま大人にしたような美人さんだわ)」
「(普通の見た目の令嬢ね。百合園家唯一の良識派かしら?)」
「母は百合園家に嫁にきたキヴォトス人だが……他の親族よりも純粋な筋力がない分、ダーティプレイを好んでね。戦闘では平気で凶器攻撃をしたり、目潰しを普通にしてきたりするのさ」
「(綺麗なのに戦い方が一番エグい! ダーティプレイを好む令嬢って何だよ!)」
「(目潰しを普通にするな! むしろ一番敵に回したくないタイプじゃない!)」
「些細な夫婦喧嘩の時なんかは、灰皿で父の頭を殴った後に、目潰しをしてからのドロップキックという一連の流れが、我が家の定番だったんだ。微笑ましいだろう?」
「(どこが微笑ましいんだよ! 殺人未遂のコンボ技じゃねえか!)」
「(お父さん、よく生きてるわね……灰皿から目潰し、ドロップキックってプロレスかよ)」
「そして最後が、私の父である百合園
5枚目の写真に写っていたのは、どこにでもいそうな、普通のサラリーマン風の男だった。
しかし、キリコはその写真の違和感にすぐさま気がついた。
「……あの、セイア様。お父様の写真、どう見ても若すぎる気がするのですが。これ、20代前半ですよね?」
「そうだね。それが何か問題でも?」
「何か問題でも、って……セイア様は今年で17歳ですよね? 計算が全く合わないのですが……」
「あぁ、なるほど。そういうことか。それはね、父が『収監される前』の写真だからさ」
「「……は?」」
二人の声が完全に凍りついた。
「父も百合園家の血を濃く受け継いだ男だからね。父はなかなかヤンチャなところがあってねぇ……。私が5歳の時に収監されて以来、父と会うのは刑務所での面会の時だけだね」
「お、お父様はいったい、何をされたのですか……?」
「すまないね、警察から厳重な口止めをされてるんだ。12年経った今でも一族以外の面会を許されてないから、ここで父を詳細に紹介することができないのさ」
「(国家機密レベルの犯罪犯してんじゃねえか!! ヤンチャで済む領域を超えてるわ!)」
「(一族以外の面会謝絶って、どんな重犯罪者なのよ……怖すぎる……)」
「まぁ、奇跡的にいつか父が塀の中から出てこられたら、その時は君たちに紹介するよ。楽しみにしておいておくれ」
「(出てこなくていいです!! むしろ一生そこにいてくれた方が世界のためです!!)」
「(百合園家、全員が犯罪者か怪物の集まりじゃない……頭痛くなってきた……)」
「ふふ、こうして見ると、我が家の中では私が一番大人しく、まともだということがよく分かるだろう? 彼らに比べたら、私は本当に可愛いものさ」
「(どの口が言うのよ……! あなただって、キヴォトスで何回問題起こしかけたか……!)」
「(可愛いっていう言葉の意味を辞書で調べ直してきてほしいわ、本当に……)」
「おや、もうこんな時間か。少し話し込んでしまったね。私は一度、庭の様子を見てくるよ。二人とも、報告ありがとう」
セイアはそう言うと、椅子から立ち上がり、優雅な動作で執務室の扉へと歩いて行った。
その去り際、彼女がドアノブに手をかけた瞬間、キリコとマリエの視線が、彼女の手元に釘付けになった。
普段は萌え袖によって完全に隠されている、百合園セイアの手。
しかし、ドアノブを握るためにわずかに露出したその手を見た者は、例外なく恐怖で身体を硬直させる。
それは、可憐な少女の持つべき手では、断じてなかった。
ごつごつとした岩のように無骨で、不自然なほど太い血管が網の目のように浮き出ている。
まるで、巨漢の格闘家の拳だけを、無理やり少女の腕に差し替えたかのような、圧倒的な暴力を内包した「凶器」そのものの拳。
毎日彼女の傍に仕えているキリコとマリエでさえ、その手を視界に入れるたび、本能的な恐怖で背筋に冷たい汗が流れるのを止められなかった。
ガチャン、と重々しい音を立てて扉が閉まり、セイアが部屋から出ていく。
完全に気配が消えたことを確認した途端、キリコとマリエは、一気に崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
「……ねぇ、マリエ。今の、見た?」
「見ました……。何度見ても、あの拳だけは慣れません。あの手で殴られたら、ヘイローがあっても無事じゃ済みませんよ……」
「謙遜なんて、大嘘じゃないのよ! 自分は可愛いものさ、なんて、どの面下げて言ってるのかしら!」
「本当にそうです! 去年、学園にカチ込んできた他校の武装集団を、正義実現委員会が到着する前に、一人で『文字通り全滅』させたのを忘れたわけじゃないでしょうに!」
「そうよ! あの時、セイア様は笑顔で『ちょっとした肉体言語での語り合いさ』って言ってたけど、相手の装甲車が素手で真っ二つに叩き割られてたの、私は一生忘れないわ!」
「あの素性を隠すために、私たちがどれだけ泥を被って、正義実現委員会の手柄に偽装したか……。ティーパーティーの品格を守るためとはいえ、もう限界です……」
「百合園家の家訓通り、本当に困ったらすべてを拳で解決しようとするんだから……。私たちが必死に引き止めないと、今頃トリニティは焦土と化してるわよ」
「頼みますから、次のティーパーティーの会合までは、大人しくしていてほしいですね……」
二人は深くため息をつき、主人の残していったあまりにも濃密な暴力の気配に、ただただ震え続けるしかなかった。
トリニティ総合学園の平和は、彼女たちの涙ぐましい「自粛要請」という名の必死の防波堤によって、今日も辛うじて保たれているのである。
セイア様のお爺様は、北○の拳の○大王。
セイア様のお婆様は、○斗の拳のデ○いバ○ア。
セイア様の叔父様は、ス○リート○ァイターのブラ○カ。
それぞれの容姿に酷似しております。