トリニティ総合学園の絢爛豪華な敷地から大きく離れた、廃墟区画の地下深くに存在する暗がり。
そこは秘密結社ゲマトリアの隠れアジトであり、怪しげな機械の駆動音だけが静かに響く空間であった。
その冷たいコンクリートの部屋に、似つかわしくない軽快な足音が響く。
影の中から姿を現したのは、黒いスーツを身に纏い、顔全体が不気味な黒いモヤで覆われた男――黒服だった。
「ハァ……またですか、聖園ミカ……」
黒服は心底うっとうしそうに頭を抱え、深いうんざりとしたため息を吐き出した。
彼の目の前にあるパイプ椅子には、ピンク色の髪を揺らした少女が、まるで放課後のカフェにでもいるかのように足を組んで座っている。
「やあやあ黒服さん! 今週も来ちゃったよ~⭐︎ 元気にしてた?」
「ええ、あなたが来なければ非常に元気だったのですがね。毎週毎週、よくもまあ飽きずに私の執務室にまで足を運ぶものです」
「だってさぁ、黒服さんとお話しするの楽しいんだもん! はいこれ、今週のトリニティの最高機密資料と、各派閥の裏予算の帳簿ね!」
ミカはニコニコと可憐な笑顔を浮かべながら、一般の生徒が見れば一発で停学どころか収監されるレベルの最重要機密文書を、まるでチラシでも渡すかのような軽さでテーブルに放り投げた。
ミカは毎週のようにこのアジトを訪れては、世間話に交えてトリニティの機密を際限なく垂れ流し、それと引き換えに怪しい対価を受け取っているのだ。
「相変わらず手際だけは良いですね。まぁ、対価として情報や技術を提供する分には、研究者として吝かではありませんが……」
黒服は差し出された資料を懐に収めると、不気味に蠢く顔の陰から、冷ややかな視線をミカへと向けた。
「私が言うのも何ですが、あなた……ロクな死に方をしませんよ?」
「え〜? 私ほど清く正しく誠実に生きてる女の子に対して、それはないんじゃないなーい?」
ミカは黒服から差し出された重厚な金属ケース――その中に格納された『ヘイロー破壊爆弾』を受け取りながら、キャピキャピとした声を上げた。
キヴォトスにおいて生徒の命を確実に奪う絶対の殺戮兵器を抱えながら、彼女の表情には微塵の躊躇も罪悪感も浮かんでいない。
「誠実、ですか。その爆弾を手にしておいて、よく言えたものですね。……で、今回はそれを使って何を企んでいるのです?」
「あはは♪ 決まってるじゃない! これがあればさ、セイアちゃんをぶっ殺せるもんねー⭐︎」
その瞬間、周囲の空気が凍りついた。
「……正気ですか、あなた。お友達を殺すつもりですか、と伺っているのですが」
「あはは⭐︎ 何言ってるの、黒服さん? セイアちゃんは私の大切なお友達だよ!」
ミカは人畜無害な笑顔のままケタケタ笑う。
「ただし……生まれ変わった、華奢で弱々しいセイアちゃんとね⭐︎」
「(……は? 転生……?)」
黒服の思考が一瞬停止した。
「今のセイアちゃんってさ、銃弾を粘土みたいにこねこねする化け物じゃない? あんなの全然かわいくないじゃん!」
「だからね! 一度このヘイロー破壊爆弾でドカンとセイアちゃんを消し去ってさ! 天国かどっかでリセットして、もっと女の子らしくて守ってあげたくなるような、華奢で弱々しいセイアちゃんとして生まれ変わってほしいの!」
「(……この女、転生などという馬鹿げた妄想のために、我々の開発した最高レベルの殺戮兵器を扱おうとしているのか……!?)」
黒服は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
ゲマトリアの過激な研究者たちでさえ、兵器の使用にはそれ相応の合理的・実験的な理由を求める。
しかし、この聖園ミカという怪物は『友達をもっと華奢で可愛く生まれ変わらせたい』という、頭のおかしい願望のためだけに、世界を揺るがす禁忌の爆弾を軽々と爆破させようとしているのだ。
「(ダメだ……狂っている。神秘や概念の探求どころの話ではない。ただの底なしの異常者だ……)」
「ねえねえ黒服さん、生まれ変わったセイアちゃんには、どんな服を着せたらいいと思う? やっぱりフリフリのドレスかなぁ?」
「……もう結構です。用が済んだのなら、早くお引き取りください。私は多忙なのです」
黒服はこれ以上、この次元の違う心の腐りきった怪異と同じ空間にいたくないと本能で察し、追い払うように手をシッシと振った。
ミカは「えー、もう追い出さなくてもいいのにー」と不満そうに唇を尖らせながらも、重たい爆弾ケースを軽々と片手で持ち上げる。
「それじゃあ黒服さん、また来週ねー! 次はもっと面白い情報を持ってきてあげるからさ♪」
「……二度と来ないことを切に願っていますよ」
重厚な鉄扉が閉まり、黒服は深いため息とともに椅子へと崩れ落ちた。
あの百合園セイアという猛獣の存在も脅威だが、その隣で笑顔を振りまくこのピンク髪の狂人もまた、キヴォトスにおける最悪の災害そのものであった。
アジトを抜け出したミカは、夕暮れ時の誰もいない廃墟街を、軽やかなステップを踏みながら歩いていた。
金属ケースをブンブンと振り回し、鼻歌を口ずさむ姿は、まるで買ったばかりのお菓子を持ち帰る少女そのものだ。
「ふふ〜ん♪ 先週の暗殺は失敗しちゃったからね〜。今週こそは景気良くいかないと!」
ミカは先週の出来事を思い返し、可憐に舌をチロリと出してみせた。
先週、ミカはセイアを『生まれ変わらせる』ために、緻密(と本人は思っている)毒殺計画を実行していたのだ。
百合園家に代々伝わる『怪しい薬膳』に対抗すべく、ミカはあらゆる致死性の高い毒薬をブレンドし、それを美味しそうな特製イチゴタルトの中にこれでもかと仕込んだ。
そしてお茶会の席で、「セイアちゃんのために焼いてきたんだー!」と笑顔で差し出したのである。
「あの時は自信あったんだけどなぁ。致死量の100倍の猛毒を入れたのにさぁ……」
一口食べたセイアは、事もあなげに「ふむ、少し甘みが足りないね。だが隠し味のスパイスが効いていて実に刺激的だ」と絶賛し、そのままホールごと完食してしまったのだ。
毒薬の成分は、セイアの化け物じみた胃袋と一族特有の強靭な消化能力によって、ただの『ちょっとピリッとする隠し味』として処理されて終わってしまった。
「毒が効かないなら、やっぱり物理的にドカン⭐︎といっちゃうのが一番だよね! 今週はこれで派手にいっちゃおーっと!」
ミカはルンルン気分でスキップしながら、トリニティの敷地へと帰っていった。
彼女の頭の中はすでに、爆風で木っ端微塵になった後、どこからか華奢になって生えてくる(予定の)セイアとの楽しいティータイムの妄想でいっぱいだった。
そして数日後の深夜、トリニティ総合学園の執務室棟にて。
ミカは足音を一切立てずに、セイアの執務室のドアの前に立っていた。
手に持っているのは、黒服から受け取ったヘイロー破壊爆弾。タイマーはセット済み。ドアの隙間から滑り込ませて部屋ごと吹き飛ばす作戦だ。
「ふふ、バイバイセイアちゃん。次に会う時は、守ってあげたくなるような可愛い女の子になってね♪」
ミカはドアを少しだけ開け、ヘイロー破壊爆弾を部屋の中へと転がし入れた。
そして即座にドアを閉め、通路の角へとダッシュで避難する。
数秒後――。
――ドカァァァァァンッ!!!!
地響きとともに、猛烈な爆風と閃光が廊下を突き抜けた。
執務室の重厚な扉は破片となって吹き飛び、内部は黒煙と炎に包み込まれる。
「(やったー! 大成功! これでセイアちゃんも無事に転生決定じゃんね⭐︎)」
ミカはパチパチと拍手をしながら、煙が煙幕のように立ち込める執務室へと足を踏み入れた。
部屋の中は木っ端微塵に破壊され、高級な家具も書類もすべて黒焦げの炭と化している。
しかし――。
「やれやれ、急に室内が暖かくなったと思ったら、何事だい?」
黒煙の奥から聞こえてきたのは、微かにあくびを噛み殺すような、いつもの聞き慣れた儚げな声だった。
「……え?」
ミカの笑顔が固まる。
煙がゆっくりと晴れていくと、そこには跡形もなく吹き飛んだ執務室の真ん中で、椅子に座ったまま優雅に紅茶を飲んでいるセイアの姿があった。
彼女の服は萌え袖を含めて破れ一つなく、その頭上には、何事もなかったかのようにヘイローが燦然と輝いている。
「セイ…ア…ちゃん? なんで生き……ううん、なんでそこにいるの……?」
「おや、ミカじゃないか。こんな夜遅くにどうしたんだい? 私なら見ての通り、少し夜風に当たっていたところさ」
セイアは気にした風もなく、焦げたテーブルの上にカップを置いた。
実は、ミカが爆弾を転がし入れた瞬間、セイアは「おや、目覚ましの目覚まし時計にしては随分と騒々しい物体だね」と呟き、直撃する寸前にその爆弾を素手で掴み取り、そのまま口の中に放り込んで完食していたのだ。
お腹の中で爆発したヘイロー破壊爆弾の猛烈なエネルギーは、セイアの超人的な内臓によって単なる『腹ごなしの運動」』として消化・吸収され、彼女のヘイローには擦り傷一つついていなかった。
「……爆弾、食べたの……?」
「ふむ? 何のことだい? 少しスパイスの効いた硬いおせんべいなら、先ほど一口でいただいたがね。ごちそうさまでした」
セイアはふっと儚げに微笑み、萌え袖で口元を拭った。
「(無理……! 物理攻撃も毒殺も効かないし、爆弾を食べちゃうとか絶対勝てないよぉぉぉ!!!)」
ミカは引きつった笑顔を浮かべたまま、冷や汗を滝のように流した。
こうして、ミカによるヘイロー破壊爆弾を用いたセイア暗殺計画は、またしても惨敗という結果に終わったのである。
生まれ変わった華奢で弱々しいセイアちゃんに会える日は、永遠に訪れそうになかった。