世界最強の剣士がTSして隠居する話 作:シターチッチ
その後の処理は全てダンカンに任せた。細かい事務的な手続きであったり、国への報告はギルドの管轄だ。
辞める場合は色々と契約まわりのやり取りがあるが、今回の場合は辞めるのではなく死んだことの告知と周知。死んだ者がする手続きなどないので、全てギルドが行う。
正式にギルドから英雄であるこの俺、ロゼ・アレクサンドロスの死亡が発表されるまでに身の回りの整理を行う必要がある。こういった時に役立ったのがエクレリから渡された魔道具だ。
有り余る金銭の置き場所に困ってるとエクレリに相談した時に渡された代物で、これのお陰で物の収納に困ったことはない。金は請求されたがな。
見た目はただの分厚い本でしかないが、本の一ページ毎に物を収納出来る魔法陣が刻まれており、本の上に収納したい物を置くだけで勝手に本の中へと入る。
出す時は魔法陣に手を添えて魔力を流せばいいだけ。俺はエクレリと違って魔力を殆ど持ち合わせていないが、俺専用に作ったらしく微量の魔力で使用できるそうだ。
オマケに本に持ち主の名前を血で刻むことで本人以外には持ち運べず、物の出し入れができないという防犯機能つき。変なところに気が回る多才な女だ。
お金や財宝は全てこの本の中にしまっている。家具なんかは持ち運ぶ必要がないので、そのまま家に置いておくとして着替えや装飾品なんかは本の中にしまっておく。
身の回りの整理でもっとも苦戦したのは愛剣バルムンクの収納だ。本に乗せてさえしまえば、魔法の力で勝手に収納されるのだがこの乗せる作業が一苦労だった。ひたすらに重い。
血管が切れんばかりに力と気合いを入れて何とかグリップの先を本の上に置いて、どうにか収納できた。
今の俺の非力さを嫌という程に思い知ったな。予定では半日ほどで済ませてしまうつもりだったが、結局一日かかってしまった。
我が家で一晩過ごした後、旅支度を済ませた俺は予定通り王都を出た。
王都を出るにあたって俺が購入した全ての家はギルドに讓渡する話になっている。
ダンカンは持っておけって言っていたが、隠居生活を送る為に王都を出る俺には必要のないものだ。空き家を今までのようにギルドの人間に管理してもらうより、ギルド所有にした方が有益だ。
駆け出しの冒険者用の宿として利用するのもいいだろう。特に最初の頃はお金の工面に苦労する。ギルドがその辺のサポートをしてあげれば、今よりも死亡率や離職率は下がる筈だ。
それに、世間的には死んだと周知される俺の家に見知らぬ女がいるってだけで面倒事に巻き込まれる可能性の方が高いからな。
俺からすれば不要なものだが、家を讓渡するにあたって、タダでは貰えないとダンカンが意地を張ってきて少し揉めた。面倒事を押し付けた結果だから、その対価として十分だと思ったんだが。
ダンカンの野郎がどうしても譲らないので、隠居生活を送るに相応しい場所を対価として聞いた。金銭や物はいらなかったしな。その結果ダンカンの生まれ故郷の村を紹介して貰った。
王都から遠く離れた場所にある辺境の村だそうだ。王都の喧騒とは程遠いのどかな村だと言っていたな。
数年に一度しか戻らないが、村にはダンカンの家があるらしくそこを俺の家として使っていいと許可を貰った。村の人に説明する為にその旨を書いた手紙つきだ。
王都を出てからの話をしよう。
馬車を乗り継ぎながら、時に徒歩で時に商人から買った馬に乗ってのんびりと旅をしていた。
その道中で何度か賊に襲われるような事はあったが、問題なく対処する事が出来た。女の体になって弱体化したとはいえ、これまでの戦いの経験はしっかりと体に染み付いている。
硬い皮膚や鱗を持つダンジョンのモンスターと違って人間は刃物を使えば簡単に殺せるしな。護身用に調達したロングソードで適当に首を切り落として終わりだ。
賊相手に危なげなく勝利を収めていると、ダンジョンでも通用するんじゃないかと勘違いしそうにもなるが、今のこの細腕ではダンジョンに巣食うドラゴンやゴーレムの体を切り裂くことは不可能だろう。
人間が相手だから、この身体でも通用した。それだけの話だ。
それから、冒険者の時にはしなかった町や村の観光をしながら、30日程の日数をかけてダンカンの故郷の村へと到着した。
村の人間にとってダンカンは英雄的な存在だったらしく、ダンカンから渡された手紙を持っていけばあれよあれよという間に話は進んだ。
ダンカンの野郎の伴侶と勘違いされた時は流石に腹は立ったが、ダンカンの親しい友人として村の人々は俺を迎え入れてくれた。
こうして俺の隠居生活が始まったわけだ。
始まったわけなんだが⋯⋯。
「騒がしいな」
離れた位置から聞こえてきた喧騒に思わず眉を顰める。
この俺が、これから始まる隠居生活に思いを馳せていたというのに、どうしてこう⋯⋯水を差すような真似をするんだ。
文句の一つでも言いたい気分だが、新参者としての立場上強くは言えないのが辛いところだな。
「いや、これは⋯⋯」
これがご近所トラブルかと、悲しんでいたがどうやら違うらしい。聞こえてくる音の多くは人の悲鳴と怒号。それと、血の匂い。
自然と体は動いていた。
冒険者としての経験か、英雄としての直感か、女になって捨てたはずのものが喧騒の中へと俺を導く。
その途中で、何人かの女子供とすれ違ったが何が起きたかを逃げる者たちに聞く必要はなかった。俺の目が、話を聞くより先に喧騒の原因を見つけていた。
視線の先にいたのは1頭の熊だ。個体としては大きめの部類に入るか。おおかた餌に困った熊が山を降りて人里に迷い込んできたってところだな。
冒険者としてダンジョンを潜り、ドラゴンやらゴーレムやらミノタウロスやらを相手にしていた俺からすると、野生動物程度で何を騒いでいるんだと思ってしまう。
ただ、熊にやられて地面に転がる者や農具を片手に必死に追い払おうとする村人たちの姿を見るとそれが強者ゆえの発想だと気付かされた。
力を持たない彼らにとっては、ただの野生動物ですら脅威であることを忘れてはいけない。
客観的に見てもこの場にいる者たちで、熊を対処出来る者はいない。
───
なら、やるべき事は一つだ。
これから先、隠居生活を送ることになる村を───ダンカンの親友ってだけの俺を迎え入れてくれた村人を熊ごときに傷つけさせる訳にはいかない。
あのバカに何を言われるか分からないしな。
「まて!危ないぞお嬢ちゃん!!」
熊を始末するために駆け出した俺を心配して村の男性が声をかけてきたが無視する。逃げろ、危ないぞって声を背中に浴びながら剣のグリップに手を添える。
───俺を誰だと思っていやがる!
男の時にはなかった軽やかな動きで熊との距離を一瞬で詰める。
視界に入ったのか、あるいは俺の殺気を感じ取ったのか肉薄する俺と相対するように熊が立ち上がった。
人対人のように妙な読み合いなど存在しない。必殺の一撃をもってして、一撃で俺を殺そうと鋭い爪の生えた腕を俺目掛けて振り下ろす。だが、遅い。
跳躍して熊の一撃を躱すと共に、生物の急所である首を狙って剣を振るう。
───その剣は、あまりに遅く、あまりに軽い一振だった。
俺の剣は確かに熊の首を切り裂いた。それだけだ。
「ちっ⋯⋯」
地面に着地して剣を持つ右手を見る。男の時とは違う、細く華奢な腕だ。こんな腕では以前のような剣は振るえない。現に熊を見てみろ。視線の先にいる熊の首はまだ、繋がっている。切り飛ばすつもりで振るったというのに。
───弱くなった。
そう、再認識する俺の視線の先で、ドスンと息絶えた熊が地面に転がった。
「や、やったのか」
一番近くにいた、ほんの少し前まで農具で熊の相手をしていた男性が震える声で口にする。俺が駆けつけなかったら真っ先に死んでいのはこいつだ。それはこの男も理解しているだろう。
だからこそ、いの一番に安堵の声を漏らしている。
「安心しろ⋯⋯してください。見ての通り、熊は私が倒しました」
安心させるように声をかけると、一瞬の静寂の後に歓声が上がる。熊ごときに大袈裟だなと思いつつ、彼らの心境に寄り添って歓声の声を受け入れる。
喜ぶ彼らを尻目に周囲を見渡す。熊はこいつ以外にはいない。次。
怪我人は見たところ一人か。
俺が駆け付けるのが早かったのか、熊が人を警戒していたからかは不明だが思いの外被害が少ない。ただ、熊の一撃を食らったせいか右耳が千切れている。
あとほんの少し当たる位置がズレていたら死んでいたな。運がいい。
「喜んでいるところに水を差すようですが、怪我人の治療を最優先で」
「そうだった!ロイさん、大丈夫か!!」
「今、布と水、それと酒を持ってくるからな!」
俺の声にハッとするように村人たちが動く。見たところ命に別条はないだろう。しっかり手当てすれば問題ないはずだ。
「ふぅ⋯⋯」
一息吐く。疲れたとか、そんなのではなく見た目に合わせた口調に慣れていないだけだ。
何故、口調を変えているかと言えばこの姿で以前のように喋るのは印象が良くないと判断したからだ。
口調も態度も英雄の俺だから許された振る舞いだ。それは俺自身が一番よく自覚している。
「あなたは確か、ダンカンの親友の」
「はい、今日からこの村でお世話になるロゼッタです」
数人の男がかりで怪我人が運ばれていくのを眺めていると、俺に声をかけてくる中年の男性がいた。この男性がこの村の村長だった筈だ。
ダンカンの手紙を渡して、最初にやり取りをした人物でもある。
「ロゼッタさん⋯⋯あなたは、何者ですか? 熊をあんな、あっさりと」
村長が息絶えた熊を見ながら問いかけてきた。ダンカンの手紙には詳しいことは何一つ書かれていないからな。
村長として、村の責任者として熊を簡単に始末できる俺が何者か確認しておきたいのだろう。
「元、冒険者です。あとは、そうですね」
───世界最強の剣士、ロゼ・アレクサンドロスは死んだ。
だから、俺はこれからロゼッタと名乗る。
剣聖でも、英雄でもない。
「最強に憧れて剣を振るって、現実に打ちのめされた⋯⋯バカな女ってところですかね」
ただのロゼッタだ。