世界最強の剣士がTSして隠居する話 作:シターチッチ
誰もいない一室で天井を見上げて息を吐く。
あのバカ野郎が残していった後始末もようやくケリがついた。根回しに根回しを重ねて、できるだけ事が穏便に済むようにと国の有力者たちに念を押した。
それでも尚、ギルドが発表した世界最強の剣士───ロゼ・アレクサンドロスの死は国を揺るがした。
この国だけじゃない、数多の国が英雄の死で揺れている。あのバカは自分の影響力がどれほどのものか分かっているようで、分かっていない。
お前がダンジョンの探索の為に国に滞在する。それだけでも抑止力になる。今の世界の平和はあのバカがダンジョン探索の為に数多の国を渡り歩いたお陰で成り立っている。
英雄の死は、これまで保たれてきた平和の崩壊の始まりかもしれん。
「⋯⋯ふぅ」
世界の事を思えばあのバカが死んだ事を公表せず、女になったから冒険者を引退したと国の有力者たちに流すのが得策だ。
女になって弱くなったとあのバカはほざいていたが、ギルドを立ち去る際に絡んできた冒険者を無手で伸していたと報告が上がっている。
駆け出しの冒険者が混じっていたとはいえ、その場にいた全員を相手にして傷一つ付かずに、かつ相手に無駄なダメージを与えずに気絶させる。それが如何に化け物じみているか、あのバカは分かっていない。
あいつの言いたい事は分かっている。筋力が落ちたからモンスターとは戦えない。ダンジョンを探索できない。そう言いたいのだろう。
だがな、国同士の戦いで戦う相手となるのは人だ。鋼鉄の剣ですら刃毀れするような頑丈な皮膚や鱗を持つモンスターが相手ではない。
確かに、かつてのお前と比べれば弱くなった。だが、それでも人間相手の戦いとなれば、お前の右に出る者はいない。
国の有力者は冒険者を引退したお前をこぞって欲しがるだろう。人殺しの武器として。
そうじゃなくても肩書きだけあれば国としては抑止力になる。飼い殺しにしてでも、引き留めようとするだろう。女になったお前をあらゆる手を使って。
それが分かっているからこそ、俺もお前も⋯⋯英雄の死を公表することを決めた。
───俺にとっての英雄はお前だけだよ、ロゼ。
英雄は最後まで英雄であって欲しい。
そんな俺の我儘でこれまで保たれてきた世界の平和が崩壊するかもしれない。
「英雄一人の死で揺るぐ平和なら、それこそクソ喰らえだ」
人類史は戦いの歴史だ。
争い続けて国を発展させてきた。ある日を境に現れたダンジョンという異物が、一時的に戦いを抑えていただけだ。
また、かつてのように人は争い合う時代がくる。これまでと違い、ダンジョンを制覇した英雄と呼ばれる超人たちが、ダンジョン制覇を夢見る超人候補の冒険者たちが、戦争をより激化させる。
「だがな⋯⋯なんでだろうな。お前がいるから何とかなるような気がするんだわ」
あのバカは隠居生活を決め込む気でいるが、俺の直感が告げている。お前は間違いなくこれから起きる騒動に巻き込まれる。
分かるか、ロゼ。
今、世界はお前の死で大きく揺れているぞ。大きく揺れた世界はこれまでの静寂が嘘のように激動を迎える。その中心にいるのはお前だ、バカ。
「あん?」
ドタドタドタドタとけたたましい音が廊下から響いてくる。せっかくのいい気分が台無しだ。
またバカな貴族が英雄の死を受け入れられず、俺に会わせろとでも騒いでいるのか?
扉がノックされて面倒に思いながら入室を許可すると、見覚えのある職員が部屋へと入ってくる。名前は確かエーモブだったか。職員が多すぎて全員は覚えてはいられない。
「大変です、ギルド長」
「どうした、また貴族のご令嬢が騒いでいるのか?」
「違います!!」
違う?興奮した様子のエーモブは拳を強く握りしめて俺に力説する。
「ダンジョンの制覇者が現れました!それも二人!」
「なんだと!」
その名前を聞いて、更に驚いた。
「くっはははは!!」
どうやら、のんびりと隠居生活なんて送ることはできないかも知れないぞロゼ。
お前が剣を教えた弟子の二人が今、同時にダンジョン制覇者───英雄になった。お前は覚えているか、あの弟子との約束を。
「ギルド長?」
「用件はわかった。下がっていいぞ」
「承知しました」
なにか言いたげなエーモブが部屋を後にする。
「くくく⋯⋯はははは!」
お前の死を聞いた弟子たちは間違いなく俺の元へ駆け込んでくる。
お前の強さを知ってるあの弟子たちはお前の死を信じず、ギルドの公表を疑うことだろう。俺の判断次第でお前は気ままな隠居生活から遠のくわけだ。
「楽しいなぁ」
───世界はやはり、お前を中心に動いているぞ。
初めてお前と会ったあの時から俺はお前に焼かれていたのかも知れない。英雄が持つ輝きに。
世界最強の剣士なんだろ?
英雄なんだろ?
女になったといってもまだ死んだわけじゃない。物語はまだ終わっちゃいない。
お前の英雄譚の続きを俺に見せてくれよ。なぁ、