世界最強の剣士がTSして隠居する話 作:シターチッチ
本を中心にどす黒い殺気と威圧感が集まっていく。出会った時も同じ反応だった事を思い返すと、やはり胸の話題はエクレリにとって地雷らしい。
先に見せた幻覚のように黒い影が人の手を象ったかと思えば、禍々しい手がビシッと俺を指差す。
『今ので確信したわ、あなた⋯⋯ロゼね』
先のやり取りはその場に居合わせ者が多くいた為、世間に広く知れ渡っている。今の発言だけで、俺だと確信するのは早計だと思うが⋯⋯。
いや、あの殺気を向けられた後で、英雄であるエクレリにあんな事を言える者はいない。
「ロゼじゃないと言ったらどうする?」
『いいえ、あなたはロゼよ。このあたしに対してそんな失礼な発言する人間はいないわ。あなたくらいよ』
「まぁ、そうだろうな」
ため息混じりに言われた言葉に笑っていると、部屋の中に張り詰めていた殺気やら威圧感やらが消えていく。
力なく項垂れる黒い手は、今のエクレリの姿を写しているようだ。
『色々と聞きたいことはあるんだけど、ちゃんと生きているのよね⋯⋯ロゼ?』
「色々あって女になったが、ちゃんと生きてるぞエクレリ」
『⋯⋯なんで、そういう大事な事をサラッと言うのよ。バカじゃないの』
「だが、何があったか察する事はできるだろ?」
俺の口から出ている声は女性らしい声だ。自慢だった、低く男らしい声じゃない。この声の持ち主を俺───ロゼ・アレクサンドロスだと確信したのなら直ぐに答えにたどり着く筈だ。
『ダンジョンのトラップね』
「正解」
俺が笑いながら答えるとため息が返ってきた。
『⋯⋯はぁ、まさかあたしの身内に御伽噺のトラップに引っかかるバカがいるなんて』
「ハハハハ!俺もあんなトラップがあるとは思わなかったな」
普通のトラップなら何ら問題なかった。冒険者の俺を殺したのは御伽噺にしか登場しない悪趣味なトラップだ。そんなものが実在するとは思ってもいなかった。
『次の探索で三つ目のダンジョンの制覇だって、大口を叩いていたのはどこの誰だっけ?』
「それは間違いなく俺だな。あのトラップさえなければダンジョンを制覇出来ていた」
『バカね。冒険者は結果が全てよ。あなたはダンジョンを制覇できず、トラップに引っかかって女になった間抜けよ』
「痛いことを言ってくれるな」
俺も自覚している事ではあるが、他人から言われると刺さるものがあるな。
『どうせ一人でダンジョンを探索していたんでしょ?シーフでも連れ歩いていたらトラップくらい回避できたのに』
「俺について来れるシーフがいると思うか?」
『なら、せめてあたしを連れていきなさいよ。シーフみたいにトラップの感知はできないけど、魔法でトラップから護る事くらいできたわよ。なんで一人で行動しようとするの⋯⋯バカ』
悲しそうな声。俺を責めているようで、その場に一緒にいれなかった自分を責めているようにも思えた。
「俺について来れる冒険者はいない。それはお前も同じだ、エクレリ」
『そうだけど!!』
一つの目のダンジョンを制覇した時点であれば、俺とエクレリの実力は拮抗していた。お互いに支え合える良き関係を築けていた。
それが崩れたのはエクレリが冒険者を引退したからだ。人間嫌いに拍車がかかったエクレリは俗世を離れて、魔法の研究だけに余生を費やすと決めた。
ダンジョンを制覇した時点でエクレリが欲していたものは全て手に入っていたからな。冒険者を続ける理由がなかった。その後、エクレリは山奥に引っ込んだ。
その際に俺に一緒に来ないかとエクレリは提案したが、俺は後世に名を遺す英雄になりたかったため断った。
もし、あの時エクレリの提案に乗っていれば違った未来があったかもしれない。エクレリが冒険者を続けていれば、また違った結果になったかもしれない。
全て、事実とは異なる仮定だ。
「二つ目のダンジョンを制覇した時点で、俺に並ぶ人間はいなくなった。俺の背を護れる者もいなくなった」
『ロゼ⋯⋯』
冒険者としての歩みを止めたエクレリと違い、俺は十数年とダンジョンを潜り第一線で戦い続けてきた。その経験の差はもう埋めようがないほどに広がっている。
昔と同じようにエクレリとダンジョンを潜ったとしても実力が違いすぎて、酷な言い方だが足手まといにしかならない。
誰かを庇いながら戦うより、俺一人で戦った方が効率が良いと気付いてしまった。自然と一人でダンジョンを潜るのが当たり前になった。
「一人で突っ走って、全てを置き去りにして、一人で無茶をした結果がこれだ」
自嘲気味に笑う。
まぁ、自業自得だな。そもそも油断していなかったらこうはならなかった。全ては俺の驕りが招いた結果だ。
『元には戻れるの?』
「さぁ、どうだろうな。御伽噺なら魔法の薬を手に入れて元に戻った。それが現実にあるかが分からない上、今の俺はかつてのようには戦えない。女になってまともに剣を振るえなくなったからな」
ダンジョンに潜ってモンスターと戦えるレベルになるまで体をもう一度鍛え直す必要があるが、俺ならできる筈だ。
『ギルドの発表はそれが理由ね』
「そういうことだ」
ただ、冒険者を引退するだけでは面倒事が付き纏ってくる。それを避けるためのギルドの発表だ。俺が女になった事で何が起こるか、エクレリなら予想がつくだろうしな。
『わかったわ。けど、後で詳しく聞かせて貰うわよ』
「なんだ、俺に会いに来る気か?」
『なによ、嫌って言うの?』
「そういうわけではないが」
本音を言えば嫌だ。
エクレリに会いたくないわけではない。
俺を気遣ってくれているのは分かるし、エクレリは世界有数の魔法使いだ。俺の力になってくれる事は間違いない。
ただ、面と向かって会うという事は今以上に会話をするということ。これまでの経緯の説明をしないといけないだろうし、何かと話し合う事は多い。
それは即ち、鍛錬の時間が減る事を意味する。
うん、普通に嫌だな。鍛え直すと決めた以上、強くなることだけに全てを注ぎたい。筋肉を鍛える事だけに尽力したい。
『ロゼが嫌がっても会いに行くわ。場所はこの魔導書で探知出来るから嘘をついても無駄よ』
「わかったわかった、俺もエクレリに会いたいから来てくれたら嬉しいよ」
『心にも思ってない事をペラペラと⋯⋯』
流石にバレるか。
エクレリとは付き合いが長いからな。仕方ない。
『まぁいいわ。でも、最後に一つだけ言わせて』
「なんだ?」
『ロゼが死んだってギルドが公表した事に理由があるのは分かってる。けど、出来ればあたしには伝えて欲しかったわ。ロゼが死んだって聞いて心臓が止まるかと思ったもの』
「それは、悪いことをしたな」
いつになくしおらしいエクレリの反応に罪悪が募る。エクレリなら言わなくても大丈夫だろうと、勝手に判断した俺をぶん殴りたくなったな。
「心配してくれたんだな」
『当たり前でしょ。あたしはロゼの恋人なんだから』
「そうか⋯⋯ん?」
───ここで、大事な事を一つ言っておこう。
俺とエクレリは十数年と非常に長い付き合いである。冒険者として共にダンジョンに潜り、共に英雄へと至った。
エクレリが隠居した後も交友は続き、
そう、友人だ。
エクレリとは体の関係はあるが、恋人として付き合ってはいない。
俺からエクレリに対して好きだ、愛してる等と言った事は一度もなく、エクレリからも言われた事もない。
ただ、俺も男なのでエクレリに少なからず情を持っていた。体を重ねた時に愛しいとすら思った。にも関わらず俺とエクレリの関係は友人から進展していない。
その要因は行為の後のエクレリとのやり取りが、ずっと脳裏に残っているからだろうな。
『体を重ねたからって勘違いしないでよね!あたしとロゼはあくまでも友達なんだから!』
顔を真っ赤にして友達だからと、強く強調してエクレリは怒っていた。つまるところ、エクレリは俺と違って関係の進展を望んでいない。
残念な気持ちにはなったが、エクレリの気持ちを優先しようと俺から告白したりする事はなかった。
改めて言おう。俺とエクレリの関係は友人だ。
恋人ではない筈だ。
「聞き間違いか、俺とエクレリは恋人ではないだろう?」
エクレリの言い間違いの可能性もあると思い、聞き返すと空気が凍るような感覚に陥る。
次いで、押し潰されるような重圧が俺を襲う。
「───は?」
聞いた事がないくらいドスの効いた声に、『ひぇ』とか細い声が漏れた。