朝日がゆっくりと昇る。
昨日まで村を包んでいた炎は消え、空には静かな青が広がっていた。
だが、その静けさは穏やかなものではない。
生きる者が誰一人いなくなった村だけが持つ、冷たい静寂だった。
レオンはゆっくりと目を開けた。
昨夜、いつ眠ったのかも覚えていない。
気付けば両親の亡骸のそばで朝を迎えていた。
「……父さん。」
返事はない。
「母さん。」
もちろん返事は返ってこない。
昨夜は夢であってほしいと願った。
朝になればいつものように父が剣を振り、母が朝食を作っている。
そんな当たり前の景色を期待していた。
だが現実は変わらなかった。
父も母も、もう二度と目を開けることはない。
レオンは震える手で父の頬に触れた。
冷たい。
昨日まで感じていた温もりは、もうどこにもなかった。
「……ごめんなさい。」
何に謝っているのか、自分でも分からなかった。
助けられなかったからか。
何もできなかったからか。
それとも、生き残ってしまったからか。
七歳の少年には、その答えは見つからなかった。
⸻
レオンは立ち上がる。
涙は枯れたわけではない。
それでも泣いているだけでは何も変わらない。
父が最後に言った。
『生きろ。』
その言葉だけが、今のレオンを支えていた。
「埋めなきゃ……。」
村外れの小さな丘。
幼い頃、父とよく木剣の素振りをした場所だった。
レオンは家から錆びたスコップを持ち出し、一人で穴を掘り始める。
小さな体には重労働だった。
何度も転び、何度も手の皮が剥ける。
それでも止まらない。
土を掘るたび、昨日の思い出が蘇る。
父の笑顔。
母の笑顔。
家族三人で囲んだ食卓。
全部が昨日まで確かにあったものだった。
「……なんで。」
スコップを握る力が震える。
「なんで、父さんたちなんだよ……。」
答えてくれる者はいない。
静かな風だけが吹き抜けた。
⸻
昼頃。
ようやく二つの墓が完成した。
父と母を並べて眠らせる。
花などなかった。
代わりに、家の前に咲いていた白い花を摘み、墓の上へ置く。
「父さん。」
「母さん。」
レオンは深く頭を下げた。
「約束する。」
「俺は絶対、生きる。」
「そして……。」
言葉が詰まる。
何を目指せばいいのか。
どこへ行けばいいのか。
何一つ分からない。
それでも、一つだけ決まっていることがあった。
「強くなる。」
「誰にも負けないくらい。」
「父さんと母さんみたいに、人を守れるくらい。」
風が吹く。
まるで二人が返事をしたようだった。
⸻
家へ戻る。
扉は壊れ、家具は倒れ、食卓には昨夜の夕食がそのまま残っていた。
冷え切ったスープ。
焼きかけのパン。
母は夕飯を作っている途中だったのだろう。
レオンは椅子へ座る。
家族三人で囲んでいた席。
父の席。
母の席。
そして自分の席。
もう誰も座らない。
「……いただきます。」
冷えたパンを口へ運ぶ。
味なんてしなかった。
それでも食べる。
生きるために。
父との約束だから。
食べ終えると、家の中を見回した。
持っていけるものは限られている。
父の木剣。
母の杖。
水筒。
干し肉。
火打石。
毛布。
革袋へ一つずつ詰めていく。
最後に、棚の奥から一冊の古びた本を見つけた。
魔術の入門書。
母が何度も読んでくれた本だった。
「これも……。」
大事そうに袋へしまう。
その時だった。
机の引き出しから、一枚の紙が落ちる。
そこには幼いレオンが描いた家族の絵があった。
父は大きな剣を持ち、母は杖を持って笑っている。
真ん中では、小さなレオンが木剣を振っていた。
「……。」
堪えていた涙がまた溢れた。
「父さん……母さん……。」
絵を胸に抱きしめる。
しばらく泣き続けた。
泣き疲れ、立ち上がる。
もう、この家には帰ってこない。
そう思うと胸が締め付けられた。
それでも前へ進まなければならない。
レオンは家を出る。
扉を静かに閉めると、小さく呟いた。
「行ってきます。」
返事はない。
だが、その言葉だけは、いつものように言いたかった。
レオンは一度だけ村を振り返る。
生まれ育った故郷。
笑って、泣いて、父と母と過ごした場所。
そのすべてを胸に刻み、少年はゆっくりと歩き始めた。
___________
村を離れてから、どれほど歩いただろうか。
背後を振り返れば、故郷はもう木々の向こうに隠れて見えない。
それでもレオンは何度も立ち止まり、無意識に振り返ってしまう。
「……もう、帰れないんだ。」
そう呟いた声は、小さく森へ消えていった。
⸻
昼を過ぎる頃には、持っていた水も半分ほどになっていた。
空腹はまだ我慢できる。
だが、不安だけは消えなかった。
「どっちへ行けば……町があるんだろう。」
村から出たことなどほとんどない。
父と薬草を採りに森へ入ったことはあるが、それも村の近くだけだった。
見渡す限り、木。
木。
そして木。
同じ景色ばかりだった。
「父さんなら……。」
父なら太陽の位置を見て歩く方向を決めただろう。
レオンは空を見上げた。
まだ昼だ。
「こっち……かな。」
確信はなかった。
それでも立ち止まるよりは前へ進む方がいい。
そう思って歩き出した。
⸻
ガサッ。
草むらが揺れる。
レオンは思わず木剣を構えた。
心臓が激しく鳴る。
昨日までなら父が前に立ってくれていた。
今日は違う。
守ってくれる人はいない。
草むらから飛び出してきたのは、一匹の野ウサギだった。
「……はぁ。」
思わず力が抜ける。
逃げていくウサギを見送り、苦笑した。
「こんなんじゃ駄目だ……。」
怖い。
全部が怖い。
風で葉が揺れる音も。
鳥が飛び立つ音も。
自分の足音さえ怖く感じる。
それでも、歩くしかなかった。
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夕方になる頃には足の裏が痛み始めていた。
慣れない長旅。
靴も泥だらけだ。
レオンは小さな川を見つけ、その場へしゃがみ込む。
冷たい水を手ですくい、一口飲む。
「おいしい……。」
こんなに水がおいしいと思ったのは初めてだった。
顔も洗う。
冷たい水が熱くなった頬を冷やしてくれる。
川面を見ると、自分の顔が映っていた。
昨日までのレオンとは違う。
泣き腫らした目。
泥だらけの服。
疲れ切った表情。
「……ひどい顔。」
思わず笑ってしまう。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
心が軽くなった。
⸻
その夜。
レオンは大きな木の根元で休むことにした。
家のような屋根はない。
柔らかな布団もない。
毛布を一枚広げるだけ。
父なら何と言うだろう。
『周りをよく見ろ。』
その言葉を思い出し、周囲を確認する。
足跡。
魔物はいない。
折れた枝。
最近人が通った様子もない。
ようやく腰を下ろした。
干し肉を一口かじる。
固い。
昨日まで母が作ってくれた料理とは比べものにならない。
「母さんのご飯……食べたいな。」
言った瞬間、胸が締め付けられる。
もう叶わない願いだった。
レオンは空を見上げた。
無数の星が輝いている。
村で見ていた星空と同じはずなのに、今日は少し遠く感じた。
「父さん。」
「母さん。」
「俺……ちゃんと生きられるかな。」
返事はない。
風だけが優しく吹き抜ける。
「……弱音を吐いたら怒られるか。」
レオンは小さく笑う。
父ならきっと言う。
『泣いてもいい。だが立ち止まるな。』
母ならきっと頭を撫でてくれる。
その姿を思い浮かべながら、毛布へ身体を預けた。
⸻
真夜中。
ガルルル……。
低いうなり声で目が覚めた。
レオンは息を殺す。
暗闇の向こうで、何かが動いている。
木々の間から見える二つの赤い光。
目だ。
魔物。
レオンは木剣へ手を伸ばす。
だが、父の言葉を思い出す。
『勝てない相手とは戦うな。』
ゆっくりと呼吸を整える。
音を立てない。
赤い目はこちらを見ている。
だが、しばらくすると魔物は鼻を鳴らし、そのまま森の奥へ消えていった。
「…………。」
レオンはその場に座り込んだ。
全身が汗で濡れている。
「危なかった……。」
あのまま飛び出していたら。
戦っていたら。
きっと死んでいた。
その夜、レオンは一睡もできなかった。
⸻
翌朝。
朝日が木々の隙間から差し込む。
「……朝か。」
生きている。
それだけで十分だった。
荷物を背負い直し、歩き始める。
昨日より足取りは少しだけしっかりしていた。
「父さん。」
木剣を握る。
「母さん。」
杖に触れる。
「俺は絶対に生き抜く。」
その誓いだけを胸に、レオンは森の奥へ歩いていく。