皆さんのおかげで評価バーに色がつきました!
今後とも頑張っていくのでよろしくお願いします!
あの日から、三日が経った。
ドラゴンとの戦いで受けた傷はまだ完全には癒えていない。それでもレオンは毎朝日の出とともに起き、オルステッドの背中を追っていた。
追う、と言っても隣を歩くわけではない。
数十メートル、時には百メートル以上の距離を保ちながら、木々や岩陰に身を隠し、その姿を見失わないようについていく。
もちろん、気付かれていないとは思っていない。
一度見つかった時点で、それは諦めた。
それでもオルステッドは追い払うことも、追い返すこともしない。
だからレオンは勝手についていき、勝手に学ぶことに決めた。
朝露に濡れた草を踏みながら歩くオルステッドの姿は、不思議なほど自然だった。
歩幅は一定。
呼吸も乱れない。
木の根や岩を避ける動きに一切の無駄がない。
レオンも同じように歩いてみる。
だが、すぐに違いが分かった。
落ち葉が鳴る。
枝が揺れる。
足元の小石が転がる。
「……違う。」
レオンは立ち止まり、自分の足元を見る。
オルステッドが歩いた場所にはほとんど痕跡が残っていない。
対して自分は、歩いただけで草を踏み潰している。
ただ歩くだけで、これほど差があるのか。
そう思うと、少し悔しくなった。
その日の昼、オルステッドは森の中を流れる小川の前で足を止めた。
透明な水をすくい、一口だけ飲む。
それ以上は何もせず、また歩き始める。
レオンも少し時間を空けて同じ場所へ向かった。
しゃがみ込み、水面を見る。
そこには自分の顔が映っていた。
頬には擦り傷。
髪は伸び放題で、服も何度も補修した跡がある。
村にいた頃とはまるで別人だった。
「……強く、なったのかな。」
そう呟いてみる。
答える者はいない。
けれど、一年前の自分ならゴブリン一匹にも震えていただろう。
今は違う。
二匹、三匹なら冷静に対処できる。
初級魔術も無詠唱で扱えるようになった。
少しずつだが、剣と魔術を同時に使う感覚も掴めてきている。
それでも。
「まだ、全然足りない。」
頭に浮かぶのは、ドラゴンだった。
自分の剣は鱗を浅く傷つけることしかできなかった。
オルステッドは、そのドラゴンをたった一太刀で退けた。
あの差は何なのか。
力か。
技術か。
それとも経験なのか。
レオンには分からない。
だからこそ、見て盗むしかなかった。
その日の夕方、森を歩いていると突然オルステッドが立ち止まった。
レオンも反射的に身を隠す。
視線の先には、一頭の巨大な熊型の魔物がいた。
ブラウンベア。
森の中でも屈指の危険な魔物だ。
レオンなら戦うことはできる。
だが、無傷では済まない相手だった。
ブラウンベアはオルステッドを見つけると、大きく口を開けて咆哮を上げる。
地面が震えるほどの声。
しかしオルステッドは一歩も動かなかった。
ただ静かに立ち、その熊を見つめるだけ。
次の瞬間だった。
熊の咆哮が止まる。
大きな身体が小刻みに震え始めた。
牙を剥いていた口が閉じ、耳が伏せられる。
そして、ゆっくりと後ずさった。
まるで目の前に、自分では絶対に勝てない存在がいると理解したかのように。
数秒後、熊は背を向けると全力で森の奥へ逃げ去っていった。
レオンは目を見開いた。
「戦わない……?」
あれほど凶暴な魔物が、戦う前に逃げた。
そんな光景は初めてだった。
オルステッドは何事もなかったように歩き始める。
レオンも慌てて後を追う。
(この人は……。)
(何者なんだ。)
名前は知っている。
オルステッド。
だが、それ以上のことは何も知らない。
それでも一つだけ確かなことがある。
この男は、自分がこれまで見てきた誰よりも強い。
そして、その背中には、自分が知らない世界が広がっている。
だから追う。
追い続ける。
誰かに教わるためじゃない。
自分の道を見つけるために。
その決意を胸に、レオンは再び竜神の背中を追いかけた
______
それから数日間、レオンは同じことを繰り返した。
朝になればオルステッドの後を追い、夜になれば少し離れた場所で野営をする。
同じ火を囲むことはない。
話しかけることもない。
ただ、竜神がどんな風に歩き、どんな風に周囲を見ているのかを必死に観察した。
最初は何も分からなかった。
だが、人は不思議なもので、毎日見続けていると少しずつ違いが見えてくる。
「足だ……。」
レオンは小さく呟いた。
オルステッドは剣ではなく、まず足が違う。
踏み出す瞬間、足の裏全体で地面を捉えている。
踵から着くこともなければ、つま先だけで歩くこともない。
地面を踏み締めながらも、音を立てない。
レオンも真似をしてみる。
一歩。
もう一歩。
ガリッ。
乾いた枝を踏み抜いた。
「……違う。」
何が違うのか分からない。
それでも諦めずに歩き続ける。
また枝を踏む。
落ち葉が鳴る。
それでも続けた。
その日の夕方には、昨日より少しだけ音が減っていた。
たったそれだけの成長が、レオンには嬉しかった。
______
翌日。
森を抜けた先に、大きな崖が現れた。
下を覗くと川が流れている。
高さは二十メートル近い。
普通なら大きく迂回する場所だ。
しかし、オルステッドは迷わず崖から飛び降りた。
「えっ!?」
レオンは思わず声を漏らした。
慌てて崖へ駆け寄る。
下を覗き込むと、オルステッドは何事もなかったように歩いている。
着地の衝撃すら感じさせない。
「……。」
レオンは唾を飲み込んだ。
真似できる高さではない。
飛び降りれば、自分は確実に足を折る。
仕方なく遠回りを始めた。
崖を迂回し、下へ降りるだけで一時間近くかかった。
ようやく対岸へ着く頃には、オルステッドの姿はもう見えなくなっていた。
「しまった!」
レオンは森の中を走る。
焦るな。
焦れば痕跡を見落とす。
父の教えを思い出しながら、地面へ目を向ける。
折れた草。
僅かに動いた土。
川辺に残る足跡。
それらを一つずつ繋げていく。
しばらく進むと、白い後ろ姿が木々の間に見えた。
「いた……。」
胸を撫で下ろす。
同時に、少し悔しくもなった。
もし本当に強くなりたいなら、いつまでも見失っていてはいけない。
「もっと速く。」
「もっと静かに。」
レオンは心の中で何度も繰り返した。
◇
昼を過ぎた頃。
二人は森を抜け、小さな街道へ出た。
レオンは思わず目を見開く。
石畳ではないが、人が何度も行き来した跡が残る道。
馬車の轍。
人の足跡。
森しか知らなかったレオンにとって、それだけでも新鮮だった。
やがて前方から荷馬車がやって来る。
御者は陽気に鼻歌を歌っていた。
しかし、オルステッドの姿を見た瞬間だった。
「ひっ……!」
御者の顔色が一瞬で青ざめる。
馬は激しく嘶き、その場で暴れ始めた。
「や、やめろ!」
御者は必死に手綱を引く。
それでも馬は恐怖に駆られたように向きを変え、来た道を全力で走り去っていった。
荷台の木箱がいくつも落ち、街道へ転がる。
オルステッドは振り返ることもしない。
ただ歩き続ける。
「なんで……。」
レオンには理解できなかった。
何もしていない。
何も言っていない。
それなのに、人も馬も、魔物でさえ逃げていく。
その理由を知る術は、まだレオンにはなかった。
ただ一つ思った。
(……この人は、ずっと一人で歩いてきたのか。)
その背中が、少しだけ寂しく見えた。
_____
街道を歩き始めてから一時間ほどが過ぎた。
森の中とは違い、道は歩きやすい。
馬車が何度も行き来しているためか、草も少なく、見通しも良かった。
レオンは木陰に身を隠しながら、一定の距離を保って歩く。
オルステッドは相変わらず一度も振り返らない。
気付いているのか、いないのか。
いや、きっと気付いている。
それでも何も言わないということは、追い払う気もないのだろう。
そんなことを考えているうちに、遠くの景色が少しずつ変わり始めた。
森が途切れ、広い草原が見えてくる。
その先には、高い石壁が築かれていた。
「町……。」
レオンは思わず足を止めた。
村しか知らない少年にとって、それは初めて見る大きな町だった。
石で造られた外壁。
見張り台。
開かれた大きな門。
人や馬車が絶え間なく出入りしている。
商人らしき男が荷車を押し、鎧を着た冒険者たちが笑いながら門をくぐっていく。
子どもが走り回り、露店からは焼き肉の香ばしい匂いが漂ってきた。
レオンは目を輝かせる。
(これが……町。)
父と母から何度か話は聞いたことがある。
だが、自分の目で見るのは初めてだった。
胸が高鳴る。
世界は森だけではなかった。
こんなにも多くの人がいて、こんなにも賑やかな場所がある。
レオンはしばらく見入っていた。
しかし、すぐに我に返る。
オルステッドはすでに門の前まで歩いていた。
門番が二人、槍を持って立っている。
レオンは「さすがに止められるだろう」と思った。
だが――。
オルステッドが門へ近付いた瞬間だった。
二人の門番の表情が一変する。
「…………。」
片方の門番は顔を真っ青にし、思わず一歩後ずさる。
もう一人も喉を鳴らしながら槍を握り締めた。
「ど、どうした?」
「分からん……身体が……。」
震えている。
武器を持つ手が、小刻みに震えていた。
それでも門番たちは道を塞がなかった。
いや、塞げなかった。
オルステッドは二人を一瞥することもなく、そのまま門をくぐっていく。
門番は何も言えず、その背中を見送るだけだった。
「なんなんだ、あの人……。」
レオンは小さく呟いた。
魔物だけじゃない。
人まで、あの人を恐れている。
レオンには理由が分からなかった。
ドラゴンを退けるほど強い人物なのだから、尊敬されてもいいはずだ。
なのに、誰一人近付こうとしない。
むしろ、逃げるように道を空けている。
レオンは疑問を抱えたまま、門の近くまで歩いていった。
「君、一人か?」
突然、門番に声を掛けられた。
「え?」
「親御さんはどうした?」
レオンは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……いません。」
門番は何かを察したような顔をした。
「そうか……。」
それ以上は聞いてこなかった。
「町へ入るなら問題はない。ただ、夜中に一人で歩き回るなよ。」
「はい。」
レオンは軽く頭を下げ、門をくぐる。
その瞬間、目の前に広がった景色に息を呑んだ。
石畳の道。
左右に並ぶ店。
武具を売る店、果物を並べた露店、パン屋、酒場。
行き交う人々の話し声が絶えず聞こえ、馬車の車輪が石畳を鳴らしている。
森では聞くことのなかった音ばかりだった。
「すごい……。」
自然と笑みがこぼれる。
八歳の少年には、そのすべてが眩しく映った。
しかし、その視線はすぐに一人の男を追う。
人混みの中を歩くオルステッド。
賑わう町の中にいても、その周囲だけは異様な静けさだった。
人々は彼の姿を見るなり顔を青ざめさせ、慌てて道を譲る。
子どもは泣き、大人は目を逸らし、商人は店の奥へ引っ込んでいく。
誰も近寄ろうとしない。
まるで目に見えない壁があるようだった。
オルステッド本人は気にも留めず歩き続ける。
レオンはその背中を見つめながら、静かに拳を握った。
(この人は……ずっとこんな風に生きてきたのか。)
強すぎるがゆえに恐れられ、誰にも近寄られない。
その孤独は、八歳のレオンには想像もできなかった。
だが一つだけ、心に決めたことがある。
誰が恐れようと関係ない。
自分はあの背中を追う。
追って、見て、盗んで、いつか自分だけの剣を見つける。
その決意は、ドラゴンと出会った日よりも、さらに強くなっていた。
____
夕暮れの町。
石畳を踏む足音だけが静かに響く。
人々は遠巻きにオルステッドを見つめ、誰一人として近寄ろうとはしない。
その背中を、レオンは黙って追い続けていた。
町を抜けると、再び森へと続く道へ入る。
日はすでに沈み始め、空は茜色に染まっていた。
オルステッドは人気のない開けた場所で足を止める。
そして、ゆっくりと振り返った。
金色の瞳が真っ直ぐレオンを射抜く。
「……いつまで付いてくる。」
低く響く声。
レオンは一歩前へ出る。
「強くなりたいんです。」
「そのために付いてきたのか。」
「はい。」
「俺から盗めるものは全部盗みたい。」
しばらく沈黙が流れた。
風だけが草原を揺らす。
やがてオルステッドは小さく息を吐いた。
「口だけなら誰でも言える。」
その言葉と同時に、オルステッドは右足を一歩踏み出した。
それだけだった。
だが、その瞬間、空気が変わる。
レオンの全身に寒気が走った。
(なんだ、この圧力……。)
呼吸が浅くなる。
身体が本能的に逃げろと叫んでいる。
それでもレオンは剣を抜いた。
震える手で柄を握る。
「逃げないのか。」
「逃げたら……強くなれない。」
「そうか。」
次の瞬間だった。
オルステッドの姿が消える。
「――っ!?」
見えない。
どこだ。
右か、左か。
考えるより先に身体が動く。
レオンは咄嗟に剣を横へ構えた。
ガァン!!
凄まじい衝撃。
オルステッドの拳が剣へ触れただけで、レオンは十メートル近く吹き飛ばされた。
「がはっ!」
地面を何度も転がる。
肺から空気が抜け、息ができない。
ようやく身体を起こすと、オルステッドは元の場所に立っていた。
一歩も動いていないように見える。
(速すぎる……。)
ドラゴンとは違う。
圧倒的な暴力ではない。
洗練されすぎた力。
まるで相手に戦うことすら許さない強さだった。
「終わりか。」
オルステッドが背を向ける。
その瞬間、レオンは歯を食いしばった。
「まだです!」
地面を蹴る。
風魔術を脚へ流し込む。
「ウィンド!」
一気に加速。
間合いへ飛び込む。
剣を振ると同時に左手を突き出した。
「ウォーターボール!」
三つの水球が一直線に飛ぶ。
だが、オルステッドは避けない。
パンッ。
軽く手を払っただけで水球は弾け飛んだ。
「魔力の流し方が甘い。」
次の瞬間。
レオンの剣先が空を切る。
オルステッドは半歩動いただけで攻撃をかわしていた。
「剣も重い。」
拳がレオンの腹へ触れる。
ドンッ!!
再び吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
立ち上がる。
また倒される。
それでも立つ。
何度倒されても、レオンは剣を拾い上げた。
腕は痺れ、足は震え、全身が痛む。
それでも諦めない。
「なぜ立つ。」
オルステッドが初めて問い掛けた。
レオンは息を切らしながら答える。
「父さんと母さんに……約束したからです。」
「生きろって。」
「強くなれって。」
「俺は……弱いままじゃ終われない!」
叫ぶと同時に最後の力を振り絞る。
剣を振る。
水球を放つ。
風で踏み込む。
今できるすべてをぶつけた。
しかし。
レオンの剣は届かない。
水球も届かない。
風すら読まれている。
気付けば喉元へ拳が止められていた。
あと数センチ前へ出ていたら、意識を失っていただろう。
「……そこまでだ。」
オルステッドは拳を下ろした。
レオンは肩で息をしながら膝をつく。
悔しい。
何もできなかった。
実力差をこれ以上ないほど思い知らされた。
するとオルステッドが静かに口を開いた。
「八歳にしては悪くない。」
レオンは顔を上げる。
「だが、お前は剣も魔術も中途半端だ。」
図星だった。
剣士には剣で負ける。
魔術師には魔術で負ける。
どちらも極めていない。
「……はい。」
「だが。」
オルステッドはレオンを見つめる。
「剣を振る瞬間に魔術を使おうとする発想は面白い。」
レオンは目を見開いた。
初めてだった。
誰かに自分の戦い方を認められたのは。
「才能はある。」
「磨かなければ意味はない。」
短い沈黙。
やがてオルステッドは踵を返し、森の奥へ歩き始める。
「付いてこい。」
その一言に、レオンは耳を疑った。
「え……?」
「三日だけだ。」
「その間だけ、俺がお前を見てやる。」
胸が大きく高鳴る。
オルステッド
自分よりも格上の男が、自分に稽古をつける。
夢にも思わなかった。
レオンは急いで立ち上がり、大きく頭を下げた。
「お願いします!」
その声を聞いても、オルステッドは振り返らない。
ただ静かに歩き続ける。
レオンはその背中を追いかけた。
今度は盗むためだけではない。
この三日間で、一つでも多くのことを学ぶために。
今後の展開
-
一気に歳をとって成長する
-
修行
-
魔法を極める
-
剣術を極める