恋愛研究部──略して『こいけん!』   作:一等星の夜

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生塩ノア:ミレニアムサイエンススクール、セミナー所属、2年、書記。
ファーストキスは先生のために。

先生:生塩はガチ。


いつでも生塩ノアは記録している

「──というわけで、私も恋愛研究部に入部することにしました」

 

 執務室のソファに腰かけて朝食をとっていた私の目の前にソーサーを並べ、淹れた珈琲を置いてくれたノアはそのまま、私の隣に腰をおろした。

 肩と肩がくっつくほどの距離だったので、私は菓子パンをかじりながら横に少しズレる。

 間髪入れずノアは距離を詰めてくる。

 

「……ありがとう。ていうか早くない? まだ8時半だよ」

 

 執務開始は9時からなので、5分前、もしくは9時ぴったりでもよかったのだが。

 というか、こいけん。設立したばかりなのにもう新入部員が入るのか。しかも生塩ノア。

 

「先生の一挙手一投足をできるだけ記録しておきたいので」

「そう……。まあそれはいいんだけど、なんで入部するの。セミナーは大丈夫?」

 

 会ってすぐ「ケイちゃんから面白い話を聞きましたよ」とノアに言われたとき、それが恋愛研究部のことだということはすぐにわかった。

 

「だって、とっても面白そうじゃないですか」

 

 言って、ノアは満面の笑みを浮かべた。

 

「この世に同じ恋はひとつもないと、そうは思いませんか?」

「まあ、人の数だけそれぞれの色や形があるなとは思うけど」

「それに、最も感情を揺さぶるのは恋心だと私は思っています」

「そうかな」

「ですので、書記としてこれほど記録しがいのある部活は他にないと私は思いました」

「そうなんだ」

 

 よくわからないが、ノアが楽しそうならそれは素晴らしいことだと私は思いました。

 

「ヒマリ部長やトキさん、リオ会長にも声をかけてみようかと思っているのですが、先生はどう思いますか?」

「え、やめた方がいいと思います」

「そうですよね。では声をかけておきます」

「私の話聞いてた?」

「はい」

 

 誰が申請したかもわからない恋愛研究部は、早くもケイ、ノア、ヒマリ、トキ、リオの5人に支配されそうになっている。

 それはちょっと、あまりにも可哀想な気がするのだが。

 いやまあ、申請者が名乗り出てくればすぐにでも部を明け渡すという約束をのんでくれているので、彼女らに限ってそれを反故にすることはないとわかってはいるのだけれど。

 それにしても、ミレニアム随一の問題児──というわけではないが、なにかと目立つ5人が一堂に会するとなれば、あまり良い予感はしないな。

 まあ他の3人に比べればノアはまだおとなしい方であると言えないこともなくはないまである。

 ケイに関しては本当になんというか、ただただ巻き込まれたんだろうなあと思う。

 

「まあ。失礼なことを考えていそうですね」

「いやいや」

 

 真隣の彼女は、私の瞳の奥を覗き込むようにじっとこちらを見つめてくる。

 とりあえず肩がくっついていると緊張して鼓動が速くなるし、いい匂いがしてむず痒くなってしまうので、もう一度私は横にずれて距離をとった。

 間髪入れずノアは距離を詰めてきた。

 

「どうして逃げるんですか?」

「逃げてないよ?」

「逃げてるじゃないですか」

 

 三度(みたび)、距離を取ろうとした私の服の袖を掴んで、ノアはむっと眉を寄せて不服そうな表情を浮かべた。

 

「ほら、もう9時だし、そろそろ執務に取り掛からないとなって思って」

「先生」

「はい」

 

 ノアが発する声のトーンがひとつ下がったので、私は観念して体に入れていた力を抜いた。

 

「私は恋愛研究部に入部しました」

「え、まだだよね?」

「ですので、恋と愛について研究しようと思います」

「はい」

「では失礼します」

 

 言って、ヘッドギアを外したノアがなにをするのかと怯え──構えた私は、次に彼女がとった行動が理解できなくて、肩をびくりと震わせて素っ頓狂な声をあげた。

 

「ノアさん!?」

 

 ノアはこちらに体重を預けて、ぴとりと耳を私の胸もとにくっつけた。

 

「題材その1、鼓動と脈拍について」

「それ恋愛関係ないよね!?」

「とくとく。──どくどくどくどく」

「私の鼓動を口ずさまないで……」

「9時4分32秒。生塩ノアと密着した先生の心臓が刻む律動は、」

「やめて記録しないで」

 

 ノアをどかそうにも、私からノアに触れてしまえばそれも記録されてしまう可能性がある。

 いや決して、今の状況を嬉しく思っている自分がいるとかそんなことは断じてない。いやほんとほんと。

 

「はい。先生の鼓動は記録できましたので、これくらいで許してあげます」

「あ。ありがとうございます、はい」

 

 あっさりと体を起こしてノアは私から離れた。

 いや決して、残念がっている自分がいるとかそんなことは断じてない。いやほんとほんと。

 

「では次です。題材その2、ファーストキスについて」

「いやいや! それはちょっとだいぶまずいと思うんだけど! ほら、私は大人で君は子ども。私は先生で君は生徒だ。わかる?」

「まあ。なにも私からキスをしようという話ではありませんよ。すみません、勘違いさせてしまったようで」

「なにが? してないよ、べつに、勘違いなんて」

「互いの粘膜を接触させるだけの行為に一体なんの意味があるのか。キスをすればなにかが変わるのか。キスをすればなにかがわかるのか。キスをすれば──大人になれるのか」

 

 言って、ノアは胸ポケットから取り出した手帳の表側を私の唇に押し当てた。

 

「……」

「私はそれが知りたいんです」

 

 揶揄うような、いたずらな笑みを浮かべて、ノアは手帳の裏側を自身の唇に押し当てた。

 

「心配しなくても、この手帳は今朝封を開けたばかりの新品ですし、このシャツも綺麗に洗濯してあるので汚れてはいないと思います」

「いやそんな些細なことは気にしてないんですけど……」

 

 べつに、間接キスというわけではない。

 私たちが互いに唇をあてたのは表と裏だし。

 ただ、これってもはや擬似ファーストキスなのでは、とか気持ちの悪いことを思ってしまった自分を殴りたい。

 しっかりしろ、大人だろ、私は。

 

「先生はキスをしたことはありますか?」

 

 視線を太ももの上に置いたヘッドギアに落として、そう訊ねてくるノアの声はどことなく窮屈そうに感じた。

 憂いをおびたようなその表情が、一体なにを物語るのか私にはわからない。

 ただ、真面目に答えなければならないような、そんな気がした。

 

「ないと思う」

「思う……ですか?」

「私の記憶には残ってないからね。赤ん坊の頃はどうだったかわからない」

 

 苦笑した私に、ノアはぱっと顔を上げて、きょとんと目を丸くした。

 

「……ふふっ。なんですか、それ」

「だから、私はキスを知らない」

 

 くすくすと可笑しそうに笑ったノアにつられて、私も笑った。

 

「では──」

 

 微笑したまま、ノアは私の右手に自分の左手を重ねて、こちらに顔を近づけた。

 

「私と、してみますか?」

「──……」

 

 言って、彼女は重ねていた手でゆっくりと私の手の甲を優しく撫でてから、指と指を絡ませた。

 どくどくと、私の心臓が脈打っている音が、彼女にも聞こえているような気がする。

 目と目がばっちりと合っていて、お互いの息づかいまでが鮮明に聞こえてくる。

 時が止まったかのように、私たちはしばらくの間見つめ合ったまま動けなかった。

 

「……」

「……」

 

 本当に、マジでキスする5秒前。

 ってそんなわけないだろう。私は大人で、彼女は子どもなのだから。

 以前とある生徒が「先生と生徒が恋愛をするというのは、キヴォトスでは犯罪ではありません」と言っていたが、それにしてもこんなふうに流されてキスをしてしまうのが先生として、大人として、正しいはずがない。

 だからべつに、決して残念がってなどいない。そう、私は大人なのだから。べつに、本当に。

 

 そう自分に言い聞かせて、ノアを引き離そうとしたのと同じタイミングで、私のスマートフォンが大きな音で鳴った。

 その音に大げさにびくりと肩を跳ねさせて驚いたノアは、絡めていた手を離して、こほんとわざとらしく咳払いをした。

 ポケットから取り出したスマートフォンの画面には、明星ヒマリの名前が表示されている。

 

「……どうしたの、ヒマリ」

 

『ええ、そうです。先生のおっしゃる通り、雲の上に咲く一輪の花。新雪のように高潔で、清水の如く透き通る私──超天才清楚系病弱美少女ハッカーこと明星ヒマリです』

 

「……それで、その超天才ええと、以下略ハッカーが私になんの用かな」

 

『以下略とはなんですか! 略さないでいただきたいのですが!』

 

 2、3分ほどヒマリからお説教という名の文句を受け、もう一度どうしたのかと問いかけたら、とくに用事はなく、ただ先生の声が聞きたかったとちょっとかわいらしいことを言われて、私は少し戸惑ってしまった。

 どう考えても超天才清楚系のとる行動ではないのだが、私は明星ヒマリのように頭脳明晰、眉目秀麗な乙女が意外にもポンコツであるというギャップはかなり好きだ。

 もし今夜流れ星が流れるのなら、ヒマリにとっての明けない夜の消えない星になりたいと願ってしまう程度には、私は明星ヒマリが好きだ。

 

「……」

 

 と、またしても気持ちの悪いことを考えていた私を、ノアはじとりと細めた目で睨めつけてくる。

 かと思えば、にっこりと微笑んで、彼女は私が手にしていたスマートフォンを取り上げて、無情にもヒマリとの通話を切った。

 

「なるほど。これがヒマリ部長の……いえ、みなさんのやり方ですか。ふふっ、しっかりと記録しておきましょう」

 

 たしかに笑顔のはずなのだが、目が笑っていない。

 とても怖い。

 彼女らの間でなにがあったのかはわからないが、とりあえず巻き込まれたくないので、私はそそくさとソファを立ち上がり、執務を始めることにした。

 

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

 

「え、ええと……今すぐに先生に電話をかけてノアの行動を止めるというのはみなさん、満場一致だったはずですよね?」

 

 ぷるぷると体と声を振るわせながら、ケイ、トキ、リオの3人に問いかけるヒマリ。

 

「いえ、私は……」

 

 ふいっと、ケイは目を逸らした。

 

「ヒマリ部長の独断専行です……」

 

 ふいっと、トキは目を逸らした。

 

「非合理的だと私は思っていたわ……」

 

 ふいっと、リオは目を逸らした。

 

「はい!? 私に全ての罪を着せるつもりですか!? というか、やれと言ったのはケイなのですが!?」

「なっ……ち、違います! 私はそのような方法もあることもなくはないと提言しただけで……」

「つまり、悪いのはヒマリ部長とケイのお二人ですね」

「なんでそうなるんですか!」

「私のスマートフォンを取り出して先生に電話をかけたのはあなたですよ! トキ!」

 

 ぎゃーぎゃーと争い合う3人を横目に、リオはきゅっと胸もとを握りしめ、心底安堵のため息をこぼした。

 本当に、なにもしなくてよかった──と。

 

「リオ! なに自分ひとり安心しきっているんですか! 言っておきますが、止めなかったあなたも同罪ですからね!」

 

 理不尽だということは百も承知で、ケイはリオに詰め寄った。

 

「そうです! だいたい、あなただって同じ気持ちだったくせに我関せずというのは卑怯ですよ!」

 

 これは理不尽ではなく、正論だ──とヒマリはリオに詰め寄った。

 

「リオ会長。残念ですが、この世の全ての不利益は当人の能力不足です」

 

 ふんすと、なぜだか得意げにトキはいつかどこかで読んだマンガのセリフを口にした。

 

「ま、待ってちょうだい……今回ばかりは私は本当になにも……」

「連帯責任です!!!」

 

 3人同時に、同じ言葉を叫んだ。

 そんな彼女らの圧に押されて、リオはしゅんと俯いてしまい、反論は出てこなかった。

 

「……」

 

 そんなリオの姿を見てさすがに可哀想かとも思ったが、ケイは、まあリオが私にしたこと(AMAS)に比べれば──と半ば無理やり自分を納得させた。

 

「……」

 

 ヒマリは、まあ、リオが散々しでかしたことに比べればこのくらいは──と普通に自分を納得させた。

 

「……」

 

 トキは、リオは不憫な姿が結構様になっているし、そういうのは割と先生が好きそうだな──と感心していた。

 

 

 

 

 




生塩(ノア)はガチ(でかわいい)
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