※後書きにて二鳥の挿絵を描きました。
その男が一龍の背後から姿を現した瞬間、私の全身の羽毛は、文字通り逆立っていた。鋭く尖った嘴。深海のような不気味さを湛えた、深い青色の皮膚。そして、立っているだけで周囲の空間を威圧するような、強靭かつ巨大な肉体。
――ブルーニトロ
かつて我が同胞たるレッドニトロを家畜のように扱い、果てしない調理の奴隷として監禁し続けた、あの忌まわしき貴族階級の姿が、そこにあった。
「ひっ……!」
隣でジジが小さく息を呑み、チチが咄嗟に身構えるのが気配で分かった。私はといえば、恐怖のあまり喉が震え、いつもなら溢れ出てくる言葉が、ただの一言も出てこない。一龍、まさかお前は、私たちを売ったのか……!?
私たちのそんな絶望を察してか、案内人である一龍は、にっと豪快な笑みを浮かべて手を頭の後ろで組んだ。
「おいおい、そんなに怯えんなって。悪かったよ、急に連れてきて。こいつはな、あんたたちの隠れ家を改築するために、俺が直々に呼んだ『兄弟』だ。……ほら、二鳥。ちゃんと挨拶しろよ」
一龍に背中をぽんと叩かれ、その巨大なブルーニトロが、一歩前に進み出る。私は奥歯を噛み締め、最悪の事態を覚悟した。ブルーニトロの傲慢な声が、私たちを虫ケラのように見下す言葉が響くのだと、そう確信していた。しかし…
「あ……えっと。初めまして! アカシア様の弟子で、二鳥っていいます。一龍兄さんに、皆さんの隠れ家の改築をしてくれって頼まれて来ました。よろしくお願いします!」
「え……?」
私の嘴から、間の抜けた声が漏れた。差し出された言葉があまりにも……そう、あまりにも『素直な好青年』のそれだったからだ。耳を疑った。
ブルーニトロ特有の、あの胸をかきむしりたくなるような冷酷な
(……おかしいですね。ブルーニトロの精神構造というのは、遺伝子レベルで選民思想が刻まれているはずなのです。それゆえ彼らの声帯から発せられる言葉には常に他者を圧迫する特有の周波数が混ざるものなのですが、この二鳥と名乗る方の声波にはそれが全く見られず、むしろ親愛と緊張の成分が九割を占めており、これはいったいどういうことなのでしょうか……)
いつもの癖で脳内解説が始まりかけた、その時だった。二鳥の視線が、じっと私に注がれた。私は思わず身をすくませ、白長衣のフードを深く被り直そうとした。やはり、今のは猫を被っていただけで、これから本性を現すのではないか!
だが、違った。彼の青い顔が、なぜか目に見えて赤く染まっていく。私を見たまま、言葉を失ったように呆然と立ち尽くし、それから大慌てで視線をあちこちに彷徨わせながら、自身の嘴を大きな手で覆った。
「か、可愛い……」
心の声が、物理的に漏れている…一目惚れした男のそれ以外の何物でもない
「……!カカ、お前気に入られたみたいだな?」
一龍が驚きつつも、肩をすくめてニヤリと笑う。
「一龍!! からかわないでください! 私はただ、この二鳥という方の細胞と精神の不一致について、生物学的な観点から考察を巡らせていただけです!」
たまらず声を大にして反論する私に、二鳥はさらに顔を真っ赤にして、ブンブンと手を振った。
「あ、あの! 睨んだり、変な意味で見たんじゃないんです! カカさんがあまりにも……その、長衣の着こなしとか、お綺麗な方だなと思って見惚れてしまって! すみません、俺、大工なもんで、綺麗な構造のものを見るとついじっくり見ちゃう癖があって……!」
「…… 大工……?」
またしても処理しきれない単語が飛び出し、私の頭は混乱でパンクしそうになる。けれど、必死に誤解を解こうと顔を真っ赤にして一生懸命に喋るブルーニトロの姿に、私の胸の奥の警戒心は、いつの間にか、形を変えていた。
(……大工、ですか。建築の専門職ですね。構造美を理解されるのは素晴らしいことですが、私の容姿を構造物と同列に語るのは少々おかしな話でして、そもそもブルーニトロの肉体を持つあなたが、なぜそのような人間の言葉を……)
「よし、挨拶も済んだことだしな。二鳥、さっそく隠れ家の図面を見せてやれよ」
一龍が楽しそうに促すと、二鳥は「了解っ!」と嬉しそうに大きな風呂敷を広げた。
「カカさん、ここの間取りなんですけどね! 皆さんが調理しやすいように、グルメ界の強風をいなす『木組み』の技法を使って、風通しと湿度を完璧に管理できる設計にしたんです。この柱の材質はですね――」
ひとたび建築の話になると、先ほどまでの緊張が嘘のように、二鳥の口から熱を帯びた長話がノンストップで飛び出し始めた。
「おぉ……! その木組みの技術、非常に興味深いですね! しかし、その材質ですと、私がここで調理する予定の発酵食材の菌糸が根付いてしまう恐れがあります。発酵菌というのはですね――」
気づけば私も、フードを脱ぎ捨てて図面に身を乗り出していた。ジジとチチが「おいおい、お喋りな奴がもう一人増えちまったぞ」と呆れ顔で笑っているのにも気づかないまま、私は、その青く奇妙な大工の言葉に、これまでにない心地よさを感じ始めていたのだった。
◆
「ふぅ……。ひとまず、これであそこの隠れ家の改築も一段落だな、一龍兄さん!」
味仙人たちの隠れ家からの帰り道、二鳥は肩に担いだ愛用の大工道具をガタつかせながら、爽やかに汗を拭った。 傷んでいた柱の補強から、施主の快適性を考えた間取りのリフォームまで、中途半端な仕事を嫌う職人として完璧にやり遂げた充実感がその顔には溢れている。
そんな弟の姿を見ながら、隣を歩く一龍は内心でガッツポーズを突き出していた。
(よしっ、大成功だ! 二鳥のやつ、作業中もずっとカカのことを見てたからな……! お節介かと思ったが、連れてきて大正解だったぞ!)
一龍の「弟のための恋活作戦」は見事に的中していた。二鳥は、高い知性と豊かな感情を持つレッドニトロの『カカ』に、完全に一目惚れをしていたのだ。 作戦の成功を確信し、一龍が「なぁ二鳥、あそこの三人はどうだった?」とニヤニヤしながら水を向けようとした、その時だった。
「……なぁ、一龍兄さん」
それまで明るかった二鳥の声が、急に少しトーンを落とした。 大工道具を背負い直した二鳥は、どこか遠くを見るような目で、ぽつりと呟く。
「カカさん……すごく、素敵な人だったな。優しくて、料理にも詳しくてさ。……恥ずかしい話、俺、一目見たときから、その、胸の奥がぎゅってなるくらい惹かれちまったんだ」
「おおっ! そうかそうか!」
一龍が我が事のように身を乗り出そうとしたが、二鳥はすぐに自嘲気味な笑みを浮かべて首を振った。ブルーニトロの大きな嘴が、寂しげに下を向く。
「だけど……やっぱり、俺のこの恋は実らないよな。諦めなきゃダメだぞ?」
「あ? なんでだよ! お前あんなにカカのこと見てたじゃねぇか!」
「そりゃ、見てたけどさ……。一龍兄さんも知ってるだろ? 俺のこの肉体はブルーニトロだ。大昔、レッドニトロを奴隷みたいに酷い扱いで支配してた、いわば歴史的な天敵の種族なんだよ。中身がいくら人間だからって、見た目はあのカカさんたちを苦しめてきた種族そのものなんだ」
二鳥は真面目な顔をして、自らの大きな爪を見つめた。 義理堅く生真面目な二鳥だからこそ、味仙人たちの過去の苦難や、種族としての筋を無視して「好きだ」と踏み込むことができなかったのだ。相手を尊重するからこそ、一歩引いてしまう純朴さとシャイな本性が出ていた。
「カカさんは優しいから、俺が改築してる時も笑顔で接してくれた。だけど、俺がその気になって近づいたら、本当は怖いかもしれないし、過去の傷を思い出させちゃうかもしれないだろ? ……そんなの、職人としても、男としても絶対に嫌なんだ。だからさ、この気持ちは俺の胸の奥の、一番頑丈な引き出しにしまっておくのが正解だな!」
そう言って、二鳥はいつもの接しやすい、カラッとした笑顔を作ってみせた。 寂しさを隠して「これが施主のためだ」と自分を納得させようとする弟の健気な姿に、一龍の胸は熱い涙と、兄としての使命感で爆発しそうになっていた。
(二鳥……! お前ってやつは、どこまで……!!)
そんな種族の壁なんて、あの味仙人たちが気にするはずがない。何よりカカだって、二鳥のあの泥臭くも真剣に家を直す「職人の姿」を、間違いなく好意的な目で見ていたのを一龍は目撃している。
「待て、二鳥! 早まるんじゃねぇ!」
一龍は二鳥の前にガシッと立ちふさがると、熱い眼差しで弟の肩を掴んだ。
「一龍兄さん……?」
「お前のその生真面目なところは最高にカッコいいが、ここで引いたら男がすたるぞ! 種族の過去がどうだか知らねぇが、今のカカが見てるのは、ブルーニトロの皮を被った『大工の二鳥』っていう、世界一素直で頑固な優しい男だ! 諦めるなんて俺が許さねぇ! 兄貴を信じて、もう一肌脱いでみろ!」
「――一龍兄さん……」
兄からのどこまでも熱い鼓舞に、二鳥は目を丸くすることしかできないのだった。
◆
「……おかしいですね」
一龍と二鳥が去り、見違えるほど頑丈で快適になった隠れ家で、私は一人、胸元を抑えて深くため息をついた。あの青い大工が残していった木組みの柱は、驚くほど正確に振動をいなしている。環境としてはこれ以上ないほど完璧なはずなのに、私の体調は、二鳥がここを去った数日前から明らかに狂い始めていた。
「胸が締め付けられるように苦しい……。食欲はありますが、胃の腑ではなく、この胸の奥が妙にモヤモヤと疼くのです。これは……かつてグルメピラミッドの奥地で食べた、あの猛獣の毒による後遺症でしょうか? いえ、あの時の毒素はすでに私の細胞が完全に分解しているはず。成分を分析するなら、あの毒は麻痺性のアルカロイドであり、心臓への直接的な圧迫を齎すものでは――」
「おいおい、またカカの長話の病気が始まったぞ」
私の独り言を耳ざとく拾ったチチが、あばら骨付きの肉を齧りながら呆れた声を出す。その隣で、ジジが
「おいカカ、お前さっきから『二鳥が帰ってから胸が苦しい』だの『あいつの顔を思い出すと体温が上がる』だの言っとるが……それ、新種の病気でも猛獣の毒でもねぇぞ」
「へ? 毒じゃないなら、いったい何なのですかジジ。まさか、あの隠れ家の建材に、私にとって未知のアレルギー物質が含まれて――」
「人間の言葉で言う、『恋煩い』ってやつじゃないのか?」
ジジの言葉に、私は完全に硬直した。
「こ、恋……わずらい……?」
「なんだカカ、知らねぇのか? 人間界の若い奴らがよくかかるやつだ。特定の相手のことが頭から離れなくなって、胸が苦しくなったり、飯が喉を通らなくなったりするんだとよ。かっかっか、あの小僧、ブルーニトロの癖に妙に優しかったからなぁ!」
チチまで悪ノリしてガハハと笑い、私の背中をバシバシと叩く。その瞬間、私の頭に、カッと血が上るような衝撃が走った。
「な、何を不謹慎なことを言っているのですか二人とも!!」
私は普段の冷静さを完全に失い、声を荒げて立ち上がった。羽毛が怒りと困惑で逆立ち、白長衣の袖が激しく揺れる。
「私が、あのブルーニトロに……!? あり得ません、絶対にあり得ません! ブルーニトロといえば、我らレッドニトロを何百年も家畜のように虐げ、調理の奴隷として監禁し続けてきた仇敵の種族ですよ!? そのような存在に対して、私が人間のような……そんな破廉恥で、甘苦しい感情を抱くなど、天地がひっくり返っても絶対に、絶対にあり得ないことです!!」
一息にまくし立て、私は自分の言葉で自分を納得させるように、ふん、と息を荒くして座り直した。そうだ。あいつの見た目はブルーニトロだ。私は彼らの恐ろしさを、歴史を、誰よりも知っている。しかし…
「――っ」
『絶対にない』と激しく否定したその瞬間、なぜか胸の奥が、言葉にできないほど鋭く、痛んだ。まるで、自分の心に嘘をついた代償として、胸の細胞がギリギリと悲鳴を上げているかのような苦しさを感じた。
(な、何ですか、この苦しみは……? 否定すると、なぜこんなにも息が詰まるのですか……?)
チチとジジは、図星を突かれて慌てる私を見て「ほら見ろ、やっぱりそうじゃねぇか」と、さらにニヤニヤと笑い合っている。だが、私は笑えなかった。認められるはずがなかった。認めてはならないのだ!
(あの方は、確かに優しかった。中身はただの大工だと言っていました。私の話を、あんなに嬉しそうに聞いてくれたブルーニトロなんて、歴史上どこにも存在しない。けれど……私のこの感情を『恋』だと認めてしまえば、私は、同胞たちのこれまでの苦難の歴史を、彼らを虐げてきた『ブルーニトロ』という存在を、許してしまうことになるのではないですか……?)
それは、ニトロという種族の誇りに関わる問いだった。いや、それ以上に、今まで経験したことのない「名もなき感情」の巨大さに、ただ恐怖しているだけなのかもしれない。
(いえ、違います。これはやはり、新しい寄生虫の類です。脳の神経伝達物質に作用し、特定の記憶を呼び起こすことで宿主の判断力を奪う、極めて悪質な害虫……。まずは私の血液を採取し、成分を遠心分離にかけて、あの時に二鳥が持ってきてくれた木材の成分と照合し……)
それ以降、カカはチチたちの声を無視し、長衣のフードを深く被り直して、再びどこまでも深い思考の沼へと沈んでいくのだった。
説明が長いカカは漫画で言いたいことを最後まで言えてないんです。
本作において、二鳥はカカが言いたいことを最後まで言わせてくれる、聞いてくれる存在であり、職人気質で真面目な性格に惹かれています。
……まぁ…ブルーニトロとレッドニトロの支配関係、というとんでもない壁があるんですけどね…
【挿絵表示】
左が攻め、右が受けをイメージして描いてみました。
攻め側は一龍に茶化されて拗ねている感じです。
受け側は街に行くときはまだ怖いから胸に手を置いている感じです。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?