「あの、カカさん……」
フードを深く被って「失敗です」と落ち込むカカさんを見かねて、俺は顔をさらに真っ赤にしながら、ぽつり、と声を絞り出した。
「チチの言っていること……実は、間違っているわけじゃないんです」
「え……?」
カカさんがフードの隙間から、驚いたように大きな瞳を瞬かせて俺を見上げる。
「俺の、その……故郷の知識なんですけど。その行為は確かに……人間界とかでは、本当に親密な『恋人同士』が、お互いの仲を深めるためにやることが多いんです。だから……」
そこまで言って、俺はそれ以上言葉が続けられなくなり、黙って視線を泳がせた。『俺たちも恋人同士になったんだから、間違ってない』なんてストレートなセリフ、俺にはそんなの恥ずかしすぎてとても口には出せなかった。
しかし、俺のその沈黙と真っ赤な顔から、カカさんはすべてを察したようだった。
「恋人同士、ですか……」
カカさんは自分の小さな手で重箱を見つめ、いつものようにぽつぽつと脳内分析を口に出し始めた。
「通常、栄養摂取という行為において、他者の手を介して咀嚼腔へ食材を投入することは、運動エネルギーの伝達ロスが生じるだけでなく、咀嚼のタイミングとのズレにより消化液の分泌効率を低下させる、極めて非効率的な食事方法と言えます。食事にかかる総時間も、通常の三倍以上に増えることは確実であり、大工仕事のスケジュールを考えるなら、今すぐ中止すべき悪癖であるはずなのですが……」
カカさんはそこで一度言葉を切り、再び、肉団子を箸でそっと摘み上げた。羽毛は相変わらず真っ赤なままで、けれど、その瞳にはどこか覚悟を決めたような、愛おしげな光が宿っている。
「……ですが、私とあなたが『恋人同士』であるならば、この非効率的な時間を共有することこそが、私たちの細胞の結びつきを強める最上の合理性を持つのかもしれません。……ですから二鳥さん、もう一度、口を開けてください。……ほら、あ、あ〜ん……です」
「――っ!」
一度目よりもさらに気持ちがこもったカカさんの「あ〜ん」に、俺のグルメ細胞は狂喜乱舞し、心臓のバクバク音は限界値を突破した。けれど、カカさんが俺のために「効率」を捨ててまで頑張ってくれているんだ。男として、これに応えないわけにはいかない。
俺は真っ赤になりながら、カカさんの差し出した料理を次々と口に含んだ。咀嚼するたびに、カカさんの想いと極上の美味が胸の奥に染み渡っていく。カカさんは俺が食べるたびに、嬉しそうに、けれど照れくさそうに嘴をパチパチと震わせていた。
しかし、数口ほど貰ったところで、俺の精神が持たなくなった。このままでは、カカさんの可愛らしさに俺の心臓が物理的に爆発してしまう。
「……カ、カカさん。ちょっとストップ」
「はい? どうかしましたか二鳥さん、やはり味覚の伝達効率が――」
「これ以上やられたら、俺の心臓が持ちません。……だから、今度は、俺からやらせてください」
「え……っ!?」
今度はカカさんが呆気にとられる番だった。俺はカカさんの手からお弁当箱と箸をそっと預かると、中に綺麗に詰められていた、彩り鮮やかな野菜の含め煮を一切れ摘み上げた。ブルーニトロの大きな手で箸を持つのは少し不器用に見えたかもしれないが、俺の『中身』は、これ以上ないほど指先に集中していた。
「カカさん……。口、開けてください」
俺は目線をカカさんの低さに合わせ、顔を真っ赤にしながら、その小さな嘴の前に箸を差し出した。
「お、俺も……その、カカさんと、もっと仲良くなりたいですから。……ほら、あ、あ〜ん……」
「な、ななな……っ!?」
カカさんは全身の羽毛を今までにないほど直立させ、長衣の袖で顔を隠そうとした。
「あ、圧倒的な威圧感……いえ、これは威圧感ではなく、あなたの魂から発せられる純粋な親愛の質量であり、私の
「カカさん、料理の水分が飛んじゃいますから、早く!」
「う、うぅ……! 食べます、食べれば良いのでしょう……!」
カカさんは恥ずかしさのあまり涙目で小さく叫ぶと、意を決したように小さな嘴をそっと開け、俺の差し出した野菜をパクッと口に含んだ。
「……っ」
咀嚼するカカさんの顔が、みるみるうちに真っ赤なリンゴのように染まっていく。カカさんは両手で顔を覆ったまま、小さくなってコクンと飲み込んだ。
「……美味しい、です。非常に、胸の奥が熱くなる味が、いたします……っ」
「……良かったです」
お互いに顔を真っ赤にしたまま、小さな丸太の上で身を寄せ合う二人。その空間だけは、グルメ界のどんな過酷な環境をも寄せ付けない、世界で一番甘くて不器用な、特等席の空気が流れていた。
数十メートル先の岩の陰で、チチが「ヒューッ! 二鳥のやつ、やり返しやがったぜ!」と一龍の頭を叩き、ジジが「若いなぁ、眼福じゃて」と煙管の煙をハート型に燻らせていることなど、今の二人の耳には、ただの風の音にしか聞こえていないのだった。
◆
どうにかお弁当の重箱を空にしたものの、俺――二鳥は、無骨な丸太の上で完全に魂が抜けかけたようになっていた。
(美味しかった……めちゃくちゃ美味しかったけど、大工仕事の三倍は精神的疲労が溜まった気がする……)
俺はへなへなと肩を落とした。まさか、恋人と「あ〜ん」のさせ合いをするだけで、ブルーニトロの強靭な精神力がここまで摩耗するとは想像もしていなかった。俺のメンタルは、すでにキャパシティを大幅に超えている…
「あの、二鳥さん……」
カカさんが、空になった重箱を丁寧に包み直しながら、少し気まずそうに俺の顔を覗き込んできた。
「あ、はい! カカさん、お弁当、本当にごちそうさまでした。めちゃくちゃ元気出ました!」
大慌てで背筋を伸ばす俺に、カカさんは羽毛を少し揺らし、静かに首を振った。
「いえ、元気が出たようには到底見えません。現在のあなたの脳波および自律神経のバランスは、極度の緊張状態から解放された直後のディープスリープに近い疲弊を示しており、このような状態で午後の工事を再開することは、作業効率を低下させるだけでなく、安全管理の観点からも看過できません……ですので、私はこのままこの場所に残ることにいたします」
「え? カカさん、ここに残るんですか?」
「は、はい。今後の建築において、調理器具の配置や、調味料を保管するための棚の高さ、あるいは発酵食材を熟成させるための床下収納の気密性などについて、私から細かいお願いや要望を随時お伝えした方が、手戻りがなくて合理的ですから……っ!」
カカさんはフイと顔を真っ赤にして視線を逸らしたが、その小さな手は、まだ俺の衣服の袖をぎゅっと掴んだままだった。
(……というのは、ただの建前でして。本当は、お昼の件で私の何倍も動揺してしまい、明らかに午前中よりも集中力を欠いているあなたのことが心配で、どうしても傍を離れたくないだけなのですが……これは私の過保護な防衛本能的なものであり……」
心の声が漏れていないと思っているカカさんだったが、彼女のその不器用な優しさは、俺の心に温かく筒抜けだった。
「……ありがとうございます。カカさんが傍にいてくれたら、俺、どんな難しい設計でも完璧に作れる気がします」
俺がそう言って微笑むと、カカさんはまた「うぅ……」と長衣のフードを深く被り直して小さくなってしまった。
◆
一方、そんな二人を遠くから見守っている、岩陰の保護者ネットワーク。一龍は、二鳥が午前中に組み上げた巨大な骨組みを見上げながら、呆れたように、けれど本当に楽しそうにガハハと笑っていた。
「おいおい、チチ、ジジ。あいつ、俺たちの前じゃ『恋人とイチャイチャする部屋』を作るって、恥ずかしそうに言ってたよな?」
一龍は、顎をさすりながら構造を指差した。
「どう見てもあれ、ただの個室じゃねぇぞ。土台の広さも、柱の太さも、どう考えても本格的な『一軒家』のそれだ。グルメ界の天変地異が起きてもびくともしねぇような、頑丈で立派な家を建てる気満々じゃねぇか。かっかっか、二鳥の奴、カカにゾッコンなのが骨組みの段階で丸分かりだな!」
「おう、大工の野郎、気合が入ってやがるぜ!」
チチが肉を放り込みながら笑う。
「カカに最高の暮らしをさせたいんじゃろうて。男の甲斐性じゃな」
ジジも目を細めて煙管をくわえ直した。
◆
「よ、よし! カカさん、さっそく午後の作業に入ります! まずは……あの柱の補強からだ!」
カカの視線をすぐ近くに感じながら、二鳥は午前中以上に顔を真っ赤にして、不器用ながらも力強く木槌を握り直した。
一龍の言う通り、二鳥の頭の中にある設計図は、いつの間にか「部屋」なんて規模を遥かに超え、カカと一緒にずっと暮らしていくための「最高のマイホーム」へと、職人の意地と愛の力で進化してしまっていた。
カン、カン、と響く木槌の音が、二人の未来の足音のように、静かなグルメ界の境界に心地よく響き渡っていくのだった。
◆
「――よし、今日の作業は一旦これくらいにしておきましょう!」
夕暮れ時、グルメ界特有の美しい残照が骨組みを茜色に染める中、俺――二鳥は木槌を置き、大きく息を吐き出した。午後の作業は、俺にとってこれまでで最も刺激的で、最高の時間だった。傍らに残ってくれたカカさんから、随時、プロの料理人としての鋭い要望が飛んでくるのだ。
「二鳥さん、調理器具の配置ですが、私の腕の可動域と歩幅の平均値から計算するなら、コンロからシンクへの動線はあと30センチ短くすべきです」
「調味料の棚の高さは、長衣の袖が引っかからないよう、私の目線よりやや低めの設計に……」
「発酵食材を熟成させるための床下収納ですが、グルメ界の特殊な菌を安定させるには気密性が命です。建材の隙間を埋めるコーキング材の成分は、私の細胞が分泌する体液の成分と照合して――」
ひとたび食と調理の話になれば、お互いに一歩も譲らない長話という名の専門知識の応酬が始まる。
俺も大工の意地にかけて、「だったら、ここの木組みの角度をこう変えて、気密性と動線を両立させましょう!」と熱く返し、気づけば、午前中よりも何倍も頑丈で機能的な『家』の形が出来上がっていた。
「仕上げと完成は、明日にします。カカさんのこだわり、全部完璧に形にしてみせますから」
「ええ……本当に素晴らしい手際です、二鳥さん。私の細かすぎる要望を、これほど正確に図面を超えて具現化できる大工など、世界広しと言えどあなたしかいません!」
カカさんは嬉しそうに両手をパチパチと鳴らし、「では、私は隠れ家に戻りますね」と重箱を抱え直して歩き出そうとした。
「あ、カカさん! ちょっと待ってください!」
俺は慌てて、去ろうとするカカさんを呼び止めた。自分のの顔が、またじわじわと熱くなっていくのを感じながら、帽子の鍔をぐっと掴んで恥ずかしそうに切り出す。
「あの……明日のお弁当、なんですけど。……また、お願いしても、いいですか……?」
「え……っ!?」
カカさんはピきりと硬直した。昼間からの怒涛のアプローチ(あ〜んの応酬)を思い出したのだろう、白長衣のフードの奥の顔が、瞬く間に夕焼け空よりも真っ赤に染まっていく。
「お、お弁当、ですか……っ。そ、その、……リクエストは、何かありますか……?」
カカさんは照れ隠しにツンとそっぽを向きながらも、上目遣いで、どこか期待を込めた瞳で俺の反応を待っていた。
「カカさんの作る料理なら、俺、何でも大好物ですから!」
俺がストレートにそう伝えると、カカさんははっと息を呑み、それから少し困ったように眉をひそめて見せた。
「あのですね二鳥さん、料理人にとって『何でも良い』というのは、一番メニューの選定に困る言葉なのです……っ。食べる側の現在の疲労度や、グルメ細胞が求めている栄養素のバランスを的確に把握し、それに合わせた完璧な献立を構築することこそが調理の基本であり、それを放棄した『何でも良い』などというオーダーは……」
いつもの理屈っぽい早口の長話。けれど、その言葉とは裏腹に、カカさんの羽毛は嬉しそうにふわふわと逆立っており、その表情には「私の料理が大好物」と言われた喜びが、隠しきれずに全面に溢れ出ていた。
(……うぅ、私の作った料理なら、何でも、大好物、ですか……。そんなことをストレートに言われては、私の心臓の鼓動がまた通常の1.5倍以上に跳ね上がってしまい、明日のメニューに私のすべての愛と栄養素をこれでもかと詰め込んだ、過去最高に非効率的で贅沢な愛妻弁当を作らざるを得なくなってしまうではないですか……!)
「……わ、分かりました。あなたが明日、さらに効率よく大工仕事に邁進できるよう、私の全力を尽くした特製のお弁当を、調理しておきます……っ!」
「はい! 楽しみにしてます!」
カカさんはそれだけ言うと、もう限界とばかりに顔を真っ赤にしたまま、走るような速さで隠れ家へと帰っていった。その後ろ姿を見送りながら、俺は胸の奥の温かさに満たされ、自分の仕事道具を片付けた。
「よし、俺も帰るか」
夕闇が降りるグルメ界の境界を、俺は軽やかな足取りでアカシア先生たちの待つ家へと向かって歩き出した。明日、あの家が完成する。カカさんの喜ぶ顔と、明日のお弁当(そして、きっとまたあるだろう、あ〜んの時間)を思い浮かべながら、俺の心は一足早く、明日の最高の青空へと飛び立っているのだった。
次回、二鳥は一龍にめちゃくちゃイジられます
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?