楽しく賑やかな落成祝いの食事が終わり、夕闇が本格的に新居を包み込む頃、アカシア様たちは帰路に就くことになった。
フローゼ様は「美味しいお弁当をありがとうね、カカさん。二鳥をよろしくね」と優しく微笑み、アカシア様も「良い家だ。二人で温かい場所にしていきなさい」と、父親としての温かい眼差しを向けてくれた。
しかし、やはり最後の一言を忘れないのが一龍兄さんだ。玄関先でニヤニヤとした笑みを浮かべると、俺の肩を力強く叩く。
「じゃあな二鳥、カカ。……二人っきりの夜を、せいぜい楽しめよ!」
「ぶっ――!? 兄さん!最後の最後まで何を言ってるんだ!」
俺は大慌てで文句を言おうと追いかけようとするが、一龍兄さんは「ガハハハ!」と豪快な笑い声を残し、まるで嵐のように一瞬で姿を消してしまった。
静まり返った新居の広間に、ぽつんと二人きり。外からはグルメ界の境界特有の風の音がかすかに聞こえるだけで、部屋の中には、昼間の賑やかさが嘘のような濃密な静寂が広がっている。
二鳥がどう声をかけようかと真っ赤になって狼狽していると、隣に立つカカが、白長衣の裾をぎゅっと握りしめたまま、頬をこれ以上ないほど赤らめて口を開いた。
「……二人っきりの…夜、ですか」
「あ、いや、カカさん! 兄さんのやつはいつも通りからかってるだけだから、気にしなくて――」
「いえ、気にしないわけにはいきません二鳥さん……っ。一龍の言動は不謹慎ですが、私は今、これからの二人の時間について、ある一つの『重大な仮説』に到達いたしました……っ!」
カカはフードの奥から、恥ずかしさに潤んだ、けれどどこか真剣な瞳をまっすぐに二鳥へと向け、いつものように熱を帯びた早口で語り始める。
「先ほど、ジジが私にこっそり教えてくれたのですが……人間界の特殊な生態系、あるいは精神医学の分野において、恋人に対して強く興奮した状態に陥ると、個体は相手を『食べたくなる』という非常に奇妙な衝動に駆られるのだそうです。……これは通常の消化器官を満たすための食欲ではなく、好意の質量が脳の許容量を超えた結果生じる、特殊な精神的飢餓状態であると考えられます」
「え? いや、それは比喩表現というか、人間界特有のちょっとした言葉の綾でして……」
二鳥は慌てて補足しようとしますが、カカの職人としての(そして恋を自覚した乙女としての)思考は止まらない。
「ですが、二鳥さん! 先ほどアカシア様がおっしゃっていた通り、私たちニトロという種族は、純粋な『食欲』そのものが生物の形となって産まれる存在です。ですが……もし、人間界のその『興奮して相手を食べたくなる』という衝動が、この世界における広義の【食欲】に分類されるのだとしたら……」
カカは一歩、二鳥との距離を詰めると、真っ赤な顔のまま、愛おしげに二鳥を見つめた。
「私たちが今、お互いに対して抱いているこの胸の激しいときめきや興奮……この『食べちゃいたいほどの好意』を極限まで高めて煮詰め、新しい【食欲】として具現化させることができたなら……。私とあなたの間に、可愛い子どもが産まれる可能性は……構造上、決して『ゼロ』ではないかもしれません……っ!」
「カカさん……っ!」
そこまで一気にまくし立てたカカは、自分の立てた突飛で、けれどあまりにも一途な仮説の恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、「うぅ……っ、これはあくまで生物学的な可能性の提示であり、私がその、あなたに今すぐ食べられたいとか、逆にあなたをどうこうしたいという意味では決してなく……っ!」と、再び長衣のフードを深く被り直して、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
二鳥は、完全に呆気にとられた後、胸の奥にある『魂』が、愛おしさと愛の重さで張り裂けそうになるのを感じていた。
種の壁すら、その真っ直ぐな情熱と独自の理論で超えようとしてくれる、世界一お喋りで、世界一愛おしい俺の恋人。
「……カカさん。その仮説が本当かどうか、これから二人で、一生かけてゆっくり確かめていきましょう」
二鳥はそっと膝をつき、しゃがみ込むカカの小さな身体を、新居の温かい闇の中で優しく、力強く抱きしめるのだった。
カカの突飛でありながらも一途な仮説を受け止めた二鳥は、彼女をそっと腕の中に抱き上げ、新調したばかりのベッドへと向かった。
大工として自分が心を込めて作った頑丈なベッドの上で、カカを包み込むように、押し倒す形になる。
「……それじゃあ、カカさん。早速、その仮説が正しいかどうか……確かめさせて」
二鳥が顔を熱くしながら真剣に持ちかけると、カカは長衣の胸元をぎゅっと握りしめ、恥ずかしそうに、けれどまっすぐに見つめ返す。
「はい……。私、覚悟は、出来ています。未知の領域の検証ですが、あなたと一緒なら……」
鋭いブルーニトロの瞳と、まつ毛の長いレッドニトロの瞳。これまでは恐怖や歴史の壁に遮られていた視線が、今は純粋な親愛の熱量だけで交差している。
愛おしい相手の顔を見つめ続けるうちに、二人の身体から発せられる体温が、じわじわと、しかし確実に上昇していくのを、二人は肌で感じていた…
◆
翌朝、差し込む柔らかな朝日の眩しさに、俺――二鳥は目を覚ました。視界に映ったのは、新築の木の天井。そして、右腕に伝わる驚くほど温かくて心地よい重みだった。
(……あ、そうだ。昨日、家が完成して……)
二鳥の脳が、昨晩の出来事をゆっくりと再生し始める。ハッとして腕の中を見下ろすと、そこにはローブとターバンを身に纏っていない、綺麗なストレートヘア姿を晒す無防備状態のカカさんが静かに息を立てて眠っていた。
「ぶふっ――!?」
その瞬間、昨晩のキスの熱や、お互いの服を脱ぎ捨てて熱く抱き合った記憶が鮮明にフラッシュバックした。俺の顔は朝っぱらから血が沸騰したかのように一気に真っ赤に染まる。
ブルーニトロの強靭な心臓がバックンバックンとけたたましく跳ね上がり、そのあまりの動揺に、俺の大きな身体が激しく振動してしまった。
「――っ、ん……二鳥、さん……?」
その振動のせいで、カカさんの長いまつ毛が震え、その大きな瞳がゆっくりと開いた。寝ぼけ眼のまま俺を見上げていたカカさんだったが、自分が今、衣類を一切身に付けずに俺の腕の中にいること、そして俺が顔を真っ赤にして凝固していることに気づいた瞬間、羽毛がポンッ!と限界まで逆立った。
「な、なななななな……っ!?」
「うわあああ、す、すみませんカカさん! 起こすつもりじゃなくて、その、あまりにもあなたの姿が……っ!」
「ち、違います二鳥さん! 現在の私の動揺はあなたの肉体的刺激によるものではなく、朝一番の脳の覚醒時における自律神経の急激な切り替えに伴うものであり、そもそもこのような状態で目覚めるというシミュレーションが脳内になく……っ…!」
朝の寝室は、目覚めて数秒で熱湯のようにお互いの羞恥心が爆発する大パニックに陥った。二人とも顔を真っ赤にしたまま、掛け布団を引っ張り合ってどうにか身を隠そうと右往左往する。
「と、……とりあえず……!」
俺はこれ以上の心臓への負担を避けるため、必死に声を絞り出した。
「昨日は一日中大工仕事をして汗もかいたし、昨晩のこと……その、色々あったし! ひとまず風呂場に行って、汗を流してきませんか!?」
「ふ、風呂……ですか。ええ、確かに、体表の皮脂や老廃物を洗い流すことは、グルメ細胞の代謝を正常に保つために極めて合理的な選択です……っ!」
「じゃ、じゃあ、カカさんが先に入ってください! 俺はここで、カカさんの着替えの準備とか、お弁当の重箱を洗ったりして待ってますから!」
俺が気遣いのつもりでそう言うと、カカさんは掛け布団をぎゅっと胸元に引き寄せたまま、真っ赤な顔で俺をじっと見つめた。そして、小さな嘴をごにょごにょと震わせながら、消え入りそうな声で、けれどはっきりと言い放った。
「……二鳥さんも、一緒に入ってください」
「えっ……!?」
「い、一緒です二鳥さん……っ!」
カカさんは恥ずかしさのあまり涙目になりながらも、フイとツンっぽくそっぽを向きながら、いつもの調子でまくし立てた。
「お互いの……その、裸体組織については、昨晩の検証実験(初夜)においてすでに視覚的・触覚的なデータ収集を完了しており、今さら個別に隠蔽を図ることは時間的・資源的な観点から見ても非常に非効率的です……っ! それに、昨晩の『興奮を極限まで高めて子どもを産む』という私の重大な仮説をさらに実証するためには、温熱効果によって血管を拡張させ、お互いの細胞の距離を極限まで縮める『混浴』というシミュレーションを行うことが、最も効果的なアプローチであると考えられます……っ!!」
一気にまくし立てたカカさんだったが、その耳の裏の羽毛は嬉しそうにふわふわと逆立っており、俺と一緒にお風呂に入りたいという健気な本音が隠しきれずに全面に溢れ出ていた。
俺は、そのカカさんのあまりの愛おしさと不器用な可愛らしさに、恥ずかしさを通り越して、自然と口元に温かい笑みがこぼれてしまった。
「……分かりました。それじゃあ、カカさんのその『実験』、俺も喜んで付き合います」
「あ……う、ウソは言っていませんからね……っ!」
「分かってますよ。さあ、行きましょう」
俺はベッドから出ると、真っ赤になって照れているカカさんを優しくお姫様抱っこで抱き上げ、俺がこだわって作った、最高の気密性を誇る温かい風呂場へと向かった。新居の朝、二人の不器用で、世界一お喋りで甘い『検証実験』は、朝一番の温かい湯気と共に、また新しく、幸せに続いていくのだった。
◆
お風呂でさっぱりと汗を流し、互いのぬくもりをたっぷり補給したあと、俺とカカさんは、新築の香りが心地よいダイニングテーブルに向かい合っていた。テーブルの上に並べられたのは、カカさんが昨日のうちに仕込んでおいてくれた特製の朝食だ。
大工仕事の疲れを一瞬で吹き飛ばすような、栄養バランスが完璧に計算された極上のスープと温かい料理。腹の虫が鳴るのを止められず、俺がさっそく箸を伸ばそうとした――その時だった。
「はい、二鳥さん。嘴を開けてください。あ、あ〜ん……です」
「ヒャっ――!?」
驚いて顔を上げると、カカさんが昨晩のヤケクソ状態とは打って変わって、どこか吹っ切れたような、とびきり愛おしげな微笑みを浮かべて俺の目の前におかずを差し出していた。耳の羽毛はまだほんのりと赤いが、その瞳には一切の迷いがない。
「か、カカさん? ここには一龍兄さんたちはいませんし、普通に食べても――」
「何をおっしゃるのですか二鳥さん……っ!」
カカさんは、差し出した箸を引くどころか、さらにグイグイと俺の口元へと近づけてきた。
「あなたが大工としてのプロの意地と執念にかけて構築したこの新居は、グルメ界の強風の音すら完璧にシャットアウトする、過去最高クラスの防音性と気密性を誇る空間設計がなされています……っ! すなわち、この家の中においては、昨日私を半殺しの刑に処させたあの害虫どもや、嵐のように現れる一龍さんであっても、私たちの甘いコミュニケーションを覗き見・盗み聞きすることは構造上、100%不可能です……っ!! 誰の目も気にする必要がない環境が担保されている以上、恋人としての非効率的かつ多幸感に満ちたこの
いつもの高速長話。けれど、そこに含まれているのは、俺に甘えたくてたまらないという、愛おしすぎる恋人としての本気だった。
(……そっか。カカさんも、俺との時間を全力で楽しもうとしてくれてるんだな)
俺は、もう恥ずかしがるのをやめた。カカさんのその一途な想いが、ただただ嬉しかったからだ。
「……はい! いただきます、カカさん!」
俺は顔を少し綻ばせ、カカさんが差し出してくれた極上の料理を、今度はもう躊躇わずにパクリと口に含んだ。
「ふふ、美味しいですか?」
と嬉しそうに笑顔を振りまいてくれるカカさん。誰にも邪魔されない二人の城の中で、朝食の時間はこれ以上ないほど甘く、温かい時間として過ぎていった。
◆
最高の朝食を終えた後、俺たちはそれぞれの日常へと戻る準備を整え、新居の玄関へと向かった。今日の俺は、一龍兄さんと共に過酷な修行を送ることを考えている。
この世界を守れるだけの強さを身につけるために、そして何より、この家で待ってくれるカカさんを守るために、俺も一人の弟子として強くならなければならない。
一方のカカさんも、今日は一度隠れ家に戻り、チチやジジたちとこれからのグルメ界の食環境についての談義(と、覗き見の追加のお説教)をしにいく予定だ。
「それじゃあ、カカさん。行ってきます。今日の修行、大工の根性で全力で乗り越えてきますから」
俺がシルクハットを被り直し、玄関の扉に手をかけたその時。後ろから衣服の袖をぎゅっと引っ張られ、振り返ると、カカさんが顔を真っ赤に染めながら、上目遣いで俺を見つめていた。
「二鳥さん。その……お出かけ前の、『行ってらっしゃいの
「カカさん……」
恥ずかしがりながらも、まっすぐに好意を伝えてくれるカカさんの姿に、俺の胸の奥が愛おしさで満たされる。
俺はそっとカカさんの引き締まった細い肩を抱き寄せ、その小さな嘴に、優しく、けれど少し長めの深いキスを落とした。
「ん……っ……」
嘴が離れると、カカさんは湯気が出そうなほど真っ赤になりながらも、実に見事な、そして最高に色っぽい微笑みを浮かべて、俺のブルーニトロの瞳をじっと見つめ返してきた。
「気をつけて、行ってきてくださいね、二鳥さん。……そして、夜にあなたがこの家に帰ってきたら……」
カカさんは俺の手を一度ぎゅっと握りしめ、小声で、けれど悪戯っぽく囁いた。
「……昨晩の、『検証実験』の、続きを……たっぷり、いたしましょうね」
「ごふっ――!? は、はい! 死ぬ気で修行して、定時で帰ってきます!!」
カカさんの極上のご褒美を提示され、俺のグルメ細胞は今日一番の爆発的な活性化を起こした。羞恥心と嬉しさで顔を真っ赤にしながら、俺は新居の扉を開け、待ち構えていた一龍兄さん元へと全力で駆け出していった。
背後から聞こえるカカさんの「ふふ、いってらっしゃい、私の大好きな二鳥さん…」という愛おしい声と、新居の窓から差し込む美しい朝日に見守られながら…
これが【食欲】に当てはまるというのならば…可能性はゼロではないと思っています。
※まだ出会って1週間くらいしか経ってません。
※『検証実験』と『混浴』の様子は書きましたけど…わんちゃんR18に引っかかるか?と考え、削除しました。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?