転生ニトロは幸せを手放したくない   作:洋菓子職人II

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初めての兄弟喧嘩、及び二鳥の説教が入ります。


兄として

 節乃ちゃんの熱烈な視線を一身に浴びた次郎の集中力は、完全に常軌を逸していた。

 

 「うおおおおおっ! 見てろよ節っちゃんッ!!」

 

 気恥ずかしさとプライドが限界突破した次郎は、凄まじい速度で指先が目にも留まらぬ速さで閃くたびに、グルメ界の猛獣どもが、一切の抵抗もできずにドンドンと、あまりにも簡単にノッキングされてその場に崩れ落ちていった。

 

 無駄のない完璧なノッキング。もはやその手際は、職人の域に達している。 そんな次郎の無双っぷりを特等席で見ていた節乃ちゃんは、「すごーい! 次郎ちゃん、格好いいーー!!」と目を輝かせて大喜びで拍手を送っていた。

 

「……やれやれ。あいつ、節乃ちゃんの前だからって、いつも以上の出力を出しやがって。昨日までサボってた奴の動きじゃねえぞ」

 

 一龍兄さんが呆れたように笑いながら呟く。だが、その様子を静かに凝視していたアカシア様は、ふっと表情を引き締め、次郎によって一瞬でカチコチにされた猛獣の山を見つめた。

 

 「……なるほど。これほどの猛獣を相手に、これほど簡単にノッキングを決めてしまうか。次郎、君の技術は私の想像を超えて完成に近づいているようだね」

 

 アカシア様はそこで一度言葉を切り、鋭い視線を俺へと向けた。

 

 「この領域の猛獣では、もう今の次郎の相手は務まらないな。……よし、二鳥。君が次郎の対戦相手になりなさい」

 「え……? 俺が、ですか?」

 

 俺は思わずシルクハットの端を指で押さえ、驚いてアカシア様を見つめた。

 

 「そうだ。ブルーニトロの肉体を持ち、私の限界突破訓練を完全に修めた君の精密な技術……それこそが、今の次郎が超えるべき最大の壁だ。次郎に、本物の『格上』というものを教えてあげなさい。もちろん、節乃ちゃんの目の前でね」

 

 アカシア様は不敵に微笑み、俺にそう命じた。

 

 「ひゃ、ひゃあぁぁぁぁぁっ!? に、二鳥兄ちゃんと戦うの!?」

 

 次郎がガタガタと震えながら、昨日ブチギレ大魔神と化していた俺の姿を思い出して顔を青くする。

 

 だけど、俺の腹の底にある『執念』が、職人としての冷徹なスイッチをパチリと入れた。

 

 一龍兄さんにはまだ追いつけない。だけど、俺はこの数年間、牙を限界まで研ぎ澄ませてきたんだ。それはカカさんとの最高の新居を守るためだったが…今は家族であるこの不器用な弟を、これ以上甘えさせないために使うことを決意した。

 

 「……分かりました、アカシア様。次郎、お前のひん曲がった根性と甘えを、俺の『大工としての絶対の楔』で、完璧に解体して土台から叩き直してやるよ」

 

 俺はコートの裾を翻し、氷のように冷徹な笑みを浮かべた。規格外のプレッシャーが、大気そのものをミシミシと軋ませながら、ゆっくりと次郎を圧迫していく。

 

 「あ、あのね次郎ちゃん! 二鳥さん、すっごく強そうだけど……負けちゃダメだよ! 頑張って!」

 

 何も知らない節乃ちゃんの純粋な声援が、次郎の背中を強烈に押し出す。

 

 「く、クソォォォッ! やってやるよ! 節っちゃんの前で、絶対に無様な姿は見せられねえええええッ!!」

 

 腹を括った次郎が、限界以上の闘気を全身から噴き出させながら、俺の懐へと弾かれたように突っ込んできた。節乃ちゃんが見守る花畑のすぐ近く、俺たちの『兄弟子vs弟弟子』の、一切の手加減なしの地獄の限界突破ガチンコ勝負が、ついに幕を開けるのだった。

 

 ◆

 

 試合の合図が響いた刹那。次郎が地を蹴って突っ込んでくるよりも早く、俺の姿は文字通り、その場から完全に「消失」した。 

 

 「――えっ!?」

 

 次郎が驚愕して足を止め、視線を激しく彷徨わせる。 アカシア様の下で限界突破させたブルーニトロの肉体と隠密…

 

 今の俺のそれは、匂いや気配を残さない完全な『不可視』だ。未来のノッキングマスターの驚異的な索敵能力をもってしても、今の俺の影を捉えることすらできない。

 

 姿が見えなくなり、焦燥感に駆られて冷や汗を流す次郎。そんな次郎の耳元、どこからともなく、二鳥の冷徹な、だけどどこか切ない声が響き渡った。

 

 「次郎。……もう覚えていないだろうな。お前はアカシア様に凶暴性と記憶の一部をノッキングされて、あどけない子供になっちまったからさ」

 「に、二鳥兄ちゃん……!? どこにいるんだよ……っ!」

 「お前が小さくて野生児だった頃。俺とお前は、このグルメ界で鬼ごっこをしていたんだよ。鬼はお前だった。次郎」 

 

 姿の見えない俺の語りかけに、次郎のバイタルが大きく乱れ始める。背後で見ていた一龍兄さんもアカシア様も、そして何も分からずにハラハラしている節乃ちゃんも、息を呑んで戦場を凝視していた。

 

 「その時もな、俺はこうして隠密を使って、お前から姿を消したりしたんだ。……だけどな、当時のお前には、一瞬で見つかった。本当に、一瞬で俺の居場所を突き止めやがったんだ」

 「……え?」

 「俺の隠密が下手くそだったからじゃない。当時のお前が、野生の塊で、誰の助けも要らないくらい……とんでもなく、凄い奴だったんだよ」

 

 俺は姿を消したまま、次郎の精神へと冷酷に、精密に揺さぶりをかけていく。

 

 「なのに……今はどうだ? 次郎。俺を見つけるのに、一体どれだけ時間をかけてる?」

 「――っ!」

 「節乃ちゃんの前だからって、いつも以上の出力を出して猛獣をノッキングして、それで満足か? 『修行が面倒くさい』なんて甘ったれた雑念を脳にノッキングして、野生の牙を鈍らせたお前は……今、俺の影すら踏めない。そんな鈍った技術で、本当に大切な人を、この先守り抜けると思ってるのか?」

 

 その言葉は、次郎のプライドと、節乃ちゃんの前でカッコつけたい男の意地を容赦なく抉った。 次郎の呼吸が激しく乱れ、その小さな肩が焦燥で大きく震え始める。

 

 力任せに暴れさせる――それはかつて俺が真似菌を相手にした時に犯した、最悪の失敗だ。同じ轍を踏ませるためじゃない。この精神的な極限の揺さぶりを、次郎が未来のノッキングマスターとして、どうやって氷のような理性で受け止め、牙を研ぎ澄ましてくるのか。

 

――ガサッ、と僅かに空間が爆ぜる音がした。

 

 「そこだああああああッ!!」

 

 次郎の超人的な五感が、大気の僅かな密度の変化、風の流れ、そして地面の微振動という極小の環境情報を捉えた。あいつは「ここだ!」と確信に満ちた叫びを上げ、渾身の力を込めた指先をその空間へと突き立てる。節乃ちゃんの前で絶対に無様な姿は見せられないという執念が、その一撃の速度を極限まで引き上げていた。 しかし…

 

――その空間を貫いた次郎の指先は、確かな手応えを結ぶことなく、虚しく空を切った。

 

 「――ハズレ」

 

 姿の見えない俺の、冷徹な声が響く。 次郎が捉えた情報は、俺が意図的に仕掛けた精密な『罠』に過ぎなかったのだ。

 

 「え……っ!?」

 

 しまった、と次郎の顔が驚愕に染まった瞬間には、すでにすべてが終わっていた。 がら空きになった次郎の横っ面に向けて、俺の拳が、容赦のない速度と正確さで打ち込まれる。力任せの破壊じゃない。相手の勢い、自重のエネルギーをそのまま反転させ、骨格の結合部へとピンポイントに衝撃をが伝わる一撃。

 

 ドガァッ!!! と、鈍い衝撃音が周辺に響き渡った。「ぶふっ……!?」 次郎の身体が地面を激しく転がり、何十メートルも吹き飛んで大岩に背中から激突した。 

 

 衣服の汚れも傷もないまま、息一つ乱さずに姿を現した俺は、シルクハットの端を指で静かにツンと押し下げ、コートの裾を揺らしながら、倒れた弟を見下ろした。

 

 「環境からのわずかな情報を頼りに攻撃を仕掛ける……判断力は悪くない。だけど次郎、お前は節乃ちゃんに格好いいところを見せたい焦りのせいで、その情報が『本物かどうか』を見極める理性を失っていた」

 「……う、ぐ……っ」

 

 大岩に背を預けたまま、次郎は痛みに耐えるように顔を歪め、悔しさに歯を食いしばっている。

 

 「きゃあ! 次郎ちゃん、大丈夫……!?」

 

 物陰から見ていた節乃ちゃんが、悲鳴のような声を上げて心配そうに身を乗り出す。その横では、一龍兄さんが「一瞬の迷いが命取りだな」と腕を組んで静かに戦況を分析し、アカシア様もまた、俺の放った精密な打撃と罠の構造に感心したように目を細めていた。

 

 「ほら、立て、次郎。お前のその鈍った野生の牙を、俺が完璧に叩き直してやる。……節乃ちゃんの前で、いつまでそうやって這いつくばってるつもりだ?」

 

 俺は冷徹な、だけど普段の口調のまま、もう一度拳を固めた。実の弟への最大級の愛のムチ、地獄の特別指導は、まだ始まったばかりだった。

 

 大岩の根元に倒れ込み、頭部の痛みにまだ立ち上がることができない次郎。

 

 俺は次郎の悔しげな目線に合わせてその場に静かにしゃがみ込む。そして、俺の青い右手の、硬く尖った人差し指を――次郎の腰のあたり、人間の骨格構造において最大の要である『仙骨』の部位へと、正確に、トンと優しく当てた。

 

 ノッキングを施すわけでもない、ただの指先の接触。なのに、次郎の身体がその瞬間、恐怖で強烈にビクついた。

 

 「次郎。お前のノッキングの技術は、俺よりも遥かに優秀だ。そいつは間違いないよ」

 

 俺はシルクハットの端を少しだけ指で直しながら、至近距離で、いつもの言葉遣いのまま静かに語りかける。

 

 「だがな。……俺は、ノッキングなんていう高度な調理技術を使わなくても、お前を一歩も動けなくさせることはできるんだ。どうやると思う?」

 

 次郎は呼吸を乱したまま、俺の意図が分からず、ただ恐怖と悔しさが入り混じった瞳で俺を見つめ返すことしかできない。俺は当てた指先にほんの僅かだけ、構造の継ぎ目を抉るような『大工』としての力を込め、冷徹に微笑んだ。

 

 「答えは簡単だ。骨――『ネジ』を1本、抜くだけでいい」

 「――っ!?」

 

 次郎の顔が、一瞬でガチガチの絶望に染まった。 ノッキングによる一時的な生物の停止じゃない。骨組みを支える留め具を物理的に一本抜くように、大工の圧倒的な解体技術で『構造を破綻させる』。

 

 そうなれば、どれだけ凄まじいグルメ細胞を持っていようが、生物としての肉体は土台から瓦解し、指一本動かすことすら不可能になる。

 

 「構造を知る大工に、力任せの反抗は通じない。……よーく、頭に叩き込んでおけよ、次郎」

 

 それだけを冷酷に告げると、俺の身体はふっと光が溶けるように、再びその場から完全に『消失』した。

 

 後に残されたのは、骨を抜かれるという、物理的な解体の恐怖を骨の髄まで植え付けられ、冷や汗を流しながら呆然と立ち尽くすしかない次郎の姿だけだった。

 

 物陰で見守る節乃ちゃんは、見たこともない次郎の追い詰められ方に息を呑み、一龍兄さんも「なるほど、大工ならではの恐ろしい脅しだな……」と真剣な目で見つめている。

 

 姿を消した暗闇の中から、俺は冷徹に、だけど普段通りのまま、もう一度拳を固める。

 

 「さあ、ネジを抜かれたくなければ、死ぬ気で俺をノッキングしてみなよ、次郎」 

 

 愛する弟の甘ったれた根性を土台から叩き直す、地獄の特別指導。その本物の恐怖が、いよいよ次郎の内に眠る『真の野生』を呼び覚まそうとしていた。

 

 姿を消した俺に対し、次郎は冷や汗を流しながらも、その卓越した戦闘センスで必死に思考を巡らせていた。

 

 (ネジ――『骨』を抜く。二鳥兄ちゃんなら、本当にそれをやってのける。姿が見えないからって、怯えてちゃダメだ。少なくとも、声をかけてきたってことは、兄ちゃんは俺のすぐ近くにいるはずだ……!)

 

 その瞬間、次郎の瞳の奥に、ノッキングマスターとしての、そしてかつての『野生の獣』としての真の理性がギラリと甦った。

 

 「だったら……これならどうだアアアアアッ!!」

 

 次郎は自らの強靭な肉体を軸に、その場で全力で肉体を振り回し始めた。超人的な身体能力から生み出された超高速の回転は、一瞬にして大気を巻き込み、次郎を中心に凄まじい規模の『台風』を作り出す。

 

 吹き荒れる暴力的なまでの強風が、周囲の草木をむしり取り、地上のあらゆる気配を強制的に掻き乱していく。

 

 「おっと……!」

 

 さすがにこの全方位への力技は、空間の構造を誤認させる俺の隠密でも完全にいなしきることはできなかった。突風に衣服のコートを激しく煽られ、俺は思わず顔を砂から守るように手で覆うようにして防御姿勢を取る。

 

 その一瞬の動きにより、俺のシルエットが猛烈な嵐の中にしっかりと浮き彫りになってしまった。

 

 「そこかァァァッ!!」

 

 見逃すはずのない次郎が、嵐を突き破るような爆発的な踏み込みで一気に距離を詰めてくる。節乃ちゃんの目の前で絶対に負けられないという執念を乗せ、あいつの右手が目にも留まらぬ速さで閃いた。俺の肉体の動きを完全に静止させるための、決死のノッキング。 

 

 その指先が、俺の胸元に触れる――まさに、その刹那だった。 

 

 ピタッ、と、次郎の右手が肉体に到達する寸前で、完璧にその動きを止められた。

 

 「な……っ!? え……!?」

 

 驚愕に目を見張る二郎。あいつの放った必殺の指先、いや手首をガチリと正面から受け止め、へし折らんばかりの力でホールドしていたのは――俺の両手ではなく、蛇のようにしなやかに伸びた、ブルーニトロとしての頑強な『尻尾』だった。

 

 「次郎。お前の前で、安易に手を使って攻撃を防ぐわけないだろ?」

 

 俺は帽子を風に飛ばされないよう左手で押さえながら、ニヤリと不敵に微笑んでみせた。

 

 「手で塞げば、その手を伝ってお前にノッキングを仕掛けられる。未来のノッキングマスターのお前なら、それくらいの曲芸は簡単にやってのけるって、俺は知ってるからさ。……だから、この『尻尾』で防がせてもらったんだよ」

 「クソ……ッ、そこまで読んで――あがっ!?」

 

 次郎が体勢を立て直そうとするより早く、俺は手首を絡め取っていた尻尾にブルーニトロの圧倒的な怪力を込めた。大工が重い建材を軽々と放り投げるように、尻尾を大きく一閃させる。

 

 「ほら、やり直しだ、次郎!」

 

 凄まじい遠心力と共に、次郎の身体は再び向こうへと盛大に投げ飛ばされ、地響きを立てて荒野を転がっていった。

 

 「きゃあ! 次郎ちゃんーっ!」

 

 ハラハラしながら見守る節乃ちゃんの悲鳴のような応援が響く中、俺はコートの汚れを軽く払い、這いつくばる弟に向けて拳を構え直した。

 

 「執念が足りないよ、次郎。ほら、節乃ちゃんが応援してくれてるんだ。俺の隠密を破るくらいの本当の野生を見せてみなよ」

 

 実の弟への最大級の愛のムチは、次郎の眠れる本能をさらに激しく呼び覚まそうとしていた。

 

 荒野の地面を激しく転がり、砂煙の中で四つん這いになっている次郎。息を荒くし、節乃ちゃんの前でこれほどまでに圧倒されている屈辱と悔しさで、あいつの身体は小刻みに震えていた。

 

 そんな弟を見つめながら、俺はコートを軽く翻し、帽子の端を指でツンと押し下げた。そして、これまでの冷徹な戦闘マシーンのような佇まいから一転、一人の「兄貴」としての真っ直ぐな眼差しを二郎に向ける。

 

 「――なぁ、次郎。そもそもだ」

 

 俺の声に、次郎の肩がピクッと跳ねる。

 

「お前は本来……俺よりも強いぞ?」

 「……え?」

 

 俺の突飛な、だけど紛れもない本心を突いた言葉に、次郎は呆然と顔を上げた。物陰で見守る一龍兄さんもアカシア様も、その言葉の真意を測るように、静かに俺たちを注視している。

 

 「何を、言って……。現に今、俺は二鳥兄ちゃんに手も足も出てないじゃんか……! 尻尾一本すら突破できてないんだぞ!?」

 

 自分の不甲斐なさをぶつけるように、次郎が荒野の大地を殴りつけ、悔しげに吠えた。

 

 「俺が……俺が二鳥兄ちゃんより強いわけないだろッ!!」

 「いい加減にしろ、次郎!!!」

 

 俺の一喝と同時に、ブルーニトロの覇気が大気を激しく震わせ、次郎の言葉を力尽くでねじ伏せた。その圧倒的な声の威力に、次郎だけでなく、遠くで見ていた節乃ちゃんまでもがビクッと身体を強張らせる。

 

 「なんで勝てないかって? 答えは簡単だよ。お前が『節乃ちゃんに格好いいところを見せたい』だの、『修行が面倒くさい』だの、くだらない雑念で自分の本能をノッキングしてるからだ!」

 

 俺は一歩、次郎へと近づき、職人としての、そして兄としての最大の熱を込めて語りかける。

 

 「お前は野生児だった頃、狼王ギネスに育てられたんだぞ? 誰の教えも受けずに、本能だけでグルメ界のバケモノどもを圧倒してた本物の怪物だ! ブルーニトロのスペックにかまけて、アカシア様に限界突破させてもらってようやく強くなった俺なんかとは、生まれ持った『格』が違うんだよ!」

 「兄ちゃん……」

 「お前のそのノッキングの才能も、本来は力任せの猛獣を止めるためのものじゃない。あの狼王ギネスの牙から、お前自身の命を、本能を、そして今お前の後ろで必死に応援してくれてる大切な人を守るための、絶対の『牙』のはずだろ?」

 

 この平和な空白の数年間。俺がカカさんとの最高の新居を、そしてこの大好きな家族を完璧に守り抜くために死ぬ気で積み上げてきた『執念』

 

 「格好つけるな、強さに甘えるな、次郎。お前の本当の野生を、その指先に全部乗せて、俺のこの隠密を土台から叩き壊してみせろ!」

 

 俺の激しい叱咤が、次郎の魂の奥底、アカシア様にノッキングされていたはずの『野生の檻』を力強く揺さぶる。 次郎の瞳の奥から焦燥感が消え、代わりに、あの狼王ギネスの巣にいた頃のような、底知れない、圧倒的な獣の眼光がギラリと甦り始めていた。

 

 俺は次郎を鋭く一喝した直後、再びその場から静かに気配を消し、完全な『不可視』の暗闇へと姿を隠す。

 

 再び空間に一人取り残された次郎だったが、あいつの瞳には、もうさっきまでの焦りや屈律の色は微塵もなかった。 

 

 (格好つけるな、強さに甘えるな……俺は………!)

 

 次郎は深く、静かに息を吐いた。頭で冷静に状況を組み立て、大気の動きを思考で捉えつつも、同時にその奥底で眠っていた『野生の勘』を爆発的に解放する。ノッキングによって封印されていたはずの、生物としての圧倒的な本能。

 

 それが、不可視であるはずの俺の座標を、空間の歪みとしてダイレクトに弾き出した。

 

 「――そこだあああああッ!!」

 

 地を蹴った次郎の踏み込みは、数秒前とは完全に次元が違っていた。 目にも留まらぬ速さで迫った次郎の拳が、俺が潜んでいたまさにその空間へと、真っ直ぐに振り下ろされる。 

 

――ドゴォォォンッ!!!

 

 激しい衝撃音が荒野に響き渡り、空間の偽装を打ち破られた俺の姿が露わになった。次郎の放った野生の拳は、俺の防御をすり抜け、左胸のあたりへと正確に突き刺さっていた。ブルーニトロの頑強な肉体を通じて、内側のグルメ細胞の核が心地よく震えるほどの、凄まじい衝撃だ。

 

 「……はは、そうだ」

 

 俺は自分の左胸に当てられた次郎の拳を視線で見つめ、本当に嬉しそうな、誇らしげな兄の笑みを浮かべた。

 

 「そうやって昔のお前は……その圧倒的な野生の勘だけで、俺の隠密を破って見つけていたんだよ」

 

 かつてあどけない子供だった次郎が、自らの眠れる牙を今、節乃ちゃんの前で完璧に取り戻してみせた。そのあまりの成長ぶりに、俺の腹の底にある『執念』もまた、歓喜するように激しく高鳴っていた。

 

 「さあ、見つけるだけじゃ終わらないよな? 次は……俺の動きを完全に止めるノッキングを、その指先で当ててみせろよ?」

 

 俺は拳を当てられた左胸を自分の左手で軽く押さえながら、そう不敵に言い残し、ふっと陽炎のように再びその場から姿を消した。

 

 (…来い、次郎。お前の本物の『牙』を見せてみろよ…)

 

 姿を消した暗闇の中から、俺は理性を極限まで研ぎ澄ませ、拳を構え直す。 節乃ちゃんが息を呑んで見守るすぐ近く。野生の本能を取り戻した弟と、兄弟子による、限界突破の真剣勝負は、ここからさらに激しく、熱く加速していく…

 

 だが…勝負は次の一撃で決まる。 荒野に満ちる圧倒的な熱量と、ピリピリと肌を刺すような静寂の中で、その場にいる誰もがそれを予感していた。

 

 そして……それはすぐに現実となる。

 

 姿を消した二鳥の隠密に対し、次郎は思考のすべてを研ぎ澄ませていた。兄としての二鳥の行動パターンを頭で徹底的に考え抜き――そして、その考えた上に、先ほど取り戻したばかりの『野生の勘』を爆発的に上乗せした。

 

 「そこだアアアアアッ!!」

 

 次郎の指先が、空間を引き裂くような速度で一閃する。 手応えは……確かに、あった!

 

 陽炎のように揺らぎながら姿を現した俺は、次郎の指先によって全身の運動神経を完璧に『ノッキング』され、正面から襲いかかった形のまま、完全にその場で静止していた。

 

 コートの裾が風に揺れ、シルクハットが僅かに傾く。 動けない状態のまま、俺はいつもの口調で、本当に穏やかに、そして誇らしげに語りかけた。

 

 「……よく……分かったな、次郎」

 

 完璧な隠密と罠を、正面から完全に打ち破られた。その事実に驚きつつも、俺の胸は弟への深い愛おしさで満たされていた。

 

 次郎は指先をすっと引き、赤みが少しだけ引いた顔で、だけど真っ直ぐに俺を見上げて答える。

 

 「二鳥兄ちゃんは優しいからさ、さっき言ってた『骨』を本当に抜きに来るとは思えなかったんだ。かと言って、後ろから不意打ちをしてくるような、ずるい雰囲気みたいなのは全然感じなかった。……だから、来るとしたら、正面から真っ直ぐだと思ったんだよ。どう? 兄ちゃん、合ってる?」

 

 それは、ただの本能の勘じゃない。幼い頃から俺と一緒に過ごし、俺の気質を誰よりも信頼してくれている、最愛の弟だからこそ導き出せた答えだった。

 

 俺は動けない身体のまま、フッと目元を和ませ、優しく微笑んだ。

 

 「――半分、正解だ」

 「え? 半分……?」

 

 次郎が不思議そうに小首を傾げる。物陰から見ていた節乃ちゃんも、一龍兄さんもアカシア様も、俺たちの言葉に静かに耳を傾けていた。

 

 「お前の言う通り、骨を本気で抜きに行く気なんて最初からなかったよ。そいつは正解だ。……けどな、次郎。俺が正面からお前の前に現れた理由は、不意打ちが嫌いだからじゃない」

 「じゃあ、なんで……?」

 「それはな、次郎。……正面からだと、お前の……その、成長した『立派な顔』が、一番よく見えるだろ?」

 「――っ!」

 

 俺の言葉に、次郎はハッと息を呑み、今度は怒りではなく、純粋な照れくささで顔を真っ赤に染め上げた。

 

 「昔は、言葉もおぼつかない子供だったお前がさ……。今は、好きな女の子のために枯れない花の指輪を作って、兄貴の罠を思考と勘で完璧に打ち破って、こんな立派なノッキングを決めるまでになったんだ。……その格好いい姿を、一番特等席で見てやりたかったんだよ。兄貴だからな」

 

 俺がカカさんとの最高の新居を、そしてこの大好きな家族を完璧に守り抜くために死ぬ気で積み上げてきた『執念』。

 

 それは今、次郎という未来のノッキングマスターの、これ以上ないほど立派な成長という最高の形となって結実していた。

 

 「最高に格好よかったぞ、次郎。……ほら、節乃ちゃんの前だろ。早くその指先を解いて、俺のノッキングを解除してくれよ」 

 

 俺がいつものように優しく笑いかけると、次郎は照れ隠しに頭をガシガシと掻きながらも、本当に嬉しそうに、誇らしげに胸を張るのだった。

 

 夕日に照らされる修行場のすぐ近く、地獄の修行は明日も続くけれど、俺たち兄弟の絆は、確かにそこに築かれていた。




あくまで最強格は三弟子ですからね。二鳥は一歩下です。とはいえ、ノッキングされただけでダメージは入っていません。馬鹿みたいに頑丈になってます。

皆さんはどっちだと思います?二鳥は…

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