服屋での買い物を終えた俺と三虎は、約束通り賑やかな食材コーナーへと向かった。活気あふれる市場の人混みをかき分けて進むと、遠くからでも一目で分かるほど山のように食材の包みを抱えている一龍兄さんの姿を見つけ、俺たちはそこへ合流した。
「一龍兄さん、お待たせ。随分とたくさん買い込んだね」
「おう、二鳥! 遅かったじゃねえか。見てくれよ、フローゼ様が三虎のためにって極上の肉や珍しい魚を片っ端から選んでくださってさ。流石の俺でも、前が見えねえくらいだぜ!」
一龍兄さんはそう言って、顔の高さまで積み上がった包みの山を抱えながら豪快に笑った。
「あはは、本当に凄い量だ。よし、一龍兄さん、その荷物の一部を俺が受け取るよ」
俺が荷物を受け取ろうと手を伸ばそうとした、その時だった。
「――待ってくれ、二鳥の兄者」
それまで手を繋いでいた三虎が俺の手を離したのだ。三虎は小さな拳をぎゅっと握り締め、真っ直ぐに一龍兄さんの持つ包みの山を見つめた。
「……俺が、運ぶ。兄者の手を、煩わせたくない……。俺だって、これくらい……」
三虎はそう言うと、一龍兄さんの山からかなり大きな肉の包みを自ら両手で受け取った。だが、まだ幼く極度の飢餓から回復したばかりの三虎の肉体には極上食材の自重はあまりにも重すぎたらしい。
「う、おっ……!」
包みの重さに耐えかねて、三虎の小さな身体がぐらりと派手によろめいた。
「おっと、危ない! 無理しちゃダメだぞ、三虎」
俺は慌てて三虎の身体を片手で優しく支え、三虎が落としそうになった重い食材の荷物をすっと回収した。そして、代わりに服屋で買ったばかりの、カカさんへの髪留めと黒のセットアップが入った軽い手土産の包みを三虎の手へと持たせてやった。
「気持ちはすごく嬉しいよ、ありがとね。だけど、そっちの重いのは俺と一龍兄さんに任せなよ。三虎には、その一番大事なカカさんへの手土産を、代わりに持っていてもらいたいんだ。頼めるかい?」
「……! うん、分かった、兄者……。これなら、俺が絶対に、大事に運ぶ……っ」
カカさんへの最高のプレゼントを任された三虎は、少し頬を赤くしながらも、とても嬉しそうにその軽い包みを胸にぎゅっと抱きしめた。
「はは、本当に可愛い弟だな。……ところで一龍兄さん、フローゼ様はどこにいらっしゃるんだ?」
俺がシルクハットのない頭を少し軽く傾けて尋ねると、一龍兄さんは顎で市場の奥を指し示した。
「あそこだよ。あそこでまだ買い物中だ。ほら、見てみろよ」
一龍兄さんの視線の先を追うと、そこには人混みの中で、珍しい調味料や野菜を前に少女のように目を輝かせながら、楽しそうに食材を選んでいるフローゼ様の美しい姿があった。
料理人としての真剣な眼差しの中に、家族に美味しい料理を振る舞いたいという深い愛情が満ち溢れている。そんなフローゼ様の様子を、胸に包みを抱えたままじっと見つめていた三虎が、掠れた声をぽつりと響かせた。
「……買い物とは、こんなに時間が掛かるものなんだな……」
「あはは、そうだね、三虎」
俺はシルクハットの下で、本当に温かい笑顔を浮かべて弟の頭を撫でてやった。
「誰かのために美味しいものを選んだり、喜ぶ顔を想像しながら贈り物を選んだりする時間はね……どんなに時間が掛かったって、世界で一番楽しくて、温かい時間なんだよ…」
俺の言葉を聞き、三虎は胸の包みをもう一度愛おしそうに見つめ、それから奥で微笑むフローゼ様を見て、何かを深く納得したように小さな笑みを浮かべた。
「よし、それじゃあ一龍兄さん、俺たちもフローゼ様のところへ行って、荷物をたくさん手伝ってあげようか。今夜は最高の、三虎のお祝いの夜だからな!」
「おう、そうだな二鳥! 腕が鳴るぜ!」
◆
買い物を終える頃にはもう夕方になっていた。俺たちは山のように大量の食材を両腕に抱えて、アカシア様の家へと帰ってきた。
「ただいま戻りました、アカシア様。 次郎も、もう動けるか?」
「ただいま。ふふふ、今日は新しい家族の三虎の歓迎のために、ちょっと奮発しちゃったわ!」
フローゼ様は食材市場での興奮が冷めやらない様子で、本当に楽しそうに声を弾ませた。そして、俺はカカさんへのプレゼントを大事そうに胸に抱きしめていた三虎の元へ歩み寄ると、「よく頑張って持ってくれたな、ありがとう」と優しく微笑んで、その荷物を受け取った。
ひとまず買い出しの任務はこれにて完璧に完了だ。 俺はシルクハットを被り直し、家に帰ることを告げた。
「よし、それじゃあ俺は家に帰りますね。カカさんも今頃、首を長くして俺の帰りを待ってくれているはず――」
「おいおい二鳥、ちょっと待てって」
玄関の引き戸に手をかけようとしたその瞬間、一龍兄さんにガシッと力強い手で肩を掴まれて引き止められた。
「え? どうしたんだよ、一龍兄さん」
「どうしたじゃねえよ。お前、ちょっと後ろを振り返って、新しい弟のツラを見てみろ」
一龍兄さんの言葉に、俺は不思議に思いながらゆっくりと振り返った。すると、そこには…
――つい数分前まで人里の街で俺の手をぎゅっと握り締め、誇らしげに歩いていたはずの三虎が、その大きな瞳をみるみるうちにウルウルと潤ませて、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめている姿があった。
「……兄者……俺を……置いていかないでくれ……っ」
消え入りそうな、寂しさに震えるその三虎の訴えが、俺の胸の奥を激しく締め付けた。三虎にとっては、一龍兄さんやアカシア様たちも『敵ではない』と理解したものの、やはり俺という存在こそが、世界で唯一無二の絶対的な依存先であり、
俺がこのまま家へ帰って姿を消してしまうのではないかという恐怖が、一瞬にしてあの子の胸に甦ってしまったらしい。 さらに奥から現れたフローゼ様とアカシア様も、困ったように微笑みながら俺の元へと歩み寄ってきた。
「そうよ、二鳥。今日はせっかくの三虎の歓迎会なのだから、家族全員で温かく迎えてあげたいわ。カカさんも誘って、みんなでここで一緒に美味しいお祝いの飯を食べましょう?」
「うむ。フローゼの言う通りだ、二鳥。君たち夫婦がいてくれた方が、三虎も一番安心して、より深くこの家に馴染めるだろうからね」
偉大な師たちにそう笑顔で提案され、俺はすっかり困ってしまった。カカさんをここに連れてくるのは吝かではない。
「――よし。分かったよ、三虎」
俺はその場に優しくしゃがみ込み、左手で三虎の潤んだ瞳の涙をそっと拭ってやりながら、はにかむような優しい笑顔を向けた。
「三虎、少しだけ、ここで待っててくれるかい? 兄ちゃん、カカさんを迎えに、今から超特急で我が家へ帰ってくるからさ。だから、絶対に寂しがったりしなくていいんだよ」
「……っ。本当、に……? 必ず、戻ってきてくれるか…兄者……っ」
「当たり前だろ、お前の兄貴なんだからさ。嘘をつかないよ」
三虎はまだ少し寂しそうにしつつも、俺の言葉を信じて、コクコクと力強く頷いてそれを受け入れてくれた。
「必ず戻ってきてくれ……。約束だからな、兄者……っ!」
「ああ、約束だ! すぐ戻るからな」
俺は服屋で買ったカカさんへの最高のプレゼントをしっかりと抱え直すと猛ダッシュで我が家へと向かっていった。
◆
爆走した俺は、一瞬にして我が家へと滑り込んだ。勢いよく引き戸を開け、木の温もりが優しく香る玄関へと飛び込む。
「ただいま、カカさん!」
「お帰りなさいませ、二鳥さ……おや?」
出迎えてくれたカカさんは、息を切らせて帰ってきた俺の姿にパチクリと目を丸くした。俺はすぐに抱えていた袋を彼女の手へと手渡した。
「カカさん、これ、今日人里で見つけてきたお土産なんだ。……あの子と一緒に選んだんだよ。良かったら、今すぐこれを身に着けてくれないかな?」
「まぁ、私へのお土産ですか? しかも今朝のあの子と一緒に……。ええ、もちろん喜んで着用させていただきます!」
カカさんは嬉しそうに微笑むと、さっそく贈ったばかりの上質な黒のトップスとボトムスのセットアップへと着替えてくれた。しっとりとした黒い生地が、彼女の独特な美しさをいっそう引き立てている。そして仕上げに、俺は三虎が見つけてくれたあの美しい木製の髪留めを手に取り、カカさんの背中に流れる見事な髪へそっと、丁寧に留めてあげた。
「……うん、完璧だ。カカさん、本当に綺麗だよ。これ以上ないほど似合ってる」
「ふふ、ありがとうございます、二鳥さん。……それで、これほど急いでお土産を届けてくださったということは、何か特別な理由があるのですね?」
手をそっと重ねながら、カカさんが尋ねてくる。俺は深く頷き、本題を切り出した。
「そうなんだ。これからアカシア様の家で、今朝のあの子――『三虎』の歓迎会をすることになってさ。みんながカカさんも一緒にって招待してくれたんだ。だから、俺と一緒に来てほしいんだよ」
「まぁ、フローゼ様やアカシア様たちに……! ええ、ぜひご一緒させてください。皆様に久しぶりにお会いできるのは、味仙人としても一人の妻としても、大変喜ばしいことです」
カカさんは快く受け入れてくれた。アカシア様の家では今、俺の帰りを待つ三虎が目をウルウルさせて今か今かと待ち侘びているはずだ。
「よし、じゃあカカさん。すごく急いでるからさ……ちょっと荒っぽいけど、お姫様抱っこで行くよ」
「えっ……? お、お姫様抱っこ、ですか……!?」
俺がいつものように優しく微笑みながら、その細い腰と膝裏に腕を回してひょいと抱き上げると、カカさんは久しぶりのそのシチュエーションに、頬をほんのりとかわいらしく赤面させた。
いつもは夜の検証実験の時に強気に主導権を握ろうとする彼女が、俺の腕の中で一瞬にしてただの愛おしい妻の顔になる。そのギャップがたまらなく愛おしい。
「二、二鳥さん……これでは私の細胞の脈拍が、急激な高揚によって異常数値を記録してしまうのですが……っ」
「あはは、しっかり掴まっててね、カカさん。俺のこの背中と腕は、世界一頑強だからさ」
「はい……っ、よろしくお願いいたします、二鳥さん……っ!」
俺はカカさんを完璧にホールドしたまま家を飛び出し、夜の荒野を凄まじい超スピードでアカシア様の家へと向けて全力で突き進むのだった。
◆
再び限界突破の出力を全開にし、俺はカカさんを腕に抱いたまま夜のグルメ界を爆速で駆け抜けた。アカシア様の家に到着すると、優しくカカさんの足を地面へと下ろし、木造のドアをトントンとノックした。
――ガラッ! 引き戸が勢いよく開くと同時に、出迎えてくれたのは他でもない、三虎だった。 ドアの向こうに立つ俺とカカさんの姿を見た瞬間、三虎の不安げだった表情が、まるで眩しい朝日の光が差し込んだかのようにパァッと一瞬で明るくなる。
「――っ、二鳥の兄者……! 戻ってきてくれたんだな……っ!」
本当に嬉しそうに俺の名前を呼んだ三虎は、次に、俺の隣に並んで立っているカカさんの姿へとその大きな瞳を向けた。 三虎自身が見つけてくれたあの美しい木製の髪留めで、見事なロングのストレートヘアをそっとまとめているカカさん。
上質な黒のセットアップを纏った彼女の佇まいを見つめながら、三虎は少し照れくさそうに頬を赤くして、ぽつりと呟いた。
「……あの家にいた時よりも……今朝の時よりも、ずっと綺麗になってる……」
その素直すぎる、だけどこれ以上ないほど温かい少年の褒め言葉に、カカさんは本当に嬉しそうに目を細めた。
「まぁ、三虎さん……! ありがとうございます。一人の女性として、その言葉は私が最高に活性化する言葉ですよ。……ふふ、それにしてもこの素晴らしい髪留め、三虎さんが二鳥さんと一緒に私のために選んでくださったのでしょう?」
「……うん。あの服屋で見つけて、絶対にカカに似合うと思ったんだ」
三虎が恥ずかしそうに、だけど誇らしげにコクコクと頷いて肯定すると、カカさんはなんとも温かく、慈愛に満ちた満面の笑顔を彼に向けて、その小さな頭を優しく撫でてやった。
「ええ、本当にこれ以上ないほどぴったりです。三虎さんのセンスには深く感謝せねばなりませんね」
「あら、まあ……! 本当に、とってもよく似合っているわよ、カカさん。本当にお久しぶりねぇ」
そんな玄関先の微笑ましいやり取りに気づき、廊下の奥からフローゼ様が嬉しそうに現れた。カカさんも「フローゼ様、お久しぶりです! お元気そうで何よりです!」と笑顔を弾けさせ、二人の至高の料理人同士は親しげに再会を喜び合っていた。
「さあ、兄者! 早く中に入ろう! 飯、冷めちゃうからさ!」
三虎は今度こそ完全に安心したように、俺の青い右手をその小さな両手でぎゅっと握り締めると、俺の手をグイグイと引っ張りながら、大喜びで部屋の中へと俺を連れて行ってくれた。
「はは、分かったよ三虎。今夜は俺も腹いっぱい、お前の新しい門出を一緒にお祝いさせてもらうからね」
俺はシルクハットの下で本当に誇らしげな笑顔を浮かべ、お揃いの指輪を光らせながら、笑顔と美味い匂いの満ち溢れる最高の食卓へと、三虎に手を引かれて足取り軽く歩み進めていった。
居間のテーブルに案内されると、そこにはフローゼ様が三虎のために腕を振るまった極上の料理たちが、大皿に所狭しと並べられていた。
「まぁ、フローゼ様……! 食材の旨味分子の結合状態、および熱量の対流がこれ以上ないほど完璧な数値を維持しています。味仙人としても料理人の一人としても、この圧倒的な調理技術の配列には、ただただ五感のすべてが平伏するばかりです!」
カカさんはテーブルの上の料理を一目見ただけで美しい髪を激しく揺らし、髪留めをきらめかせながらフローゼ様の腕前を大絶賛した。
「ふふふ、ありがとうカカさん。さあ、みんな席に着いてちょうだい。せっかくのご馳走が冷めないうちにね」
フローゼ様の優しい声に促され、俺たちはそれぞれ席へと腰を下ろした。三虎、まだ少し股間を気にしながらも大人しく座っている次郎、そして一龍兄さんとアカシア様。全員の準備が整ったところで、胸の前で大きな両手をそっと合わせた。
「――いただきます!」
声を綺麗に揃えた後、三虎もカカさんの教え通りに「いただきます」ときゅっと手を合わせ、ついに賑やかな歓迎会が幕を開けた。
◆
各々が好きに、笑顔で食事を食べ進めていく。 そんな中、隣の席で大皿の山を豪快に切り崩していた一龍兄さんが、ふと三虎の手元に目を留めた。三虎は野生の本能からか、卓上に並ぶジューシーな肉料理を、とりわけ嬉しそうによく選んで口へ運んでいたのだ。
「三虎! この『チキン岩盤』はな、こっちの特製タレを少したっぷりめにつけて、こうして一気に大きく口に放り込んでみろ! 脂の旨味が脳天までドカンと突き抜けて、めちゃくちゃに美味いぞ!」
一龍兄さんはそう言って、自身が美味しく食べるためのお手本を、本当に楽しそうな笑顔を浮かべながら目の前で実践してみせた。三虎はその一龍兄さんの豪快な食べ方をじっと見つめた後、真似をして特製タレを肉に絡め、大きな口でパクッと食らいついた。
ゆっくりと噛み締め、飲み込んだ瞬間、三虎の鋭かった顔がパァッと幸せそうに綻び、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。
「……っ、うまい……! ありがとう、一龍の兄者」
「――っ、お、おおお! 兄者、だと!? 今、俺のことを兄者って呼んでくれたのか、三虎ァ!!」
一龍兄さんは、まさかの自分に対する「兄者」呼びに、今までにないほどの爆発的な喜びを弾けさせて大はしゃぎを始めた。長男として、自分の注いだ温かさが新しい弟にしっかりと届いたことが、何よりも嬉しかったのだろう。
すると、その様子をテーブルの向かい側で見ていた次郎が、もの凄く羨ましそうな顔をして身を乗り出し、三虎に向かってぐいぐいと顔を近づけてせがみ始めた。
「ずるいぞ一龍兄ちゃん! おい、三虎! 俺だって一応お前の兄貴分なんだからさ、俺のことも『次郎の兄者』って呼んでくれよ! ほら、呼んでみろよ!」
期待を込めて目を輝かせる次郎に対し、三虎はそれまでの瑞々しい笑顔を一瞬で消し去り、なんとも冷ややかな、底知れないジト目をリーゼントへと向けた。
「……次郎」
「呼び捨てぇー!? なんで俺だけただの次郎なんだよ! 兄者はどこに行ったんだ! 少しは俺を敬えよ!」
と、次郎が顔を真っ赤にして少し怒りながら頭をガシガシと掻きむしる。 そんな凸凹な二人のやり取りを見ながら、俺は頭を軽く傾け、ニヤニヤと最高の笑顔で現実を突きつけてやった。
「あはは。次郎、それはね……お前が三虎から『兄者』と呼ばれるくらいに、まだ全然慕われてないだけだぞ」
「――グハッ!?」
俺の一切の容赦のない楔が胸に突き刺さり、次郎はガックリと激しく机に突っ伏して撃沈した。その様子に、一龍兄さんは再びゲラゲラと大爆笑し、カカさんもフローゼ様も、そしてアカシア様までもが、楽しそうに食卓に笑い声を響かせていた。
「ほら次郎、落ち込んでないで早く食べろよ。三虎に兄者って呼ばれたかったら、明日から死ぬ気で良いお兄ちゃんを実践してみせることだな」
「う、うるさいなぁ二鳥兄ちゃん……。俺だって絶対に、三虎に兄者って呼ばせてやるんだからな……っ!」
涙目で這いつくばる次郎をみんなで笑いながら見つめ、俺たちは世界で一番温かい我が家の最高の夕食会を、どこまでも賑やかに、深く楽しむのだった。
◆
楽しい食事が進む中、フローゼ様の絶品料理を夢中で口に運んでいた三虎が、ふと箸を止め、隣に座る俺とカカさんの顔をじっと見つめてきた。その大きな瞳に、純粋な疑問が浮かんでいる。
「……二鳥の兄者、それとカカ。二人は夫婦として、もの凄く仲が良く見える。だが……子どもは居ないのか?」
三虎の無邪気で真っ直ぐな質問に、俺は「っ……」と思わず喉を詰まらせ、シルクハットのない頭を少し軽く傾けながら顔を赤くした。
「あはは……。子どもは、もちろん欲しいんだけどさ。……実は、俺たちの種族は…子どもが産まれる種族じゃないんだよ…」
俺が少し恥ずかしそうに濁しながら答えると、三虎は不思議そうに首を傾げて困惑した。そんな新しい弟のために、テーブルの奥に座っていたアカシア様が、穏やかな微笑みを浮かべながら分かりやすく説明を付け足してくれた。
「三虎。二鳥とカカさんは、我々人間とは異なる『ニトロ』という特殊な生命体、グルメ細胞の悪魔なのだよ。グルメ細胞の悪魔は食欲が具現化することで産まれる、いや目覚める生命体でね、彼らはどれだけ長い年月を生きようとも、本来は自分たちのクローンを増やすことしかできず、男女が愛し合って新しい命を産み落とす、という仕組みを元々持っていない種族なんだよ」
「……産まれない、のか……?」
アカシア様の丁寧な解説を聞き、三虎は少し悲しそうな表情を浮かべて俯いた。せっかく出会えた世界一温かいおしどり夫婦に子どもが産まれないという事実が、少年ながらに切なかったのだろう。
――だが、そんな三虎の沈みかけた空気を、カカさんが一瞬で、完璧にぶち壊した。
「三虎さん、心配には及びませんよ」
三虎の選んでくれた美しい髪留めをきらめかせたカカさんが、黒のセットアップの胸元をフンスと強気に張り、お揃いの指輪を堂々と見せつけた。
「ブルーニトロとレッドニトロの間における生殖の可能性など、これまでの歴史において前例のない未知の領域。壮大かつ複雑な事象のバグを突破し、愛の力で新しい命を産み出すため……私たちはその可能性を証明する『検証実験』を、出会った日の夜から今日に至るまで、毎日欠かさず全力で行っておりますからね……!」
「じ、実験……?」
詳細すぎる解説を交えながら一気に捲し立てるカカさんに、三虎の頭の上には巨大な疑問符が浮かんでいた。俺は恥ずかしさが限界突破し、真っ赤な顔になりながら、大慌てで三虎の視線を遮るように手を振った。
「あ、あはは! 三虎、実験なんて言ってるけど、子どもが知るにはまだちょっと早い大人の話だからね! ほら、気にするな!」
なんとか濁してその場を収めようとする俺を見て、一龍兄さんは「おいおい二鳥、弟の前で盛大に自爆してんじゃねえよ」と腹を抱えて大爆笑し、次郎も「毎日やってるって、やっぱりあの新居はバカップルの実験室なんだな……」と呆れ顔で戦慄していた。
だが、俺は確信していた。 人里でカカさんの美しさを際立たせる最高の黒のセットアップを贈り、三虎の選んでくれた綺麗な髪留めをその黒髪に留めてあげた今日という特別な1日。おまけに、カカさん自身が三虎の前で「毎日実験している」とここまで強気に熱弁を振るってしまったのだ。
(……マズい。今夜の寝室での『検証実験』は……絶対に、とんでもない反復回数と濃密さになる……ッ!)
実は幼い次郎にノッキングされて動けない無防備な状態の時、俺を回収しに来たカカさんは弟の恋愛を覗き見した罰と言う名目で『お仕置き』をされたのだが…その時の夜を遥かに凌駕するであろう、最愛の妻からの情熱的な『検証実験』の予感に、俺は焦りとは違う、ブルーニトロの細胞が破裂しそうなほどの強烈な興奮を脳裏で感じていた。
「さあ三虎、難しい話は終わりだ! ほら、もっと腹いっぱい食べな!」
「……うん、兄者。俺、もっと強くなって、いつか兄者たちを助けられるようになる」
新しい弟の頼もしい言葉に胸を熱くしながら、俺たちは世界で一番温かい我が家の最高の歓迎会を、どこまでも賑やかに、深く楽しんだ。
◆
賑やかで、どこまでも温かかった三虎の歓迎夕食会も、夜が更けると共にいよいよお開きの時間を迎えた。
「それじゃあアカシア様、フローゼ様。俺たちは今度こそ、我が家へ失礼しますね」
「ええ、本当に素晴らしいお祝いの時間でした。フローゼ様、また近いうちに新しい調理データの交換をさせてくださいね」
俺がシルクハットを深く被り直し、カカさんが黒のセットアップの裾を整えながら挨拶をする。 玄関先で見送ってくれる三虎は、やはりどこか寂しそうに視線を泳がせていたが、今度はもう「行かないで」と引き留めることはしなかった。
俺たちが必ずまた会いに来ること、そして自分を「世界一大事な弟」だと言ってくれた俺の言葉を、しっかりと信じてくれているからだ。
「はは、三虎。そう寂しそうなツラすんなって。二鳥の兄者の『実証実験』の邪魔をしたら、それこそカカにどんな目に遭わされるか分からねえからな!」
一龍兄さんが腕を組んでニヤニヤと意地悪そうに笑う。隣の次郎も、ま〜だ股間を気にしながら「本当だぞ、邪魔したらとんでもない目に遭うからな…」と呆れ顔で頷いていた。
「ほら、お前は今夜から、俺たちと一緒に寝るんだ。……あっちの、二鳥が昔この家をバキバキに改築して広げてくれた特製の部屋で、男3人の雑魚寝だぞ! 楽しいぜ!」
一龍兄さんが豪快に笑いながら、三虎の小さな肩を優しく叩く。 三虎はその一龍兄さんの言葉、そして『二鳥が改築した』という響きに、大きな瞳をパチクリとさせて反応した。さっき街のおばさまが「住みやすくなって虫も出ない」と大絶賛していたのを思い出したのだろう。
「……二鳥の兄者は……本当に、何でもできて、本当に凄い人なのだな……」
深い憧れの混ざった声音で、ぽつりと呟く三虎。
「あはは、ありがと。まあ、大工だからな……じゃあな、三虎。また明日な」
俺はいつもの接しやすい言葉遣いで微笑むと、新しい弟の泥の落ちた綺麗な頭を、大きな手掌で愛おしそうに優しく撫で回してやった。
「うん……! また明日、二鳥の兄者!」
三虎は本当に嬉しそうに、誇らしげに笑顔を弾けさせた。俺はその新しい家族の最高の表情を胸に刻み込み、カカさんと共にアカシア様の家の頑強な木造ドアを静かに閉じた。
パタン、と小気味良い音を立てて扉が閉まり、外のグルメ界の冷たい夜風が俺たちのロレンチコートを優しく揺らす。
――が、その次の瞬間だった。
ドクン……ッ!!!
俺のすぐ隣、今さっきまでフローゼ様や三虎の前でたおやかに微笑んでいたはずのカカさんの身体から――空間そのものを内側からバキバキに歪め、夜空の月明かりすら一瞬で黒く呑み込むような、とてつもない質量を持った【情念と興奮のオーラ】がドス黒く溢れ出してきたのだ。
「……っ…!? カ、カカさん……っ!?」
さすがの俺も、その直撃した凄まじいプレッシャーに、思わず一歩後退りした。
振り返ると、三虎の選んでくれたあの美しい木製の髪留めをきらめかせ、ロングの髪を妖しく夜風になびかせた最愛の妻が、これまでの『検証実験』のどれよりも――それこそ、出会った1周年の記念日の『お仕置き』の夜を遥かに凌駕するほどの、恐ろしく妖艶で、かつ強気に満ち溢れた満面の笑みを浮かべてこちらを凝視していた。
「……おや? 二鳥さん、何を驚いていらっしゃるのですか?」
カカさんはゆっくりと、だけど俺に逃げる隙をただの一ミリも与えない完璧な足取りで、俺の胸元へと妖しくすり寄ってきた。
黒のセットアップの隙間から、彼女の爆発的に活性化したグルメ細胞の熱い体温が、ダイレクトに俺の肉体へと伝わってくる。
「三虎さんの前で堂々と宣言いたしましたとおり、ブルーニトロとレッドニトロの生殖の可能性を叩き出すための『検証実験』にこれ以上の猶予は論外です。……ましてや、今夜の私は三虎さんから『今朝よりもずっと綺麗だ』という最高のエネルギーを付与され、さらにそこから二鳥さんに『世界で一番愛している最高の女性だ』というこれ以上ない熱烈な情愛のエネルギーを細胞の隅々まで強制注入されているのです。――その結果、私の身体がどうなるか、愛する妻の構造をよく知っている旦那様なら…当然お分かりですね?」
耳元で囁かれる、カカさんの限界突破した妖艶な言葉と熱い吐息。 掴まれたロレンチコートの胸元から、お揃いの指輪が怪しく煌めき、俺の身体中のブルーニトロの細胞が破裂しそうなほどの、強烈な【食欲】と興奮が脳裏を狂わせる。
「今夜は我が家へ帰ったその刹那から……私の細胞が完全に擦り切れ、二鳥さんのスペックが灰になるまで、朝が来ても、昼が来ても、絶対に、ただの一秒も解放してあげませんからね……ッ!?」
詳細すぎる解説の皮を被った、最高に情熱的で重すぎる愛の宣戦布告。 俺は恥ずかしさと強烈な愛おしさで顔を真っ赤に染め上げながらも、不敵にニヤリと笑い返した。
「……いいよ、カカさん。検証実験だもんな。朝まで、いや次の日の修行が中止になるくらい、いくらでも付き合うよ」
「はい……っ! 望むところです、二鳥さん……っ!」
俺は降参を認めるようにカカさんの黒いセットアップの細い腰をガシッと抱き寄せ、そのままお姫様抱っこで抱え上げると、我が家へと向けて荒野を超スピードで全力で突き進むのだった。
◆
翌日
集合場所であるアカシア様の研究所へとやってきた俺は、前回同様…いや、前回以上に足取りが重かった……カカさんのあの言葉に嘘偽りは一ミリもなかった……
家に着いた刹那から始まった『検証実験』は本当に凄まじく、文字通り朝が来ても昼が来ても解放されることはなく、肉体からエネルギーのすべてを根こそぎ吸い尽くされ、生気を失って干からびた様子になっていた。コートの袖から覗く青い皮膚も瑞々しさを失っているように見える。
これ以上吸い取られたら乾眠しなきゃならなくなるかもしんねぇぞ……
そんなミイラのようになった俺の姿を見るなり、昨日新しく「二鳥の兄者」と慕ってくれるようになった三虎が、大層心配そうな顔をしてトコトコと近寄ってきた。
「……二鳥の兄者、大丈夫か……? 身体の水分が、ひどく失われているように見えるが……」
小さな手で俺のロレンチコートの裾を握りしめ、本気で案じてくれる三虎。その純粋な瞳を見つめながら、俺はシルクハットの位置を少し直し、自嘲気味な苦笑いを浮かべながら、いつもの接しやすい言葉遣いで説明を始めた。
「あはは、心配かけてごめんな、三虎。……これがな、昨日言っていた『検証実験』の結果なんだよ……」
「これが……実験の、結果……。化け物の肉体を有する兄者すら、ここまで干からびさせるなんて……『検証実験』とは、なんて恐ろしい実験なのだ……」
三虎がゴクリと唾を飲み込み、戦慄した顔で俺を見上げる。そんな健気な弟に向けて、俺は数年前の『大焦りしたあの夜』の苦い教訓、そして兄貴分としての極めて重要かつ実践的な助言を、身をもって付け足すことにした。
「三虎、次郎にも昔言ったことなんだが……これからお前にだって、大切な恋人が出来るかもしれない。その時はな……付き合い始めた『記念日』だけは、何があっても絶対に脳に刻み込んでおくんだぞ……? 忘れたら、本当にこんな大変な目に遭うからな……」
俺が遠い目をしながら、幽霊のような掠れた声で深刻に諭す。
――が、その瞬間
「おい二鳥!! 三虎に嘘八百を吹き込んでんじゃねえよ!!」
「そうだぞ兄ちゃん! 記念日を忘れたお仕置きってだけで身体がそこまで干からびるなんて、普通は絶対にあり得ないからな!?」
すぐ横で次の訓練の準備をしていた一龍兄さんと次郎の二人が、顔を真っ青に引きつらせながら、大慌てで三虎の前に立って俺の言葉を猛烈に
「三虎、騙されるなよ!? 確かに記念日を忘れると女の子は怒るが、そこまで生命活動の危機に瀕するほどエネルギーを貪り尽くされることは普通の世界じゃ絶対にねえんだ! こいつらの夫婦関係が、最初から最後まで色んな意味で規格外のバカップルなだけだからな!?」
「そうそう! 兄ちゃんたちの『実験』は、完全にただの熱烈すぎるノロケの反復回数だから! 記念日の助言は正しいけどその副作用は兄ちゃんたちの家だけの特異疾患だからね!?」
一龍兄さんと次郎の、必死すぎる形相での全否定。 男兄弟たちのそのあまりの焦りっぷりと、俺の干からびた姿のシュールな対比に、テラスから見守っていたアカシア様は「ふふふ、やれやれ……今日も相変わらず賑やかだね」と楽しそうにクスクスと笑い声を漏らしていた。
一龍兄さんたちに大声で訂正された三虎は、頭の上を巨大な疑問符で埋め尽くしながら、干からびている俺と、青ざめている兄貴たちを交互に見つめ、何かを深く、静かに脳裏へと刻み込んでいるようだった。
(……よく分からないが……女の子との記念日を忘れると、二鳥の兄者のように身体が干からびる病気にかかるか、一龍の兄者たちのように顔が真っ青になるのだな。……俺は、絶対に記念日を忘れないようにしよう……)
少年三虎の胸に、未来の最強の男たちをも震撼させる、これ以上ないほど強固な教訓?がまた一つ、無敵の強度で刻み込まれた瞬間だった。
う〜ん…遠い未来で産まれてくるだろう弟2人にもこの教訓は受け継がれるのだろうか?
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
-
攻め?
-
受け?