人間界の修行場から、大量の虹の実と無傷のハニーワインの巣を抱えて、俺たちは無事にアカシア様の家へと到着した。木の引き戸を開け、心地よい疲れと共に玄関へ足を踏み入れると――
「おかえりなさいませ、二鳥さん! 皆様も修行、大変お疲れ様でした」
そこには我が家にいるはずの、最愛の妻カカさんの姿があった。
「ええ? カカさん、なんでここにいるの!?」
俺は巣を背負ったまま目を丸くした。すると、カカさんは三虎の選んだ髪留めをきらめかせ、黒のセットアップの裾を少し整えながら、流暢に説明を始めてくれた。
「ふふ、驚かせてすみません、二鳥さん。実は、昨夜フローゼ様が三虎さんのために振る舞われた至高の料理の数々を細胞レベルで思い返していたところ……味仙人として、そして一人の料理人としてどうしても居ても立ってもいられなくなってしまいまして。本日、フローゼ様の素晴らしい調理分子の配列をより深く勉強させていただくために、直々にお邪魔していたのです」
「あら、二鳥。カカさんは本当に熱心で、お昼の間もたくさん料理のお話をしてくれて、とっても楽しかったのよ?」
奥からエプロン姿のフローゼ様も嬉しそうに顔を覗かせ、二人の至高の料理人同士がすでに完璧なコンビネーションを築いているのが見て取れた。なるほど、カカさんらしい勉強熱心さに、俺は思わず微笑んでしまう。
するとカカさんがふと、自分の黒いセットアップの裾をクイ、クイと引っ張る小さな存在に気がついた。三虎が小ぶりな虹の実を胸に抱えたまま、じっとカカさんの顔を見上げていたのだ。
「おや? 三虎さん、私の顔に何か気になるものでも付着していましたか?」
カカさんが優しく問いかけると、三虎はその大きな瞳を少しだけ潤ませ、掠れた声を一生懸命に響かせながら、これ以上ないほど健気に訴えかけた。
「……あのだな…カカ。……今朝、二鳥の兄者が……ひどく生気を吸われて、水分が失われて干からびていたんだ……兄者は、俺を温めて飯をくれた、世界で一番大事な兄者だから……どうか、兄者の肉体の健康のことを第一に考えて……その『検証実験』とやらをしてほしい……」
「――っ、はわ、はわわわわわわっ!?」
三虎のあまりにも純粋で、かつ破壊力抜群の『兄を気遣う直訴』を受け、カカさんは一瞬にして顔をカッと限界まで真っ赤に染め上げた。 三虎としては、俺の身体が干からびていたことを本気で心配して「どうか兄者を労ってほしい」と健気に頼んだだけなのだが、その原因が昨夜の寝室での『朝までコースの検証実験』であると知っている大人たちには、これ以上ないほどの大爆弾だ。
「おい二鳥……お前なぁ………」
一龍兄さんが顔を青く引きつらせながら呆れ返り、次郎も「やっぱり二鳥兄ちゃん達がヤりすぎるから三虎本気で心配してんじゃねぇか!」と頭を抱えている。
「あ、いや……三虎さん、それはですね……! 私の細胞の拒絶反応……ではなく、生殖可能性の反復回数がですね……っ」
カカさんは完全にパニックに陥り、髪を激しく揺らしながら、詳細すぎる解説すらシドロモドロになってしまっていた。しかし、膝をついて三虎と同じ目線に合わせると、お揃いの指輪が光る両手をぎゅっと握り締め、本当に恥ずかしそうに俯いて反省した。
「……すみません、三虎さん。二鳥さんの肉体構造は頑強だからと、味仙人としての私がついつい主導権を握って検証データを貪りすぎてしまいました。……今夜からは、二鳥さんのバイタル数値をしっかりと安全圏に維持できるよう、実験の出力と時間配分を……深く、深く反省してコントロールいたしますね……っ」
「……うん。カカがそう言ってくれて良かった。兄者が死んじゃったら嫌だからさ」
カカさんの殊勝な反省の言葉に、三虎はほっと胸を撫で下ろし、本当に安心したような笑顔を浮かべた。その横で、俺は恥ずかしさが宇宙の果てまで限界突破して、シルクハットを深く深く被り直して顔を真っ赤に染めるしかなかったが、胸の奥はこれ以上ないほど温かい幸福感で満たされていた。
しかし、カカさんが殊勝に大反省している姿がたまらなく愛おしくて、俺はコートの裾を軽く揺らしながら彼女のすぐ傍らへと歩み寄った。少し意地悪な笑みを浮かべ、髪を揺らすカカさんの耳元へと顔を近づけて、そっと囁く。
「カカさん。カカさんがそこまで出力と時間配分を反省してくれるなら……今夜の『検証実験』の主導権は、俺が握ることになるのかな?」
「――っ、ひゃ、はわわわわわわっ!?」
耳元での俺の甘い囁きに、カカさんの顔は赤面というレベルを通り越して、今度こそ限界突破して破裂しそうなほどに真っ赤に染まった。髪留めをきらめかせながら胸元を押さえてシドロモドロになっている。
そんな俺たちの様子を近くで見ていた一龍兄さんが、呆れ返った顔で盛大に首を横に振った。
「おい二鳥、カカ。惚気るのは家に帰ってからやってくれ! お前らの空気、今日収穫してきた『虹の実』と『蜂蝶の蜂蜜』を混ぜ合わせた特製シロップよりも、糖度が高すぎて胃が焼け死にそうだ!」
「本当だよ二鳥兄ちゃん、バカップルにもほどがあるよ!」
次郎も便乗して叫ぶ。玄関先は一瞬にして大爆笑に包まれた。そんな中、便乗していた次郎は我慢できないとばかりに無傷の『蜂蝶の巣』をフローゼ様の前へと差し出した。
「それよりフローゼ様! この蜂の巣の中にある極上の蜂の子、今夜のワインのおつまみにしてください! 虹の実のハニーワインに絶対に合うはずですから!」
「…いいわよ。…あら! とっても美味しそうな蜂の子ね。香ばしく煎って、特製のおつまみにしてあげるわ」
フローゼ様が嬉しそうに微笑みながら巣を受け取ると、アカシア様が本当に穏やかな優しい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「ここ数年は次郎の覚醒や三虎との出会いなど、楽しいことばかりだからね。……よし、今夜は私も、久しぶりに酒を飲もうかな」
「「「ええええええっ!? アカシア様が、酒を!?」」」
俺と一龍兄さん、そして次郎の3人の声が、驚愕のあまり今日一番の綺麗さで完璧にハモった。いつもなら「私はあまり嗜まないからね」と笑っているアカシア様が自らお酒を飲むなんて前代未聞だ。
さらにアカシア様は、俺たち三弟子に向けて、なんとも不敵で楽しげな挑戦の笑顔を向けてみせた。
「ふふふ。どうだい、一龍、次郎、二鳥。今夜は収穫したこの虹の実のハニーワインで誰が一番強いか『飲み比べで勝負』でもするかい?」
「うおおおおっ! 望むところですアカシア様! 俺、絶対に負けません!」
次郎の呑兵衛魂が一瞬でモチベーションを爆発させる。一方で、一龍兄さんだけが「げっ……! お、俺はパスだ! パスさせてくれ! 知っての通り俺は酒が弱いんだから、そんな化け物たちの飲み比べ勝負になんか――」と、本気で顔を青くして後退りした。
「――逃がすわけないだろ、一龍兄さん」
「そうだぞ一龍兄ちゃん! 三虎の歓迎会なんだから長男が頑張らないでどうすんだよ!」
「おい、待て、二鳥!次郎! 引っ張るんじゃねえ――わあああああ!?」
俺と次郎は精密なホールドを駆使して、全力で拒絶する一龍兄さんの両腕をガッチリと掴んだ。そして、じたばたと暴れる世界最強の長男を大宴会の中心へと完璧に強制参加させるべく、二人で笑いながら引きずっていった。
その様子を三虎は本当に楽しそうな最高の笑顔で見つめていた。カカさんもフローゼ様も、そしてアカシア様までもが、賑やかな男兄弟のドタバタに豪快に笑い声を響かせている。
「さあ一龍兄さん、覚悟を決めなよ! 今夜は朝まで、みんなで最高の虹の実ハニーワインで乾杯だ!!」
「分かった!分かったって!参加すりゃいいんだろ!」
男どもが騒ぎ立ててる一方、フローゼ様がハニカム構造の巣から取り出した大ぶりの蜂の子を使い、調理場で手際よく香ばしいおつまみを炒め始めてくれている間のことだった。
「三虎さん、フローゼ様がおつまみを作ってくださっている間に、私たちはあちらので、先ほど収穫した虹の実を使って特別な『虹の実パイ』を作りましょう。さあ、あっちへ行きましょうね」
そう言ってカカさんが、優しく三虎の手を引こうとした。しかし、三虎は首を横に振ってそれを拒絶した。
「……嫌だ。俺、ここにいる。二鳥の兄者たちが、楽しそうに笑ってるところを……ずっと見ていたいんだ」
三虎にとって、俺たちが笑いながら一龍兄さんを強制連行して大騒ぎしているこの居間の光景は片時も目を離したくないほど愛おしいようだ。
「ふふ、仕方のない子ですね。それでは、見るだけですよ?」
カカさんはその三虎の健気な本心に温かく目を細めると、彼を残し、一人で嬉しそうにパイ作りのためにキッチンへと向かっていった。一龍兄さんをテーブルへとガッチリとホールドしたまま、俺は隣に座る三虎へと視線を向け、頭を少し軽く傾けて話しかけた。
「なあ、三虎。これからハニーワインの飲み比べ勝負が始まるんだけどさ……この中で、一体『誰が一番酒が強い』と思う?」
俺の不敵な質問に、三虎は少し考えた後、俺を見上げて真っ直ぐに応えた。
「……人間じゃない、二鳥の兄者が一番強いと思う。兄者は何でもできるし、絶対に負けない…!」
「おっ、言うねぇ三虎! よし、兄ちゃんお前の期待に応えるために、最初から限界突破のフルパワーで張り切っちゃうからね!」
大好きな弟からのこの上ない100点満点の信頼に、俺のモチベーションは一瞬で最高潮に達した。すると、キッチンから虹の実を丁寧に切り分けるナイフの音を響かせながら、カカさんの流暢な解説が居間へと滑らかに降ってきた。
「当然です、三虎さん! ブルーニトロの強固な肉体組織、および味仙人としての私の計算から算出されるアルコール代謝の免疫力を考慮するに、今夜の勝負において二鳥さんが優勝を記録する可能性は、統計学的に見ても非常に高い数値を示していますからね!」
パイ生地を練りながら、俺の勝利を確信して強気に胸を張る最愛の妻――しかし。 カカさんと俺がどれだけ勝利を確信して盛り上がっていようとも、そのキッチンの最奥で、じっと大きな鉄鍋を振るっていたフローゼ様だけは、ただの1ミリも俺たちの言葉を意に介していない様子だった。
フローゼ様の瞳には、ただ愛する夫であるアカシア様が当然のように大勝利を収める未来以外、最初からただの選択肢にすら入っていないようだった。内助の功というべきか、あの底知れない笑みを浮かべる美食神への絶対的な信頼が、フローゼ様の美しい背中から静かに、だけど圧倒的な覇気となって漂っている。
「ふふふ。さあ、みんなお待たせ。最高に香ばしい特製のおつまみが完成したわよ!」
フローゼ様が嬉しそうに声を弾ませながら、煎りたてで最高に香ばしい極上の蜂の子のおつまみを大皿に盛ってテーブル真ん中へと運んできてくれた。
虹の実の甘い果汁の香りと、おつまみの濃厚な匂いが混ざり合い、居間全体の【食欲】が最高潮へと高まっていく。
「よし! フローゼ様のおつまみも揃ったことだし……アカシア様、一龍兄さん、次郎! 三虎の特等席の前で、いよいよ本物の男の飲み比べ勝負、はじめようぜ!!」
俺は笑顔と確かな闘志を滾らせながら宣言した。
――カラン、と、虹の実から溢れ出た奇跡のハニーワインが、グラスの中で美しく七色に揺れた。
「「「「かんぱーい!!!」」」」
男4人の威勢の良い掛け声を合図に、ついに世紀の飲み比べ大激闘の幕が切って落とされた。 三虎の熱烈な視線を特等席から浴びて、俺も次郎も、そして不敵に微笑むアカシア様も、一斉にグラスを傾けてまずは景気よく1杯目――を、胃袋へと流し込む……はずだった。
「ぶひゃあぁぁぁーーーッ!!! 度数が高すぎるぞぉおお!!!」
ガシャーーーンッ!!!
最初の一口、いや、ただの一滴が舌に触れたその刹那、一龍兄さんはまるでグルメ界の最大級の天変地異に直撃されたかのように白目を剥き、派手な音を立ててそのまま後ろへとひっくり返った。
グラスから溢れたワインが荒野の如き床を僅かに濡らす。世界最強の男になるはずの長男・一龍、驚異の1杯すら飲み干せずに一瞬で完全敗退。
「ギャハハハハ! 一龍兄ちゃん、一滴で自爆なんて弱すぎるだろ!!」
次郎がリーゼントを激しく揺らしながら大爆笑する。
「はは……。拒否する一龍兄さんを無理やり連行しておいてなんだけど、まさかここまで瞬殺だとは思わなかったよ。人体、いや免疫力の設計ミスどころの騒ぎじゃないな…」
俺は頭を掻きながら完全に呆れ返っていた。そんな騒がしい俺たちを余所に、アカシア様だけは、微塵もペースを崩すことなくゆっくりと器を傾けていた。喉を鳴らしてハニーワインを飲み干すと、フローゼ様が煎ってくれた香ばしい蜂の子を一つ口に運び、実になめらかな、穏やかな声で感想を述べる。
「うむ……素晴らしいね。虹の実の野生の糖度が蜂蝶の持つ特殊な体内酵素と結合し、完璧な割合でエタノール分子へと発酵している。度数は高いが喉越しは驚くほどまろやかだ。フローゼ、この蜂の子の塩気とも完璧に調和しているよ」
「まぁ、お口に合って良かったわ、アカシア」
台所の奥で、フローゼ様が「ほらね」と言わんばかりの、夫の勝利を最初から確信していた気品ある微笑みを浮かべて目を細めている。流石は神の料理人の風格だ。
「……っ!?」
一方、テーブルのすぐ横で一部始終をじっと見つめていた三虎は、一滴で白目を剥いて完全にカチコチに沈んでいる一龍兄さんの姿を見て、その大きな瞳を限界まで見開いてガタガタと震えていた。
「さ、酒とは……飲むと、あんな風に一瞬で肉体が破綻して、人間をダメにしてしまう恐ろしい猛毒なのか……!? 一龍の兄者が、一瞬で、消し炭のようになってしまった……っ」
「あはは、三虎、違うよ! お酒が怖いんじゃなくて、一龍兄ちゃんの体質が異常に酒に弱いだけだから」
俺がいつも通り頭をぐしゃぐしゃに撫で回すと、キッチンで『虹の実パイ』の生地を捏ねていたカカさんが、髪を揺らしながら手掌を顎に当てて流暢に考察を始めた。
「なるほど、大変興味深いデータです。私の生体計算から算出されるアルコール代謝の免疫力、その方程式を完全に超越した次元において、一龍さんのレセプターの拒絶反応が記録されていますね。これはもはや免疫力以前の問題……、遺伝子、細胞レベルでアルコールの分子構造そのものを本能的に拒絶している、極めて稀有な特異体質なのではないでしょうか……!?」
詳細すぎる解説を交えながら、一気に捲し立てるカカさん。 一龍兄さんが床の上で「う、うぅ……カカ、動けない俺の横で、そんな真面目な顔して俺の体質を解剖しないでくれ……っ」と哀れな声を漏らしているが、カカさんの可愛いジト目は止まらない。
「さあ次郎、
「おう! 二鳥兄ちゃん、俺、絶対に負けねえからな!!」
俺はハニーワインを豪快に注ぎ足しながら、笑顔と美味い匂いが満ち溢れる最高の食卓の戦いへのぞんだきけ
――2杯目、3杯目と、七色に輝く虹の実ハニーワインのグラスが心地よい音を立てて空になっていく。
「ぷはぁ! やっぱりこの酒、めちゃくちゃに美味いな! 喉がカッと熱くなって、グルメ細胞がドクドク脈打つのが分かるぜ!」
グラスを豪快に干しながら、次郎の顔がほんのりと綺麗な赤色に染まり始めた。呑兵衛としての片鱗を早くも覗かせているが、その対面に座る俺とアカシア様は、依然として完全に素面のままだった。
俺のブルーニトロとしての頑強な肝臓と、カカさんの計算通りのアルコール代謝能力は人間界の極上酒の度数すら完璧に構造分解して無力化している。 そんな男たちの激闘の横では、カカさんが焼き上げてくれた最高の『虹の実パイ』を、三虎が「美味い」と口の周りをサクサクの生地だらけにしながらがむしゃらに頬張っていた。
「ふふ、三虎さん、そんなに急いで咀嚼しては、虹の実の果汁分子の広がりを100%感知できませんよ? ほら、この特製の虹の実ジュースも一緒に飲みなさい」
「……うん、カカ。このジュースも、すっごく甘くて温かい味がする……」
頭三虎の選んだ髪留めをきらめかせたカカさんと、その隣に座るフローゼ様。二人の至高の料理人は、優雅に七色の虹の実ジュースをグラスで傾けながら、まるで上質な劇でも観るかのように穏やかな笑みを浮かべて俺たちの勝負を観戦していた。
そして――飲み比べはさらに、常軌を逸したスピードで進み、ついに大台の『80杯目』へと突入した。
「う、うぃ〜……っ。なんだよ二鳥兄ちゃん、アカシア様ぁ……。二人とも、なんで、そんなに普通の顔して、飲んでるんだよぉ……っ」
80杯目を飲み干したところで、さすがの次郎も完全に呂律が回らなくなり始めた。リーゼントを少し揺らしながら、グラスを持つ手もおぼつかなくなっている。 だが、その目の前に座る俺とアカシア様は、依然として完全に素面のまま、涼しい顔で器を弄んでいた。
「はは、次郎。お前、さっきの威勢はどうしたんだよ? 恋人の節乃ちゃんの前だったら、もっと格好いいところを見せられたのかな?」
俺がニヤニヤとからかうと、次郎は「う、うるさいなぁ……! 俺だって、まだまだ、いけるんだからな……っ」と真っ赤な顔で机を叩いた。
「ふふふ、次郎もなかなか良い飲みっぷりだが、二鳥のニトロとしての代謝構造はやはり凄まじいね。……よし、それじゃあ二鳥。ここからは、ジョッキでいくとしようか?」
「ええ、もちろん! 望むところです、アカシア様!」
アカシア様が不敵な笑みを浮かべ、さらに度数の高い最奥の発酵ハニーワインを俺の前に差し出す。
「さあ次郎、置いていかれたくなければ死ぬ気でついてきなよ! アカシア様、2回戦、はじめましょう!!」
調理場の奥から、フローゼ様が俺の作った木の棚から取り出された、ずっしりと大きな特製の木製ジョッキが3つ持ってきて頂いた。
俺とアカシア様は手渡された大きなジョッキへと虹の実ハニーワインをなみなみと注いだ。だが、その容器の容量が数倍に膨れ上がった瞬間、すでに80杯目で吕律が回らなくなっていた次郎の顔が、一瞬で引きつった。
「うぅ……っ。ジョ、ジョッキって、二鳥兄ちゃん……これ、一気に量が増えすぎ……」
次郎は酒への執念を振り絞り、並々と注がれたジョッキのワインをどうにか気合で喉へと流し込んだ。だが、その時点で限界はとうに超えていたらしい。続く66杯目のジョッキを口に運び、半分ほど飲み干したところで――ドサッ、と、リーゼントを激しく机に打ち付けながら、次郎は完全に意識を失ってその場にダウンしてしまった。
「ギャハハ! ほら見ろ、次郎も自爆したぞ!」
床の上で一滴で硬直していた一龍兄さんが、いつの間にか意識を取り戻して、這いつくばりながら次郎の無様な姿を指差して笑っている。
「はは……。次郎もよく頑張ったけど、ここから先は人間の肝臓のスペックじゃ構造を維持できない領域だからね」
俺は完全に素面のままジョッキへと手を伸ばした。 そしてその正面、同じくただの一ミリも顔色を変えず、静かに次のハニーワインを注いでいる美食神アカシア様を見つめる。
酒豪二人による、真の限界突破一騎打ち。俺はブルーニトロとしての頑強な肉体と、カカさんの計算通りのアルコール分解代謝の免疫力があるからこそ素面でいられる。だが、目の前のアカシア様は、そんなニトロの肉体スペックすら生身のままで完璧に凌駕し、何杯飲もうが完全に澄み切った瞳で俺をじっと見据えていた。
その底知れないザルっぷりを特等席から五感で視認した瞬間、俺は一つの真実に辿り着いた。
「……なるほど。アカシア様、俺、ようやく理解しましたよ。あなたが普段、お酒をほとんど口にしない本当の理由が」
「おや、何だい二鳥?」
アカシア様が木製ジョッキを傾けながら不思議そうに微笑む。俺はニヤニヤとした笑みを浮かべ、その核心を突いた。
「あなたが本気で飲み始めたら……ザルすぎて、街中のお店の酒を全て一人で一瞬にして『飲み干して』しまうからですね?」
その俺のズバリとした指摘に、アカシア様は一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに「ふふふ……」と、肩を優しく揺らして豪快に笑い声を漏らした。
「ははは、参ったな。二鳥には何でもお見通しというわけかい。……そうさ、その通りだよ。私が本気を出してしまってはね、他のお客さんの分の貴重な美味しいお酒まで、全て奪い尽くして飲んでしまう訳には行かないからね。料理も、お酒も、みんなで分け合って笑顔で楽しむのが一番だからさ」
圧倒的な強さを秘めながら、どこまでも人間界の普通の人々を気遣い、笑顔を守ろうとするその誠実な配慮。その言葉の裏にある深い慈愛を聴き、俺は心の底から思った。
「……本当に、格好いい師匠だよ」
そして同時にこう思った。
(あんたがラスボスやるのは無理があるぞ!!!)
そう心の中で叫びながら自身の左手にグッと力を込め、グラスに手を伸ばした。そんな俺たちの次元の違う激闘を、三虎は食べる手を止め、憧れと驚愕に満ちた瞳でじっと見つめていた。
カカさんも髪を揺らしながら「流石はアカシア様、私のアルコール代謝の方程式すら容易く超越する驚異的な生体データです……っ」と嬉しそうにジト目で感嘆の長話を紡いでいる…嫉妬しちゃうぞ?
「さあアカシア様! 街の酒場じゃ絶対にできない、俺たちの『限界突破の飲み比べ対決』、夜が明けるまでどこまでも、徹底的に付き合わせていただきますよ!!」
「いいとも、二鳥。君のような最高の弟子と出会えて、私は本当に幸せ者だよ。いくよ!」
◆
――そこから始まったのは、もはや人間の常識を完全に逸脱した、文字通りの怪物二人のデッドヒートだった。今回収穫した『天然の虹の実ハニーワイン』。俺の精密な五感分析によれば、そのアルコール度数は軽く80%を超えるウォッカ以上の狂暴なアルコール分子を含んでいた。
人間なら、それこそ一龍兄さんのように自爆するか、次郎のように肉体が完全静止、爆睡するのが当然の代物だ。それを俺とアカシア様はガチリとジョッキを何度もぶつけ合いながら、まるでただの水を飲むように何杯も、何杯も底なしに喉へと流し込み続けた。時に、フローゼ様が煎ってくれた最高の香ばしい蜂の子のおつまみを口に運び、旨味分子の結合を確かめながら、勝負はドンドンと恐ろしい速度で進んでいく。
そして、ついに――前人未到の『185杯目』へと突入した。
「おいおいおいおい、嘘だろ……。185杯って、お前ら本当に何考えてやがるんだ……っ」
その光景を特等席で見ていた一龍兄さんは、あまりの恐怖と戦慄に完全に酔いが覚め、真っ青な顔のままガタガタと椅子の脚を震わせていた。
「二鳥の兄者、頑張れ! 負けるな、兄者ッ!!」
三虎はカカさん特製の虹の実パイを大事に握りしめたまま、身を乗り出して俺に向かって必死に熱い声援を送ってくれている。
「その通りです、三虎さん! 二鳥さん、味仙人としての私の生体計算を信じてください! ブルーニトロの肉体が持つ限界出力をリフレッシュ、活性化させれば更に大量のアルコールの分解は十分に可能ですからね……ッ!?」
カカさんも髪を激しく揺らしながら両手をきゅっと握り締めて、俺の勝利を信じて熱烈な長話で応援してくれていた。
――しかし…優雅に虹の実ジュースを傾けているフローゼ様だけは、依然として、最初から何もかもを見切っているような余裕の笑みを浮かべたままだった。
それもそのはずだった。必死にアルコールを無力化し続けてきた俺だったが、185杯目にして、ついにその頑強な皮膚の奥、頬のあたりがほんのりと赤みがかってきていた……ブルーニトロのスペックをもってしても、度数80%超えのハニーワイン185杯の物量は、ジワジワと俺の理性のリミッターを熱く侵食し始めていたのだ。
それに対して、正面に座る美食神アカシア様は――あんなに大量の酒を飲み干しておきながら、その澄み切った瞳にはただの一ミリの濁りもなく、恐ろしいほどに『完全な素面』の顔を維持したままであった……っ!!!
(まじかよ……強すぎんだろ…… 街の酒場の酒を全て一人で飲み干してしまうっていうのは、誇張でも何でもないってわけか……)
俺は少し熱を帯び始めた脳内で、目の前の『世界最大の壁』の理不尽なまでの圧倒的な強さに、恐怖を通り越して最高に不敵な笑みを浮かべた。
「はは……参ったな、アカシア様! だけど俺の執念は、185杯ぽっちじゃ崩れませんよ! 186杯目……受けて立ちますよ、アカシア様ぁ!!」
「いいとも、二鳥。君のその熱い魂、実にもてなし甲斐があるよ。さあ、乾杯だ!」
俺はほんのりと赤い顔で笑いながら、カカさんと三虎の無敵の応援を背に受けて、世紀のハニーワイン大激闘の最奥へと、どこまでも賑やかに、深く突き進む!
352杯目――必死にアルコール分子を分解し続けてきた俺の肉体だったが、度数80%超えの物量は非情だった。頬の赤みは更に増し、コートの内側からカッと細胞が熱を帯びる。大丈夫だ。問題ない。
556杯目――更に赤みが増し、視界が少しだけぼやけ始めた。「おいおい二鳥、もう引き際だろ……!」と青ざめる一龍兄さんの声が遠くに聞こえる。気のせいだろう…。
893杯目――もはや呂律はとうに回っておらず、意識の土台を保てているのは、ただ目の前で「兄者、頑張れ!」「二鳥さん、信じていますよ!!」と必死に声を枯らしてくれる三虎とカカさんの声援があるからこそだった。ただそれだけの『執念』で、俺はジョッキを動かし続けた。
そして――運命の1759杯目。
ゴクリ、と喉に流し込んだ瞬間…肝臓が完全に限界を迎えた。
――ズドンッ!!! 俺の身体は、力尽きた建材のようにテーブルへと前のめりに倒れ伏した。
「……あ゛〜あ゛…ここまで…か……。俺の、負けだぁ〜……」
極上の幸福感と強烈な浮遊感の闇の中へと、俺の意識はゆっくりと溶けていく。二鳥、1759杯目にして完全につるつるの酔い潰れ敗退。
「ああっ、二鳥の兄者が……っ!」
「はわわ……! 私のアルコール代謝の方程式の予測数値を、僅かに上回る物量でした……っ! 悔しいです、二鳥さん……!」
俺の敗北に、三虎はパイを握りしめたまま本当に残念そうに肩を落とし、カカさんも美しい髪留めを揺らしながらお揃いの指輪を嵌めた両手をきゅっと握り締めて悔しがっていた。
――だが、その時
倒れ伏した俺の視界の端、正面に立つ『世界最大の壁』を見上げた全員が、その瞬間に息を呑んで驚愕に染まった。
「ふふふ……。いやぁ、驚いたね。二鳥、君は本当に……最高の弟子だ。生身の私をここまで『ほろ酔い』にさせる人間なんて、これまでの長い人生において、ただの一人も存在しなかったからね……」
ジョッキを静かに置き、俺の健闘を心から称えてくれたアカシア様。なんと、その絶対無敵であるはずの顔が――ほんのりと、本当に『少しだけ赤く』染まっていたのだ。
「あら…… アカシアが顔を赤く染める姿なんて、私、出会ってから今日まで一度も見たことがないわ……!」
あのフローゼ様ですら、その優雅な余裕の笑みを一瞬で消し去り、驚きで目を見開いて初めて見る夫の表情に驚嘆の声を上げていた。一龍兄さんも次郎も、そしてアカシア様を無敵だと信じていた三虎も、その異次元の戦いの結末にただただ圧倒され、言葉を失っていた。
ブルーニトロのスペック、そのすべてを賭けたからこそ、俺は世界で初めてあの美食神の肉体に『ほろ酔い』という確かな楔を打ち込んでみせたのだ。負けはしたけれど、これ以上ないほど誇らしい最高のデータだった。
「はは……。ありがと、アカシア様……。今夜は、最高の、夜だ……」
俺はテーブルに顔を埋めたまま、お揃いの指輪を光らせてそっと微笑んだ。 横ではカカさんが慌てて俺の身体を支えようと駆け寄ってくれており、三虎も俺のコートの裾を握り直してくれている。
笑顔と虹の実の甘い匂いが満ち溢れる最高の宴会の中心で、俺は極上の幸福感に包まれながら、世界で一番温かい闇へと、深く、深く心地よく沈んでいくのだった。
二鳥が酔いつぶれた。そして主導権を握る宣言…つまりこの後どうなるか…想像がつきますよね?
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
-
攻め?
-
受け?