「そういえばアカシア様。今日は俺たちが来るまで、一体何の訓練をしていたんですか?」
俺が衣服を軽く整えながら尋ねた瞬間だった。隣にいた次郎が、まるで腐った肉でも口に入れたかのように、途端にもの凄く嫌そうな顔をして眉間を思いきり顰めた。
「ふふふ。今日の訓練はね、二鳥……『座学』をしていたんだよ」
アカシア様が楽しそうにクスりと笑いながら教えてくれたその言葉を聴いて、俺は次郎がこれほど露骨に嫌な顔をした理由を一瞬で理解した。
「なるほど、座学か……。しかも内容から算出するに、ただの勉強じゃないね。次郎、お前の得意な『ノッキングについての座学』をしていたんだろう?」
「う、うぅ……。そうなんだよ二鳥兄ちゃん。アカシア様がさ、いきなり難しい経絡の仕組みとか、細胞の分子結合を電気信号でどう止めるかとか、そんなややこしい講義を始めやがってさぁ……」
次郎がリーゼントをがっくりと落としながら拒絶反応を示して愚痴をこぼす。
「ははは! 仕方ねえだろ次郎、お前はいつも『感覚』だけで完璧に猛獣をノッキングしちまうからな。二鳥、こいつはノッキングが誰よりも得意だからって、別にノッキングの理論に詳しいという訳では、からっきしねえんだよ」
一龍兄さんが腕を組んでゲラゲラと笑いながら解説する。そう、未来のノッキングマスターは、天才ゆえに全てを野生の
――だが、その「
「――おや? ノッキングにおける細胞分子の静止構造、および生体電流の遮断メカニズムに関する『座学』ですか……!?」
カカさんは髪を激しく揺らしながら、両手を胸の前でギュッと握り締め、今にも飛び出して次郎の前に立とうと全身をソワソワと猛烈に震わせ始めた。味仙人であり、日頃から「……の……なデータがですね……」と隙あらば流暢な長話を紡ぎ出す彼女にとって、この高度な生体科学の座学ほど、自らの
「二、二鳥さん……っ! 今すぐにでも私が次郎さんの脳のシナプスへ向けて、ノッキングの基礎分子構造から宇宙の理に至るまで、詳細なデータに基づいた完璧な特別講義を24時間ぶっ続けで開設したいのですが……よろしいですね……ッ!?」
「ひゃ、ひゃあぁぁぁぁっ!? カカさんの講義なんて受けたら、俺、今度こそ脳みそが完全消滅しちゃうってええええ!!」
カカさんの熱烈すぎる解説の覇気を正面から浴びた次郎は、顔を真っ青にして一龍兄さんの背後へと大慌てで隠れた。三虎はその様子を不思議そうにじっと見つめている。
「まあまあ、カカさん、落ち着いて。……次郎、お前ラッキーだったな。カカさんの最高に為になる講義、今度二人きりの時にたっぷり叩き込んでもらうように俺からお願いしておくからさ」
「頼むから余計なことしないでよ、二鳥兄ちゃんのおねがいだからぁあああっ!!」
次郎の哀れな悲鳴が人里の修行場に響き渡るなか、ふとアカシア様が顎をさすりながら告げた。
「興奮冷めやらぬようだし…うん。ではカカさん、ここから先の座学を引き継いでもらえるかな?」
「…!勿論喜んで!」
「ではカカさん、あとはよろしく頼むよ」
「い゛い゛や゛あ゛あ゛ぁぁぁ!!!」
◆
アカシア様が笑顔で座学を任せてから、軽く30分が経過した。そこには、カカさんの機関銃のような流暢な解説を正面から浴び続け、魂の抜けた顔で完全に白目を剥いて気絶している次郎の姿があった。
その横では、一龍兄さんが「あー、ダメだ……。二鳥、カカの話、いつ終わるんだ? アカシア様の座学から続けて1時間も座り続けたせいで、俺は尻が痛くなってきたぞ……」と、ズボンの上から尻をさすりながら、限界寸前の声を漏らしている。
元々「感覚」だけで生きてきた次郎たちにとって、あまりにも高度で緻密な生体分子結合の理論は、脳を直接ノッキングされるより凶悪な拷問だったのだ。俺は頭を掻きながら、完全に呆れ返るしかなかった。
――しかし。その地獄のような座学の空気の中で、ただ一人、完全に別の反応を示している少年がいた。
「……なるほど。ノッキングとは力で神経を潰すのではなく、細胞の電気信号の通り道を、楔を打ち込むようにして一時的に閉じる構造なのか……!」
そう、三虎だった。 三虎は生まれて初めて知る世界、そして高度な知識のすべてを心の底から楽しんでおり、カカさんの解説に魅入るように、その大きな瞳をキラキラと輝かせて集中していたのだ。
飢えた獣、そんな彼にとって、カカさんが授けてくれる理性的で美しい知識のフルコースは胃ではなく、心の飢えを完璧に満たしてくれる最高のご馳走だった。 カカさんはそんな風に、自分の詳細すぎる長話を一言も聞き漏らさずに熱心に聴いてくれる三虎がたまらなく可愛く、愛おしくなってしまったらしい。
「おや、おや! 三虎さん、そこまで完璧に私の理論の分子配列を理解できるとは、本当に、なんて賢くて素晴らしい子なのでしょう……! よし、それでは次は、グルメ細胞がノッキング状態から自己治癒能力を解放する際、免疫システムがどれほどの速度で電気信号を再結合させるか、その詳細な実証データについてですが――」
三虎のそのあまりの優秀さにモチベーションが限界突破したカカさんは講義をさらにヒートアップさせて奥の領域へと進めていく。
「……うん、カカ。もっと教えてくれ。俺、その構造の仕組み、もっと全部知りたい……!」
三虎も嬉しそうにコクコクと頷き、二人の周りには、もはや一龍兄さんたちにはただの呪文にしか聞こえない、極上の知性の花畑が満開に広がっていくのだった。
……スタバのカスタムしたメニューとどっちが長いかな…行ったことがないからよくわかんないけど馬鹿みたいに長いことだけは知ってるんだよな…まあ、それはさておき…
(はは……まさか三虎が、カカさんのあの長話解説の最高の理解者になるなんてね。これは本当に最高の予想外の結果だな)
俺は笑いながら、気絶している次郎と尻を押さえて泣きそうな一龍兄さんを横目に、可愛いカカさんと三虎のどこまでも熱い座学の時間を、誇らしげな笑顔で静かに見守り続けた。
そしてカカさんの熱血講義がさらにディープな領域へ突入しようとしたその時、廊下の奥から「はい、そこまで。ちょっと休憩にしよう」と、アカシア様がフローゼ様手作りの甘い焼き菓子の乗ったお皿を両手に持って現れた。
サクサクに焼き上げられた、蜂蝶の蜂蜜がたっぷりと練り込まれた極上のクッキー。その香ばしく甘い匂いが、部屋いっぱいにふわりと広がる。
「おや!素晴らしいタイミングです、アカシア様! 三虎さん、座学において脳細胞をフル回転させる際、ブドウ糖を始めとする糖分の補給は、集中力の持続およびシナプスの伝達分子を完璧にホールドするために必要不可欠なのですからね!」
カカさんは髪を揺らしながら真っ先に解説を付け足した。三虎はそんなカカさんの言葉に「うん、カカ。糖分の補給、大事なんだな」と笑顔でコクコクと頷き、焼き菓子をパクリと口に運んだ。
「あぁ…!美味しい……。身体の中に、甘いのがじわーって染み渡る……」
フローゼ様の焼き菓子の優しい甘さに、三虎の顔がこれ以上ないほど幸せそうに綻ぶ。そして、その圧倒的な極上の匂いに釣られるようにして、白目を剥いていた次郎が、ぴくりと鼻を動かした。
「……ん、……うあ、お菓子、美味そう……っ!」
次郎がガバッと一瞬で目を覚まし、這いつくばったままお皿へと手を伸ばして焼き菓子を口に放り込んだ。
「生き返るぅ……っ」と涙目で咀嚼している次郎。そんな兄貴の姿を見た三虎は、口の周りにクッキーの粉をつけたまま、ふんすと鼻を鳴らして盛大なドヤ顔を浮かべた。
「おい、次郎。カカの教えだと、お前は感覚だけで脳の神経パルスを遮断しているから電気信号の構造が――」
「うわああああああッ!! 頼むからもうその話は勘弁してくれぇえええッ!!」
三虎が先ほどの講義の内容をドヤ顔で教えようとした瞬間、次郎は脳みそが爆発しそうなほどの拒絶反応を示し、三虎から逃げるようにして文字通り「ハッ!」と後ろへ大きく飛び退いた。
その尋常じゃない逃げ足のキレの良さに、部屋全体にドッと温かい笑い声が広がる。尻をさすっていた一龍兄さんもその様子を見てお腹を抱えながらゲラゲラと笑い声を弾ませた。
「ギャハハハハ! おい二鳥、見ろよ! 三虎のことを『拾われてきたにゃんこ』なんて言ってた次郎のやつ、今のはどっちかって言えば、真後ろにキュウリが置かれてて大慌てで後ろに飛び退いたにゃんこだったな!!」
「ちょっと一龍兄ちゃん! 笑いながらクッキー食うなよ! 喉に詰まらせろ!」
次郎が顔を真っ赤にして叫ぶが、一龍兄さんは無視して「美味い、美味い」と焼き菓子を頬張り続けている。俺もこのお騒がせで最高に愛おしい兄弟たちのやり取りに、本当に幸せな笑みを浮かべていた。
「はは、次郎。三虎にお勉強でマウントを取られたくなければ死ぬ気でカカさんの長話解説に付き合うことだな」
「だから、二鳥兄ちゃんもそっちの味方すんなよぉおおおっ!!」
次郎の哀れな悲鳴を美味しい焼き菓子の甘い香りが優しく包み込み、俺たちは皆で一緒に世界で一番温かい我が家の最高のおやつタイムを、どこまでも賑やかに楽しんだ。
◆
皆で焼き菓子を囲んで大爆笑し、和気あいあいと盛り上がっている中、お皿を片付けたアカシア様が、次郎に向かって優しく微笑みながらこう告げた。
「さて次郎。今日は座学でかなり参ってしまったようだが、安心していいよ――明日は、今日学んだ理論をそのまま身体で体現してもらう、『実技の特訓』にするからね」
「えっ、実技!? 本当ですか、アカシア様! よっしゃあぁぁぁ!!」
その言葉を聴いた瞬間、次郎は現金なほどに一瞬で大喜びし、リーゼントを激しく揺らした。身体を動かす実技ならあいつの独壇場だ。
「実技で恥をかかないためなら、今のうちに座学の続きもちゃんと取り組んでやるよ!」
次郎がやる気を取り戻した。すると、アカシア様はすっと俺の方を向き、穏やかな、だけどどこか真剣な眼差しを向けてきた。
「二鳥。できれば、明日も君に修行に来てほしいんだ。三虎のサポートはもちろん、実技となれば君の視点、分析がどうしても必要になるからね」
「……? 二鳥の兄者は、毎日は修行に来ていないのか……?」
俺のクッキーをモグモグと食べていた三虎が、不思議そうに大きな瞳をパチクリとさせて疑問を浮かべた。俺は頭を少し軽く傾け、いつもの接しやすい兄ちゃんとして優しく笑いかけた。
「あはは、そうだよ三虎。兄ちゃんはもう、過度に強い力を求める必要はないからね。今の力をキープするだけで、家で待ってくれているカカさんを守るには十分すぎるほどのお釣りが来るからさ。普段は、人里で大工のお仕事をしてるんだよ」
「……大工の、お仕事……」
三虎がじっと俺を見つめる中、俺はアカシア様に向かって真っ直ぐに答えた。
「そういうわけですのでアカシア様、明日の午前中は、人里から少し大きめの建築の仕事依頼が入っておりましてね。修行に参加するにしても、それが終わってからの昼過ぎになってしまうかと思いますが……それでも構いませんか?」
「うむ、もちろん構わないよ、二鳥。君の仕事は人間界の人々にとっても大切な貢献だからね。昼過ぎに、首を長くして待っているよ」
アカシア様は快く了承してくれた。 そうして休憩時間が終わり、いよいよカカさんによる「ノッキングの特別講義」が、さらに凄まじい熱量と共に再開された。
――だが、それが大きな悲劇だった。時は流れ、夕暮れ時。 オレンジ色の綺麗な太陽が沈み、カカさんが「――以上をもちまして、本日のノッキング生体電流遮断における全カリキュラムの座学を『修了』といたします!」と、髪留めをきらめかせ、手をパチンと叩いて高らかに宣言した、その瞬間。
「…………あうぅ……」
テーブルの前に座っていた次郎は――鼻水をだらしなく一本垂らし、瞳の焦点は完全にどこか遠い世界へと消え去り、なんとも言えない馬鹿みたいな、マヌケな表情のまま白目を剥いて完全に気絶していた。
結局、3時間以上ぶっ続けでカカさんの機関銃のような超精密理論の覇気を脳細胞に植え付けられ続けた結果、あいつの脳の構造は完全にオーバーヒートを起こし、完全に破綻して魂が口から抜け出しかけていたのだ。
「あーあ、次郎のやつ、完全に脳みそを解体されちまったな……」
その横では、一龍兄さんが「俺の尻の痛みも、途中からカカの長話の恐ろしさで完全に消え失せたわ……」と、ガタガタと青ざめた顔で震えていた。
一方で、三虎だけは「カカの講義、最後まで最高に面白かった……!」と、ノートを大事に抱えてすっかり知性の怪物へと覚醒した瞳で満足げにフンスと鼻を鳴らしていた。
この世界の三虎は一体なにになるんだろうか…。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?