翌日。俺は午前中の大工仕事を超技術をフル解放して超特急で終わらせた。そして約束通り昼過ぎにアカシア様たちの修行場へと向かった。
「みんな、遅くなってごめん! ――って、あれ?」
いつもの修行場に飛び込んだものの、そこには静寂だけが広がっていた。研究所は無人、訓練の道具もそのまま。ただ、中央のテーブルの上に、ポツンと一通の手紙が置かれていることに気づいた。 封を破り、中身を確認する。そこにはただ一言、『東の荒野で修行中』 とだけ書き置きが残されていた。
「東の荒野……あそこはグルメ界の境界線に近くて、普段はそんなに強い猛獣も出ないはずだけど。実技の特訓には丁度いい場所を選んだのか」
俺は手紙をコートにしまい込むと、地を蹴って東の荒野へと超特急で急行した。
数分後
風が吹き荒れる広大な東の荒野へとたどり着き、五感を研ぎ澄まして彼らの気配を探す。すると、遠くの岩陰にアカシア様たちのシルエットを見かけた。
「あ、いたいた! アカシア様、一龍兄さん――」
声をかけようと近づいた瞬間、俺の全身の細胞が、これまでにない強烈な違和感を察知してピキッと硬直した。明らかに周囲の空気の密度がおかしい。誰も声を上げておらず、異様なまでの重苦しい静寂が荒野を支配していた。
「……みんな、どうしたんだ… 様子がおかしいぞ?」
急いで岩場へと駆け寄ると、そこには息を荒くしている次郎と、俺の姿を見て「兄者……っ」と大慌てでロレンチコートの裾にしがみついてくる三虎の姿があった。 そして何より――あの世界最強の男になるはずの長男、一龍兄さんが、衣服をボロボロに切り裂かれ、腕や肩に血が滲むほどの【傷】を負って座り込んでいたのだ。
「一龍兄さん……っ!? 兄さんが怪我を負うなんて、一体何があったんだ!?」
俺が驚愕に目を見張ると、アカシア様がいつもの穏やかな表情を完全に消し去り、憂うような重々しい眼差しを俺に向けて、ポツリと驚くべき事実を話してくれた。
「……よく来てくれたね、二鳥。実は、ここで実技の特訓をしていたところ……突如として、『野生のニトロ』に出会ってしまってね」
「――っ、野生の、ニトロ……っ!?」
アカシア様のその言葉を聴いた瞬間、俺の脳裏が、これまでにないほどの激しい衝撃と不穏な予感でガチガチに染まった。
「おいおい二鳥、大袈裟だぞ。ほら、見ての通りただの掠り傷だ。お前がそんなに顔をする必要はねえよ」
一龍兄さんは衣服の破れた肩を軽く回しながら、いつもの笑顔を浮かべてみせた。世界最強の男への道を歩む長男だ。その肉体の頑強さは伊達ではない。よく見れば、その傷が一瞬の交錯による鋭い一撃で刻まれた軽傷であることは明白だった。
俺は少しだけホッと胸を撫で下ろしつつも、アカシア様達に事情の説明を促した。
「傷が浅くて良かったよ、一龍兄さん。……それで、改めて何があったのか教えてくれるかい? アカシア様、次郎、それに三虎」
俺が問いかけると、しがみついていた三虎がさらに俺のコートの奥へと身を縮め、次郎がバツが悪そうに頭を掻いた。アカシア様は静かに溜息をつき、その経緯を語ってくれた。
「実はね、次郎のノッキングの実技特訓をしていた時のことだ。この荒野の岩陰に潜んでいた野生のニトロを、三虎が最初に見つけてね。あの子は……何の躊躇いもなく、そのニトロの元へと近づいていってしまったんだよ」
「――あ」
アカシア様のその言葉を聴いた瞬間、俺の脳が全ての理由を一瞬で完璧に弾き出した。
(そっか……。そういうことだったのか、三虎……っ!)
俺は自分の不手際に胸が締め付けられる痛みを覚え、繋いでいる三虎の小さな手をそっと強く握り直した。 三虎にとって、生まれて初めて自分を温めて、無償の愛を分けてくれた存在は俺であり、食事を提供してくれたのはカカさんだった。
三虎の純粋な世界の中では、【鳥の怪物の姿をした生き物(ニトロ)=自分に愛を注いでくれる、世界で一番安全で優しい存在】という絶対の方程式が完璧に構築されてしまっていたのだ。
だからこそ、人間界の境界線に現れたその野生のニトロを見た時、恐怖を抱くどころか「二鳥の兄者たちと同じ仲間だ」と思って、無防備に近寄ってしまった…それが、実際には人間界の通常の生態系を遥かに逸脱した、極めて高い戦闘力と容赦のない凶暴性を持った『最悪の危険生物』であるという事実に、気づけるはずがなかったんだ。
「三虎が近づいた瞬間、そのニトロが鋭い爪を剥いて襲いかかってね。それを見た一龍が、自分の身を盾にして三虎を庇い、その一撃をその身に受けてこの傷を負ったんだよ」
アカシア様の重々しい言葉の裏で、一龍兄さんは「長男だからな! 弟を守るのは当然だろ?」と笑っている。だが…俺の中ではただひたすらに申し訳ないとという感情しか出てこなかった。
「…ごめんな、三虎。兄ちゃんが最初から、ニトロという種族の本当の恐ろしさを、家族としてちゃんと教えてあげていなかったから――」
「……ううん、違うんだ、二鳥の兄者……っ」
三虎は俺のロレンチコートをギュッと握り締めたまま、涙をボロボロと溢れさせて、激しく首を横に振った。
「俺が、馬鹿だったんだ……っ。一龍の兄者に、あんな痛い思いをさせて……俺のせいで、兄者が傷ついてしまったんだ……っ!!」
自分の不甲斐なさと、大切な兄を傷つけてしまった激しい後悔に、小さな身体を震わせて号泣する三虎。
「…よしよし、泣きやんでくれ、三虎。お前が 悲しい気持ちになる必要はないさ……一龍兄さん、三虎を守ってくれて本当にありがとう」
俺は拳をグッと力強く構え直し、コートの裾が、荒野の殺気立った風に激しく翻る。 三弟子最弱だろうが関係ない。腹の底にある凄まじい『家族を傷つける奴は許さないという執念』のすべてを賭けて、そのニトロを解体してやる…
「…アカシア様、次郎。その一龍兄さんを傷つけた野生のニトロは、今どこにいるんだ?」
「……いや、二鳥。そのニトロなら、もうここにはいねえよ」
俺が怒りのままに拳を固めると、一龍兄さんが肩をすくめながら、苦笑交じりに俺の腕をそっと押さえた。
「俺が傷を負った直後、頭にきてな。これ以上三虎に近寄らせねえよう、ありったけの覇気で『威嚇』をブチかましてやったんだ。そしたらあいつ、怯えて尻尾を巻いて、遥か遠くまで一瞬で逃げ去っていっちまったさ」
「……そっか。逃げられたか」
俺は固めていた拳の力を少しだけ緩めた。一龍兄さんの本気の威嚇だ、そこらの野生のニトロなら魂が飛び散るほどの恐怖を味わって逃げ出したに違いない。
ひとまずは安心だが、俺の胸の奥のモヤモヤは完全には晴れなかった。すると、俺のロレンチコートの裾を千切れんばかりの力でぎゅっと握り締めていた三虎が、意を決したような様子で、涙の滲む大きな瞳を真っ直ぐに俺へと見上げてきた。
「……二鳥の、兄者」
「… どうしたんだ、三虎」
「アカシアは……さっきの獰猛で狂暴な化け物こそが、本来の『ニトロの姿』だと言っていた……世界中を食い荒らし、全ての生き物を下等な家畜としか思わない、最悪の悪魔だと……」
三虎はカサカサに乾いた喉から、掠れた声を一生懸命に絞り出しながら、ずっと胸の奥で渦巻いていた最大の疑問をぶつけてきた。
「なら……何故……何故、二鳥の兄者とカカは……こんなに、こんなに優しいんだ……? 同じ化け物の姿をしているのに、何故、俺を温めて、無償で美味しい飯を分けてくれて……あんなに愛を隠さずに笑い合えるんだ……っ!?」
その必死な、縋るような問いかけに、周囲の一龍兄さんも次郎も、そしてアカシア様も静かに口を閉じ、俺たちの対話を見守った。
「……そっか。三虎には、俺の秘密を、まだちゃんと話していなかったね…」
俺は夕暮れの荒野の風に吹かれながら、どこか遠い目をしてみせた。そして自らの過去の、そしてこの物語のすべての原点となる事実を、静かに語った。
「……三虎。驚くな、ていうのは無理なんだろうけどさ……俺は、元々は生まれついてのニトロなんかじゃなくて――お前と同じ、人間だったんだよ」
「――え…?」
俺のその告白を聴いた瞬間、三虎はハッと息を呑み、その大きな瞳をこれ以上ないほど限界まで見開いて硬直した。
「前世、っていうのかな。俺は遠い別の世界で、普通の人間の姿をして、普通に大工として生きていたんだ。だけど、に死んでしまってね……目を覚ましたら、何故かこの『ブルーニトロ』の肉体に、俺の魂がにすっぽりと収まって転生してしまっていたんだよ」
俺はいつもの接しやすい兄者のまま、三虎に語りかける。
「だからさ、三虎。俺の見た目は確かにニトロだけど、その中身にある心は、ただの『大工の人間の男』のままなんだ。大切な人を守りたいと思うのも、美味しい飯をみんなで分け合って笑顔になりたいと思うのも、全部、俺が人間だからなんだよ」
「……人、間……。兄者は、元々、人間だったのか……」
三虎は俺の言葉を深く、噛み締めるように何度も呟き、繋いでいる俺の大きな青い手を、今度は恐怖からではなく、深い憧れとこれ以上ないほどの絶対的な信頼を込めて、ぎゅっと強く、愛おしそうに握り返してくるのだった。
「……じゃあ、カカも……カカも元々は人間だったのか……?」
俺の過去の話を聴いた三虎が、今度はカカさんのことを思い出したように、不思議そうに大きな瞳をパチクリとさせて尋ねてきた。
「あはは。いや、それが違うんだよ、三虎」
俺はシルクハットの端を押し下げ、穏やかに首を横に振った。
「カカさんは元から本物のニトロ――レッドニトロの味仙人なんだ。だけどね、カカさんには色々と深い事情があって、さっきの化け物みたいな『凶暴性』はただの一ミリも持っていないんだよ」
カカさんの過酷な過去と、彼女が秘めている絶対的な優しさの秘密。悠久の歴史の中でブルーニトロたちの非道な計画に加担することを拒み、命がけで世界を守るために足掻いてきた、世界一誇り高き味仙人の真実だ。
「だから安心しろ、三虎。カカさんがお前に見せてくれたあの温かい笑顔も、お腹いっぱい食べさせてくれた世界一美味しいスープも、全部、嘘一つないカカさんの『本当の姿』だからね」
「……カカの、本当の姿……」
三虎は二鳥の言葉を聞き、あの眩しい朝日が差し込む新居の食卓と、美しい髪留めを揺らしながら自分のために『虹の実パイ』を焼いてくれた、あのカカの優しい面影を脳裏に思い浮かべていた。
血の繋がりなんかなくても、見た目がニトロであったとしても、あの家に満ちていた無償の愛と、お揃いの指輪がカチリと響き合う最高の日常は、何一つ偽りのない本物の『幸福』だったのだと、三虎は深く、心の底から納得したようだった。
「……うん。俺、カカのことも、二鳥の兄者のことも、信じる。見た目が化け物だって……二人は俺の、世界で一番大好きな家族だ……っ」
三虎の瞳から、ニトロという種族に対する恐怖の影は完全に、綺麗さっぱりとは消えていない。しかしそんな物は関係ない。兄者とその妻は三虎にとってかけがえのない家族であることに変わりはないのだから。
三虎は涙を袖で拭うと、繋いでいる俺の大きな青い手を、これ以上ないほどの強い信頼を込めてぎゅーっと力強く握り返してきた。
「はは、ありがと、三虎。お前にそう言ってもらえて、兄ちゃん本当に嬉しいよ」
俺が誇らしげな笑顔でその頭を撫で回すと、横で見ていた一龍兄さんも
「いやぁ、本当にいい兄弟だな! よし、野生のニトロの乱入で少しヒヤッとしたが、俺たちの最強の家族の絆はこれっぽっちじゃ揺るがねえぞ!」と豪快に笑い飛ばした。
次郎も「本当だよ。三虎が二鳥兄ちゃんたちのことをちゃんと理解してくれて、俺は安心だ」とリーゼントを揺らして微笑んでいる。
「よし! それじゃあアカシア様、一龍兄さんの応急処置も終わったことですし、みんなでフローゼ様とカカさんの待つ我が家へ帰りましょう」
「うん、兄者! 」
俺たちはどこまでも賑やかな笑い声と確かな幸福を、人間界の夕暮れの空へと響かせながら、暖かい家への帰路へと仲良く歩み進めていった。
◆
夕暮れの荒野をみんなで並んで歩きながら、三虎は俺の手をぎゅっと握りしめたまま、前世の記憶を思い出すようにポツリ、ポツリと話していた俺の言葉に、好奇心でその大きな瞳を輝かせた。
「……なあ、二鳥の兄者。兄者はその前世という、人間の頃から今みたいに何でも作れる凄い大工だったのか!?」
無邪気で、俺への尊敬が詰まった新しい弟の問いかけが飛んできた。
「……ははは…ここで『勿論、世界一の大工だったぞ!』って胸を張って言えたら、兄ちゃん最高に格好よかったんだろうけどな……」
俺はシルクハットの端を指でツンと押し下げながら、自嘲気味な笑みを浮かべ、それからどこか底知れない深い闇を湛えたような、暗い目をした。
いつも優しく、不敵で、どんな時でも笑っている俺が、初めて見せた悲しそうな目。三虎はその俺の表情の急変に、息を呑んで困惑の表情を浮かべた。
後ろを歩いていた一龍兄さんも次郎も、そしてアカシア様も、俺のその前世の『孤独』を知っているだけに、静かに、痛ましそうにその表情を曇らせていた。
「凄い大工をやっていた……そいつは、紛れもない事実だよ。どれだけ複雑な設計図だって頭の中で一瞬で組み立てられたし、自分の作る家には、職人としての誇りをこれでもかってくらい詰め込んでいたからね」
俺は繋いだ三虎の小さな手に、ほんの少しだけ冷たい体温が伝わらないよう、グッと力を込めた。
「だけどな、三虎。……俺の、人間の頃の最後はね――『餓死』だったんだよ」
「――っ、え……!?」
凄い大工なのに、食べ物がなくて死ぬなんて。あまりにもあり得ない、矛盾した残酷な死因を突きつけられ、三虎の顔は驚愕に染まった。かつて自分が荒野で死にかけた、あの地獄のような飢えの苦しみ。それを、目の前にいる無敵の兄者が、人間の頃に味わって死んだという事実が、どうしても信じられなかったのだ。
「何故……。何故なんだ、兄者……っ!? 凄い大工なら、たくさんの人が美味しい飯をくれるはずだろ……!? なのに、何故……っ」
困惑し、狂いそうなほどに必死に理由を求めてくる三虎に、俺はロレンチコートの襟を少し引き、冷たい風を遮るようにして、静かにその答えを弾き出した。
「――『お金』だよ、三虎」
「お金……?」
「そうさ。前世の世界ではね、どれだけ死ぬ気で朝から晩まで働いて、どれだけ立派な建物をいくつも建てたって……上の人たちから貰えるお金は、本当に雀の涙、爪の先ほども無いくらい、もの凄く少なかったんだよ。その世界を支配している不条理な社会構造のせいで、汗を流して泥にまみれる職人ほど、ゴミのように搾取される仕組みになっていたのさ」
――孤独。あの大工としてのプライドだけを支えに生きていた過酷な日々の記憶が、暗い目の奥で静かに明滅する。
「お金が足りないから、まともな食べ物が買えない。買えたとしても、自分の身体の代謝を維持するにはあまりにも少なすぎる量だった……だから俺は、誰もいない冷たい部屋の真ん中で、一人きりで……ただひたすらに飢えて…そのまま息を引き取ったんだよ」
俺はそこで一度言葉を切り、お揃いの指輪がはめられた自身の左手をそっと愛おしそうに見つめた。この平和な数年間、 俺がカカさんとの甘い未来を死守するために、そしてこの大好きな家族を完璧に守り抜くために死ぬ気で積み上げてきたこの凄まじい『執念』、それは、飢えて死んでいった俺自身の、過去に対する最大の【復讐】でもあったのだ。
(だからさ、三虎。俺はお前を、あの荒野で見つけたとき……まるで昔の自分を見ているみたいで、絶対に死なせたくなかったんだよ)
俺は繋いでいる三虎の小さな手を優しく、しっかりと握り直し、シルクハットの下から少しだけ憂いを残したままではあるものの、兄としての笑顔を三虎へ向けてやった。
「でも、今の俺にはこの頑強な肉体がある。完璧な大工の技術もある。何より……あの最高の我が家には、毎日『お帰りなさい、二鳥さん!』って言って、世界一美味い飯を作って待ってくれている最愛の妻、カカさんがいる……だから俺はもう、絶対に飢えない」
俺のその暗い過去の告白、そしてそれを全て撥ね退けるほどの圧倒的な『家族への愛と執念』を聴き、三虎は胸の奥を激しく締め付けられながらも、繋いだ俺の手を、これ以上ないほどの強い、生涯消えない絶対的な誓いを込めて、ぎゅーっと力強く握り返してくるのだった。
二鳥が暗い目で静かに前世の『餓死』を語り、同じ飢えの苦しみを知る三虎が言葉を失って悲しみに暮れる中。それまで静かに歩いていた一龍が、大きく息を吐き出し、二人の間に割って入るように力強く口を開いた。
「――だから、俺は決意したんだ」
「え……? 一龍の兄者……?」
三虎が涙の滲む目を一龍兄さんへと向ける。世界最強の男への道を歩む長男は、夕陽にその大きな背中を赤く染め上げながら、かつて二鳥から前世の不条理を打ち明けられた『あの日』の覚悟を証明するように、拳をグッと握り締めて宣言した。
「二鳥からその話を聞かされたあの日、俺は自分の魂に誓ったのさ。二鳥のような……いや、世界中の誰一人として、理不尽に飢えて孤独に死んでいくことのない世界を、この手で絶対に作ってみせる、とな。今はまだ、アカシア様の元で修行をしている身で、何一つ実現できてはいないけどな……だが三虎、俺はいつか必ず、誰もが腹いっぱい美味い飯を食える理想の世界を創り上げてみせるぞ」
一龍兄さんのその真っ直ぐで、大気をも震わせるほどの壮大な【覚悟】。後に人間界の平和を統べる国際グルメ機関(IGO)を設立し、世界の食のインフラを土台から完璧に築き上げる男の、これが若き日の原点だった。
すると、その隣を歩いていた次郎が、不敵にリーゼントを揺らしながらフンスと鼻を鳴らした。
「へへっ、そういうわけだからさ、三虎。俺は一龍兄ちゃんがいつか作るその美味い世界のために、邪魔になる危険な猛獣どもを、片っ端からこの指先でノッキングして支えてやるつもりなんだよ」
「……
三虎が不思議そうに首を傾げて尋ねる。生まれた瞬間から、奪うか奪われるかしか知らなかった三虎には、邪魔な猛獣は息の根を止めてしまえばいいという獣の思考がまだ残っていた。だが、次郎はその三虎の問いかけに、やれやれと呆れたような笑みを浮かべてみせた。
「何のために、俺たちが毎日アカシア様の元で死ぬ気で修行してると思ってんだよ……ただ狩って殺してしまえば、それで終わりだろ? だけどノッキングならさ、いつかその猛獣の凶暴性だけを綺麗に抑え込む方法を見つけるために、生きたまま安全に観察することだってできるんだぞ」
「生きたまま……」
「そ。それに、食材をただ殺しちまうとドンドン腐っていっちまうけど、ノッキングで細胞の時間を一時的に静止させておけば、味の鮮度を最高のまま保って遠くの人里まで運ぶことだって出来る。一龍兄ちゃんの目指す『誰も飢えない世界』を作るには、ただ殺すんじゃなくて、このノッキングの技術が絶対に必要不可欠なんだよ。お前も昨日、カカねえちゃんの座学であれだけ細胞の仕組みを教わっただろ?」
次郎のその誇らしげで、だけど一人の「兄」としての誠実な教育。ただのリーゼントではない。次郎の中にも一龍の創る未来を、そして隣に立つ節乃や二鳥たちの幸せを、自身のノッキングの牙で完璧に守り抜くという強固な『執念』が、確かに息づいていた。
「……なるほど。ノッキングは、世界を救うための技術でもあったんだな、次郎」
三虎は次郎の言葉を深く噛み締めるように何度も呟き、初めて次郎の横顔を、「ただの次郎」ではなく、一人の立派な【兄者】として尊敬の眼差しで見つめ返した。
その様子に、次郎は「へへ、分かってくれりゃいいんだよ!」と、嬉しさを隠しきれずに顔をほんのりと赤くして照れ笑いを浮かべている。
後ろを歩くアカシア様もまた、俺の過去を土台にして、一龍・次郎・三虎の3人がそれぞれの牙の意味を相続し、これ以上ないほど強固なひとつの『楔』として噛み合ったその光景に、本当に満足そうな、深い慈愛の微笑みを浮かべて見守っていた。
すると三虎が堪えきれないという様子で言葉を紡ぎ出した。
「…一龍の兄者のその美味い世界のために、俺にも……俺にも何か、出来ることがしたい。ただ奪うだけじゃなくて、今度は俺が、誰かのために手を差し伸べられるようなことがしたいんだ……っ!」
三虎のそのあまりにも純粋で、健気な申し出に、俺たち三人の兄貴分とアカシア様は、一瞬だけ驚いて目を丸くした。だが、次の瞬間には全員がこれ以上ないほど温かい、心の底からの笑みを浮かべて破顔した。
「ははっ! よく言った、三虎! お前がそこまで言ってくれるなんて、兄ちゃん本当に嬉しいぞ!」
一龍兄さんが豪快に笑いながら、三虎の小さな頭を優しく、力強く大きな手で撫で回す。
「一龍兄ちゃんが組織を創って、俺がそのインフラをノッキング(治安維持・流通)で支えて……大工の二鳥兄ちゃんが、誰もが安心して暮らせる立派な建物をいくつも建てる、か」
次郎もリーゼントを揺らしながら、四兄弟で紡ぐ未来の設計図に、その瞳を少年のようにワクワクと輝かせた。
「となると、三虎には一体何が出来るか……みんなで一緒に考えようか」
俺が頭を軽く傾けて呟く。奪うことしか知らなかったこの末っ子に、一体どんな最高の役割を作ってやれるだろうかと、兄貴たち3人で頭を悩ませていた、その時だった。
後ろを歩いていたアカシア様が、夕陽を背に受けながら、本当に穏やかな、父親のような微笑みを浮かべて素晴らしい提案をしてくれた。
「ふふふ。三虎はカカさんの講義を聴いていた時もそうだったが、どうやら新しい知識を取り入れる『勉強』が、とても好きなようだからね……それなら、新しい食材を育てる『生産者』、あるいは世界中に食を実らせる『農家』のような役割はどうだろうか?」
「――っ、生産者……、農家……?」
アカシア様の言葉を聴いた瞬間、三虎の大きな瞳がパァッと一瞬で眩しい光を放った。
そしてアカシアの言葉を俺が引き継ぐ
「そうか、三虎。ただ野生の猛獣を狩るだけじゃなく、高度な生体科学の知識を使って、過酷な環境でも誰もが美味しく食べられる新しい野菜や果物を研究し、自分自身の手で土から完璧に育て上げて、世界中に実らせていくんだ。理性的で、誰よりも勉強熱心なお前には、これ以上ないほどぴったりな最高の天職だと思うよ」
俺は興奮し、手にグッと力を込め太鼓判を押すと、一龍兄さんも「おう、そいつは最高だ! 俺が創る世界のインフラに、三虎の育てた最高の食材がドンドン流れていくんだな! 腕が鳴るぜ!」と盛大に賛同した。
次郎も「まだまだにゃんこのクセに、俺より遥かに頭が良いからな! 最高の農家になって俺たちを驚かせてくれよ!」と嬉しそうに笑っている。
「……うん! アカシア、二鳥の兄者! 俺、カカの講義をもっとたくさん受けて、世界一賢い農家になる……っ! そして、兄者たちの創る美味い世界を、俺の育てた食材でいっぱいにしてみせる……ッ!!」
生まれた瞬間から何も持たず、ただゴミのように荒野に打ち捨てられていた飢えた獣。そんな彼に、今世界で一番温かい【名前】と【家族】、そして将来世界を救うための【壮大な夢】がここに完成した。
三虎の瞳の奥から張り詰めていたすべてのトゲが消え去り、繋いでいる俺の大きな手を、これ以上ないほどの強い、生涯消えない絶対的な絆を込めて、ぎゅーっと力強く握り返してくるのだった。
「よし! それじゃあみんな、未来の設計図もバッチリ完成したことだしさ! 我が家へ帰って、フローゼ様の極上のご飯をお腹いっぱい食べて、また明日からの修行、死ぬ気で張り切っていこうぜ!!」
俺たちはどこまでも賑やかな笑い声と確かな幸福を、人間界の夕暮れの空へと響かせながら、世界で一番温かい我が家への帰路へと、4人仲良く、しっかりと手を繋ぎ直して力強く歩み進めていくのだった。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?