あの日から数ヶ月の時が流れた、ある日の朝。
いつものように愛の詰まった『検証実験』を終えた次の日のことだ。俺が先に目を覚まし、いつものように腕の中で幸せそうに眠るカカさんの顔を見つめた瞬間、夫としての五感が一瞬でいつもと様子が違う『異変』を捉えた。
カカさんの頬はどこか気怠げに上気しており、その眉間は少し息苦しそうに、きゅっと狭められていたのだ。
「カカさん……? 大丈夫か?」
心配になり、俺は彼女の細い肩をそっと優しく揺すって起こした。カカさんはゆっくりと瞼を開けたが、その瞳はひどく虚ろだった。
「……おや、二鳥さん……。おはよう、ございます……。大変、失礼ながら……なんだか今朝は、妙に胃の腑が『気持ち悪い』のです……っ。自律神経が、うまく働かなくて……」
「っ、無理しちゃダメだ! すぐに横になりな!」
俺は大慌てでカカさんを優しく支え、もう一度ベッドの上へと横に寝かせた。
「カカさん、今日の午前中の大工仕事は今すぐ全面中止にする。俺がずっと傍にいてカカさんを全力で支えるからさ。……何か、今すぐ身体にしてほしいことはある?」
俺が必死の看病を求めて問いかけると、カカさんは喉を鳴らし、掠れた声で切実におねだりしてきた。
「……それなら、二鳥さん。なんだか……とても『酸っぱい物』が飲みたいのです。クエン酸を、今すぐこの細胞が猛烈に求めていまして……っ」
「酸っぱい物、だね! 分かった、すぐ作ってくるから待っててね!」
俺は猛スピードで台所へと滑り込み、冷蔵庫からシビレモン…は電気が流れるから駄目だ!隣の『天晴モン』を取り出し、怪力を込めて果汁を搾り出し、蜂蜜を丁度いい割合でブレンドして、特製のレモネードを一瞬で創り上げる。
カカさんが喉越しをスッキリさせられるよう氷も沢山入れて、寝室へ戻って差し出した。
「はい、カカさん! 天晴モンの特製レモネードだよ。ゆっくり飲みなよ」
「……っ、ありがとうございます、二鳥さん……!」
カカさんは横になったままグラスを受け取り、俺が傍に寄り添って肩を支えて起こしてあげる。
そしてゴクゴクと美味しそうにレモネードを喉へと流し込んだ。氷の涼やかな音が響く中、彼女の羽毛がすーっと落ち着きを取り戻していく。
「あぁ……っ、信じられないほど美味しいです……! 胃の不快感が、この酸味によって解消されていくのが分かりますよ……!」
カカさんは本当に嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。その様子にホッと安堵しつつも、俺の『前世の記憶』が、その「急に酸っぱい物が猛烈に飲みたくなる症状」に対して、なにやら猛烈に引っかかる違和感を覚えていた。
(酸っぱい物……気持ち悪い……あれ? これ、前世で確か何かの『サイン』として、もの凄く有名だったような気がするんだけど……)
俺は思い出そうとした。だが、どうしても思い出すことができなかった。
そしてカカさん自身もまた、味仙人としての知識をフル回転させても、何故自分の頑強なニトロの肉体が突如としてこれほどの気持ち悪さを記録したのか、その理由は一ミリも分かっていない様子で首を傾げていた。
「カカさん、今日は一日中、俺が付きっきりで看病してあげるからね。お粥も最高に美味しいのを作ってあげるからさ、ゆっくり休んで」
「……二鳥さん」
天晴モンの特製レモネードを飲み干し、少しだけ呼吸が落ち着いたカカさんが、グラスをサイドテーブルに置くと同時に、シーツから細い両手をそっと伸ばしてきた。
顔をいつも以上に気怠げなピンク色に染め上げながら、髪をシーツに散らして、じっと上目遣いで俺を見つめてくる。
「……二鳥さんが、大工のお仕事を全面中止して、本当に今日一日中私の傍にいてくださるというのなら……私のこの身体の不快感を完璧にホールドしていただくために、私の抱き枕になってくださいますか……?」
恥ずかしがりながらも、これ以上ないほど甘い声でおねだりしてくる最愛の妻。
「――っ、あはは。もちろんいいよ、カカさん。俺の肉体でよければ、いくらでも特製の抱き枕になってあげるからね」
俺は頭を少し軽く傾け、いつものまま優しく微笑むと、シャツ姿のままベッドへと潜り込んだ 。
そして、愛しいカカさんの細い身体を、包み込むようにして優しくガシッと抱きしめ、抱き枕となって横になった。
「あぁ……っ、暖かいです、二鳥さん……っ」
俺の圧倒的な体温とホールド感がダイレクトに伝わり、カカさんの胃の腑の不快感は劇的に落ち着いていったらしい。彼女は本当に嬉しそうに、満たされた笑顔を浮かべて俺の胸に顔を埋めた。
しかし安定してくると、今度は味仙人としての知性が動き出してしまったようだ。カカさんは俺の胸元を小さく握り締めながら、自らの体調不良について、詳細な生体データに基づいた考察を開始した。
「ですが二鳥さん、大変不可解なデータです。私や二鳥さんのようなニトロの頑強な肉体組織、完璧な免疫の防壁を突破し、これほどの吐き気を記録させる未知のウイルスなど、一切見当がつかないのですよ……」
「ウイルス、ねぇ……。でもカカさん、熱はないみたいだし、顔色も悪いわけじゃないからね」
「そうなのです! 白血球も正常値を示していますし、毒素の混入による汚染の可能性もゼロです。……一体何故、私の細胞は突如として酸っぱい物を猛烈に渇望し、このように自律神経のバグを引き起こしているのでしょうか……」
カカさんは美しい髪留めを揺らしながら、真面目な顔をして「何故かしら……」と激しく悩み込んでしまっていた。
「はは、そんなに難しい顔をして悩まないでさ、カカさん。原因が分からないなら、なおさら今は俺の体温に大人しくたっぷり甘えていればいいんだよ」
「そうですね……はい、二鳥さん。今日は大人しく甘えさせていただきます」
「正確には今日'も'だけどね」
「嫌ですか?」
「まさか」
◆
カカさんの抱き枕になってから数時間後、太陽の位置が丁度昼頃に差し掛かった辺りで俺は不快感の原因を解明するために質問をすることにした。
「カカさん。原因をはっきりさせるためにも、具体的にどこか別の場所に違和感とか、いつもと違う感覚を感じていたりしないかい?」
「別の違和感、ですか……?」
カカさんは脳をフル回転させ、右手で身体を触りながら確認を始めた。
「頭頂部のパルス、異常なし。肩関節の可動域、正常。胸部の結合組織、呼吸器である肺の膨張率にも、何ら異常は検出されていません。……となると、あとは――」
カカさんの細い手が、衣服の上からそっとお腹のあたりへと伸びた、まさにその瞬間だった。
「―― おや……? これは……っ」
カカさんの大きな瞳が一瞬にしてパッチリと見開かれ、髪が一瞬揺れた。
「どうしたの、カカさん? 何か見つかった?」
「二鳥さん……。お腹の中に、私に本来は存在しない、何か『小さな硬いもの』が形成されているのが感知できます……っ」
「なんだって!? 俺の目でも一度診せてもらうよ!」
「はわわ……っ! お腹を直視されるのは、非常に、非常に恥ずかしいのですが……っ」
「今まで何度も見られているでしょカカさん」
「うう…」
カカさんは耳の裏まで真っ赤に染め上げながらも、服を少しだけ持ち上げて俺にそのお腹を見せてくれた。
だが、俺がそこを捉えてもお腹がぽっこりと膨らんでいるわけでは断じてなかった。見た目はいつも通りの、しなやかで美しいカカさんの引き締まったお腹そのものだ。
「見た目には異常はなさそうだね…少し触らせてもらうよ」
「はい……優しく、してくださいね……あっ……っ!?」
俺がそのお腹へとそっと大きな青い手を伸ばし、壊れ物を扱うように繊細に触れた瞬間、カカさんの口から、これ以上ないほど艶めかしくて甘い悲鳴が小さく漏れ聞こえた。
彼女の柔らかいお腹の奥へと、俺の五感と指先が触れた刹那、俺の肉体もまた、息を呑んで完全にカチコチに硬直した。
(――っ! 本当だ…確かにカカさんのお腹の奥に、小さくて、だけど驚くほど強固な強度を持った『何か硬い核』のようなものが、完璧に形成され始めてる…!)
それは、どんな未知のウイルスや毒素の汚染データとも完全に異なる、信じられないほど純粋で、生命力に満ち溢れたエネルギーの胎動だった。
(――酸っぱい物への渇望、突発的な胃の腑の気持ち悪さ、そして、カカさんのお腹の奥に形成され始めている、この小さくて温かく、驚くほど強固な生命の核……)
俺の頭の中で、前世の人間としての記憶と、これまでのすべての実証データが猛烈な勢いで交錯し、激しい考察が飛び交う。だが――
もし俺のただの惚気、いや勘違いでこれがカカさんの肉体の重大な病気だったとしたら、一刻の猶予もない。
「……カカさん。俺の頭の中で結果予測はでかけてるんだけど、どうしてもこれ以上自身を持つことができない。やっぱり、本物の専門家の話を正確に聴きたいんだ」
そう言いながら、俺はシャツの袖を引き、寝室のベッドの上で激しく頭を悩ませた。
「でも、例え変奏をしていたとしても、検査するのなら正体を明かさなければならない。俺たちのようなブルーニトロやレッドニトロの怪物が人里にある産婦人科へ行くわけにはいかない……一体、どうすべきか……」
世界から完璧に隠匿した我が家の寝室で、俺が指輪を嵌めた手掌を顎に当てて深く悩み込んでいると、腕の中で俺の体温にピトッと密着して落ち着きを取り戻していたカカさんが、その大きな瞳をパッと聡明に輝かせた。
「おや、二鳥さん。それならば、人間界の医療システムではなく、私たち『ニトロという種族の生態』そのものを誰よりも深く知り尽くしている、あの年長者の元へと赴くのが最も合理的ではありませんか?」
「え……? ニトロの年長者って、まさか……」
俺がハッと目を見開くと、カカさんは流暢にその答えを紡ぎ出した。
「はい!ジジです! 彼ならば、人間界のお医者様には絶対に分からない私たちの肉体の異常について、何かしら確かな情報を提示してくださるに違いありませんよ!」
「――ジジか!!」
確かにジジならば、カカさんのお腹に形成されている謎の『核』の正体を一瞬で見抜いてくれるに違いない。
「カカさん! そうと決まれば、今すぐジジの元へ診察に向かおう!!」
「はい……二鳥さん……!」
俺は早速着替えると同時にコートを激しく翻し、カカさんを愛おしそうに両腕でしっかりとお姫様抱っこした。そのまま、かつて俺とカカさんが初めて運命的な出会いを果たした、あの思い出の『味仙人の隠れ家』へと爆走した。
さてと…確定演出というやつですかね。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?