100Gマウンテンの中心部。近づけば近づくほど外へ弾く力の強まる空間に、その棺は安置されていた。
バンビーノは、俺たちをそこへ案内すると、大きな、けれど驚くほど繊細な手つきで、その頑丈な棺の蓋をゆっくりと開けてくれた。その瞳は、何百年、何千年の時が経とうとも、世界で一番大好きな『愛おしい者』を見つめる、どこまでも優しくて切ない、恋人のような眼差しだった。
蓋が開いた棺の中を覗き込み、俺は隣の恋人に声をかけた。
「……カカさん。味仙人として、この遺体の状態はどう見える?」
カカさんはフードを少し持ち上げ、棺の中のゾンゲそっくりの猿、『バンビーナ』の遺体へじっと視線を注いだ。その瞬間、彼女の高度な分析能力が弾き出したデータに、瞳が驚愕に見開かれる。
「……信じられません、二鳥さん。悠久の時が過ぎているというのに、細胞の損傷、筋肉の弛緩、および有機物の腐敗といった死後特有の劣化現象が、ほぼ観測されません……っ。というよりは、心停止を迎えたその瞬間から、この棺の中だけ『肉体の時間が完全に停止している』と言わざるを得ない、奇跡的なまでの超保存状態です……っ!!」
圧倒的な速度でまくし立てるカカさんの脳内解説。それを聞き、俺の胸の奥にある仮説は確信へと変わった。
(やっぱりだ……。肉体という名の『器』は、今でも一分の狂いもなく完璧な状態を保ってる。そしてすぐ傍には、俺たちの猿武に笑ってくれた、バンビーナ本人の『魂』が、今も消えずにここに留まっている……)
器は完璧。魂もここにある。大工として、崩れた構造を元通りに修復するロジックなら、頭の中で完璧に繋がっている。パーツはすべて揃っているんだ。
ならば――可能かもしれない。
世界で一番格好良い猿の王様の恋人。
「バンビーナ」の完全な蘇生が……!!
「――なぁ、バンビーノ。アンタの恋人、本当に、とびっきり美人だな」
「…キキッ…♪」
俺が笑いかけると、バンビーノは少し照れくさそうに口を震わせた。
(だけどさ、お墓を綺麗にするだけじゃ、大工のプライドが許さねぇんだよ。……本物の『家』にはさ、大好きな家族と一緒に住まなきゃ、意味がねぇだろ?)
俺の脳裏に、原作の『トリコ』の記憶、その最も重要で、最も残酷な未来のピースが鮮烈に蘇る。グルメ界エリア1の特産、アカシアのフルコースの前菜にして、地球の生命力の源たる究極の食材――「センター」
それが地表に湧き出ることで採集できる、あらゆるグルメ細胞を根源から蘇らせる奇跡の雫。未来の原作ルートでは、三虎が、愛するフローゼ様を蘇生させるために、涙を流しながら何度も、何度も命懸けでエリア1へ赴き、採集し続けてきた、あの『療水』
(あの療水があれば……! バンビーナの停止している細胞を根源から活性化させ、そこにいる魂を器に引き戻すことができる……っ! そうすれば、バンビーナは、もう一度バンビーノの前に蘇るんだ……!!)
「二鳥、さん……? あなた、今、何を考えて――」
俺の全身のグルメ細胞から放たれる、かつてないほどの激しい『食欲』の輝きに、カカさんがはっと息を呑み、体毛をぎゅっと掴んできた。
「カカさん。俺、一龍兄さんの修行を『停止』した時、殴り返す技術が欲しいって言ったよな。……それともう一つ、俺には、一龍兄さんたちよりも先に、どうしても行かなきゃならない場所ができた」
俺は繋いだカカさんの手をそっと握り直し、不思議そうにこちらを見上げているバンビーノを見つめた。
「俺、エリア1に行くよ。そこで療水を毟り取ってきて、バンビーノたちの止まった時間を、俺の手で動かしてやるからな!」
「キ、キキッ……!?」
バンビーノの瞳が、驚きと、そして数百年ぶりに灯った本当の『希望』の光で、激しく揺れ動く。
後ろの岩陰で、一龍兄さんが「おいおい二鳥、お前まさか……エリア1に行くつもりか……!」と流石に顔を引きつらせ、次郎が「二鳥兄ちゃん……!」と息を呑む中、俺の胸の中の職人魂は、未来の過酷な運命すらも力尽くで捻じ曲げるために、最高に熱く、激しく燃え上がっていた。
「――という訳で、一龍兄さん! それと次郎!!」
俺は棺の前からバッと後ろを振り返ると、岩陰に向かって思いきり大声を張り上げた。
「エリア1の療水取りに行くの、手伝ってくれ!!」
その唐突な呼びかけに、ずっと息を潜めていた一龍兄さんと次郎が流石に観念したように苦笑いしながらゾロゾロと姿を現した。一龍兄さんは頭を後ろで組み、どこか呆れたように肩をすくめて見せる。
「おいおい二鳥、お前なぁ。今の流れはどう考えても『俺一人で最果てへ赴き、療水を毟り取ってきてやるぜ!』っていう、一匹狼の格好良い主役の雰囲気だっただろ? なんでそこで俺たちを巻き込むんだよ」
「そうだぞ、二鳥兄ちゃん! 俺はてっきり、兄ちゃんが一人で格好良く旅に出ちまうのかと思って、ちょっとハラハラしてたんだからな!」
二人のツッコミに、俺は心底愉快そうにフハハと笑い声を上げた。
「何言ってるんだよ。お前ら、さっき俺とカカさんの『全細胞を統一した激しいディープキス』やらを、これ以上ないってくらい特等席でバッチリ覗き見してただろ? これはな、その盛大な覗き見に対する罰だよ!」
「ぶっ――!?」
「あ、やっぱりバレてたか……」
一龍兄さんと次郎が同時に顔を引きつらせる。俺はそんな二人を横目に、隣でまた羽毛を真っ赤に染め上げている最愛の恋人の腰を、『右腕』でぐっと力強く引き寄せ、抱きしめた。
「それにさ……俺、これ以上怪我を増やして、カカさんを心配させたくないんだ。一人の力じゃボロ雑巾になるかもしれないけど、世界で一番頼りになる兄と弟が一緒にいてくれりゃ、無傷で帰ってこられる確率が跳ね上がるからな!」
「二鳥さん……っ」
俺の胸に抱きすくめられたカカさんが、はっと息を呑み、それから嬉し涙の滲む瞳で俺の顔を見上げてきた。
その光景を見た一龍兄さんと次郎は、お互いに顔を見合わせると、「まったく、調子の良い大工だぜ」「仕方ないなぁ」と口々に溢した。
けれど、その表情には、これ以上ないほど温かい、身内への深い愛情の笑みが満ち溢れていた。
二鳥が過酷な課題を一人で抱え込まず、危険なエリア1へ向かうにあたって、自分たちを本当の『家族』として、心から頼ってきてくれたこと。それが、兄貴分と弟分にとっては、心の底から嬉しくてたまらなかったのだ。
そしてそれは、二鳥の腕の中にすっぽりと収まっているカカも、全く同じだった。一人でボロボロになっていく二鳥を見ているのが、何よりも辛かった。
けれど今、二鳥は自分のために、そしてカカのために、一人で何とかするという意地を捨てて、家族の力を借りるという「最も優しい選択」をしてくれたのだ。
「カカさん」
俺はフードを少し押し上げ、胸の中の愛しい恋人、そして「ピピィ?」と小首を傾げているアポロに向かって静かに、けれど絶対に破らない誓いを口にした。
「約束するよ、カカさん。俺、次のエリア1の遠征では、絶対にこれ以上怪我を増やさない。一龍兄さんたちの後ろで、完璧に無傷の帰還を果たしてみせるよ」
「に、二鳥さん……っ。ええ、ええ、当然です……! もしあなたのその細胞組織に、これ以上の物理的・エネルギー的損壊が観測された場合、私の心臓の負担は限界を迎え、あなたの晩ご飯のメニューが全て苦い療養スパイスだけになるという最悪のペナルティが想定されますから…!」
「あはは、分かった。……もしも俺が約束を破って怪我をして帰ってきたら……その時はさ、俺にはカカさんからの『お仕置き』が必要だな?」
「な、ななな……っ!? お、お仕置きがなぜそのような破廉恥な甘味コミュニケーションになるのですか二鳥さん……っ!!」
カカさんは羽毛を最大まで逆立てて大パニックを起こしたが、その手を俺の背中に回す力は、さっきよりもずっと、優しくて温かかった。
それを見たバンビーノは、「キキキッ!」と笑い、一龍兄さんは「おい次郎、エリア1に行く前に俺たちの当て当てが完全に消し飛ぶくらい甘いぞ」と呆れ返り、次郎は「ごちそうさまでした!」と元気に拳を突き上げる。
種の壁も、未来の残酷な運命も、俺たち家族の絆の前にはもう何の意味も持たない。孤独な王の恋人を救い出し、この世界のみんなの未来を完璧にリフォームするために。
俺たち世界最強の兄弟たちの『運命改変の旅路』が、100Gマウンテンの日光に包まれながら、最高に賑やかで温かい足音と共に、いよいよ堂々と幕を開けた…はずだった…。
「……あはは、本当……良かった……」
カカさんの手をぎゅっと握りしめ、一龍兄さんや次郎に向かってそう笑ってみせた瞬間、俺の頭の中で、張り詰めていた最後の細い糸が、ぷつり、と音を立てて切れた。
(あ、ダメだ……続きは明日からで……)
何度も腕を千切られ、全細胞を限界まで統一した「猿武」の体得。そして、大切な家族が全員揃ったという圧倒的な安心感。
それらが一気に押し寄せた途端、俺の身体はまるで糸の切れた操り人形のように、その場にどさりと崩れ落ちた。
「に、二鳥さん……っ!? 突然の意識混濁、および骨格筋の弛緩! これはもしや、過度なエネルギーの急速消費による細胞の壊死、あるいは脳内物質の――」
カカさんがアポロを抱えたまま、血相を変えて俺の顔を覗き込んできた。けれど、すぐにその長文の脳内データベースの改訂を迫られることになる。
「……ピー……ピー…………ピピっピー……」
「……って、ただの爆睡ですか二鳥さん……っ!」
響いてくるのは、完全に文字通りの「大爆睡」を告げる、やけに健やかな寝息だった。
体力の限界などとうに過ぎていた二鳥の身体は、カカのぬくもりを感知した瞬間、すべての防衛本能を『休息』へと切り替えたようだった。
その様子を特等席で見ていた一龍が腹を抱えてくつくつと笑い声を上げた。
「ガハハハ! おいおい二鳥、あれだけ大見得切って俺たちを巻き込んでおいて、真っ先に寝ちまうとはいい度胸じゃねぇか。なぁ次郎、これじゃあ今すぐエリア1に行くってわけにはいかねぇな?」
「おう! 二鳥兄ちゃん、格好良く決めた後にこれだもんなぁ!」
次郎も豪快に笑いながら、二鳥大きなブルーニトロの身体を、その逞しい両腕で「ひょい」と軽がると背中に担ぎ上げてくれた。次朗の脚力と腕力にとって、この巨体を運ぶことなど造作もないことだ。
「よし! 帰り道の護衛は俺に任せてくれ! グルメ界の猛獣どもめ、二鳥兄ちゃんやカカさん、アポロには、指一本たりとも近づけさせやしねぇぞ!!」
次郎が涙の痕を拭い、一人の頼もしい戦士として拳を握って意気込む。フローゼが待つ温かい家へ、そして二鳥が作ったあの防音壁のマイホームへ帰るための、優しくて心強い帰り道の始まりだった。
「キキッ……、キキキッ。 ♪」
胡坐をかいたまま、二鳥たちの背中を見送る孤独な王様――バンビーノ。カカさんの腕の中のアポロが、「ピピッ、ピー!」と小さく羽をパタパタさせて、王様にバイバイをするように鳴き声を上げた。
バンビーノは、大切な恋人「バンビーナ」の棺を背にしながら、去りゆく俺たちの後ろ姿を、どこまでも優しく、どこまでも愛おしそうに見守っていた。
数百年ぶりにその瞳に灯った、本当の『希望』の光。俺たちお喋りな大工と味仙人が、このエリア7の止まった時計の針を、いつか完璧に動かしてみせる。その約束を信じるように、王様は静かに、けれど誇らしげに、夕闇の100Gマウンテンの中で手を振り返してくれているようだった。
さてと…どうするかな…次回。
皆さんはどっちだと思います?二鳥は…
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攻め?
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受け?