元おっさんTAS美少女、行きつけの店で看板娘になる。 作: sky
真夏の陽射しが容赦なく照りつけるマンションの建設現場。蝉の声が耳をつんざく。コンクリートと埃の臭いが混ざり合っている。
朝9時。気温は既に30度を超えている。ポンプ車から太いホースが伸び、9階のフロアに向かって生コンが押し出されていく。作業員たちが型枠に流し込む音が響く。
16時。西日が傾き、現場を包む暑さが少しだけマシになる。今日の作業がひと段落ついたのを確認した現場監督、そらきは現場事務所に戻る。
17時。職人たちがぞろぞろと帰っていく。「お疲れ様です」という声とともに現場に静けさが訪れた。
事務所の蛍光灯の下でパソコンに図面データを打ち込んでいる。冷房が効いているが、外の熱気が窓越しに伝わってくる。その後ろでは監督補佐の2人が明日の打ち合わせをしている。静かな残業環境とは程遠い。
20時。いつのまにか事務所にはそらき1人だけになっていた。パソコンの画面を保存し、事務所の鍵を閉めて外に出ると、初夏の夜風がぬるく頬を撫でた。最寄りの駅に向かい、下り電車に乗って帰路に着く。
家の鍵を開けて、靴を脱いで、ソファに座る。リモコンを拾ってテレビをオンにする。
テレビの画面にニュース番組が映し出される。緊急速報のテロップが赤く点滅していた。
――続いてのニュースです。厚生労働省は本日、新型女体化ウイルス感染症について、国内での新たな症例を公表しました。現在確認されている国内感染者は九名。いずれも二十代から三十代の男性です。
スタジオに切り替わり、白衣の専門家が神妙な顔でパネルを指し示している。
このウイルスの最大の特徴は、感染から発症までの潜伏期間が極めて短いことです。早いケースでは数時間、遅くとも二日以内には症状が現れます。主な症状としては――
画面にレントゲン写真が映し出される。骨格が変化していく過程を捉えた、見るからにグロテスクな画像。
――骨密度の減少、声帯の縮小、そして急速な性腺の退化と乳腺の発達が同時に進行します。発症後およそ十二時間で肉体は完全に女性のものへと変貌します。
テレビの中で、九人目の被害者として紹介された男性の顔写真が表示される。どこかで見たような――いや、気のせいか。
感染経路は現時点では不明です。飛沫、接触、空気感染のいずれの可能性も排除できておらず、ワクチンも未開発です。……えー、該当する方は、不要不急の外出を控え、速やかに最寄りの保健所にご相談ください。
テレビを消して眠りについた。
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。スマホのアラームが鳴り響く。平和な朝――のはずだった。
身体に違和感がある。喉が妙にすっきりしている。声が――高い。昨日より明らかに高くなっている。
テレビをつけると、チャンネルはニュース番組のままだったのか、ニュースの続報が流れてきた。
――速報です!昨夜未明、国内十人目の感染が確認されました。感染者の年齢は――えっ、十九歳男性? えー……繰り返します、十九歳の男性が感染した模様です!
いつもより部屋の見え方が低い気がする。心なしか肩も重い。肩を揉もうと右手を上げた瞬間、胸元の辺りで柔らかいものが手に当たった。
柔らかい、明らかに。あるはずのないものがそこにあった。
Tシャツの生地越しに伝わってくる、それなりな重み。右手を動かすたびに形を変えるそれは、紛れもなく乳房だった。
昨日まで平坦だったはずの胸板が、一晩で立派な双丘に変わっている。寝ている間にTシャツがずれ下がっていたらしく、上乳の白い肌が覗いていた。
家を出て一歩目で違いに気づいた。世界の見え方がおかしい。地面が近い。違う。視点が低い。それだけじゃない。すれ違う男たちの反応が、昨日までとまるで別だった。
サラリーマン風の男が、露骨に二度見してきた。口が半開き。目線は顔ではなく、Tシャツを内側から押し上げる胸元に釘付けだった。通りすがりの学生が電柱にぶつかった。こちらを凝視していたからだ。
胸の辺りが痛い。歩くたびにぷるぷると揺れる。ブラをしていない。当然だ、昨日まで男だったのだから。Tシャツの下で暴れる双乳が、通行人の視線という視線を吸い寄せていた。
コンビニの前を通りかかると、店員の青年がレジ打ちの手を止めて固まっている。イヤホンをしていた大学生風の男が片耳を外し、露骨にスマホを構えようとした。
たかだか家から五分の距離が、果てしなく長い。いつもの横断歩道。いつもの通勤路。いつもの風景。だが見る側が変わっただけで、世界はこうも違って見えるのか。
ようやく店の看板が見えてきた。入口のガラスに映った自分の姿が目に入る。そこに立っていたのは、見知らぬ美少女だった。
カランカラン、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ〜!……って、え?」
この店の看板娘の一人である陽奈の笑顔が凍りついた。目の前に立っているのは、とんでもない美少女。腰まで届きそうな黒髪、ぱっちりとした大きな瞳、透き通るような白い肌。しかしTシャツは明らかに男物で、しかも下着を着けていないのかぽっちが浮かび上がっている。
「姉さん、どしたの固まっ――」
もう一人の看板娘である菜月も動きを止めた。二人の目が、入ってきた人物の顔をまじまじと見つめている。
店の奥から、エプロン姿の恵子が顔を覗かせた。歴戦の経営者である彼女は相手の立ち姿と服装から一瞬で個人を判別する。
「あら、そらきさん。来てくれたんですね。……って、あら?」
三人の視線が一人に集中している。困惑、驚愕、そしてほんの少しの好奇心。店中の空気が、ぴたりと静まり返った。
「恵子さん……今朝のニュース見ましたか?」
恵子はカウンターから身を乗り出し、目の前の美少女を上から下まで舐め回すように見た。
「ニュース……?ええ、見ましたけど。十人目の感染者が出たって……」
恵子の目が細くなる。何かが引っかかったらしい。
「ちょっと待って。あなた、まさか……」
「え、ちょっと待って待って。めっちゃ可愛くない?」
恵子の態度に全く気づく様子のない陽奈が、隣に立っている妹の袖を引っ張りながら言った。
「姉さん今それどころじゃ……」
「……そらき、さん?」
恵子が恐る恐るその名を口にした。店内の全員の動きが止まる。
「そらき…です」
その声を聞いて、3人が一斉に絶句した。
「ちょ、ちょっと待ってください。整理させて。つまり、あなたが……あの常連の……?」
恵子は額に手を当てて、深いため息をついた。
「ニュースで聞いてましたけど、まさか身近で発生するなんて……。しかもよりによってそらきさんが……」
陽奈はおそるおそるそらきに近づき、下から顔を覗き込んだ。
「ねえねえ、目は確かにそらきさんっぽいけど……顔面偏差値バグってない?前と全然違うんだけど」
「姉さん距離近い……」
「ねえねえ、胸本物?触っていい?」
「姉さんっ!」
陽奈はもう遠慮という概念を捨てていた。ぐるぐるとそらきの周りを一周しながら、品定めするように眺め回す。
「やっば。肌きれっ。睫毛なっが。ねえこれ本当にあのお客様?」
菜月は姉の後ろに半分隠れながらも、ちらちらとそちらを窺っている。
「声も全然違う……なんか、すごい可憐……」
恵子がはっと我に返り、バックヤードに駆け込んだ。
「ちょっと、まず着替え!その格好じゃ色々まずいから!サイズ……えーっと……」
恵子が持ってきたのは、予備のスタッフ用ユニフォーム。白いブラウスと黒のベスト、ミニスカート。つまりこの店の制服である。
「……とりあえずこれを着てください」
着替えを済ませてバックヤードから出てきたそらきを見て、3人が同時に息を呑んだ。
「……可愛…っ!?」
白のブラウスはその膨らみにぴったりと張り付き、ボタンとボタンの間から谷間がちらりと覗いている。黒のベストはウエストを締め上げるデザインのせいで、胸と腰のラインがこれでもかと強調されていた。スカートは規定通りのミニ丈。すらりと伸びた脚が眩しい。
「ちょっと待って。なんでうちの制服着てそんな映えるわけ?バグでしょ」
菜月が口をぽかんと開けたまま固まった。
「……なんか、ずるい」
陽奈がすすすっとそらきの背後に回り、両肩にぽんと手を置いた。
「ねえ、お客様。鏡、自分で見て?すごいことになってるから」
陽奈に背中をぐいっと押され、姿見の前に立たされる。そこに映ったのは――男の面影など微塵もない、とんでもない美少女の姿だった。潤んだ大きな瞳、薄いピンクの唇、透けるような白磁の肌。そしてベストからちらりと谷間の見える張りの良いバスト。
「……これ街歩いたら大変なことになるやつだ」
口が開きっぱなしになっていたことに自分で気づいた菜月が口を閉じながら言った。
「事実だから仕方ないでしょ。……それより問題は」
恵子は腕を組み、プロの目で上から下までチェックしていた。が、途中で眉間にしわが寄った。
「……ブラ、してないでしょう」
恵子は額に手を当てて、首を振った。
「だめだめだめ。このまま表に出したら営業停止になります。菜月ちゃん、裏からスポーツブラ持ってきて」
「は、はい!」
菜月がぱたぱたとかけて行く。
「ねえお客様――じゃなくて、お嬢様?ちょっとその場でくるって回ってみて?」
陽奈が目をきらきらさせながら手招きしている。完全に新しいおもちゃを見つけた子供の顔だった。
くるっと一回転した瞬間、スカートの裾がふわりと舞い上がった。遠心力でブラに包まれていない胸がぷるんと大きく揺れ、回転の勢いのまま左右にたぷんと弾む。そしてポーズ。片手を腰に当て、小首を傾げる――という動作を、本人はおそらく「ちょっとふざけてみた」程度のつもりでやったのだろう。
「かっっっわ!!」
陽奈が両手で頬を挟んで黄色い悲鳴を上げた。
「なにそれ!反則でしょ!なんでそんなキマるわけ!?」
スポーツブラを手に戻ってきた菜月が、その光景を見て足を止めた。ブラを握ったまま、ぼそっと呟く。
「……ちょっと悔しい」
恵子だけが冷静を保っていた。保っていたはずだったが、こめかみがひくひくと動いている。
「あのですね、ここは喫茶店であってファッションショーの会場じゃないんですけど」
「店長、今の見ました?見ましたよね?即採用でしょこれ」
「何が採用よ。そらきさんはお客さんで――ってちょっと待って。そらきさん貴方、お仕事は大丈夫なの?」
「現場仕事でした…。今の身体じゃ……」
店内が一瞬、しん、と静まった。
……あー。恵子が天井を仰いだ。プロとして二十年の経験が瞬時に状況を把握する。現場仕事。つまり力仕事、高所作業、重い資材の運搬。今のその華奢な身体で同じことができるかと聞かれれば――答えは明白だった。
菜月が持っていたスポーツブラをそっとそらきの手に握らせながら、小声で言った。
「あの……まずこれ着けてください」
恵子は眼鏡のブリッジをくいっと上げ、真剣な目でそらきを見据えた。そしてバックヤードに引っ込み、何やらごそごそとやっていたが、やがて一枚の書類を持って戻ってきた。
「……正直ね、こういうケースのマニュアルなんてないの。でも」
恵子はカウンターにその紙を広げた。求人票だった。
「うち、ちょうど一人辞めちゃって人手不足なの。よかったら――ここで働く?」
陽奈の目がぱあっと輝いた。
「え!お客様がうちで働くの!?やった!毎日見れる!」
「姉さん不謹慎……」
「菜月だって嬉しいくせに〜」
菜月はぷいっと顔を逸らしたが、耳が赤かった。
「まあ、条件は追々詰めるとして。今日から体験入店してみる?」
そらきが考えること数秒。頷く。
それを見た恵子はにっこりと微笑んだ。
「じゃあ決まりね。まずは研修から。陽奈ちゃん、菜月ちゃん、この子の面倒見てあげて」
「やったー!任せて店長!」
「……了解です」
こうして、元・常連客の男。現・ウェイトレス美少女の、喫茶店での新生活が幕を開けた。