元おっさんTAS美少女、行きつけの店で看板娘になる。 作: sky
さっそく姉妹からの研修と言う名のコントが始まった。
「はい、じゃあまず基本の基本ね!」
陽奈がびしっと人差し指を立てた。
「お客さんが来たら、まず笑顔!これ絶対!」
姉の後ろから菜月が補足する。
「あと語尾に「です・ます」をつけてください。前のそらきさんの喋り方だと、その、ちょっと……」
「気をつけるよ」
菜月の眉がぴくっと動いた。
「……「よ」じゃなくて。「気をつけます」です」
「あはは、出てる出てる。中身おっさんのまんまだもんね〜。その喋り方だとクール系美少女なの。お客さん話しかけにくいでしょ?それでも需要はあるだろうけどうちのお店には合わないから頑張って直していこうね?」
菜月は横で腕を組みながら、じとっとした目でそらきを見ていた。
「あと姿勢。今の猫背だとせっかくのスタイル台無しです。胸張って胸張って」
「そうそう!あとね、メニューの説明は笑顔で!「ご主人様、本日のオススメはこちらです♡」って!」
陽奈が食い気味に寄ってくる。もはや目が怖い。
「ねえねえ、ちょっと練習してみてよ!接客フルコースで!「お帰りなさいませご主人様」からの「ご注文はお決まりですか?」まで!」
「だからご主人様は――」
「練習だからいいの!ほらほら!」
菜月の抗議は姉の勢いにかき消された。陽奈がパイプ椅子にどかっと座り、「お客様役」を自ら買って出る。足を組んでにやにやしながら、完全に楽しんでいる顔だった。
「お、初めて見る顔だな。新人ちゃん?可愛いね。LINE教えてよ」
ーーこいつ。菜月がご主人様はいらないと言ったのにゴリ押しで言わせる流れにしやがった。しかも陽奈のあの態度、あれは明らかに「嫌な男性客」を想定している。こっちが研修を受ける側で断りにくいのを良いことに好き放題しやがって。ぷるぷると握った拳を震わせながら、そのワードを口にした。
「……お、お帰りなさいませご主人様……ご注文はお決まりですか……」
「……っ!」
制服によって締め付けられたその胸がぷるぷると震え、上目遣いで言った元・男。その破壊力は本人の想定を遥かに超えていた。震える声、潤んだ瞳、不慣れな笑顔。全部が全部、反則だった。
「……無理、俺には無理だ……!」
ガクリと崩れ落ちる様にその場に倒れて弱音を吐くそらき。陽奈が椅子から立ち上がり、崩れ落ちたそらきの肩をがしっと掴んだ。
「ちょっ、諦め早すぎない!?今のめちゃくちゃ良かったのに!」
菜月も目を見開いたまま固まっていたが、はっと我を取り戻した。
「……確かに、声は良かったです。でも「俺」は絶対ダメ」
陽奈がうんうんと首を縦に振る。
「そうそう!「俺」じゃなくて「私」ね!はいもう一回!次はお客さんに連絡先を聞かれた時の返し方を……!」
陽奈が再び椅子に座り直し、「ご主人様」の構えを取った。しかしそのとき――カランカラン。ドアベルが鳴った。
スーツ姿の二人組が店に入ってきた。三十代前半くらいだろうか。ネクタイは緩んでおり、絵に描いたような昼休みのサラリーマンだった。昼休みの貴重な時間を使って来たらしく、少し急いだ足取りだった。
「おー、ここここ。前から気になってたんだよ」
「看板娘が可愛いって評判らしいぞ。チェキ撮れっかな」
二人は店内を見回し――そして、床にしゃがみ込んでいる見慣れない美少女に目が止まった。
「……おい。なんだあの子」
「新人?めっちゃ美人じゃん」
陽奈がさっと表情を切り替えた。看板娘のプロのスマイルだった。
「いらっしゃいませ〜!お二人様ですか?お席こちらです」
菜月が小声でそらきに耳打ちする。
「ほら、チャンス。立って、あの二人にお冷持って行って。練習の成果見せる時……!ご主人様は駄目だからね」
半ばやけくそ気味に立ち上がったそらきが、水の入ったグラスを二つ持ってテーブルに向かった。手の震え。引きつった笑顔。だがその外見が全てを帳消しにしていた。
「いらっしゃいませ、ご注文お決まりですか!」
水を置かれた瞬間、男の手が止まった。グラスを持つそらきの指先を凝視している。
「え……なにこの子。新しい子?」
もう片方の男もメニューそっちのけで顔を上げていた。鼻の下が伸びている。
「すげえな。こんな子いたんだ?君、名前なんていうの?」
二人の目線は水でもメニューでもなく、ブラウスの下で揺れる胸元と、スカートから伸びる脚に交互に注がれていた。
少し離れた場所から小さくガッツポーズをしている陽奈。その横で菜月がぼそりと呟いた。
「……声は合格。でも目が死んでる」
男が身を乗り出した。距離が近い。
「ねえねえ、LINEとかやってる?」
「LINE、やってますけど……」(LINE教えてとか言うなよ)
「マジで!?教えてよ!」
「おい抜け駆けすんなって」
「俺のIDこれ!ねえ今日の夜暇?」
「は?俺が先に声かけたんだけど。ねえ君、こいつより俺のほうが稼ぎいいからさ」
「うっわ出たよ年収マウント」
二人がそらきを挟んで火花を散らし始めた。テーブルの上の水が危うくこぼれそうだ。
遠くから見ていた陽奈が口笛を吹いた。
「うっわ、秒でナンパ始まってる」
「……あの人たち、注文してなくない?」
予想通り過ぎる展開だった。男はもう椅子から半分腰を浮かせている。隣の男も便乗するようにスマホを取り出していた。
「お店のルールなので教えられないんです。ご注文をどうぞ?」
さらっと躱した。双子がいつも使う定型文。常連として2人が使っているのを何度も見てきた鉄壁のフレーズ。まさか自分が使う日が来るとは。
「えー、つれないなあ」
メニューを開いたが全く読んでいない。ちらちらと胸を盗み見ている。
「じゃあ、君のオススメで」
「あ、俺もそれで」
完全にメニューではなく初めて見る美少女を見に来ている。
遠くから見ていた陽奈が菜月に耳打ちする。
「ねえ見て見て。めっちゃ上手くない?菜月のナンパ捌き完コピじゃん」
「……まあ、見てたからね。常連だったし」
「私のおすすめですか?ハンバーグプレートとナポリタンとマルゲリータピザが私は好きですね。あとはパフェも人気みたいです。今の季節だと夏限定メニューとかもありそうですね」
元常連の知識が火を吹いた。メニューのラインナップ、季節限定、人気メニュー、全部頭に入っている。しかも声だけ聞けば、元気な女の子がにこにこしながら喋っているようにしか聞こえない。
「へ、へえ……初日にしては詳しいね君」
少し面食らった顔でメニューに目を落とす。
「えっと……じゃあハンバーグプレートとパフェで」
「俺マルゲリータ。それとナポリタン。あと夏限定デザートも」
完全に影響されていた。知らず知らずのうちに、常連が推すメニューをそのまま頼んでしまっている。
遠くから見ていた陽奈が目を丸くしていた。菜月の袖をぐいぐい引っ張りながら小声で囁く。
「ねえ菜月、あの人すごいんだけど。メニュー全部覚えてるのかな?笑顔はまだ引き攣ってるけど」
頷きながら。
「……バイト初日の知識量じゃない。流石は元常連」
菜月はちらりとそらきの背中を見た。やけくそで始めた割に、動きは妙にキビキビしている。ハンバーグのオーダーを厨房に通しに行く後ろ姿が、なんだか板についていた。
バックヤードから顔を出した恵子も、目を細めていた。
「あら……筋がいいじゃない」
「……ていうか、私がおすすめしたのそんなに注文しちゃって、全部食べ切れるんですか?」
通りかかりにクスッと笑って言った。その笑顔が致命的だった。元・男がやっているとは到底思えない、自然な微笑み。サラリーマン二人が同時に息を呑んだ。
それを見た二人は顔を見合わせ、無言で頷いた。何かが通じ合ったらしい。
厨房に注文を通しに行くそらき。その背後で、二匹の狼が静かに作戦会議を始めていた。
テーブルを拭きながら通りがかった陽奈が、すれ違いざまにそらきに耳元で囁いた。
「ねえねえ、さっきの笑い方めっちゃ良かったよ。あれもっと出せる?」
ひそひそ声のまま、陽奈がぐっと親指を立てる。
「あの二人完全に落ちてたからね?LINE聞こうとしたの躱したのもナイスだったし」
厨房では恵子自らがナポリタンを炒めていた。ジュージューという音とケチャップの焦げる香ばしい匂いが店内に広がる。
フライパンを振りながら恵子は厨房の入口に立つそらきをちらりと見た。
「そらきさん、あなた本当に初めて?」
その声には、二十年この店を切り盛りしてきたベテランの勘が滲んでいた。
「メニューは長く来てるから覚えてるだけですし、LINEも双子ちゃんのやり方を真似してるだけの、ただの後追いですよ」
恵子のフライパンが一瞬止まった。
ただの後追い。そう言い切るそらきの横顔を、恵子はじっと見つめた。
「……後追いであの対応ができるなら、大したものよ」
それだけ言って、恵子は再びハンバーグに向き直った。
「はい、ナポリタン。ハンバーグはもう少しかかるから、先にこれ持っていって」
「ナポリタンお先に失礼します。ハンバーグはもう少しかかるそうです」
ナポリタンの皿をテーブルに置いた。ケチャップの赤とピーマンの緑が彩り鮮やかだ。
「おお、うまそ……っ」
男の視線が皿ではなく、テーブルに前屈みで皿を置くそらきの谷間に吸い込まれていた。ブラウスの隙間から覗く白い肌。Dカップの重力に逆らえなかった結果がそこにあった。
フォークを取ろうとして、わざとらしく手を滑らせた。ナプキンがテーブルから落ちる。
「あ、ごめん。拾ってくれる?」
見え見えの作戦だった。男の口角が微かに上がっている。
そらきはさっとトレーを胸の前に構え、しゃがんでナプキンを拾い上げた。慣れた動き――ではなく、これは明らかに本能的な防御反応だった。元男だからこそ、男が何を狙っているか手に取るようにわかるのだ。
「……ちっ」
小さな舌打ちが漏れた。露骨にがっかりした顔をしている。隣の男も同じ表情だった。
「ガード堅いね君。結構経験ある感じ?」
そこへ、ハンバーグの香りを纏った恵子が皿を運んできた。完璧なタイミングだった。
「お待たせしました。ハンバーグプレートです」
恵子がテーブルに皿を並べる。その動作は無駄がなく美しく、ベテランの貫禄があった。サラリーマン二人の目が恵子に一瞬移ったが――すぐにそらきに引き戻された。
「ねえ。さっき名前聞けなかったから教えてよ。こんなにメニュー頼んだんだしそれくらいよくない?」
テーブルの上で指をトントンと叩きながら食い下がる。確かに2人で5品も頼んだ客の立場を利用した交渉術。営業マンの意地がこんなところで発揮されていた。仕事で本気出せよと言いたいが、彼らはいたって真剣である。
「そうそう。名前くらいいいでしょ?」
二人してにじり寄る。ハンバーグにはまだ一口も手をつけていない。
「えと、そらき……じゃなくて、そらです。今日がバイト初日なんです」
咄嗟に「そら」と名乗った。常連としての本名をそのまま使う危険に、ぎりぎりで気づいたらしい。だが「バイト初日」という情報は、狼たちにとって格好の餌だった。
少し離れたテーブルを片付けながら聞き耳を立てていた陽奈が、「そら」という名前にぷっと吹き出した。その隣で菜月が無表情のまま口パクで「雑」と動かした。
「そらちゃん!へえ〜、初日なんだ」
スマホを取り出しながら
「じゃあまだSNSとかやってない?これから有名になる前に繋がりたいんだけど」
「俺、ここの常連になるわ。毎日来るし」
二匹の目の色が変わった。「初日」「まだ誰にも知られていない」――つまり今なら自分だけのものにできるという下心の含まれた打算が、男たちの脳内で高速回転している。
「あはは……」
愛想笑いが精一杯だった。内心では「こいつらしつけえ」という元・男の感性が叫んでいる。しかし今はただのウェイトレス。下手に怒るわけにもいかない。
その時、コツ、コツ、とヒールの音が近づいてくる。規則正しく、それでいて有無を言わせない重みのある足音。サラリーマン二人が同時にその音に気づき、振り返った。
恵子がにっこりと微笑んでいた。目は笑っていなかった。
「お客様、ハンバーグ冷めちゃいますよ?せっかく私が焼いたので、温かいうちに召し上がっていただけると嬉しいんですけど」
声のトーンは柔らかい。だがその背後に漂う圧が尋常ではなかった。二十年のキャリアで培った接客スキルの裏に潜む、「うちの店でうちの女の子に変なことしたらどうなるかわかってるわよね」という無言の威圧。
「あ……はい」
「い、いただきます」
二人は急に背筋を伸ばし、フォークとナイフを手に取った。
バックヤードに入るなり、恵子はふぅと息をついた。腕を組み、壁にもたれかかる。
店長、助かりました。そらきが頭を下げる。
「……あのくらい自分で捌けるようにならないとダメよ?」
厳しい言葉だった。が、その目はどこか感心したような色を帯びていた。初日であの場面、普通の新人なら泣いてる。
「まあいいわ。休憩入れてあげる。水飲んで」
恵子がペットボトルの水をそらきに差し出した。その瞬間バックヤードのドアを勢いよく開けて陽奈が飛び込んできた。
「そらちゃーん!大丈夫だった?あの二人しつこかったでしょ!」
その後ろから静かに入ってくる菜月。
「店長が行かなかったら危なかった」
陽奈がそらきとの距離をぐっと縮め、顔を覗き込んだ。
「ねえねえ、「そら」って名前にしたんだ?咄嗟に考えたの?それにしてはかわいい名前じゃん」
「2人とも休憩まだでしょ?お喋りしてる暇ないわよ?そらさんも手が空いたなら今のうちにスポブラ着て来ちゃいなさい」
バックヤードのロッカーの前で、菜月から渡されたスポーツブラと格闘すること数分。背中のホックに手間取り、鏡の前でもたもたしていると――
「……貸してください」
見かねた菜月が後ろに回り込み、手慣れた手つきでホックを留めた。
「はい。きつくないですか」
スポーツブラがDカップをぎゅっと押さえ込む。さっきまでのぷるぷるが嘘のように固定された。動きやすさが段違いだった。
「うん、だいぶ揺れなくなったね」
と、その時、再び陽奈がひょこっと顔を出した。
「さっきのお客さん帰ったよ!そらちゃんの連絡先教えてくれって言われてめんどうだった!今なら他にお客さんいないから、さっきの研修の続きしよ」
1日目の喧騒はまだ終わらないみたいだ。