毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
名乗らない客というのは、それだけで九割方、ろくでもない。
面会室に現れたのは、灰色の外套を着こんだ壮年紳士だった。物腰は執事めいて丁寧、けれど家紋も名もない。指を見れば、指輪の跡ひとつなく、爪だけが妙に整っている。名を隠すことに、手慣れた指である。男は卓の上に、小さな包みを置いた。油紙を几帳面に折り畳んだ、
「毒見役殿のご高名は、かねがね。……折り入って、お願いがございます」
「依頼でしたら、承ります。内容によりますが」
「なに、簡単なことです。この薬包を――さる高貴な御方の私室へ、お届け願いたい。あなたは王宮のどこへでも出入りできる。膳の検めと言えば、誰にも怪しまれない。ただ、届けるだけでよろしい」
ただ、届けるだけ。
……なるほど。噂は、私が思っていたより早く、思っていた通りの方向へ転がっていたらしい。毒に強い毒見役は、毒の検分をすり抜けられる。つまり――王宮でいちばん安全な、毒の運び屋になれる。
「中身を伺っても?」
「お薬です。……人払いの上で服まれる類の、な」
灰色の外套が、にたりと笑った。金貨の音のする革袋が、薬包の隣に、とん、と置かれる。重さで中身の見当がつく音だった。私の給金の、たぶん半年分。
「お断りします」
「……ほう。額のご不満ですかな」
「いいえ。品質の不満です」
私は薬包を手に取り、断りもなく開いた。灰色の外套が、ぎょっと腰を浮かせる。中の白い粉をひとつまみ、舌に載せた。
えぐみの底に、痺れを装った甘さ。北の斜面の株。精製は丁寧。そして――風の通る日陰で、時間をかけて干した、あの癖。
昨日の、白鈴の実と同じ干し手である。
まぶたが、上がる。帳面の隅の『独特ノ陰干シ。初見』の下に、心の中で一行を書き足した。『同ジ干シ手。二度目』。別々の家の、別々の毒が、同じ場所を通ってきている――その意味を考えるのは、この客を片付けてからでいい。
「兜草です。精製は玄人、乾燥は癖のある陰干し、仕上がりは上物。……これは『お薬』ではありません。一服で大人が三人止まる、殺すための毒です」
「な……っ、き、貴様、勝手に開けおって……!」
「検分は毒見役の職務ですので。それから、もう一つ申し上げると」
私は鼻先を、卓の向こうへ、わずかに寄せた。
「あなたの右の袖口から、この薬包と同じ粉の匂いがしています。爪の際にも、白い筋がひとつ。小分けは、ご自分でなさいましたね。……それから、この兜草の陰干しの癖は、昨日この王宮で見つかった別の毒と同じです。あなたの袖は、その両方の匂いがします」
「な……」
「つまりあなたは、届け役を探しに来た使いではなく――仕込み元の、ずいぶん近くにいる方です」
灰色の外套が、勢いよく席を蹴った。逃げ足は速かったが、扉の前には、いつの間にか衛兵が二人。その肩の間から、オルデン様がにこにこと顔を覗かせている。毒見役への面会は侍従長を経由する決まりなので、騒ぎの声は、廊下まで筒抜けだったらしい。
「ほっほ。……お話は、お済みですかな」
名乗らない客は、名乗らないまま連行されていった。袖と爪の粉は薬包の中身と一致し、リヒト様の器具が、それを裏書きする。素性は、さる派閥の家令と割れたそうだ。毒で人を使いに来た手が、自分の袖に毒を残していた――手口で人を動かす側も、手口からは逃げられないらしい。主家がどこまで焦げるかは、これからのお調べ次第である。
◇
騒ぎには、続きがあった。
翌日、宮廷の一部で妙な噂が流れたのである。曰く、「毒見役が毒を所持していた」「殿下の膳を任せてよいのか?」。捕まった側の派閥が、苦し紛れに流した逆ねじだった。噂に判は要らない。安くて、速くて、責任者のいない、いつもの手である。
その噂は、晩餐の席で殿下の耳にも届いた。
「――だ、そうだ。どう返す」
殿下が、書類を置いて私を見る。試す目ではなかった。ただ、返答を聞いておきたい目である。
「返しません。薬包の毒と、家令の袖の粉と、リヒト様の分析。三つが、同じ答えを出しています。……物が語ってくれている間は、人は黙って寝ていられますので」
「……相変わらずだな」
殿下は、ふ、と短く息を漏らす。それから書類の山の向こうから、その場の全員によく通る声で言った。
「毒見役の舌は、俺が信じる。疑う者は、俺の食卓ごと疑うことになるが――その覚悟のある者だけ、前へ出ろ。……そう伝えておけ」
噂は、三日で萎んだ。毒そのものがしゃべった中身を、噂ごときが言い負かせるはずもない。……ところで、これは庇われたのだろうか。手帳の隅に書きかけて、やめておいた。分類に困る出来事は、一晩寝てから考えるに限る。
◇
数日後。厨房に、触れが回った。
『国王陛下生誕祭ニ付キ、諸侯参集。祝宴、三夜連続』
グレゴールさんが、腕組みをして天井を仰いだ。
「……戦だな」
「戦ですね」
「言っておくが、献立は俺が守る。テメエは皿の中身だけ守れ。……三日で何皿になるか、考えたくもねえ」
三夜連続の祝宴。諸侯の手土産。数えきれない皿。毒を仕込みたい側から見れば、これほどの好機はない。そして毒見役から見れば――昼寝の予定表が、跡形もなく消える三日間である。
まぶたが、今から重い――。