毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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11. 片割れの毒は、前日に届く

 生誕祭というものは、当日より前のほうが長い。

 

 触れが回った日から、王宮は目に見えて膨らみ始めた。回廊には金糸の幔幕(まんまく)が掛かり、中庭は諸侯の馬車で埋まり、貯蔵庫の前には献上品の木箱が山を成す。荷ほどきの藁の匂い、新しい蝋の匂い、遠くで釘を打つ音。検めの間は朝から晩まで行列で、記録係の老官吏は、帳面を二冊から三冊に増やした。眼鏡の位置を直す暇も、なさそうである。

 

 毒見役の私はといえば、朝から晩まで、間食をしている。

 

 酒、蜜漬け、香油、干し肉、砂糖菓子。王族の口に入り得る物は、箱を開け、封を切り、ひと匙ずついただいて、帳面に「白」と「黒」を書き分けていく。三日で百を超える献上品。舌は疲れないが、顎が疲れる。毒見役という職の急所が顎だとは、就職案内のどこにも書いていなかった。昼寝の予定表は、触れの日から白紙のままである。

 

 異変は、東部の伯爵家から届いた胡椒の壺で始まった。

 

 挽いた胡椒をひと舐めして、舌の奥に、涼しい苦みが触れる。土の匂いと、薄荷(はっか)に似た冷たさ。毒の味ではない。毒では、ないのだが。

 

「……月影草の根、ですね」

 

 気付けに使う生薬(しょうやく)である。眠気を払う薬。胡椒に混ぜる理由が、ない。害がないから「黒」とは書けず、理由がないから「白」とも書きたくない。手帳の隅に、一行。『月影ノ根。毒ニ非ズ。但シ胡椒ニ入レル理由ナシ』。

 

 二つ目は、南の男爵家から届いた、咳止めの甘露だった。北向きの窓の乾いた光の下、匙の先で、とろりと揺れる琥珀色。花の蜜に似た甘さの奥に、噛むと微かに舌を刺す、青い後味。

 

 ――月影草の、実。

 

 まぶたが、上がる。

 

 根と実。別々の家から、別々の品に紛れて、同じ草の片割れ同士。偶然と書くには、帳尻が合いすぎている。手帳を持つ指先が、なんとなく冷たいのは、北向きの部屋のせいだけではないと思う。

 

「片割れ毒だ!」

 

 検めの間に器具ごと居座っているリヒト様は、二つの検体を並べるなり、拡大鏡の奥の目を輝かせた。

 

「月影草は、根だけなら気付けの生薬、実だけなら咳止めの甘露。ところが同じ腹の中で出会うと、互いを毒に変える。十日かけて、じわじわ肝の臓を焼く。古い毒物誌に二行だけ載っている、片割れ毒の手口だ。実物は、僕も初めて見る!」

 

「嬉しそうですね」

 

「嬉しいね! いや、良くない。良くないが、嬉しい」

 

 正直な変人である。ただ、その顔はすぐに、学者のそれへ戻った。

 

「厄介なのは、ここからだ。片割れ毒には、もう一段上の使い方がある。根と実をあらかじめ合わせて、酒で寝かせる。すると互いの味を食い合って、苦みも甘みも消えた、ほとんど無味の毒に化ける。文献は『黙り酒』と呼んでいる。……毒見役殿。熟成済みのそれを、君の舌は読めるか?」

 

「……分かりません。味が消えているなら、手掛かりごと消えています」

 

 珍しく、正直に白旗を上げた。私の舌は、味を読む。味のない毒は、読む字のない手紙と同じである。

 

「だろうね。では、なぜ敵はわざわざ、割ったままの根と実を先に通した?」

 

「――私を、測るためです」

 

 根が通るか。実が通るか。毒見役の舌が、どこまで利くか。祝宴という本番を前に、別々の家の名前を借りて、関所の深さを測っている。本命が「黙り酒」なら、片割れが見つかったところで痛くもない。むしろ、見つかるところまで込みの予行である。私の検めの仕組みを知っていて、なお私の舌を物差しで測りに来る手だ。送り主の家は、たぶんどちらも善意である。荷が王宮へ届くまでの道の、どこかに手がある。

 

 測られたのなら、こちらも測り返しておく。私は留め置いた胡椒と甘露を、あらためて時間をかけていただいた。根の産地、株の若さ、干し方の癖。実の熟れ具合、蜜の煮詰め方。舌の帳面に、一字ずつ書き付けていく。合わせれば味が消えるというのなら――消える前の字を、覚えておくまでである。

 

「両方、留め置きます。理由は――」

 

「品質の再検分、とでもしておきますかな」

 

 いつの間にか戸口に、オルデン様が立っていた。騒がしい支度の三日間でも、侍従長の身なりは今日も皺ひとつない。柔和な垂れ目が、帳面の『理由ナシ』の行を、ゆっくりなぞる。

 

「祝宴の検めは、ヴィオラ殿の舌ひとつに掛かっておりますのじゃ。……ご無理の程は、どうか、ほどほどに」

 

「無理は職掌外ですので」

 

「ほっほ。頼もしい限りじゃ」

 

 夕刻の執務室の茶は、平和な味がした。書類の山は祝宴の決裁で二割ほど背が伸び、殿下の隈も、心なしか深い。インクと封蝋の匂いの中に、今日は花の匂いが少しだけ混ざる。祝宴の飾り付けは、こんな谷底にまで届くらしい。

 

「祝宴の間、俺の膳と杯は、すべて君を通る」

 

「契約範囲内です」

 

「……三夜だ。長い。倒れるなよ」

 

「毒では倒れませんので。ご心配は、書類のほうへ」

 

 殿下は何か言いかけて、やめて、それから小さく息を吐いた。

 

 ――祝宴前夜。夜更けの厨房では、グレゴールさんが砥石で包丁を研いでいた。しゃり、しゃり、と規則正しい音が、静まり返った石の天井に薄く響く。熾火の色に照らされた横顔は、料理人というより、戦を前にした将である。

 

「明日からの三夜、皿は川になるぞ。数えるだけ野暮ってもんだ」

 

「数えます。数えるのが、職務ですので」

 

「……変な女だ」

 

 研ぎ上がった包丁が、火の色を映して光る。私は手帳を閉じて、寝床へ向かう。武者震いの代わりに、あくびがひとつ出た。私の体は、前夜も平常運転である。

 

 片割れの札は、二枚とも表を見た。残るは、二枚を重ねて黙らせた、三枚目の札である。切られるのは――たぶん、皿の川の、いちばん深いところだ――。

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