毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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13. 祝杯は、注ぎ順にご用心

 二夜目は五十一皿、隠し味は四品。月影草の根が、また一皿。

 

 そして三夜目――最終夜は、皿より先に、儀式が来る。祝宴の締めくくり、国王陛下への祝杯である。大広間に居並ぶ諸侯全員の杯に酒が注がれ、王太子殿下の発声で、一斉に干す。三夜の宴の、いちばん綺麗な場面。つまり――いちばんの、狙いどころである。

 

 酒は、昼のうちに大樽ごと検めた。白。樽から酒を移す銀の水差しは六つ、これも検めた。白。杯は洗い上げから検めた。白。ここまで白しか並ばない検め帳というのは、かえって寝覚めが悪い。

 

 夜。楽が止み、広間の千の火が半分に落とされて、祝杯の儀が始まった。

 

 薄闇の底で、諸侯の衣擦れだけが、さわさわと潮のように鳴っている。酒の香りが、薄闇に一段濃く立つ。祝いの夜の香りと、狙いどころの夜の匂いは、同じものである。上座から順に、酌係たちが水差しを傾けていく。細い酒の糸が杯に落ちる音まで聞こえそうな、綺麗に張り詰めた静けさである。王族の杯は、注がれて盆に並んでから、帷の陰の検め卓を通る決まり。銀の小杯に一匙ずつ取って、いただく。国王陛下の杯。……白。王太后様の杯。……白。

 

 殿下の杯。――一口。

 

 ……白。舌の帳面に、そう書きかけて、手が止まった。

 

 味が、綺麗すぎるのだ。祝いの酒のふくよかさの、その底が一段だけ、静かすぎる。もう一口。目を閉じる。騒がしい甘さの奥の奥、消え残った小さな字を、指先で辿るように探していく――――。

 

「?!」

 

 涼しい苦みの、影。花の蜜の、燃えさし。三日前、時間をかけて舌に書き付けた、あの根とあの実の――消える前の字。

 

 まぶたが、上がった。今夜、いちばん高いところまで。

 

「……月影草です。根と実を最初から一つに合わせて、酒で寝かせた『黙り酒』。互いの味を食い合って、ほとんど無味に化けています。十日後に肝の臓へ来る、遅効の合わせ毒。……正直に申し上げると、常の検めなら、白で通したかもしれません」

 

 検め卓の脇に控えた給仕の顔から、血の気が引いていく。私は検分用のひと口を小瓶に取り分けて、残りをゆっくり飲み干した。飲むほどに、消えた字の跡が薄く浮かぶ。根の産地、株の若さ、蜜の煮詰め方――留め置いたあの胡椒と甘露に、ぴたりと重なる。同じ手元から出た、同じ株である。

 

 ――だから、予行だったのだ。

 

「敵の手違いは、一つだけです。黙らせる前の、根と実の素の味を、私に先へ食べさせたこと。消える前の字を覚えていれば、消えた後の紙にも跡が読めます。……三日間の予行が、私に鍵を渡してくれました」

 

 それに、祝宴の席でその場に倒れる毒なら、大事になる。十日後の病なら、誰も祝杯を疑わない。無味の毒に、遅効の時間差。囁くような殺し方まで、行き届いた盤面である。感心している場合ではない。問題は、いつ、誰が、この杯に入れたか。

 

「同じ水差しから注いだ、前後の杯を」

 

 殿下の杯の直前に注がれたのは王太后様の杯、直後は大公の杯。どちらも検めて――白。つまり、水差しの中の酒はまだ綺麗だった。毒が入ったのは、注がれてから検め卓に届くまでの、わずかな間。杯が盆の上に並んでいた、あの十歩ほどの距離である。

 

 あの盆に近づいたのは、三人。杯を運んだ給仕がふたり。それから――王族の杯の並び順を、作法どおりに直した、白手袋の配膳頭がひとり。

 

「配膳頭どの。祝杯の並びは、上座が右、でしたね?」

 

「は……はい、左様で」

 

「今夜に限って、直す前から並びは合っていました。この三夜、検め卓の隣でずっと見ておりましたので。……直す必要のない並びを直した、その手袋。検めさせていただいても?」

 

 白手袋の、右の指先。リヒト様の試薬が、布に染みた僅かな液を正直に炙り出した。根と実の双方を含む、煮詰めて濃くした月影の毒液――杯に残った「黙り酒」と、産地の癖まで同じものである。並び直しのひと撫での間に、指先に仕込んだ膜の一滴が、杯の縁の内側を掠めた。手口ごと、指先が白状している。

 

 配膳頭は、その場に膝から崩れた。三夜かけた盤面があとわずかのところで詰んだのである。毒で人を害する手は、自分の未来をも焼いてしまう。帳尻だ。

 

 連行の間際、配膳頭は譫言(うわごと)のように繰り返した。雇い主の顔は知らない。届くのは金貨と文だけ。ただ、最後の文には、毒見役への言伝がひと言、添えられていたという。

 

「『毒が効かぬなら、話は早い』……それだけで、ございました」

 

 祝杯は新しく注ぎ直され、儀は何事もなく果てた。殿下の発声は短く、諸侯の唱和は長い。半分に落とされた千の火の下、千の杯が同時に傾く眺めは、悔しいことに、綺麗だった。あの光の中の誰一人、杯が一度死にかけたことを知らない。知らないままでいられるのが、毒見役の仕事の、成功の形である。

 

 ――毒が効かぬなら、話は早い。

 

 毒の通らない相手に、毒の話を続ける律儀者はいない。つまりあれは、宣言である。次は、毒ではない何かで来る、という。

 

 祭りの終わった夜の廊下は、外された飾りの跡だけが白く残って、妙に広い。自室に戻り、手帳に今夜の行を書く。書きながらペン先が、珍しく一度だけ、止まった――。

 

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