毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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14. 煙は効かない、刃は効く

 祝宴が明けて、王宮は三日かけて萎んでいった。幔幕が外され、諸侯の馬車が減り、検めの間の行列が短くなる。私の昼寝の予定表にも、ようやく文字が戻り始めた――はず、だった。

 

 その夜は、晩餐のあとに執務室の茶が控えていた。祝宴の後始末の決裁で、書類の山がまた育っているのである。殿下と、先導の侍従さんと、私。回廊の燭台は等間隔に灯り、火のひとつひとつが、磨かれた床に小さな光の池を作っている。窓の外は、月のない夜だった。昼間の喧噪が抜けた王宮は、靴音がよく響く。祝宴の三夜が嘘のような、糊の利いた静けさである。

 

「祝宴の帳尻は、どうだった」

 

「三夜で百三十一皿。隠し味は十一品でした」

 

「……よく食うな」

 

「職務ですので」

 

 そんな、他愛のないやり取りの途中だった。角を曲がった先で、こと、と小さく陶器の転がる音がした。

 

 白い煙が、床を這って膨らんだ。燭台の光の池が、手前から順に、白く呑まれていく。

 

 先を行く侍従さんが、二呼吸で咳き込んで膝をつく。回廊の端の衛兵が、目を押さえてうずくまる。煙は、さほど濃くない。なのに、触れた人から順に、涙と咳で崩れていく。煙そのものではなく――煙に乗せた毒の仕業である。

 

 唐辛子を炙った辛み、痺れ草の青さ。喉の奥で味を読みながら、私は立っていた。目は染みるが、それだけだ。効かないので。

 

「殿下。袖で口を。浅く吸って、壁沿いに、こちらへ」

 

 煙の中で唯一まともに立っている人間の声というのは、存外よく通る。殿下の腕を掴んで、壁際へ引く。――と。

 

 煙の奥で、床を蹴る音がした。

 

 濡れた布で顔の下半分を覆った男。毒の煙に沈んだ廊下を、その男だけが平然と歩いてくる。そして抜き身の切っ先は、殿下ではなく――まっすぐ、私に向いていた。

 

 なるほど。毒の効かない毒見役から、先に片付ける算段だ。手順としては、正しい。

 

 正しいが、こちらにも都合がある。私は殿下の腕を突き放して、後ろへ跳んだ。……跳んだつもりだった。が――――実際は絨毯(じゅうたん)の縁に踵を取られ、無様に尻餅をつく。

 

「きゃぁっ!」

 

 意表を突かれ、狙いを外す賊――――。

 

 シュッと、切っ先は逸れて、腕の外側を浅く裂くだけに終わった。人生、何が幸いするか分からない。

 

 焼けるような線。遅れて、じわりと熱い赤。

 

 ――痛い。毒はまるで効かないのに、これは、ちゃんと痛いのだ。

 

 床に散った自分の血から立つのは、ただの鉄の匂いだった。種類も、量も、産地も、何も語らない。毒ならばあれほど饒舌(じょうぜつ)な私の舌と鼻が、血の前では、まるで役に立たない。生まれて初めて、背中の産毛が立った。怖い、というのは、こういう味のしない出来事のことを言うらしい。

 

「曲者! たたっ斬る!!」

 

 鞘ごと抜いた殿下の剣が、刃を横から打ち払う。恐るべき気を発しながら二合、三合。本来守られるべき殿下がなんと気迫で賊を圧倒する――。

 

 書類の谷で暮らす痩身の、どこにあの速さが残っているのだろう。

 

 ピピーッ! 「曲者だ! 殿下を守れ!!」

 

 衛兵がドヤドヤと廊下を駆けてくる。

 

 男は分が悪いと見るや、窓の桟を蹴って、月のない闇へ消えた。入れ替わりに、駆けつけた衛兵の靴音が夜の回廊を埋めていく。

 

 殿下は私の傷口をちらりと確かめると、ひょいっと私を持ち上げ――。

 

「へっ!?」

 

 そのまま医務の間へと駆けだした――――。

 

       ◇

 

 そこは、消毒の酒精と、乾いた包帯の匂いがした。リヒト様が腕の傷を検める。浅い。数日で塞がる類である。治療されるのは、毒見役になって初めてで、妙に落ち着かない。手当ての間、あの饒舌な人が一言も軽口を叩かなかったのが、傷より少しだけ応えた。白い包帯に、じわ、と赤が滲むのを、殿下は戸口に立ったまま、ずっと見ていた。

 

「……効かないのは、毒だけだったな」

 

「ええ。刃物は、人並みですので」

 

「人並みなら、人並みに恐れてもらわんとな。一目散に逃げろ」

 

「善処します」

 

「……しない顔だ」

 

 リヒト様の口癖の物真似だろうか。ずいぶんお上手である。殿下は少し黙って、それから、戸口から動かないまま付け足した。

 

「明日から、君には近衛を一人つける。……毒見役の代えは居ない。そう教えたのは、君の三月(みつき)だ」

 

 近衛、と手帳に書くべきか迷って、やめておいた。昼寝も監視されてしまうのか、はぁ。

 

 煙玉の殻は、廊下から二つ拾われた。陶器の欠片、蝋の封、芯の燃え残り。リヒト様は欠片を卓に並べて、ようやくいつもの調子を取り戻し、片眼鏡の奥で目を細めた。

 

「唐辛子と痺れ草の炙り粉。巻きの手際に、花火師の癖が出ている。城下でこの手の玉を組める材料屋は、二軒しかない」

 

「足取りが、辿れますね」

 

「もう一つ、良い報せだ。この煙の香は、髪と布に染みつくと三日は落ちない。……刺客どのは今ごろ、自分の外套と喧嘩している頃だよ」

 

 敵は、手を替えてきた。毒から、煙へ。煙から、刃へ。

 

 寝床で天井を眺めながら、包帯の下の鈍い熱を数える。『毒見役ニハ毒ガ効カナイ』の隣に、敵の手帳は今夜、新しい一行を書き足しただろう。『但シ、刃物ハ効ク』と。

 

 私の弱点が、静かに敵の卓へ載った夜である――。

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