毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
数日後の昼。大広間の隣の小広間で、祝宴のあと初めての、公式の
客は、帰り支度を延ばした諸侯が十二人。祝宴で「食べる王太子」をご覧になった方々である。会食の申し込みは三年分の空白を埋めるように届いていて、これはその、記念すべき一件目だった。昼の光が高窓から斜めに差し、卓の銀器を行儀よく光らせている。祝宴のあとの王宮には、宴の名残の甘い匂いと、片付けきらない花の萎れた匂いが、薄く同居していた。皿の川ならぬ小川を、私は配膳前室でせっせと検めていく。隠し味は、前菜の一品に眠り草がひとつまみ。平和な部類である。
主菜の毒見皿を空けた頃、厨房の方角から、鐘が鳴った。
火の手の鐘である。廊下がにわかに騒がしくなり、衛兵の足音が厨房へ流れていく。開け放たれた扉の向こうから、薄く、白いものが漂ってきた。
舌より先に、鼻が読む。唐辛子を炙った辛み、痺れ草の青さ。……あの夜と、同じ調合である。
ただし、置き方が違う。
「リヒト様。これは、殺す煙ではありません。量が足止め向きです。それに
「煙で人を動かすなら、定石は二手だ。追い立てる煙と――待ち受ける口。さて、この間取りで、追い立てられた人が集まる先は?」
小広間の図面を、頭の中に広げる。厨房側の扉から煙。衛兵は厨房へ。客は反対側へ。反対側の出口は、東の大扉がひとつきり。
「東の扉が、罠です」
「なら、俺の通路を使え」
「配膳通路だ。狭いが、まっすぐ中庭へ抜ける。皿の通る道に、間違いはねえ」
小広間では、給仕たちが客を東の大扉へ導きかけていた。それを、殿下の一声が止める。
「客人は、配膳通路へお通しする。……騒ぐことはない。皿の来た道を辿るのも、一興だろう」
殿下は、走らなかった。諸侯の目の前で卓の葡萄酒をひと口だけ干してから、静かに席を立った。恐怖に急かされる人の振る舞いではない。恐怖を三年、飼い馴らしてきた人の振る舞いである。裾の触れ合う音だけを連れて、客の列が動き出す。
配膳通路は、狭くて、温かかった。皿の棚が両側に並び、昼餐の湯気の名残が、まだ壁に染みている。絹の
鼻の奥に、引っかかる香りがある。
唐辛子の辛みと、痺れ草の青さ。いまこの場に漂う煙より三日ぶん古く、髪と外套の芯まで染みた匂い――――。
私は同行していた兵士にアイコンタクトすると、その男を指さした。
「――そこの、衛兵どの」
列の中ほど、殿下の背へするりと詰めていた長身の衛兵が、振り向かないまま止まる。
「あなたから、三日前の夜の煙の匂いがします。……その香り、三日は落ちないそうですよ」
男が跳ねるより早く、本物の衛兵たちが両腕を取った。もみ合いの中で袖口から短い刃が滑り落ち、石畳の上で乾いた音を立てる。顔の下半分を隠していなくても、体つきで分かる。あの夜、月のない闇へ消えた男である。
煙で人を眠らせ、煙で人を追い立て――最後は、自分の焚いた煙が名札になった。帳尻である。
騒ぎを聞きつけたオルデン様が駆けつけて、垂れ目を精一杯険しくしながら、衛兵の検分をてきぱきと指図していく。手回しの良さは、今日も王宮一である。
昼餐は、半刻遅れで再開された。殿下は席へ戻ると、冷めた主菜を下げさせず、そのまま平らげた。「毒も煙も刃も出た卓で、殿下は匙を置かれなかった」――諸侯が国元へ持ち帰る土産話としては、上々の部類だろう。会食の卓は、政の卓。今日の卓はたぶん、殿下の椅子の脚を少し太くした。
刺客の口は固く、雇い主の名は出ない。金貨と、文と、顔のない指図。いつもの手口である。ただ――煙玉の材料屋の帳簿。袖に粉を残した家令。三度目になった、陰干しの癖。手帳の頁はばらばらのようでいて、めくるたび、同じ方角から風が吹く。
毒の川の上流に、同じ岸辺がある。まだ名前の書けない、岸辺が。名前の欄を空けたまま、頁の端だけ折っておく。埋まる日は、たぶん――来る。
その晩の晩餐は、静かだった。隠し味は、なし。燭台の火が、空になっていく皿を順々に照らす。給仕の下げる盆の上で、銀器が満足そうに鳴った。空いた皿を眺めて、殿下がふと言う。
「……君が来て、
「早いものです」
「三月で、俺は毒見役に三度、命を借りた。……いつか、まとめて返す」
「利息は結構ですので、お礼は昼寝時間でお願いします」
殿下が、短く笑った。この方が声を立てて笑うのを、初めて聞いた気がする。笑うと、隈の下の冬空色が、少しだけ春に寄る。
――数日後。毒見皿の上に、私の舌が初めて答えに詰まる一皿が載ることになるのだが……それはまた、別の夜の話である――。