毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
下働きの少年は、命を取り留めた。
椀に残った粥から私が字を読み、リヒト様が解毒剤を組むまで、四半刻。賄いの大鍋で毒が薄まっていたことも、幸いした。医務の寝台で眠る少年の顔色は、悪いなりに、もう死の側の色ではない。小さな手が、寝息に合わせて、時々何かを洗う仕草をする。夢の中でも、働いているらしい。
「賄いでも、俺の客だ」
厨房へ戻ると、グレゴールさんが大鍋の前で仁王立ちしていた。低い声が、竈の火より熱い。
「王族の膳だけ守りゃいいってもんじゃなかった。朝から晩まで、俺の鍋を狙える奴を、俺は許さん」
「賄いの検めも、私が」
「テメエの体は一つだろうが」
「舌も一つですが、性能には自信があります。それに――」
毒で人を害する手合いが、私は静かに嫌いである。少年の椀に落ちた匙を思い出すと、その嫌いが、もう一段冷える。昼寝の予定を三割ほど諦めることにした。不本意である。不本意だが、寝覚めの悪さよりは、ずっと安い。
騒ぎの影響は、思わぬところに出た。賄いの列が、目に見えて短くなったのである。疑いというものは、毒より速く回る。グレゴールさんは大鍋の前で仏頂面のまま、それでも列に並んだ者の椀にだけは、山盛りをよそっていた。私は毎食、賄いを先に検めて、厨房の柱に木札を掛けることにした。
『本日ノ賄イ、検メ済ミ』
三日もすると、列は元の長さに戻った。木札の字が下手だと、洗い場の少年たちに笑われた。字は職務外である。
◇
二件目は、三日後に出た。北門の詰所で、荷改めの判を預かる官吏。汲み置きの水差しから、同じ三つの字と、同じ甘い膜。
三件目は、その翌日だった。納品の綴りを預かる、書庫番の老人の弁当箱。書庫は人の出入りが少なく、発見が、遅れた。種類の割れない毒に、医者の処置も後手に回る。リヒト様の解毒剤は――間に合わなかった。
書庫の窓辺には、読みかけの本が伏せたまま残っていた。栞の代わりに、乾いた花弁が一枚挟んであった。几帳面に生きてきた人の、几帳面な午後が、そこで途切れている。私は現場を回り、残り物を舐めて歩く。傍目にはずいぶん奇妙な毒見役だろう。けれど、舐めるたびに、はっきりしていく。三件とも、同じ三つの字と、同じ甘い膜。分け取りにかければ、配合はきっちり三対一対一、溶きの油は決まって
同じ毒で、狙って、殺している。……では、なぜ、この三人なのか?
リヒト様の研究室で、三人の名前と職を紙に並べてみて、気づいた。祝宴のあいだ、人手が足りず貯蔵庫への箱運びに駆り出されていた、洗い場の少年。北門で献上の荷に判を捺してきた官吏。納品の綴りを預かる書庫番。
まぶたが、上がる。今度のそれは、少しも嬉しくない。
「――荷の道です。箱に触れた手、判を捺した手、記録を預かる手。倒れた順に地図へ置くと、毒の荷が王宮へ入ってきた道になります」
「後始末、というわけだ」
リヒト様が、三件分の検体を睨んで言った。硝子管の中で、同じ色の沈殿が三つ、行儀よく並んでいる。
「生誕祭で配膳頭が捕まり、その前には家令が捕まった。端から口を割られる前に、道そのものを消しにかかっている。……名乗らない毒は、そのための道具だ。種類が割れなければ、解毒も追跡も後手に回る。現に、回った」
口を割り得る末端から、先回りして消していく。王宮の下働きと老人が、その「後始末」の帳面に数えられていた。この結論の据わりの悪さは、どんな毒の比でもない。伏せられた読みかけの本の頁を、そっと閉じて、書庫番の帳場へ戻しておいた。
◇
調べの筋は、衛兵隊が拾ってきた。教本どおりの配合、ギルド仕込みの手際。王都の調薬ギルドに問い合わせると、三年前に破門された薬師がひとり、名簿から浮かんだ。行方は知れない。住んでいた長屋には、金貨の袋と、燃やし損ねた文の端。
――金貨と、文。顔のない雇い主の、いつもの手口である。
手帳の、名前のない岸辺の頁に、また一筋、風が吹き込んでくる。破門薬師は、たぶん川の中流だ。上流は、まだ霧の中である。
その夜から、私の移動時には、殿下の言いつけどおり近衛が一人つくようになった。廊下の角ごとに気配を配る背中を眺めながら、賄いの残りの黒麦の
◇
四件目は、毒では説明のつかない倒れ方をした。
夕暮れの廊下で、若い書記官が「そこにいない誰か」と親しげに話し込み、笑い声を立て、そのまま膝から崩れたのだという。駆けつけた衛兵に向かって、彼は倒れたまま、なお何かを報告し続けていた。
誰もいない宙へ、丁寧に、頭を下げながら。
――毒は、また一段、器用になっていく――。