毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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18. 幻は、毒より雄弁

 書記官は、生きていた。生きて、医務の寝台の上で、いない誰かとの面会を続けていた。

 

「はい。……はい、仰せの通りに。文は、燃やしました」

 

 目は開いているのに、こちらを映していない。声は穏やかで、受け答えは筋が通っていて、それがかえって薄ら寒い。昼の光の差す医務の間で、彼の指は時折、ありもしない書類を丁寧にめくった。白い壁に、丁寧なお辞儀の影だけが、規則正しく揺れている。

 

「……私のときは、天井に花畑でしたが」

 

「君の場合は、術式が素通りで発動しただけだからね。彼のは違う。根を、張っている」

 

 根、という言葉の嫌な湿り気だけが、白い部屋に残った。

 

 彼が倒れる前に飲んでいた茶の残りを、舐める。三つの字と、甘い膜――例の破門薬師の癖である。そして飲み下したあと、味の輪郭が、ふつり、と途切れた。蝋燭を吹き消したような、あの消え方。

 

 まぶたが、上がる。

 

「……魔毒です。成分は例の職人。術式は――リヒト様、出番です」

 

「呼ばれる前に来ている!」

 

 銀板と紋様写しの手つきは、相変わらず、普段の変人が嘘のように静かで正確だった。浮かび上がった紋様を睨むうち、リヒト様の眉間の皺が、段々と深くなっていく。

 

「幻覚術式だ。ただし、以前の菓子に仕込まれた三流の編み方とは、物が違う。編み目が細かい。工房仕事だ。それも、王都で三本の指に入る類の」

 

「成分は破門薬師、術式は上等な工房。……二つの職人が、同じ発注元で繋がったことになりますね」

 

「そういうことだ。敵さん、ずいぶん金回りがいい」

 

 厄介なのは、術式の中身だった。この幻覚は、でたらめな夢を見せる類ではない。「最後に強く残った現実の続き」を見せ続ける術式だという。壊すのではなく、続けさせる。だから彼は倒れてなお、誰かへの報告を続けている。

 

「つまり、彼が幻の中で話している相手は」

 

「彼が現実で、いちばん強く意識していた相手だ」

 

 寝台の書記官が、また丁寧に頭を下げた。「金貨は、棚の三段目に。……次の御指図を」。

 

 衛兵が官舎の棚を検めると、三段目から金貨の袋が出た。暖炉からは、差出人のない文の燃え残り。書記官は、内通者だったのである。荷の道の、宮廷側の口。後始末の列には、彼も並んでいたのだ。

 

「口封じなら、黙らせるのが筋では?」

 

「本来は、黙る仕込みさ。幻に沈んだ人間は、外から見ればただの放心だ。……誤算は、彼のいちばん強い現実が『報告』だったこと。封じたはずの口から、封じた中身が、延々と漏れ続けている」

 

「毒で人を害する手は、自分の手癖に売られる。……術式でも、同じらしいですね」

 

 後の調べで、もう一つ分かったことがある。書記官の給金の大半は、病がちの母親への仕送りに消えていた。金貨の袋が置かれ始めたのは、薬代が嵩んだ月からだという。……この手配網は、懐の寒い者を選んで釣り針を垂らす。手帳に、一行書き足した。『雇ワレルノハ、懐ノ寒イ者』。人選にも、手口の癖は出るのである。

 

 毒で人を雇い、毒で人を仕舞う。私は手帳を、静かに握り直した。この川の上流は、よほど、人の命の仕入れ値が安い。

 

       ◇

 

 術式は、リヒト様が三日がかりで解いた。研究室に籠もりきりの三日間である。私は検めの合間に、毒見済みの茶と賄いを届けた。三日目の朝、彼は寝癖だらけの頭で「解けた」とだけ言って、卓に突っ伏した。倒れる寸前まで、手だけは丁寧に消毒するのが、この人である。目を覚ました書記官は、幻の中の「報告」を何ひとつ覚えていなかったが、彼の口が既に語った分と、棚の金貨とで、調べには十分だった。雇い主へ辿る糸は、例によって金貨と文で切れている。それでも、収穫はあった。工房仕事の術式は、高くつく。敵の財布の底が、少しだけ透けた。

 

 夜の執務室で、殿下が茶器を置いて仰った。

 

「君の卓を、通らないものが増えたな」

 

「なら、卓を増やすまでです。賄いも、詰所の水も」

 

「……体は一つだと、料理長が怒っていたが」

 

「舌は一つですが、噂によれば王宮一の性能ですので」

 

 殿下は、ため息とも呼べない小さな息を吐いた。殿下なりの心配の仕草なのだ。

 

       ◇

 

 翌日の昼下がり。オルデン様が、いつもの垂れ目に珍しく困り皺を足して、検めの間へ現れた。

 

「ヴィオラ殿。……ローデン家のご子息が、ぜひ毒見役どのにお目通りをと。なんでも、殿下おんために『解毒の妙薬』をお持ちだそうですじゃ」

 

「妙薬」

 

「……妙薬、だそうですじゃ」

 

 二人の間に、ぬるい沈黙が落ちる。柔和な垂れ目と、眠たげな半目が、同じ種類の疲れを分け合った、短い午後である。

 

 嫌な予感しか、しない――。

 

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