毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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22. 外交は、胃袋から

 隣国の使節団は、雨上がりの午後に到着した。

 

 馬車が六台、贈答の荷が二台。濡れた石畳に、見慣れない緋色の軍装と、聞き慣れない訛りの号令が響く。三年前に縁組の話が凍って以来、初めての公式訪問だという。会食は二日目の晩、大広間の隣の「白の間」で開かれる。同盟も、縁組も、腹の探り合いも、半分は食卓の上で行われる――いつかの殿下の言葉どおりなら、これは戦場の設営である。

 

 厨房は、二日前から戦支度だった。グレゴールさんは隣国の食の禁忌を三度確かめ、献立を四度書き直し、砥石の音を二晩響かせた。「祝宴より皿数は少ねえが、皿の重さが違う」。熊の言うとおりである。今夜の皿は、一枚ごとに国境の重さをしている。

 

 そして戦場には、同業がいた。

 

「使節付き毒見役、バルトと申す」

 

 白髪交じりの、痩せた老人である。歳は六十がらみ、指が薬品焼けで硬く、左の手首に古い引き攣れの痕がある。互いの検めの段取りを擦り合わせるのが、会食前の同業の作法らしい。私の様式を聞いた老人は、皺の奥の目を丸くした。

 

「毒見皿を、品ごとに全量……? 正気か、娘。舌が保たんだろう」

 

「保つのが、取り柄ですので」

 

「……変わった娘だ」

 

 どこの国でも、感想は同じらしい。

 

 バルト翁は一口作法の人である。曰く、五十年で三度死にかけ、二度は薬で戻り、一度は運で戻った。同業の古傷の話を、老人は自慢でも嘆きでもなく、天気の話のように語った。

 

「この稼業、長生きの秘訣はな、娘。……疑って、疑って、それでも食卓を嫌いにならんことだ」

 

 良い言葉なので、手帳に書いておいた。『食卓ヲ嫌イニナラヌコト』。売り物にならない類の、上等な処世術である。

 

       ◇

 

 会食当日。白の間は、燭台と花と、二つの国の旗で整えられた。硝子窓の外はまだ薄青い夕暮れで、楽の音は控えめに、香の焚き方も控えめに。祝宴のような光の洪水ではない。互いの出方を測る夜の、抑えた明るさである。私は検めの前室で、いつも通りに皿の川を読む。殿下の膳は、白が続く。卓の向こうでは、三年ぶりの「食べる王太子」が、使節団長と杯を挟んで静かに切り結んでいた。

 

 異変は、交歓の杯に出た。

 

 両国の君主の名代が、同じ酒を酌み交わす儀式の杯である。樽は白。水差しも白。そして使節団長の杯に注がれた分を、作法どおりバルト翁が一口検め――その横顔が、わずかに固まった。

 

「……娘。すまんが、舌を借りたい。儂の舌では、割れん」

 

 ひと口、いただく。まぶたが、上がった。

 

 赤い実の香辛料に似せた、細かい粉。舌の奥で、南国の毒草・火楊梅とそっくりの痺れが立つ。けれど――土が違う。

 

「火楊梅に似せてありますが、偽物です。本物は貴国の湿った赤土で育つ。この粉の下にあるのは、乾いた黒土の味……王国北部の内陸です。この毒は、海を渡っていません」

 

「――つまり?」

 

「貴国の名物の毒に化けた、王国育ちの毒です。使節団長どのがこの杯で倒れれば、貴国は王国を疑い、王国は貴国のお家騒動を疑う。……どちらに転んでも、会食は壊れます」

 

 狙いは殿下の命ではない。殿下の食卓、それ自体である。三年ぶりに戻りかけた会食の政を、初日で凍らせるための毒だ。

 

 杯は静かに差し替えられ、儀式は何事もなく進んだ。倒れる者のない交歓ほど、地味で、上等な外交はない。

 

       ◇

 

 帰国の朝、バルト翁は私の前で深々と頭を下げた。

 

「五十年、この稼業をやってきた。……杯が割れる前に毒の国籍まで読んだ毒見は、初めて見た。国の報告書には、こう書く。『王国の食卓は、大陸一安全である』と」

 

「盛られる回数も、たぶん大陸一ですが」

 

「ほっほ。それを笑って言える毒見役がいる限り、この国の食卓は保つよ」

 

 使節団の馬車が遠ざかったあと、殿下がぽつりと仰った。

 

「三年、遠回りをした。……君が来てから、止まっていた道が、戻ってくる」

 

「道の整備は、職掌外ですが」

 

「食卓の上の道だ。十分に、君の職掌だろう」

 

「そうかも……しれませんね……」

 

 殿下と話すとどうも素直になり切れない自分が居る。いや、たぶん寝不足のせいである。

 

       ◇

 

 数日後。オルデン様が、いつになく折り目正しい顔で、金縁の招待状を運んできた。

 

「王太后さまから、茶会のお招きですじゃ。殿下と――それから、毒見役どのも名指しで」

 

「……私も、ですか?」

 

「王太后さまが名指しとは、めずらしいこともあるものですじゃ」

 

 金縁の招待状は、上品な花の香りがした。香りの奥を、つい職業柄、探ってしまう。何も、入っていない。何も入っていないのに、少しも安心できない招待状というのも、珍しい――。

 

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