毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
その晩餐は、最初の一皿から、様子がおかしかった。
始まりは、いつもと同じだった。燭台の等間隔の光。壁際の給仕。書類を傍らに置いた殿下と、湯気の立つ膳。あまりに見慣れた景色なので、体のほうが先に、違和感を数え始めていたのだと思う。
一品目、白身魚の冷菜。口に運んで、まぶたが上がる。兜草、それも――致死量である。差し替え。二品目、豆のスープ。砒素。これも致死量。差し替え。三品目、仔牛の煮込み。灰銀花の根、濃い。
三皿目を飲み下したところで、体の奥の炉が、ごう、と鳴った。頬の裏が熱く、指先だけが冷たい。白鈴糖三十個の比では、ない。
おかしい。毒の質は雑で、種類はばらばらで、隠す気さえ薄い。なのに量だけが、どの皿も律儀に、人ひとり殺せる線を越えてくる。こんな贅沢な盛り方は、三年分の帳簿にもない。
――待て。
私は匙を置いて、給仕の運んできた大皿を、直接ひと口検めた。……白。二皿目の大皿も、白。
毒は、料理に入っていない。取り分けた先の、毒見皿の側に塗られている。
「殿下。卓から、離れてください」
「どうした」
「今夜の毒は、膳を狙っていません。……毒見を、狙っています。私を沈めて、そのあとに――」
言い切る前に、視界の端で、燭台の火が横に流れた。体の熱が一気に頭へ昇り、床が、ゆっくり傾いていく。
まぶたが――落ちる。
いつも毒の前で持ち上がる、このまぶたが、である。あの様式美の、逆回しだ。冗談ではない、と思ったところまでは覚えている。燭台の火が、水底の光みたいに遠くなった。
◇
そこから先は、熱の膜の向こうの出来事だった。
食器の砕ける音。給仕の悲鳴。「殿下!」という近衛の声。床に転がった私の視界を、見知らぬ給仕の靴が横切り、抜き身の光がギラリと走る――――。
凍える体の上に、影が覆いかぶさった。冬空色の目が、すぐ近くにあった。
鋼のガキンと噛み合う音が二度。それから、どさりと重いものの倒れる音。熱の膜の向こうで、世界は音だけになっていた。
「医者を! リヒトを呼べ!」
殿下の声が、妙に遠い。頬に落ちてきた温かい滴が、汗ではないことだけ、匂いで分かった。血である。私のではない。……この方の、肩からだ。
毒の匂いなら、産地まで読める私の鼻が、血の前ではまた、何の役にも立たなかった。
◇
目が覚めたのは、夜半の医務の間である。
白い天井。消毒の酒精の匂い。窓の外は、もう深い藍色だった。熱は、引いていた。数十分――リヒト様いわく「四半刻と、もう半分」――で、私の体は勘定を済ませたらしい。致死量が三皿ぶん。死なずに済む代わりに、その間、私はただの眠り込んだ小娘だった。
「気がついたか。……解毒剤より、君の体のほうが早かったよ。医者としては、少々悔しいがね」
リヒト様の軽口が、いつもの半分の速さだった。扉の外からは、廊下を行き来する重い足音。グレゴールさんが、夜通し湯を沸かしては捨てているのだという。熊なりの、待ち方である。
寝台の脇に、腕を吊った殿下が座っていた。肩の傷は浅く、命に別状はないという。刺客は近衛が討ち取り、素性の出る物は、例によって何一つ持っていなかった。毒見皿に毒を塗った新入りの侍女は――昨夜の廊下の、あの目の人は――今朝から姿を消していた。
「……なぜ、庇われたのですか。毒見役の代えなら、探せばいずれ」
「居ない」
即答だった。
「探せば居るのは、毒見役だ。……代えが居ないのは、ヴィオラ、君だ」
三食昼寝つき。給金は望外。契約書の条件は、全部揃っている。揃っているのに、胸の奥のこの温度には、どの項目の名前も付かない。私は毛布の端を、少しだけ握った。
「……そういうものは、給金に含まれておりませんので」
「なら、別枠で払う」
交渉の余地のない声だった。私は答えの代わりに、目を閉じた。ずるい大人の、寝たふりである。閉じたまぶたの裏で、頬だけがいつまでも熱かった。三皿ぶんの毒の熱は、とうに引いているのに、である。
◇
敵は今夜、確信を持ち帰った。毒見役は、毒では死なない。ただし――盛りすぎれば、沈む。そして沈んでいる間、王太子には隙ができる。
私の弱点は、値札を付けられて、敵の棚に並んだ。安売りをするつもりは、ない。次の膳から、戦い方を変えねばならない――。